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85話 凄惨なる猛毒




 どうしよう、どうしよう、どうしよう……。


 ヤディカは汚れた泥土の上に落ちたインユゥの側に這い寄り、呆然とその顔を見つめた。

 ヤディカを庇い炎の刃を受けたインユゥは体を上下にきれいに分断されていた。

 死んだことにも気付いていないかのように、顔は笑みの形のまま固まっている。


「インユゥ……、嫌だよ、起きて、インユゥ……!」


 インユゥの体を揺さぶっても、何の反応も返ってこない。

 いつもは、眠っているインユゥを邪魔したら物凄く不機嫌になって怒るはずだ。怒っているインユゥは鬱陶しくて嫌いだけど、今は怒って欲しい。目を覚まして欲しい。


 何でこんなに不安な気持ちになっているんだろう? 何でこんなに恐ろしい気持ちになっているんだろう?



 もしかしたら、もうインユゥは目覚めることは無いんじゃないか?

 そう思うと心臓が縮み上がる。

 友達がいなくなるかもしれないという恐怖を、ヤディカはまったく理解していなかった。理解したつもりになっていただけだった。

 インユゥが涙した気持ちが今になって分かる。


 友達がいなくなる。

 それは途方もなく心細く、寂しく、想像以上に恐ろしいものだった。


「あっはははあはああはあはははは! こわれた! こわれた! あたしをとじこめるもの! ぜんぶぜんぶ!」


 狂った笑い声がヤディカを正気に引き戻す。

 対カサンドラ用拘束技“膨らむふわふわファンシーケーキ”を打ち破った黄色の女。

 ヤディカを殺したのは自分の不覚、慢心、戸惑い。そしてこの女。

 悲しさが、不甲斐なさが、現実を受け入れたくない苦しさが、すべて女への怒りと変わり、弾けとんだ。


「お前……! お前がぁあああッ!」


 身体が殺意に泡立ち、絶叫と共に毒が噴き出す。

 一瞬で周囲の泥が、塩が腐れ落ち、ぐずぐずの滓になって崩れた。

 その中にあって、ヤディカとインユゥだけが毒の影響を受けず、綺麗なままで存在している。

 怒りに我を忘れても、体に染み付いた毒の操作法は失われていないのだ。


「あはあははあはははは! たのしいね! おそとはたのしい! おこられるのも、こわすのも、あばれるのも、ぜーんぶたのしいねぇ!」


 女の体からは『穢塩黄炎』が吹き出し、殺到する毒液を迎え撃つ。

 毒液と黄炎が衝突し、辺りに飛び散った。

 蒸発した毒液は毒ガスとなり、視界を隠す。これがあの女に通用しないことは分かっている。だが、今はほんの少しだけ時間が欲しかった。


猛毒籠檻ベノムケージ……」


 ヤディカは冷たくなったインユゥの体を硬化させた薬液で覆い、その表面を優しく撫でる。

 毒が効かず、体術もままならない今、ヤディカに抵抗する術はない。

 ただ一つ、最後の切り札を除いては……。

 だがそれはエルカの毒持ちの、正真正銘最後の手段。相手を道連れにするだけの悪足掻き。


 それでもこの切り札を切る。

 それだからこそ、この手段を取る。

 女も自分も、自分を庇ってくれたインユゥも、この場にいる誰一人、許せないのだから。


「助けに来てくれて……ありがとう。守ってもらって……ありがとう。絶対、仇、取るから……ッ」


 今の私から、変わってしまおう、とも……。


 呟き、何かを決意したように目を見開く。

 直後、ヤディカの折れた足から異様な音が響いた。

