第46話
今回最終回です。
10年後、2035年の春。僕は六本木ヒルズにある『乃木プロダクション』のオフィスの一室で1人、窓の方を向き外の景色を眺めて物思いにふけていた。
光の粒が遠くまで続いている。東京タワーが赤く滲んで、その向こうに湾岸の明かりが並んでいる。
何度見ても、この景色には慣れない。慣れたくない、と思っているのかもしれなかった。
背後のデスクに視線を戻す。書類の束、スケジュール表、複数のアーティスト名が並んだホワイトボード。壁には何枚かのポスターが貼られていて、その中の1枚、METROPOLARiSの最新ビジュアルが、室内の照明を静かに受けていた。
隣の副社長の席は、まだ空いていた。椅子を窓の方へ向け直して、また外を見る。
明日、Emmaが再び集まる。あの頃から、もう20年が経とうとしていた。
***
この10年、僕たちは様々なことを経験してきた。まずはMETROPOLARiS、彼女たちはメジャーデビュー前から既に頭角を現していた。
2025年に『Heaven or hell project』で優勝し、メジャーデビューを果たしてからは、この10年間休みがほとんどないほど、様々な仕事に取り組んだ。
僕は、部屋の隅に置いてあるホワイトボードに目をやる。端に古いシールが1枚残っている。
METROPOLARiSが初めてドームを埋めた日、誰かがいたずらに貼ったものだ。剥がすのが惜しくて、ずっとそのままにしてある。
そして葛西蒼、今年27歳になった彼女は、今や誰もが知るソロアイドルだ。だが、僕が初めて会ったとき、彼女はまだ何者でもなかった。
Emma時代の空気を、どこかに引き継いでいるような目をしていた。
蒼が初めてバラエティに出た日、収録後に電話をかけてきた。「笑ってもらえました」と、それだけ言って切った。
彼女の声は、少し震えていた。
蒼がいて、METROPOLARiSがいる。
乃木プロダクションは、気がつけばそういう場所になっていた。
そして、彩葉ちゃんと優太くんに連絡を取ったのは、去年の冬だった。
2人は3年前に、コンセプトカフェ『METROPOLARiS』を離れ、芸能活動を復帰したいと僕に言ってきた。1年ほどかけて彩葉ちゃんは歌手として、優太くんは俳優として、少しずつ自分の場所を作り始めていた。
僕が育てたというより、僕のアドバイスをもとに2人がもともと持っていたものが、ようやく表に出てきた、という感じに近かった。
Emmaの再集結を言い出したのは僕だ。
誰かに背中を押されたわけでもない。周年の節目ではあったが、それだけではない。
ふと、あの5人でもう一度だけ、同じ場所に立ちたい、と思った。
玲奈ちゃんは一番早く返事をくれた。初歌ちゃんは少し考えてから、でも必ず頷いた。
そして、彩葉ちゃんは電話口で泣いた。優太くんは笑いながら「遅すぎるよ」と言った。
10年前にはあんなに不仲だったのに、今では5人が揃うまで、3日もかからなかった。
***
君は迷わなかった。僕が迷っているときも、君は迷わなかった。
それが不思議で、頼もしくて、怖かった。こんなに真っ直ぐに隣に立てる人間が、本当に存在するのかと思った。
今、君は副社長だ、METROPOLARiSのリーダーだ、そして…………僕の妻だ。
どれが本当の君か、なんて野暮な問いは立てない。全部が君だと、今は迷わず言える。
隣の席が暗いだけで、こんなに静かになる。
明日が終わったら、ちゃんと伝えよう。言葉にしなくてもわかっているだろうけれど、それでも言葉にしたいことが、この10年で少しずつ、山のように積もっている。
僕は立ち上がって、もう一度だけ窓の外を見る。東京タワーはまだ赤い。この景色は、明日も変わらずここにある。
扉から3回ノックが響く。
「どうぞ」
声をかけると、2人の新人プロデューサーが緊張した面持ちで入ってきた。そして僕は笑みを浮かべてから口を開いた。
「初めまして。私は『乃木プロダクション』社長の、乃木健人です。これからどうぞ、よろしくお願いします」
ここまでご覧いただきありがとうございました。




