第二十二話「帰郷」
【生体魔軸戦艦】それは空に浮かぶ脅威だった。
艦は戦いの結果、原形を留めたまま、境界街近くの荒野に墜落した。
火の気が収まるのを待って、僕達は中を確認する事にした。
生き残りが居る事も想定して警戒していた。
だが……何も起こらなかった。
いや……それどころか、中には誰も居なかった。
どういうことだ?
誰もが、その疑問を抱いていた。
人が乗っていた痕跡すら見当たらなかったのだ。
この戦艦には船室も無ければ、人が往来できるような通路も無かった。
大きな艦体の内部殆どが、生き物の臓器と魔道具の中間のような、不思議な物体で埋め尽くされていた。
「コイツは普通の魔軸戦艦とは、全く違う」
師父が眉を顰めた。
「師父、僕等には普通すら、わからないんですけど」
「ああ、普通の魔軸戦艦ってのは、空を飛んでいようが、艦なんだよ。コイツは中身まで、まるで生き物みたいだ」
「それにしても、異世界の技術って凄すぎますよ」
「うむ。これはワシの理解すら超えておる。さっぱりわからんぞ」
それが何かも解らない内部機構の前で、僕達は難しい顔を突き合わせた。
「百年以上も活動してきたのだから、こちらで再現可能な技術だけが発展していても、おかしくは無いでしょう」
と、ダイアさんは脈打つブロックを手に取って、色々な角度から眺めている。
「今回は我等が勝ったのだ。必要以上に敵を大きく見積もって、怖気ても仕方が無い。が、次はそう上手くはいかんだろう。敵も我等の事を知ったのだから」
と、師父はすぐさま眉間に皺を寄せ、釘を刺す事も忘れていなかった。
「そうですね……」
ジュリアンが言っていたように、今回の戦いは試作品の実験的な側面が強かったのだろう。
僕達の勝利、その要因に敵の計算違いがあった事は間違いない。
「次こそは、逃がしはしない……」
僕は法撃で出来た穴から覗く空を見詰めながら、そう呟いた。
その後、境界街の魔道具技師達による技術検証は進まなかったが、彼らには教導国の遺産を長年解析し、運用してきた実績がある。
だから、戦艦の管理は彼らに一任する事になった。
それから、境界街ギルド支部で緊急会合が召集された。
僕は宿でお茶を啜りながら、会合の終わりを待っていた。
『ガチャッ』
静かにドアが開かれた。
「お待たせしたわね」
それは、ダイアさんだった。
ダイアさんは、僕の傍らにあったティーポットを指差して、
「私にも、お茶を煎れてくれないかしら?」
と、向かい側の椅子に腰掛けた。
『トポトポトポ……』
カップにお茶を注ぐと、白い湯気と茶葉の良い香りが立ち上る。
「キミと師父、そして私。あとは王国出身の兵士数名で、領内へと先行する事になったわ」
と、お茶をフーフー冷ましながら、口を付けた。
「例の難民キャンプを目指すんですよね?」
「ええ。あそこはギルド関係者を嫌ってるって話だから、冒険者は連れて行けないの」
そう話ながら、ダイアさんはティースプーンで粉砂糖を何杯もお茶に投じていた。
難民キャンプ、それは非ギルド系の反抗勢力が集結する拠点らしい。
「それじゃあ、ギルド関係者のダイアさんは……」
「マシュー、私は今でも王国の宮廷魔術師なのよ。教団に追放されたままのね」
と、砂糖でドロドロになったお茶を掻き混ぜながら、得意げな笑みを浮かべた。
「あー、確かに。そうでしたね」
僕は熱いお茶を煎れ直し、ゆっくりと啜った。
「この難民キャンプは確か、母さん達が見つけたって……王国に残された難民達が多く集まり、とても大規模なものだと聞きました」
「何人かの有能なスキル使いが、その存在を偽装していたという話よ」
と、ダイアさんはカップ底に残った砂糖をティースプーンで掬って口に運んでいる。
「三年以上も、一体どうやって……」
僕はその話と、ダイアさんの行動に眉を顰めた。