 めきめき、ぱきぱきと骨が割れていくような……。


「……! …………!」


 いや、正しく骨は割れていっているのだ。

 今すぐに立ち上がる為に折れた骨を捨て、新たな骨を硬化させた猛毒で代用するために。

 神経が異物を感知し、警告の叫びを上げる。その神経にさえ猛毒は浸透し、体を作り替えていく。

 足や神経だけに止まらない。体に入り込んだ猛毒は、貪欲に全てを侵食していく。


「うっ、ぐ、ぁ……ッ!」


 耐えきれずヤディカの口から呻きが漏れた。

 体を作り替える行為が痛みを伴わない訳がない。ましてや内側から強引に、僅かな時間で変えようというのだ。その痛みは半端ではない。

 常人ならば耐えかねて発狂するか、自死しかねない痛みと、全身を擂り潰されるような異物感の中、ヤディカは怒りと執念に燃える目で毒煙の向こうを睨み付けていた。


殺す・・


 それが毒の本質。

 ヤディカに備わった猛毒が、いつも叫んでいる言葉。毒持ちの本能。

 この能力は警告の為のものでも防衛の為のものでもない。生き物を殺すための力なのだ。

 今のヤディカは細胞の一片まで殺意に染まった生ける毒。歩けば地面が腐り、触れれば草木は溶け、呼吸するだけで空気が汚染される猛毒だ。


「ひゅう」


 小さく息を吸い込み、ヤディカは地を蹴った。

 足に強靭な筋肉を備えたエルカ族にあり、戦士として、カサンドラの弟子として、鍛え続けたヤディカの脚力。猛毒に身体の奥まで浸かった今、身体能力は更に上昇していた。

 捲れ上がった泥があっという間に黒くくすんだ何かに変貌し、カサカサに乾いて宙を舞う。


「わぁあ! まだやっていいのぉ!? まだまだあそべるのぉ!? あっははははあは! あたし、とってもたのしいよぉおお!」


 見えなかった女の拳も、今なら追える。

 今のヤディカは最早目で物を見てすらいない。毒こそ我が身、我が耳、我が目。避けることなど造作もない。

 だが、敢えて迎え撃つ。


「シャアッ!」


 しなる足が女の突きを下から蹴り上げた。

 手応えはない。蹴りの威力そのままに女の腕はグニャリと曲がっていた。

 骨も筋肉も関節も無い。ただ人の形をした風船のようなもの。

 この黄色い女は、何かの『スキル』の塊でしかないのだ。今のヤディカと同じ。いや、それよりも更に侵食が深く、取り返しが付かないまでに酷い。なぜ生きているのか不思議なほどに。


(通りで……毒も、打撃も、効かない、はず……)


 相手はアンデッドですらない。ただの形を持った『スキル』。あの黄色い炎こそが彼女なのだ。


「とめられた! あははああっはああはは! すごぉおい! あっはあはあはは!」


 女に僅かに見られた理性はもう無い。ヤディカが閉じ込めようとしたことで、完全に壊れてしまったらしい。

 身体の一部は人の形さえたもてず、炎となって揺らいでいた。

 それでも、女は強い。壊れれば壊れるだけ、狂えば狂うだけ動きは早く、激しく、予測不可能になっていく。


「これは!? これは!? ねぇ、これはどう!?」


 矢継ぎ早に繰り出されるめちゃくちゃな軌道の拳。遅いかと思えば早く、早いかと思えばより早く。規則性も合理性も何もない。しかしだからこそ、避け辛い。


「……面倒」

「たのしぃいいいい!」


 振り抜かれた腕から炎が枝分かれし、新たな腕となってヤディカを襲う。しかも一本や二本ではない、少なくとも数十本、尖端は槍のように鋭く、一直線にヤディカに突き刺さった。


