第74話
それは、思っていた以上に「尻尾」だった。
木と魔石と細かな部品が連なり、何度も削り直して角を落とし、マナの通り道を調整して――ようやく形になった一本。
机の上で、義尾が淡い土の光を宿していた。
「できちゃったね」
リデルが、息を吐くように言う。
「うん。あとはこれを付けるだけなんだけど」
アルスも、その隣に立っていた。
義尾は、ルナの尻尾を真似た形になっている。
根本にあたる部分には、結晶と繋げるための土の細工が組まれていて、その先はしなやかにしなる木材が何本も束ねられている。
何度もやり直したせいで、木肌には細かな削り跡が残っていた。
それでも、粗さではなく「誰かの手がかかったもの」という温度を感じさせた。
「今ある尻尾を、切らなくちゃ……」
リデルがぽつりと言う。
「……うん」
アルスは、その先を言葉にしかけて、口をつぐんだ。
ルナの尾は、もう半分以上が結晶になっている。
このまま放っておけば、いずれ全体が石になり、体のほうへと侵食していく。
それを止めるには、どこかで断ち切らなければならない。
けれど――。
「――それに」
アルスは、視線を義尾からリデルへと移した。
「わかってる。勝手にやっちゃいけないことぐらい」
先に口を開いたのはリデルだった。
指先で義尾の根本をそっと撫でながら、淡々と告げる。
「僕もそう思う」
アルスはうなずいた。
勝手に付けたら、それこそ、この子に魔石を埋め込んだ人と同じになる。
そのことを、誰よりも強く意識していたのは、きっとリデルだ。
だからルナ、そしてこの国に――納得してもらわないといけない。
ルナという一匹と。
この国の人々と。
どちらも、もう一度傷つけないために。
厩舎の奥、檻の中でルナがこちらを見ていた。
黒い瞳が、机の上の義尾を静かに追っている。
ちょうどそのとき、厩舎の扉が開いた。
「ただいま戻ったよ」
オルドとセラが戻ってきた。
二人の背後には、数人の教師たちも見える。
アルスは、胸の奥がきゅっと縮むのを感じた。
間に合った――そう思う一方で、嫌な予感もあった。
ルナは、前ほど激しく警戒はしていない。
耳が少し寝ているだけで、唸り声も上げない。
だが、その瞳の奥には、不安の色がまだ濃く残っていた。
「その子の処分は、今夜に決まった」
オルドが短く告げる。
その顔は悲しげに曇っていた。
セラも、険しい表情のままルナから目を離さない。
だけどアルスたちは違った。
リデルが、きゅっと拳を握りしめて一歩前に出る。
「あ、あの! そのことで相談したいことがあります」
声が少し震えていたが、その目はまっすぐだった。
「なんだい?」
オルドが振り向く。
「ルナを、助けさせてください!」
リデルの声が、厩舎の空気を震わせた。
◆
ルナと名付けていることに、オルドもセラも特に驚いた様子はなかった。
すでに、ここへ来るまでのあいだに耳にしていたのだろう。
「助けさせてください?」
セラが繰り返す。
その声音には、責める色はなく、ただ事実を確認する冷静さだけがあった。
「どうやって?」
そこでようやく、リデルは机の上の義尾を抱き上げた。
「これを、見てほしいです」
両腕で大事そうに抱えたそれを、オルドの前まで運ぶ。
「ほう。これは……」
オルドが目を細める。
「私たちで作りました」
リデルが言い、アルスがうなずき、ウィルが鼻先で義尾の根本をつついた。
トールもいつの間にか脇に立っており、少し緊張した面持ちで様子を伺っている。
三人と一匹が、オルドを見上げた。
「うむ、素晴らしいね」
オルドは義尾を受け取り、手の中でゆっくりと傾けてみせた。
木と金属を繋ぐ部分、マナを通すための細工。
どこまで魔石に負担をかけないようにするか、そのための調整。
その全てを確かめるように。
「ここまで調整してある魔道具は、なかなか見れない」