「ジュリアンが、空中に虚像を映し出したような事が可能なスキルもあるらしいの。元を辿ればスキルも、異世界の技術なのだから」
「そんなスキルが存在するなんて……。確かに、考えてもみませんでした」
僕には、スキルと異世界技術の境目が、実に曖昧なものに思えた。
まだ、僕の知らない異世界の秘密が、隠されているのかもしれない。
『ドンッ』
勢い良くドアが開いた。
「おー。ダイアから話は聞いたか?」
師父も会合から帰って来た。
「はい。大まかな概要は」
「難民キャンプには、内外から腕に覚えのある有志達が、続々と集結しているらしい」
「なんで、ギルドが募集をかけていた境界街では無く、そんな所に」
「色々と柵があるのだろう。だがどうせなら一緒に動いたほうが有益だ。……我等の使命はあちらと同盟を結ぶ事となった」
と、ソファーの背凭れにドサッ凭れ掛かり、脚を放り出した。
「ふぅ、骨が折れそうだな……」
師父の大きな溜息と、独り言が聞こえた。
そして、出発の朝を迎えた。
「マシュー、母さんの事は頼んだぞ!」
父さんは大きな手弁当を持たせてくれた。父さんは境界街に残って、片付ける仕事があるのだ。
「皆で食べるよ! じゃあ、行って来ます!」
見送る父さんに手を降り、僕達は二頭立ての大きな馬車で、教王国へと旅立った。
国境を閉じた教王国だが、時と共に侵入できる道も見つかった。
道の終着点で偵察隊員は、そのまま僕達が乗ってきた馬車で境界街へと帰還し、母さんだけが僕等と合流する手筈だ。
問題無く旅路は進み、馬車は三日後に道の終点にある、前哨基地へと到着した。
「何年ぶりだろう。王国の大地……」
馬車から踏み出した、たったの一歩。
僕はその一歩に、様々な思いを廻らせていた。
王国領内とはいえ、見知らぬ土地だ。
だけど……。
「ただいま」
誰にも聞こえないくらいで呟いた。
僕にとって、約三年半ぶりの帰郷だった。
「マシュー!」
僕を呼ぶ声がした。
目をやると、疲れの表情も見せず、母さんが笑顔で出迎えていた。
「師父、ダイアさんも待っていたわ」
ダイアさんは頭を下げ、師父は手を上げた。
「大変だったんだね」
母さんの服はボロボロに傷んでいて、髪の毛もボサボサだ。
それだけでも、任務の過酷さが見て取れた。
「平気平気! マシューの顔を見て、疲れが吹っ飛んだもの!」
昔のように、母さんは僕を愛情たっぷりの抱擁で包み込んで、
「あら、随分と鍛えられたのね。逞しくなったわ」
と、嬉しそうな笑みを浮かべた。
「ラフィー、久々の親子再会。時間を取ってやりたいが――」
「分かってます。引継ぎは他の人達に任せて、私達はキャンプに向かいましょう」
少し残念そうに、母さんは僕を腕の中から解放した。
「さあ、この辺りが難民キャンプよ」
巨木が立ち並ぶ大森林の中に突如、巨大な岩山が現れた。
この岩山に口を開けた洞窟の中に、大規模な難民キャンプがあるというのだ。
「本当にここ? 奥の方は岩で塞がってるみたいだけど」
洞窟の中で目を凝らしても、何も分からない。
「……強魔力地形か。魔力感知を狂わして、目晦ましになる」
と、師父が言った。
確かに、魔力を探ろうとしても、感じ取る事ができなかった。
「隠れて色々を蓄えるには、もってこいって訳ね」
洞窟を進みながら、母さんが言った。
僕達は洞窟を塞ぐ、大岩の前までやって来た。
「ここね。……シルム! 私よ。約束どおり仲間を連れてきたわ」
母さんが岩に向って大きな声を上げた。
「……お早いお戻りですね、ラフィーネさん」
岩の中から声が返ってきた。
「皆さん、そのまま岩の中へと進んでください」
言われるままに、
「さあ、私に続いて」
まずは母さんが前に進むと、その身体がスッと、岩の中に消えていった。
「行くぞ」
「はい」
何の躊躇いも無く、師父とダイアさんが続いた。
「あっ! 待ってください!」
