イリリ・ショーミ
ネザマスラ、健一が召喚された世界はそう呼ばれている。今から5年前のこと、国々は、人々は争い、殺し合い血の降る雨は幾百年続きと思われた。そこに一筋の光、英雄によって世界は統一される。英雄の名はジン・バル。バル王国の今は亡き先王である。先王は灰になった世界を整え、人との争いが無くした。しかし、唯一人に災いをもたらす『厄気』との戦闘中に命を絶たれた。
「凄い人です。ジン王は王女様もその血を色濃く引き継いています。ですが、『厄気』はとても強力で王女様も手を焼いていました。そこで最終手段としてケンイチ様を召喚なさったのです。それなのに何ですかその態度は!!」
イリリの小さな体からは想像も出来ない大きくどこまでも通る声。人ごみの激しい城下町でもひと文字も聞き残すことはない。
「いや~、だって、テンションがジェットコースターだよ。せっかく異世界に召喚されて、仕事の地獄から抜け出したと思ったのにさ~。1週間しかいられないとか。ゴールデンウィークじゃないか。いや、嬉しいよ。そんなものないからさ。でもさ元々の期待値がさ~」
「いえ、何か勘違いしているみたいですね」
「勘違い?」
イリリの言葉に少し目が変わる。
「はい、ケンイチ様は『錬術』によって召喚されました。ですからもう一度召喚出来るはずです。もちろん、ケンイチ様がもう一度召喚される程の能力があればの話しですけど」
「マジか!」
突然の大声に忙しく動く周囲の人々も足を止め振り返る。そんな視線などお構いなしにいそいそと歩を進める。
「よし! さっさと訓練を開始するぞ。次は右、左どっちだ?」
健一は向いの別れ道まで走り道を尋ねる。
「そこを左に真っ直ぐ進めば第6演習場があります。そこで『錬術』の修行を始めましょう」
「わかった!」
足を速め健一は角を曲がった。
コンクリートの壁が四方にそびえ立ち、野球グランドのような広さに土が敷き詰められている。その中央には銀色の円柱が見上げるほど伸び先端に水色の球体が置いてある。
「あの球体は何?」
タバコを左手に持ち替え尋ねる。
「あれは防御球です。『錬術』は危険なのでこの演習場から外に出さないように見えない防御壁を全体に貼る役割です」
「なるほど、うん。よくわからないけど、そんなことより早速修行を初めよう」
「そんなことって。『錬術』がもし街に流れたらどれだけの……」
「はいはい、1週間しかないから怒っている暇なんてないでしょ」
イリリは全く反省の色が見えない健一にため息を漏らすがぎゅっと目を閉じ、吊り上がった目を元に戻す。
「わかりました。ではこれから『錬術』の説明をします。まず――」
「あれだろ、体の中の何とかエネルギーを集中されて放出するかんじだ」
説明の前に言葉を遮る。表情は自信たっぷりだ。
「何をいっているのですか? どこの世界の話しですか? 『錬術』はそのようなものではないです」
「え……、だって、魔法のようなものって」
「そうですね。初めに私がやってみますね。ちょっと離れて下さい、危ないですから」
健一はイリリから数10メートル離れ食い入るように見入る。イリリは腰に携えてあったナイフを天に掲げ、胸ポケットから赤い花を取り出した。健一は赤い花と胸のエンブレムを見比べる。瓜二つ、あのエンブレムは赤い花をモデルにしたようだ。
「この花はフェバルと言います。これが『錬術』の元となります」
遠くからも耳に入る音量に変わりはない。負けないように健一も大声で答える。
「『錬術』の元? どういう事だ?」
するとイリリはフェバルの1弁をちぎりナイフにかざす。真っ赤な花弁は白く、銀色のナイフは赤く染まっていく。そして、2つとも元の色がなくなると白い花弁は光の塵となり消えた。赤に侵食されたナイフ、既に赤一色に染まってくる。そして、完全に赤になると桃色の閃光を放った。
「何だよ。それは!!」
イリリの両手はナイフ、いや、正確にはナイフのようなもの。10センチほどだったナイフの刃が今は2メートほどになっている。
「『錬術』とはフェバルと媒体となるものを配合し強力な武器や現象を生み出すものです」
目を輝かせ、健一は伸びたナイフを見る。
「すげぇ~!」
「魔法だ。魔法だよ、それ。マジでファンタジーの世界に来たぞ、俺! めちゃ、興奮する。その赤い花があれば俺も魔法を使えるって訳か」
「魔法ではありません。『錬術』といいます」
イリリは巨大化したナイフを放すと黒い光の粒となり空に舞い上がる。健一は突然消えた魔法に名残惜しそうにしながらも次は俺の番だと、軽い足取りでイリリの元に駆け寄る
「それはまだケンイチ様は『錬術』を使う前準備が必要です。これを見てください」
そう言うとポケットから白い花弁を取り出した。桜の花弁に似たそれはフェバルそのものと違うのは色のみ。
「これは色違い?」
「いえ、そうではありません。これが元々のフェバルの花びらなのです。これを自らの血で染ます。このように」
