78話 三者三様
目の前に迫る。
顔面に食い込む蹴り。眼窩を砕き、その奥にまで達する凶悪な一撃。
真芯に当たれば間違いなくそうなるだろう未来が想像できる。
嘘みたいだろ、これ、師匠が弟子に食らわせる一発なんだぜ……。
流石に直撃を受けるわけには行かないので、俺は全力で回避する。
はい。現在成仏したはずの師匠に稽古を付けてもらっている真っ最中な私です。
カサンドラって言うと、本来は師匠の名前だからね。俺は借りてるだけだからね。かといって、照彦と名乗り直すのもなんかアレだし。
そんなことより、師匠だよ師匠。
再開して改めて思ったけど、この人常識ないわ。
修行が始まった最初の一撃で殺しに来るとか無いわ。
危うく『千思万考』の発動が間に合わない所だった。いや、間に合っている時点で、タイムラグ無しの攻撃をしていないんだから、手加減はされてるんだろうけど。
体感速度がゆっっっくりに感じられる世界で、それでも尚、師匠の蹴りは速く、鋭く、迫力がヤバイ。
大丈夫、それでもまだ余裕はある。俺だっていくつか死線を潜ってる来たんだから、コレくらいでは怯まないぜ!
二度と無いと思っていた師匠との修行の機会、ビビって動けないなんて勿体ない、余すところなく吸収しなくては!
そんなわけでじーっと見るよ! ギリギリで避けつつ、師匠の攻撃、動作、一挙一動全てを取り込んでやる!
「ほぅ、だが、そう簡単には盗ませられんな」
肉食獣みたいな表情が怖ぇえ!
インユゥちゃんよりも噛みつきそうな笑顔だよ!
師匠が足を振り上げ、地面に叩きつける。
爆撃のような衝撃と共に、凄まじい量の土煙が舞い上がった。
白い精神世界に地面なんて概念あるのか? 精神世界なのだから、思った通りの事象が反映されるのだろう。
しかし、これで俺の視界を封じたつもりなのか?
甘いぜ。煙の揺らぎ、空気の振動、それらを読み取れば見えない攻撃でも推し量ることが可能! 『千思万考』ならね!
「見える。見えるぞ! 私には攻撃が見える!」
「む。では少し本気を出そうか」
いやいや出さなくていいのに。そんな無理しなくていいって、お構い無く。本当にもう洒落にならないんだってのを分かってないのかね!
俺も「攻撃が見える」なんて余計なこと言うんじゃなかった!
すごく状況に合ってたから思わず言っちゃったんだよ! 考えるより先に言葉が出ちゃったんだ!
師匠の“少しの本気”を警戒して周囲の土煙に目を凝らす。
絶対速い。絶対強い。絶対痛い。
だからこそ見逃すわけにはいかない。
とん。
と、胸に軽い感触がした。
静かに、なんの予兆も感じさせず、師匠の爪先が俺の胸骨を蹴り砕いていたのだ。
「ぐッ!? …………ハッ!?」
気付かなかった! 気付けなかった!
空気に触れてるのか? ってくらい軽く、研ぎ澄まされた一撃。
衝撃が遅れてやってきたんじゃないかって思えるほど意識の外から打ち込まれていた。
これも技術だってのか……!?
理解が追い付かんわ。人間が『スキル』も無しにこんな高みまで到達できるものなのかよ。
いやぁ奥が深いわ。
『スキル』発動の時間差を無くす訓練だと思ったけど、今の攻撃は発動を悟らせない技だよな。
ここで師匠が使ったということは、『スキル』発動にも応用出来るから、修得できるならして見せろってことだよね。
「うわぁ! テルヒコ君、胸が、いや、骨が!」
「またガッツリと逝きましたね。胸踊る修行です」
「踊ってるんじゃなくて蹴り砕かれたんじゃないのかい!?」
観客がうるさいな。骨が折れたり吹っ飛んだり砕けたりもぎ取られたりするくらいが何ですか!