「あ……っ」

「あはっ、やった! 捕まえたぁ!」


 動きの止まったヤディカ目掛けて槍が次々に突き刺さる。ヤディカの体はあっという間に槍に埋もれて見えなくなった。

 僅かに手足の先端が槍の隙間から覗き、力なく痙攣していた。


「あはははははっははは! かつのもたのしいいい! すっごくたのしいい!」


 女は奇声を上げてはしゃぎ回る。

 戦利品のようにヤディカの体を槍で突き上げて掲げようとして、しかし違和感に気付いた。

 掲げた槍の先にヤディカがいない。

 それだけではない。ヤディカに突き刺した筈の槍の、そのどれもに尖端がない。腐って溶け落ち、ぐずぐずに崩れている。


「あっれ? うわわ!」


 毒の侵食は止まらない。

 女の見ている前で、作りたての腕はどんどん腐っていく。


「シィイイ!」


 腐り行く自分の腕を見て慌てる女に、ヤディカは飛び掛かった。

 腹に蹴りを突き込み、そのまま踏み台に、踏み込んだ勢いで下に引っ張られている女の顎目掛けて膝蹴りをぶちかます。

 変わらず手応えはない。だが、毒がはしる感触は伝わってきた。

 上に跳んだ勢いのまま足で女の頭をホールド。毒と衝撃に混乱する女の顔を、地面に叩き付けた。


 柔らかい筈の湿地に、ごしゃりと固い音が響く。

 ヤディカは地面から露出した岩目掛けてて女を叩き付けたのだ。

 血や肉ではなく炎が飛び散った。


 周囲の環境を凶器として利用するのは、カサンドラの“無銘の武術”では極々初歩の技術である。

 更にヤディカは跳び上がる。

 そして、岩と口付けを交わしたまま動かなくなっている女の頭に狙いを澄ませ、全体重をのせて踏みつけた。

 再びおぞましい音が響き、炎が飛び散る。

 女の頭があった場所はヤディカに踏み潰され、炎が揺らめいているだけになっていた。


 しかし、ヤディカは止まらない。


殺す・・


 黒い黒曜石のような瞳に濁った紫色が混ざり始め、だんだんとその範囲を広げていく。


殺す・・


 動かなくなった女性に馬乗りになり、握り締めた拳を降り下ろす。何度も、何度も。

 その様子は既に普段のヤディカではない。目には殺意と狂気が浮かび、表情は氷のように冷えきっていた。

 殴る度に女の体からは少しずつ炎が失われていく。

 炎は蠢き、頭を形作ろうとするが、その度にヤディカが叩き潰していた。


殺す・・


 そうして、もう何度目か分からない拳を降り下ろした時。


「もう止めるんだ」


 後ろからその腕を掴まれた。

 ぐるりと振り向く。紫色に染まった目が、その人物を捕らえた。黒一色の、不吉なオーラに包まれたスケルトンを。


「カサンドラ……」

「そうだ。ヤディカ。私が分かるか」

殺す・・


 掴まれた腕を即座に切り捨て、体を捻り蹴りを放つ。

 既に『致死毒』と化したこの身体にとって、腕など取り換えの効く部品に過ぎず、関節などあって無きに等しい。

 毒が叫ぶ声に任せて、ヤディカは目の前のモンスターを殺すために動く。


「勢ッ!」


 対して、カサンドラは魔力をその身に纏っただけだった。


 スケルトンの骨は魔力で出来ている。身体の大半を『スキル』に置き換えたヤディカも同じだ。

 だからこそ、そこから精製する猛毒は目に見えない魔力をも侵食する恐るべきものだった。

 この毒に対し、抵抗できるモンスターは早々いない。恐らく、魔王クラスでさえ難しいだろう。

 弱いとされていたエルカ族を守る戦士の最後の抵抗。命と理性を引き換えにした猛毒は生半可なものではない。

 いくらカサンドラだとして、魔力を纏う程度では防げるものではない。


 僅かに残った理性の欠片が、憧れた人を殺す絶望と背徳感、勝ちたかった人に勝てる高揚感と達成感に震えた。


 それが自分の『スキル』に飲まれて暴走した果ての勝利だとしても、未来の無い空しい結果だとしても……憧れた人に勝てるなら……。


 防御するために構えられたカサンドラの腕に、ヤディカの蹴りが炸裂する。

 毒が流れ込む感触。

 カサンドラも毒の脅威を感じるだろう、だがもう手遅れだ。

 勝った……!