イリリは肩に止めてあった金色の安全ピンの一つ左手に持ち、右手の人差し指を少し突いた。傷からは小さな血の球体、それにイリリは白いフェバルを落とす。白いフェバルは水に落ちたひと切れのティッシュのように血を急激に吸い込む。時間にして僅か数秒、白い花弁はあっという間に赤い花弁へと模様変えを完了した。
「『錬術』ではまず、自らの血を染み込ました花びらが必要になります。ケンイチ様もどうぞ」
健一には金色の安全ピンと1弁の白い花弁。即座に針で小指を傷つける。
「いたっ!」
「そんなことで痛がってどうします。『厄気』との戦闘では痛みは付きものですよ!」
「わかっているって。ちょっと、びっくりしただけ。こんなこと初めてだからさ、ちょっと大目に見てくれよ」
言い訳を終え、白い花弁を赤い血で染める。先ほどと同じく瞬時に赤一色に変化した。
「それで、媒体は何に? ナイフとかの武器?」
イリリが見せてくれたのはナイフの巨大化。他のものではどういった変化があるのかと、早く『錬術』を発動した健一だ。
「媒体は全てに可能性があり。また、ないです」
「うん? どういう意味?」
「『錬術』は個人の血の性質に関係します。剣がどんなものでも斬れる剣になる血もあれば、小枝に変わる血もあります。人の数だけ『錬術』がありますが、大部分が同じになる媒体もありますね。傾向としては強力な血は何を媒体としてもそれなりの『錬術』になります。もちろん、媒体自体も大事です」
「ということは俺の血が弱かったら……」
目を搾ませながらイリリの顔を覗き込む。
「ええ、『厄気』との戦いなど出来ません」
「そうなら俺が異世界にまた召喚されることは……」
「ありえません!!」
イリリの覇気の籠った声が演習場を駆け巡る。
「よくわかりました」
イリリの迫力に肩を落とし小さな声で返事をする。
「それでは、ケンイチ様と我々の運命を決める。初めての『錬術』を発動してみましょう」
腰に掛けている胸のポケットから黒い石を取り出す。黒い石は隙間からマグマのような赤い光を放っている。
「これは、火炎石です。ゲルケルト火山近くで取れるものでこれを媒体にしてもらいます。火炎石はその名の通り火を生み出す『錬術』を発動することが大多数ですね。その規模に比例して血の優劣を計ります。直径10cm以上ならば合格でしょう」
説明を終えるとケンイチに火炎石を渡す。受け取った健一はひと呼吸、大きく息を吸い込みゆっくりと吐き出す。
「これで、俺の運命が……決まる」
黒い火炎石に赤いフェバルをかざす。黒い火炎石は赤く、赤い花弁は元の白に。花弁が白い粒となってなくなる。健一は思わず目を閉じる。これからの火炎石の変化によって異世界にまた帰ってこられるか、どうか決まるのだ。『錬術』が発動するまでの何秒間、健一は片手を天に掲げる。
「これは!!」
イリリの大きな声に思わず目を開ける。その声は前の覇気を込めたものではなく。ただ、驚きに満ちた声だった。
「うわっ!」
自然と左手も天に掲げる。指に挟んでいたタバコは落下した。火炎石は火の巨大な塊となり燃え盛る。その大きさは1mを優に超えていた。元の世界の感覚では熱気で燃えそうになるが不思議と健一自身に熱さは感じられない。
「すごい、本当にあなたなら救世主になれるかもしれません」
「でけ~、これが『錬術』か。これをぶつければ『厄気』とかというものを倒せるのか?」
「そうですね。もう少し『錬術』と『厄気』について説明します。それぞれlevelが1~10に割り当てられます。殆どの場合は『錬術』のlevelが『厄気』のlevelを超えていると倒せます」
「ふぅん。それでこれはlevelいくつ?」
「そうですね。最低でもlevel3以上はあります。ファイヤーボールとしては最大の大きさになっているので、あとは実際に攻撃して威力を計りましょう。私に投げて下さい」
イリリは大きな目で健一を捉える。今の言葉が冗談ではない事は明確だ。
「大丈夫なのか?」
「はい、流石にこっちも『錬術』が必要ですが」
腰に携えたもう1つのナイフを取り出す。少し刃が半円を描くように曲がっている。同じようにフェバルをかざし『錬術』を発動する。今度は巨大化したナイフではない。その変わり1本だった刃が根から無数に生えてくる。
「いくらあなたに救世主の素質があろうとも。戦いの素人に負けるはずがありません。ですから、全力でかかって来て下さい」
「つまり、戦うってことか。女相手に」
顔をしかめた表情で拒否をする。元の世界では女に手など出したことなどない。
「そうでしたね。まだ、私が何者か教えていませんでした」
「何者って、軍の人だろ。それぐらいはわかっているよ」
イリリは左肩に縫っている赤い花と周りの黄色い円を指差す。
「この円は5つある軍のエリアを指します。黄色は王都の守護兵。次にマークは階級を示します。葉は一般兵。蕾は指揮官。花は……隊長です」
「隊長!」
「バル軍王都守護兵団隊長イリリ・ショーミがお相手を勤めます。何かご不満なことでも!」