86話 濃ゆい顔のスライムの強襲
カサンドラとヤディカが“膨らむふわふわ”に飲み込まれたのを、カレオは少し離れた所から落ち着かない気持ちで見守っていた。
足元にはヤディカの猛毒檻籠に覆われた銀色の繭と、気絶している黄色い女性。
カサンドラに頼まれてこっそりと持ち出したのだ。
隠密行動は苦手じゃないからいいとして、カサンドラとヤディカが戦い始めたのには仰天した。
ヤディカはどう見ても正気じゃなかった。既に死に体の相手を力任せに殴り続けるなんて、いつものヤディカじゃ考えられない。黒くて綺麗だと思っていた瞳も、なんだか濁った紫色になっているし。
そういえば、瞳の濁り方というか、染まり方は気絶中の女性と似ている。
まさか、洗脳されたり乗っ取られたりしたんだろうか?
魔法にはあまり詳しくないが、そういうことが出来る魔法使いもいるらしい。
黄色い女性もベースは人間っぽいし、そんなことが出来るのかもしれない。
まぁ、カレオにはよく分からない。
よく分からないといえば、インユゥだ。
恐らくこの銀色の繭の中にいるんだろうが……。
カレオの見立てが正しければ、これは進化の繭だ。
どんな生き物も、時には無生物でさえ進化する。進化のために体を作り替える際に包まれるのが進化の繭と呼ばれるこの物体。その者の魔力から自動で作り出される揺りかごだ。
進化とは自分の意思でタイミングを決められるものでは無い、とはいえ、何もこんな時にしなくても……、と思う。頑張れば多少我慢できる時もあるし。
この状況は、大方、いきなり進化を始めてしまったインユゥを守る為に遮二無二に戦ったヤディカが狂乱状態に陥ったという所だろう。
狂戦士化出来るのは何もエルカ族の戦士だけではない。高い実力をもった亜人の戦士の中には、狂戦士化を切り札として持っている者もいる。
とは言え、カレオも知識として知っているだけで、実際に見るのはこれが初めてだ。
まさかヤディカが狂戦士化を使うとは思わなかったが。
スキルとは違い、亜人に元々備わっている能力“狂戦士化”。実戦に耐えうるレベルで使えるものは数十年に一人居るか居ないか。
狂戦士化は諸刃の剣。戦士としての技量が低ければただ理性を失いただ自爆するだけの無用の技でしかない。
だが、実力者が一度狂戦士化すればモンスターの死血山河が築かれるという。
ヤディカ程の実力を持った人が暴走すればどれ程の力が発揮されるというのか。
さっきまで頭を叩き潰されていた黄色い女をちらりと見て、冷や汗が流れる。
少なくとも絶対にカレオは相手をしたくない。カレオの頭は一度潰されれば二度と戻ることはないのだから。
「んぅ……」
黄色い女が呻き、その身を起こした。
「ひッ! ひいィッ!?」
起きたと思ったら頭を抱え、ガタガタと震え出す。
どうやらヤディカに執拗に叩きのめされたことが随分と堪えたらしい。
無理もない。狂気に駆られた相手に顔面を破壊され、しかも回復する端から潰されたのだ。
炎が飛び散った分、身体の強度や力も失われたのか、初めて見たときのような脅威はもう感じない。今ならカレオ一人でも片付けることが出来る。その程度の力しか伝わってこない。
可哀想だとは思わない。
この女は呪われた炎を撒き散らした塩枯死樹人の本体であり、スライムのジョンを殺し、自分達を襲ったのだ。
もしも負けたのが自分達であったら、怯えることすら許されず殺されていた筈だ。
だからこの女は殺されても文句は言えない。殺すなら殺される覚悟をしているべきなのだから。
強者は往々にしてそのことを忘れがちだが……。
今この敗者を生かしているのは、カサンドラがそうするように言ったからに過ぎない。
強大な力をもっているにも関わらず自制心も道徳もないモンスターを生かしておくなど、カレオの中ではありえない。
ましてや人の言葉を一応は理解し話しているモンスターだ、知恵を付けられたらより厄介になるに違いない。
弱者とは時に強者より徹底的だ。一度の勝ちを手放すような真似はしない。
カサンドラに釘を刺されなければ、もう少し安心できるように出来たのに……。
それはもう今考えても仕方がないだろう。
カレオは既に自らの仕事を果たしたのだ。
「残った問題は、ヤディカちゃんだけだべか……」
再度、カサンドラとヤディカを飲み込んだ不思議な物体を見詰める。
見たことがない物だ。ヤディカはまだ手札を持っているようなことを言っていたが、恐らくこれがそうなのだろう。
ここで使ってくるということは、カサンドラを想定した技の筈。
カサンドラの心配はしていない。するだけ無駄だ。
いつもの通り力業で解決してくれるだろう。
それでも不安なのは、ヤディカの狂戦士状態のことだ。
黄色い女に似た目。