 殺意に染まったヤディカに、笑みが浮かぶ。

 だが、次の瞬間――――


聖螺旋槍エスカリドリル!」


 腕に纏われた魔力が高速回転し、ヤディカを弾き飛ばした。


「ッ!?」


 毒と同化した体に直接攻撃は殆ど無意味。水を叩くが如くその衝撃を逃がしてしまう。その上相手を毒で侵す反撃効果付きなのだ。

 その筈だったのだが、カサンドラのこの攻撃は毒液の侵入を一切許さず弾き飛ばした。

 蹴りと共に仕込んだ筈の猛毒も効果を表していない。

 削られた足を毒液で補修しつつ、ヤディカはカサンドラを注視した。


「ふむ。自分の力の殆どを『スキル』に注ぎ込んだ状態か。身体の作りまでもが『スキル』に飲み込まれているな」


 ごきり、とカサンドラが首を鳴らし、深いため息を吐いた。


「随分詰まらなくなったな。ヤディカ」

「…………」

「例え獣やモンスターでも己の爪に思いを乗せることが出来る。今のヤディカからは何の思いも感じない。軽い蹴りだ」

「…………」


 何も答えず、ヤディカは走り出した。

 込められた殺意もうどくの濃さならば負けはしない。

 軽いと言うのならば見せてやる、ヤディカの思いもうどくの重さを。


「ぅシャアッ!」


 黄色い女に食らわせたのと同じだ。カサンドラの胸骨を蹴り穿ち、そのまま蹴り抜いた箇所を踏み台に――――


 出来ない……ッ!?


 鍛えに鍛えた脚力で、全力で蹴り抜いたのに、カサンドラを後退させることさえ出来なかった。

 自分が知っているものよりも、骨の靱性と剛性が桁違いだ。ただ魔力で強化しただけではない。骨そのものが変異している!

 回転する魔力を纏わずとも、この骨には毒液の染み込む隙間さえないだろう。

 技を使って弾き飛ばしたのは、カサンドラにとっては手加減だったのだ。


 ほんの僅か会わない内に、またこのスケルトンは成長していた。

 正しく怪物。正しく化物。


 スケルトンの形をした恐るべき怪物は、ヤディカの足を受け止めつつ、静かに語りかけた。


「ヤディカ……。修行といこう。『スキル』には欠陥があるということが分かった。発動に時間がかかるのだ。肉体を動かすよりもずっと長い時間が」

「……………………それが?」

「それが、人がモンスターに勝てる理由だ。私のように、モンスターの体は魔力で作られ、『スキル』や魔法の補助で動いている。人とモンスターでは初動が決定的に違うのだ」

「…………」

「今のヤディカは人か? モンスターか?」

「…………ッうるさい!」


 カサンドラの言うことが本当ならば、カサンドラと自分には決定的な初動の差があるということ。

 ならば後手に回るのは無意味、先手こそ勝利の道。


 全身が叫ぶ。


 殺せ。

 殺せ。

 殺せ。


 毒が、猛毒としての本質が、止まることを許さない。悩むことを許さない。

 毒はどんどん濃く、強くなる。それに応じて殺意も強くなる。

 ヤディカの心と体が耐えられなくなるまで。


「イィやァッ!」


 蹴り抜いていた足を切除、毒液で瞬時に構築し直し、踏み込む。

 体が触れあう距離。体躯の大きいカサンドラには不利な間合い、ヤディカの有利な場所。


殺す・・殺す・・殺す・・……!」


 密着し、逃げようのない状態から“驚異のねばねばワンダーグルー”そして間髪入れず“膨らむふわふわファンシーケーキ”に変質。

 ヤディカもカサンドラも巻き込んで、白いふわふわが辺りを飲み込んでいく。


殺す・・殺す・・殺す・・……!…………殺して」

「ヤディカ……!」


 黄色い女には使わなかったが、“膨らむふわふわファンシーケーキ”はただの拘束具ではない。その本来の性質は高性能の爆薬だ。これだけの量が一度に爆発すれば、一帯は焦土と化し、塩害湿地帯は消え失せるだろう。

 そんなものに包まれて尚、カサンドラは取り乱すこともなく、静かにヤディカを見つめていた。


「苦しいんだな……。ヤディカ。君は自分の中の毒とずっと戦っていたんだな。私が思っているよりも、ずっと……」


 カサンドラが両手を差し出した。膨らみ続ける物体に押し込まれているというのに、力尽くで押し退け、自分とヤディカの空間を作り出している。

 そして、そのままヤディカを抱き締めた。


「気付けなくて済まない。私は……俺は、不甲斐ない師匠だ……。だから……」


 ヤディカは譫言のように殺す、殺してと呟きながら、カサンドラの腕の中で暴れていた。

 その体から、段々と力が失われていく。

 ついに毒が許容量を上回り始めたのだ。強力な力の代価として徴収されるかのように、ヤディカから生命力が抜けていった。


「だから、君のその掻きむしるような苦しみを止めるのは……俺の役目だ!!」



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