第48話
朝の光が、グラナード家の白い壁をやわらかく照らしていた。
玄関先に回り込んだアルスは、思わず足を止めた。
リデルの横に、山のように積み上がった荷物。
ウィルの背中にも、布でぐるぐると括りつけられた包みがいくつも載っている。
大きな灰色の狼は、ため息でもつきそうな顔で、遠い目をしていた。
「おはよう」
アルスが声をかけると、
「おはよう。アルス」
リデルが振り向き、ぱっと笑う。
その笑顔のすぐ横で、荷物の塔がぐらりと揺れた。
「このくらいはいるよね」
リデルが胸を張る。
「そうだな。もっと持っていきたいが」
玄関から出てきたアーデンまで、当たり前のように頷いた。
心配性が二人、同じ方向を見ている。
「そんなわけないでしょ。どうやって持っていくのよ」
奥から出てきたアスリナが、呆れたように言った。
リデルがこそっとウィルを見る。
ウィルは、すっと顔をそらした。
「知らん」とでも言いたげだ。
「あなたに任せたのが悪かったわ」
アスリナが、深々とため息をつく。
「もうすぐ、馬車が来る時間でしょ。いますぐ片付けてきて!」
ぴしゃりと一言。
「うわ、やばっ」「リデル、あれとこれは置いていきなさい」「えぇー!」
リデルとアーデンが、慌てて荷物を抱えて家の中へ引っ込んでいった。
玄関前には、アルスとアスリナ、そしてウィルだけが残る。
「ごめんね、アルス君。あの子もあの人も変なところが似ちゃって……」
「いえ」
アルスが返すと、アスリナはふふっと笑った。
笑い声と一緒に、少しだけ緊張がほどける。
それでも、この家の前に立っていると、「いよいよなんだ」という実感がじわじわと胸に広がってきた。
◆
しばらくして、リデルとアーデンが再び玄関から飛び出してきた。
さっきよりはずっと減ってはいるが、それでもリデルの背中のカバンはパンパンだ。
ウィルの背中の荷物も、どう見ても軽いとは言えない。
「まあ、このくらいならいいわ」
アスリナは、腕を組んだまま言った。
完全には納得していない顔だったけれど、それ以上は何も言わない。
「ごめんね、ウィル。この子達をよろしくね」
アスリナがウィルの額にそっと手を当てる。
ウィルは一つ短く吠え、それからアルスの隣に歩み寄ってきた。
大きな頭を、アルスの肩口にぐい、と押し付ける。
「もうすっかり、懐いちゃったわね」
アスリナが、どこか楽しそうに言う。
アルスは少しくすぐったそうに笑いながら、ウィルの首のあたりを撫でた。
少し間が空く。
「じゃあ、行ってくるね。お母さん、お父さん」
リデルが、きゅっとカバンの紐を握りしめながら言った。
「ああ」
「ええ」
アーデンとアスリナが、それぞれ短く返す。
「リデル、こっちへ」
アーデンが手を広げる。
リデルが一歩踏み出した瞬間、アーデンはぐっと娘を抱きしめた。
その顔はすでにぐしゃぐしゃだ。
それを見て、リデルの目もじわりと潤む。
「もう、締まらないわね」
アスリナが苦笑混じりに言いながら、二人の背中にそっと手を添える。
やがてアーデンがリデルを離し、今度はまっすぐアルスを見る。
「アルス君。娘を頼む」
「はい。任せてください」
アルスはまっすぐに言い返した。
自分でも驚くくらい、声は震えていなかった。
「アルス君も行ってらっしゃい」
アスリナが、柔らかく微笑む。
「……はい。行ってきます」
アルスは深く頭を下げた。
リデルは袖で目を拭う。
「さ、アルス、ウィル、行こう!」
振り返った顔には、さっきまでの涙の跡がうっすら残っている。
けれど、その目は前を向いていた。
二人と一頭は、グラナード家を背にして歩き出した。
◆
アルベスの門の近くにある馬車乗り場には、すでに何台かの馬車が並んでいた。
帆布で覆われた大きな荷馬車が二台。
人を乗せるための幌付きの馬車が一、二台。
その周りには、荷物を積み込む人たちと、革鎧を身に着けた護衛たちが立っている。
ヘイメリア帯を抜ける便は、他の馬車より少し料金が高いと聞いた。
そのぶん、腕に覚えのありそうな護衛がつく。
いつのまにか、リデルの大きな荷物はアルスの肩に移っていた。
「わぁ、おおきいね」
リデルが、思わず声を上げる。
「私たち、一番後ろみたい」
荷物を積み終えた御者が、手で合図をしてくる。
「お嬢ちゃんたちは、あっちの馬車だ。列の一番うしろな」
アルスたちが指定された馬車に向かおうとすると、近くにいた旅人たちの視線が一斉にウィルへ向いた。
「うわ、狼……」
誰かが小さくつぶやく。
子どもを連れた女性が、そっと子どもを自分の後ろに隠した。
馬がそわそわと足踏みをし、御者が慣れた手つきで手綱をなだめる。
寂しそうな顔をするウィルの背中を、アルスがそっと撫でる。
「ウィルは乗れないね」
リデルが、苦笑いしながらウィルの横顔を見る。
「僕と一緒に歩こう」
アルスが言うと、ウィルは嬉しそうに尾を振った。
そのままアルスの横にぴたりと寄り添う。
リデルは、幌馬車の一番後ろの席に腰を下ろした。
アルスは最後尾の近くに立ち、ウィルの首筋を軽く叩く。
「お嬢ちゃんたち、そろそろ出発するよ」
前の方から、御者の声が響いた。
号令に合わせて、馬たちが一斉に蹄を鳴らす。
車輪がきしみ、ごとり、と動き出す感触が足の裏に伝わった。
ゆっくりと、アルベスの街並みが後ろへ流れていく。
アルスは少し早歩きで馬車の後ろをついていく。
石畳の道。
見慣れた屋根。
学院の塔の尖った影。
もう一度振り返れば、グラナード家のある方角に、さっきの風鈴の音が聞こえたような気がした。
胸の中で、期待と不安が混ざり合って、小さな渦を巻く。
それでも、馬車にはリデルがいて、横にはウィルがいる。
前を見れば、土の国へと続く国道が、まっすぐに伸びていた。
こうして、アルスたちの土の国への旅が始まった。