僕も慌てて、そこに続いた。
『シュン』
入った瞬間、岩の中を通り抜け視界が開けた。
大岩は幕に描かれた絵のような薄さだったのだ。
「ようこそ、我等の拠点に」
突如、焔が輝いていた。
そして、その陰影に潜む人陰は約十。
燃え盛る火の玉を手中に握り込んだ魔道師達と、光の反射する片手剣の切っ先を向けた剣士達だった。
「御無礼をお許しください。警戒はしても、し足りない位でして」
赤茶色の髪をした若い男が、推し量るように言った。
「気にするな。当然の備えだ」
師父は慌てること無く、若い男を見据えていた。
男は腕や耳の辺りに、幾つか魔道具を身に着けている。
服装は僕達とそう変わらないのに、そこだけが異彩を放っていた。
「どうやら偽装の心配は無いようですね。では、私についてきてください」
若い男が振り向くと、臨戦態勢だった他の者は魔法と武器を納め、人垣が二つに割れた。
人垣を抜け、歩き出したところで、
「さっきの感じ……鑑定スキルの持ち主が居るようね」
ダイアさんが呟いた。
「ほう、秘匿された鑑定スキルの事を良くご存知で。さすがはギルドの幹部ですね」
若い男は振り向かずに、歩みながら言葉を投げた。
「私がギルド関係者だと知ってたのね……私は――」
「ご心配無く」
若い男はダイアさんの言を、遮った。
「実のところ、私達は別に、ギルドやクラン全体を嫌っているわけではありません」
と、立ち止まって、振り返った。
「私達がギルドと距離を置いているのは、簡単な理由です。王国の教化と同じ事……つまり異世界侵略者が、ギルドを裏から操っている可能性を考えての事です」
若い男は、少し間を置くと、
「異世界侵略者は、何処にでも入り込みますから」
と、眼差しを強くして、ダイアさんを見据えた。
「ええ……肝に銘じておくわ」
ダイアさんもその眼差しに、強い視線を返した。
この若い男は僕と同世代に見える。だが、態度や言葉の端々から、凄みを感じる。
きっと僕とは違う修羅場や、苦難の経験を味わってきたに違いない。
「……申し訳ありません。おしゃべりが過ぎましたね。さあ、急ぎましょう」
と、若い男は振り向いて、再び歩み出した。
洞窟は途中から人の手が入り、綺麗に整備されていた。
等間隔に並んだ魔力灯が、暗闇を照らしている。
少し歩くと、洞窟の奥から、少しずつ人々が語らいあうような活気が、漏れ伝わってきた。
「そこを曲がった先が大空洞……居住区です。入り口に次の案内人が居ますよ」
若い男は立ち止まって、奥を指差した。
「私の案内はここまでです。入り口を隠す虚像は、私の【偽装】スキル。交代の時間まで、これ以上離れる事はで来ませんから」
と、若い男は僕を見据えた。
「僕の名前は【シルム・プレス】……君とは同い年だ。宜しくね」
シルムは、僕に手を差し出して言った。
「え、そうなんだ。こちらこそ宜しく」
僕はその手を握り返し、固い握手を結んだ。
「あ、そうだ。紅い髪の彼女にも宜しくね。……では、また会おう」
シルムは踵を返し、足早に戻っていった。
「紅い髪の彼女って……。マシュー、彼とはお友達だったの?」
母さんの問い掛けに、
「いや、知らないよ。……でも、何処かで会った事があるのかもしれない」
小さくなっていくシルムの後ろ姿を見送りながら、僕は記憶を辿っていた。
洞窟の曲がり角まで進むと、
「お待ちしておりました。今からこの街の代表に会って頂きます。こちらへ」
と、穏やかな中年女性が深々と礼をして、行く先へと手を差し示した。
「うわぁ、明るい……ここが難民キャンプだなんて、これはもう街ですよ」
目の前の光景に、僕は思わず驚嘆を零した。
大空洞の中には簡易的な住居と、地形を上手く利用して造られた建物が、混在して立ち並んでいた。
洞窟内の街は活気に溢れ、威勢の良い商人の声が飛び交い、人々が行き交っている。
