泣き声の主
一歩ずつこちらに近づく熊の魔獣に対してスノウは杖を床に数回小突き、唱える。
「【氷の柱】」
スノウと魔獣の間には床、壁、全ての角度から氷の柱が現れて魔獣の動きを抑制する。
「【踊るつらら】」
背後の魔法陣から飛び出すは五十本の魔力を含んだつらら。
その全てが魔獣に襲いかかる。
「この氷魔法…想像以上だ…!」
アレタはスノウの氷魔法に魅せられていた。
15歳にしてこの氷の生成量、質、威力ともに非の打ち所がない。
この年齢にして彼女はかなり強力な魔法士だ。
「…やっぱり、これくらいじゃダメね」
今の魔法を使えば最低でもDランク以下の魔獣は確実に殺せる。
Cランクでも重症にはなるのにこの魔獣は多少の傷を負った程度。
「アレタごめん。15秒だけ時間稼げる?」
「えぇ!?まぁ…いけるかもしれないけど…」
「私が合図したら全力で後ろに逃げて。頼んだわよ」
スノウは後方に下がり目を閉じて杖に何かを念じ始めたのでアレタが前方に上がる。
氷の柱が完全に崩れると二足歩行から四足歩行に切り替わり大きく吠えた。
「時間稼ぎなら僕でも!」
衣服のうちから取り出したのはいつでも魔獣追いかけられても構わないようにと常に持っている特製の道具のうちの一つ、粘着玉。
それを触れるであろう床に大量にばら撒く。
「行け!僕の【魔獣ベタベタ玉】!」
床にぶつかった衝撃で玉は破裂、中から白くどろっとした液体が床を覆い、それを踏んでしまった魔獣は動きがとれずに踠く。
「ブゥォッ!」
「潰した相手の指を接着してしまうクチャセの実を使った僕特製の道具さ!これで時間を__」
確かに魔獣は床に接着されている。
しかしこの魔獣は強引に動いて床をくり抜くように対応した。
床だった瓦礫を四肢に付けながら再度走り出したのだ。
「嘘!?」
この時間、わずか2秒。
アレタの予定では少なくとも10秒は稼げると思っていた。
「だったらこれだ!爆閃玉!」
魔獣ベタベタ玉とは違い、これはれっきとした武器になりうる玉だ。
その玉を投げて魔獣の顔にこつんと当たる。
本能的にその玉の危険性を感じた魔獣は一度、足を止めて腕で顔を覆った。
「よし!後は爆発…しない?」
不審に感じた魔獣も恐る恐る腕を下ろして自身に当たった玉を見た。
「しまったぁっ!海沿いのシンヘルキだから中の火薬が湿ってるの忘れてたぁっ!」
「ブグゥオオオオゥ!!」
またまた魔獣は走り出す。
この時間、わずか4秒。
アレタの予定ではこれで時間は稼ぎきったと思っていた。
「こうなったら使いたくなかったけど…最後の手だ!」
最後の手段として取り出した玉は一見なんの変哲もない玉だった。
しかし魔獣はそれから並々ならぬ異臭を感じ、再び足を止めた。
「魔獣の君なら感じるよね?この玉の中身…君にあげるよっ!」
その玉の中身はシンヘルキから南部へ進んだ密林地帯に群生するとある果物の種と細菌に寄生された豆をすり潰し少量の水で固めた物。
魔獣の目の前に落ちて、割れた。
それと同時にアレタは布で鼻を覆って後ろへ下がる。
確信があった。
スノウが言った15秒はこの玉でやり切れると。
この玉、平たく言えば
「臭くてたまらないだろう!嗅覚に敏感な魔獣には天敵とも言えるかもね!」
とても臭いのだ。
魔獣に限らず人であれ誰であれこの匂いには大変不愉快である。
「ごめんお待たせ!アレタ下がって!」
「わかった!やっちゃって!」
急いで走りスノウの後ろへと下がる。
そしてスノウも直線上には魔獣しかいない事を確認した。
「内に眠る未知の可能性に命ず、我に仇する全ての愚者に永遠の静寂を与えなさい」
背後の巨大な魔法陣、呪文の完全詠唱、大気中のマナがスノウに集まり周辺が凍りつく。
「【静寂の氷】」
そして放たれた一筋の青く輝く光線は魔獣の胸の中心を始点として凍りつき、やがて身体全体を覆った。
「や…」
そしてその氷は魔獣だけでなく二人のいる場所から前方の全てを凍り付かせた。
「やったぁー!!!すごいよスノウちゃん!」
「…まだよ」
スノウにも確信があった。
おそらく静寂の氷では決め手にはならないと。
そして確信通りに、凍ったはずの魔獣は纏われた氷を内側から破壊した。
「じょ、冗談だろう…?」
杖を握ったスノウは魔獣に向けて走り出す。
迎撃として魔獣は腕を振るうがスノウはそれを分かっていたかのように屈んで回避。
杖に魔力を込めると杖先は切先へ、仕込み刃としての姿を現した。
その刃を魔獣の腹に迷いなく刺す。
「あーあ、気に入ってたのに」
名残惜しそうに魔獣に刺さった杖から手を離して、急いで距離を取る。
「【魔道具暴走】」
詠唱を終える。
途端に刺さっていた杖が大爆発を起こした。
爆煙が晴れた頃に残っていたのはマナストーンと凶暴そうな爪だった。
「…終わったわ。あの部屋を調べましょう」
「え、あ。そ、そうだね」
最後の杖が爆発したのはかなり驚いたし、どういった理屈の魔法なのかは気になるが今はしまっておく。
先ほどの明らかに雰囲気が違う部屋の前に立ちスノウがドアノブに手を置き、ゆっくりとドアを開けた。
その部屋は殺風景な他の部屋と違い、壁には現像されたであろう写真や、子供を楽しませたりするためのカラフルな模様があった。
そして部屋の中心には赤子の泣き声がするベビーベッド。
この洞窟に入った時から頭に響く泣き声は十中八九この子だろう。
ベビーベッドの側に立ち、その赤子を見ようとした。
「っ!」
「この子は…!」
スノウは息を呑み、アレタは想定外の物を見たと驚く。
「どういう事よ…だってこの子は…!」
赤子の容体が信じられずに指先を額に触れさせたスノウは理解が出来ずに困惑のまま口に出した。
「こんなに冷たくなって…動かないのに…なんで泣き声が聞こえるの?」
洞窟に入った時から聞こえていた泣き声の主の赤子の口は動かない。
その身は冷たく、動かず、呼吸もしていない。
死んでいたのだ