狂戦士化で外見が変わるなんて聞いたことがない。
もしかしたら、カレオの知らない何かが起こっているのかもしれない。
踞る女の側でしゃがみこみ、顔を掴んで無理矢理こちらを向かせた。
分からないことがあるなら当事者に聞けばいい。自分で調べるのも好きだが、今はそう言っていられる時間がない。
「少しお話し良いべかね?」
「あひィいい! あた、あたし、なにもしらない! わかんないよぉ!」
「もー恐くないべよー、だから質問さ答えんべよー、な? お姉さん、何者だかなぁ?」
「あた、あたし……あたし……」
女がゆっくりと口を開きかけた時――――
「過ぎた好奇心は身を滅ぼすぜ、お嬢ちゃん?」
背後に強烈な気配を感じた。
覚えのある感覚。だが、その持ち主はほんの少し前に砕け散って死んだはず。
カレオは振り返り、女を庇うようにして構えた。
なぜ咄嗟に構えたのか、自分でも一瞬理解できなかった。だが、その人物の顔を見て納得する。
にやにやと人をからかうような笑み。太い眉、厚い唇、大きな目に高い鼻。顔のパーツの自己主張が激しい濃ゆい顔。
何度か話したことのある男だが、雰囲気がまるで違った。
纏っている魔力が、闘気が、そこいらのモンスターとは一線を画している。
ついでに言うなら服も違う、偉い人間が来ているかのような悪趣味な服だ。
「……元気そうで何よりだべ、ジョンさん」
「あれ、あんまり驚いてないか?」
「充分驚いてるべ、死んだと思ってたべさ」
「スライムの特性ってヤツだな、俺って実はそこそこ古いスライムなのさ」
「分裂……だべね。人の形を取っているのは、人体化だべか」
「はっはっは、少し違うんだが、大体合ってる。お利口だぜ」
「……それで、何の用だべ? 来てくれたのは良いんだけんども、このモンスターの女は、ほれ、この通り、ヤディカちゃんがやっつけてくれたべよ」
カレオは、手を離したことで再び踞った女を指し示す。対して男は軽く肩を竦め、腕をぐるりと回した。
「なぁ、お利口なカレオちゃん、俺が来た理由、本当に分からない訳じゃあないだろ?」
「カサンドラさんから聞いてるべ。ジョンさん、助けたスライムさんたちの仲間では無いんだべな」
「あらら、旦那……じゃなかあった、姐さん、言っちゃったのかい。隠してた訳じゃあないんだが、もっと溜めてから言った方が面白かろうに」
カレオはジョンに気付かれないよう素早く視線だけで周囲を見回し、そして歯噛みした。
自分の武器になるものが何もない。強いていうならインユゥの繭を持ち上げて投げるくらいか。
この状況にも関わらず繭の中で寝ていると思うと腹立たしい。いっそ進化失敗してもいいから投げつけてやろうか。
カレオの本領は武器を使った中距離での戦闘と、迷彩能力を使った奇襲だ。
徒手空拳で堂々と向かい合っての戦闘はまったく向かない。
仕方がなかったとはいえ、愛槍を失ったことが非常に痛い。
ジョンの纏う空気が変わった。
「カサンドラから聞いたのなら全て知ってるだろう。そうだ、俺は結界を維持する魔力のバッテリーを探している」
「……いや、そこまでは聞いて無かったべ」
「…………」
「…………」
「えー……、本当もう、半端なことすんなよ、姐さん……」
真面目な雰囲気はあっという間に四散し、ジョンはがっくりと肩を落とした。
「あー、まぁいいぜ、つまりそういうことだからよ。魔力が高い奴が欲しいの、俺は。で、そこの女と進化途中のお嬢ちゃんって実に都合がいいのさ」
「どうするつもりだか?」
「魔王様の城に連れていく、そこで結界の要になる為の処置ってヤツをさせてもうらうぜ」
ジョンがインユゥと黄色の女に向かって手を伸ばす。
「やらせないべよ!」
武器もなく、魔力も少ない。だがそれはカレオにとって退く理由にはならない。
今、友達が拐われようとしている。ならば戦わないという選択肢などない。
ジョンの顔に向かって泥を蹴り飛ばす。
軽く払われるが、それでいい。狙いは一瞬でも視界を隠すこと。
見られていない僅かな時間でスキル『罠製作』と『高速製作』を発動する。
「おいおい、冷静になれ。この島を氷と吹雪に覆われた場所にしたくねぇだろ? 故郷じゃあねぇか。それに結界の要っつったって死ぬわけじゃあねぇ、魔力が……、まぁ、がっつり減るだけだ」
「同意もなく意識のない人を連れていく……、それを誘拐って言うんだべ!」
「これでも長い間島の平和を守ってきた、正義の味方のつもりなんだぜ?」
作り出したのは簡単な落とし穴と、塩の粉末を詰めた目潰し数個。
上手く嵌まってくれれば、逃げ隠れするだけの時間が出来る。あとはカサンドラが来てくれるのを待てば良い。
古いスライムだかなんだか分からないが、今のジョンから感じる魔力はカレオのそれを遥かに上回る。インユゥと黄色い女という戦力にならない二人を抱えた自分一人では、勝つのは難しい。