「この辺りは魔力鉱石の鉱山跡でした。教導国の頃に捨て置かれたこの場所を再開発して、ここまでの街を作り上げたのです」
案内人の女性は歩きながら、誇らしそうに、街の事を教えてくれた。
「それにしても、新鮮な果物まで並んでいるなんて。一体どうやって物資を手に入れているのかしら」
母さんが言うように、商店には果物から、新鮮な肉までが並んでいる。
「【武装キャラバン】はご存知で? 王国外の商人が連合して結成した商団です。定期的に物資を持ってやってくるのですよ」
「成る程な。生活用品や食料を、豊富な魔力鉱石と交換しとるわけだ」
と、師父が会話に割り込んだ。
「御明察です。王国が鎖国した結果、どこの地方でも、新しい魔力鉱石が不足していますから」
「確かに、魔道具の核となる魔力鉱石は、王国が一番の産出国でしたから」
ダイアさんが補足を入れた。
「そっか。資源があるから、この豊かさと独立性を維持出来るんですね」
僕は難民キャンプとは思えない程に発展を遂げた、街の様子に納得した。
「さあ、着きましたよ。ここに代表がいらっしゃいます」
到着した場所は、反対側の壁面に掘られた、大きな洞窟式の住居だった。
「この部屋でお待ちください。では、私はここで」
案内人の女性に会議室のような広い部屋に通され、僕達はそこで待つ事となった。
だが、半刻経っても、代表は姿を現さない。
「あーもう。すぐに来ると思ったのに」
退屈に負けた僕は、机に頬杖を突いて悪態めいた事を零していた。
「うむ……腹が減ったわ」
「もう師父ったら! さっきの商店街で何か買ってこようかしら」
「皆さんは代表なんですよ。ここは今暫し、座して待ちましょう」
『カツ、カツ、カツ』
少しずつ、石の床を叩く硬質な音が近付いてくる。
「お待たせしてすまない。歩くのも難儀な身体でして……」
ドアの外から可憐な、甲高い声が聞こえた。
難民キャラバンの代表は、若い女の人だったのか。
『ギィィ』
ゆっくりと重厚なドアが開かれた。
「おお、境界街からの使者とは聞いたが……まさか」
と、姿を現したのは、肩掛けしたガウンで身体を隠し、杖を突いた金髪の小柄な女性。
「ジュリア!」
僕は思わず大声で名を呼んだ。
その女性はジュリアードの姉で、僕や母さんの前に立ちはだかった事もある、元王国近衛騎士団長だったのだ。
「久しぶりだな。……ああ、お母さんも。貴女には随分と酷くやられましたよ」
ジュリアからはすっかりと毒気が抜けていた。
漂わせる雰囲気は、女性らしい柔らかなものに変わっている。
「お久しぶりね、ジュリアさん」
ジュリアに素早く駆け寄って、母さんは優しく手を差し伸べた。
「ありがとうございます。ご覧の通り、四肢はまともに動きません……」
と、ジュリアは憂いを帯びた表情で、母さんの手を取った。
これが異世界人の実験体にされた、後遺症なのだろう。
「あら、貴女……」
身体を支えながら母さんは、一瞬、動きを止めた。
「ええ。ご覧の通り、今が一番大変な時期なんです……」
ジュリアは母さんの手を借りながら一歩ずつ、こちらへと歩み寄ってきた。
「さあ、身体に障るわ。とりあえず座りましょう」
母さんの手を借りて、ジュリアがゆっくりと卓まで辿り着き、片手で寄りかかった。
「座りにくいので上着を脱ぎます。拾い上げてくれますか?」
と、ジュリアは羽織っていたガウンを、自らの手でずり落とした。
「お母さんには隠し切れませんでしたね。もう産み月だと言うのに、なかなか出て来てくれなくて……」
「えっ?」
僕はジュリアの、その姿を見て完全に固まった。
ジュリアのお腹は、はち切れんばかりに大きく突き出している。
そう、ジュリアは妊娠していたのだ。
「おかげで、余計に難儀をしている」
と、言葉とは裏腹に、ジュリアはお腹を優しく擦りながら微笑んだ。