……自分で言ってて何だけど、やっぱ重傷だよな。
まぁすぐに直せるんだけど。『魔力義肢』の応用でちょちょいのちょいだから。
時間差を感じないほど速いか、悟らせないほど静かか。恐らく師匠の引き出しはまだまだある。
こんなダメージでダウンなんかしてられんのよ。
「どうした? まだまだ行くぞ?」
「おや? 言う前に来ると思っていましたよ」
「馬鹿弟子が。言うではないか」
俺が修得できれば、今度はそれを伝えられる。
フッフッフ、ヤディカちゃん達、ひいてはエルカ族、亜人全体を強く出きることにも繋がるのさ。
「ではもう少し強く行っても大丈夫だな。何、砕けた骨も直せるようだし、時間もある」
そういえば師匠の精神の世界と違って、ここは厳伍郎さんの管轄している場所だから時間の流れも融通が効くんだっけ。
修行を始める前に厳伍郎さんが何か得意そうに言ってたけど、半分以上聞き流してたわ、すまん、厳伍郎さん。
でも師匠、これ以上力いれちゃうのはちょっと早すぎないかな?
物事には守るべき順序ってものが……、あ、駄目だコレ話聞ける様子じゃないわ。
俺を発狂に追い込みトラウマを刻み付けた時の感覚と同じだもん。
今にして思えば、あれでも俺のことを思って手加減してたんだなぁと分かるけど。
今回はそういう手心は期待……出来そうにないね。
ヤディカちゃん、インユゥちゃん、カレオちゃん、君達に、もう一度生きて、出会えるかな……?
◆◆◆
「ッらァああああ!」
金属と金属がぶつかり合うような高い音が響く。
魔力の衝突音だ。
インユゥが魔力で強化した拳を、塩枯死樹人の樹皮に叩き付けたのだ。
が、呪いの黄色い炎と、魔力、更には固められた塩の三重の鎧に守られた樹皮には傷一つ付かない。
それどころか、インユゥの拳が傷つき、呪いに蝕まれてしまう。
「づゥッ!?」
「インユゥ、離れて……!」
火傷に怯むインユゥに呪いの炎が追い縋る。それを阻むように毒水が滝のように降り注いだ。
「ヤディカ、すまねェ」
「闇雲に攻めても、無駄。攻撃が、通じて……無い」
「ちィ、アレをぶん殴ってへし折れれば、カサンドラにも通じると思ったんだけどな……」
火傷の痕に魔力を集中させ呪いを散らしながら、インユゥは悔しそうに呟いた。
「抜け駆け、迷惑……。殴るのは、無理って、分かった……?」
「分かったって、悪ィってば」
「よし、離れたべな、いくべよぉ!」
ヤディカとインユゥ、二人が離れたのを見計らい、カレオが遠距離から塩枯死樹人に向かって何かを投げつけた。
放物線を描いて飛んでいくそれは、塩と泥で出来た
投げ槍だ。
カレオが練り上げ、ヤディカが固めた特別製だった。
「おい、あんなもん通じる訳がねェだろ」
「インユゥ、戦いになると、口が、いつもより悪い……」
「ほっとけっての。で、無策であんなの投げた訳じゃねェんだろ?」
「そうだべ、あれは塩と泥で出来た槍だよ。それならあの炎の呪いを突破出きるんでねぇべか?」
「あァ、なるほどな、もう呪われようが無いってことか」
三人は槍の行方を見守っていたが、槍は枝の一振りであっさりと砕かれていた。
「やっぱりな」
「……正攻法、しかない?」
「いや、まだだべ、奴は初めて枝で防御したべ、やっぱり一度呪い終わってしまった物に呪いは通用しないだよ!」
「だからってアタシ等の体を塩で覆うわけにもいかないだろ?」
「呪われるのは……論外」
「なら、今度はもっと大きな武器を作るべ!」
「無理。そんなに、粘液が、出ない」
「時間かけすぎたら、カサンドラが来るぞ」