「くらうべッ!」
目潰しを投げつける。これは牽制。受ければ塩が飛び散り目を塞ぎ、避け続ければその先には落とし穴が待っている。
見た目はただの白い球、脅威は無いと判断したのか、投げ付けられた塩の目潰しを、ジョンは避けなかった。
白い球はジョンにぶつかった途端に弾け、辺りを白い。煙幕で覆う。
「うわっぷ、なんだこりゃ? 目潰しか?」
ジョンが避ける素振りを見せなかった時点で、カレオはインユゥの繭と黄色い女を抱えて走り出していた。
「チィ、小細工を……」
ジョンの悔しそうな声が聞こえるが、小細工こそカレオの、カメリーオ族の生きる道。弱者の知恵だ。
まだ形を残している岩の陰に飛び込むと、直ぐに気配を消し、息を殺した。
「え、え、なに、どうなってんの?」
「静かに。アイツに拐われて搾り滓にされたいの?」
「う、こわいひとなの……? わかった、しずかにしてる」
舌打ちを溢したくなるのを我慢するカレオだった。
まったく、なんで自分がこんなヤツを助けなくてはいけないのか。カサンドラに頼まれたとは言え、この状況では自分の命の方が大事だ。その次がインユゥ。この女の優先度は最下位。
だが、逃げ出すときに咄嗟に抱えてしまった。そんなつもりは無かったのに。
だが、誘拐を正当化しようとする男の好きにさせるのも癪だ。だから、これはこれで良かったのだ、きっと。
「やれやれ、すっかり悪役だぜ。なぁおい、今の感情と、これからの島の未来、どっちが大切か考えろよ。物語の美談なんかじゃあ友達を優先する方が上手く転ぶ、大概そうだよな? だけど現実はそうじゃねぇ、誰かがマジでなんとかしなきゃあ解決しない問題だってあるんだよ。お前は俺が嫌なヤツに見えるんだろうが、俺だってこんな役回りは嫌なんだぜ? 好きでやってるんじゃあねぇ、誰かがやんなきゃいけないときに、俺しかいなかった、それだけさ。憎まれ役をやんなけりゃ家族、恋人、同胞がいるこの島が滅ぶ。その時にお嬢ちゃんならどうする? やるか? やらないか?」
声が近付いてくる。逃げるのに必死で迂闊だった。周囲に身を潜められそうな場所はここしかない。後は背が低くひょろ長い枯れ草か、塩漬けの沼だけだ。
「まぁ、この役はな、分かってやってる。だから憎んだり恨んだりして良いぜ、そうしやすいようにたっぷり悪ぶって、お嬢ちゃんから二人を奪ってやるよ」
こうなれば戦うしかない。勝てないだろうが、時間を稼いでやる。後は自分が生きているうちにカサンドラとヤディカが間に合うことを祈るしかない。
足音がついに真後ろにまで来た。もう躊躇いは許されない。
精一杯気合いをいれて、岩陰から飛び出す。
「こっから先は――――」
通さない、そう続けようとして、カレオは固まった。
そこには誰もいなかったのだ。
「な……、さっきまで、確かに……」
「ほい、ごくろうさん」
足元からジョンの声が聞こえた。そこには、ジョンの膝から下の部分に口がくっついた気持ちの悪いスライムが居たのだった。
「ひゃ――――」
「おっと」
カレオが生理的嫌悪の悲鳴を上げる前に、湿地の風を裂いて飛来したジョンの拳がカレオの腹にめり込む。
そのままカレオは声もなく沈んだ。
泥の上に落ちては不憫と、膝下スライムが子供型のスライムに変化し、カレオを受け止める。
「やれやれ、これでミッション達成かな」
「ひィッ!」
岩の陰に隠れていた黄色の女が逃げようとするが、スライムの腕に巻き付かれ、あっというまに拘束された。
「メインはこの繭のお嬢ちゃんなんだが……、アンタの魔力も足しにさせて貰うぜ。それがお嬢様への償いってもんだろ? なぁ?」
「あ、あた、あた、あたし……」
「アンタにゃなんもねぇ。何にも残ってない脱け殻なんだとよ。だから俺は何も聞かねえ」
「…………あのこは?」
女はカレオの方を見た。ちょうど子供型スライムが岩の上に横たえた所だ。
分離させたスライムは再度吸収し、体に戻す。
「あの子は良い子だが、魔力が足りないのさ。だから今は要らん」
「あのこ、きっとおこるよ、もっとつよくなる、あなた、たおされちゃうから」
「……脱け殻が言うじゃないの。だが、そうなったらなったで良いのさ。電池に足りるくらい強くなって貰わなきゃあな」
女はそれっきり喋らず、静かになった。目を閉じ、何かを考えているようだった。
出てきたときはあんなに狂乱していたというのに、この静けさが逆に不気味だ。
この女を結界の要に使うことはジョンの独断であったが、もしかしたら、これが大きな失敗に繋がるかもしれない。
「チッ……」
ジョンは頭を振って不吉な考えを追い払い、城への道を急ぐのだった。