感嘆の息が漏れる。
「ここ四日の間に作ったと言うのかね?」
「はい」
リデルが胸を張って答えた。
「ふむ、本当に素晴らしい才能じゃな」
オルドの目が、リデルのほうを向いた。
褒めている。
けれど、そのすぐ後ろに「それでも」という影を隠している目だった。
「ただ――いくつか確認せねばならん」
オルドは義尾を机の上にそっと戻し、ルナのいる檻へと視線をやる。
「まず、その“ルナ”には納得してもらったのかい?」
「まだしてません」
リデルは正直に言った。
「なら、無理じゃの」
オルドは即座に却下した。
誰かが勝手に魔石を埋め込んだ、その最初の罪と同じことは許されない――
その思いが、その一言に込められていた。
「だから」
リデルが、息を吸う。
「今から納得してもらいます」
それだけ言うと、くるりと踵を返した。
そして、躊躇いなく檻の中へ入っていく。
鉄の扉がきしむ音に、ルナの耳が跳ねた。
一瞬、セラが身構える。
マナが、ほんのわずかに揺れた。
リデルはルナの目の前まで歩いていくと、しゃがみ込んでその瞳を見つめた。
「ルナ。私、あなたを助けたい」
静かな声だった。
「あなたの尻尾を、切ることになると思う。それでもいい?」
ルナの瞳が、ゆっくりとリデルを見つめ返す。
ここ数日のあいだ、献身的に尽くしてくれた姿が、きっと彼女の中にも残っている。
粗相の始末をし、声をかけ、痛みを気遣い、ただ隣に座り続けた時間。
ルナは、少しだけ体勢を変えた。
自然と頭が、リデルのお腹のあたりに来る。
そして――額を、そっとリデルに当てた。
リデルの体が一瞬だけ揺れる。
驚いたのは彼女だけではなかった。
「――なっ!」
セラは信じられない、という顔でその光景を見ていた。
この国で、ルキア種がそこまで気を許しているのを見たことがなかったからだ。
ルナは額を離すと、顔を上げて、もう一度リデルを見た。
そして、こくりと頷いた。
言葉を持たない同意。
だが、それは確かな「はい」だった。
リデルが立ち上がり、学長の方を振り向く。
「一つ、クリアですね」
わずかに笑みを混ぜて言う。
「よかろう」
オルドがうなずいた。
「では、次じゃ」
セラが言葉を引き継ぐ。
「誰がこの子にマナを教えてあげるんじゃ?」
重い問いだった。
義尾を付けるだけでは終わらない。
その先、この子はどうやって生きていくのか。
「僕が――」
アルスが口を開いた、その瞬間。
「それは無理だ」
セラの言葉が、きっぱりと遮った。
「なぜです」
アルスは思わず問い返す。
「晶獣と感覚レベルで意識を共有できない限り、マナの操作など教えることが不可能だからだ」
セラの声は淡々としていたが、その内容は重かった。
「どういうことですか」
「ならお前は、その子にどうやって魔法を教えるんだ?」
セラの視線が、まっすぐアルスに向けられる。
「それは――」
言葉が、喉の手前で止まる。
自分がルナより広くマナを感じられること。
流れを読むこと。
それを「教える」のと、「同じように感じるように導く」のとでは、まるで違う。
この人――セラの言うことは、いつも芯を食っている。
「お前は導士だ。不可能ではないのかもしれないが、この件は急を要する」
セラは続ける。
「この子と感覚レベルで意識を共有できる、晶装士しか無理なのだ」
晶装士――。
その言葉に、厩舎の中の空気が少し揺れた。
この場に晶装士はいない。
今、ルナと信頼関係にあるのは、アルスとリデル。
トールもいるが、どちらもまだこちらも導士にすぎない。
重たい沈黙が落ちる。
その沈黙を、破ったのはリデルだった。
「――私が晶装士になります」
まっすぐな声だった。
リデルは一歩前に出て、セラとオルドを真っ直ぐに見上げていた。
ルナの琥珀色の瞳が、その小さな背中をじっと見つめている。