三人は炎が舞い落ちて来ない所まで下がり、作戦会議をしていた。
インユゥは間怠いのは嫌だと殴りに行き、カレオは呪いを突破出来るかもしれないと武器を作り、ヤディカは二人のフォローをしたのだった。
「ちィ、魔力だけならどうとでもなるんだけどな……」
「呪いを突破出来ても、次に続かないべ……」
「ん?」
「あれ?」
インユゥとカレオが顔を突き合わせる。
もしかして、と二人でヤディカを仰ぎ見て、もう一度お互いを見た。
「奴の装甲は三種類でいいんだよな、カレオ」
「炎、魔力、塩の順番で樹皮を守ってるはずだべ。あの、可哀想な人達と同じなら……だけんども」
「呪いの炎はカレオ、魔力はアタシ、で、ヤディカ、塩の装甲をどうにか出来ちゃったり……」
「ん……、塩、溶かすだけなら、難しくない」
インユゥがグッとガッツポーズし、カレオが手を叩いて飛び上がった。
これで塩枯死樹人に一泡吹かせてやれる、と二人に闘志がみなぎる。
が、ヤディカは浮かない顔をしていた。
「でも、それで、終わりなら、こんなになってない、と思う……」
言いながらヤディカは振り返る。
塩と泥に覆われた“塩害湿地帯”。塩枯死樹人の力の凄まじさを。
これほどの力を振るえるモンスターに対して、装甲を剥がしただけで拮抗し得るものだろうか?
濡れ銀のように、カサンドラのように、強くなったつもりの自分達よりも更に強い存在はいる。
塩枯死樹人がそれであったら、という警戒心が消えてくれない。
そして、戦士として戦い生き抜いてきた勘が、それを決して間違っていないと叫ぶのだ。
「だけどよ、まずはあの鎧を引ッ剥がさないことには始まらないだろ?」
「そうだべよ、ヤディカちゃんが危ぶむのも分かるけども、まずはこっちの攻撃を通さねばいけないべ」
ヤディカはまだ不安が消えない様であったが、攻撃が通じなければ勝てないのも事実である。
三人で協力して三重の鎧を剥がす作戦を行うことを決めたのだった。
作戦内容は単純である。
カレオが先陣を切り、塩と泥で塗装した愛槍で呪いを切り払う。次の魔力の鎧はインユゥが根刮ぎ食い荒らし、呪いと魔力の鎧が直らない内にヤディカが塩を溶かす薬液で最後の鎧を崩す。
そして総力を挙げて攻撃する、というものだ。
単純ではあるが、誰か一人でも失敗したら攻撃が通らないまま終わる。それだけでなく、手痛い反撃も受けるだろう。
鎧を破壊している間、塩枯死樹人が大人しくしている筈もない。
だが、そんなことは三人とも充分に承知していた。
三人で組んで強大な相手と戦うことなど、日常茶飯事である。
誰がどう動くかなど、話す必要すら無いほどにお互いが通じあっていた。
「この布陣はアレだべね、カサンドラさんのカウンター技をぶち抜こうとした時と同じだべ」
「おい、不吉なこと言うなよ……」
「負けフラグ……?」
「い、いや、そんなつもりで言ったわけじゃないべよ! ただ、いつも一緒に戦えて嬉しいってことを言いたかったんだべ!」
慌てて弁明するカレオに、ヤディカとインユゥはくすりと笑った。
「ん、知ってる」
「みんな、おんなじ気持ちだよ」
カレオが愛槍に泥と塩を塗りつける。切れ味は落ちるだろうが、これで呪いは無効化できるはずだった。
塩枯死樹人が枝で打ち払った様子から、呪いは無効化されても干渉力は残るはずである。
全てが、はず、で構成された、自分の予測だけの作戦だ。
だが、恐怖はない。
もし上手くいかなかったとしても、カレオだけではない、ヤディカもインユゥもいるのだ。
どうにかなる、という楽観ではない。
二人なら何とかしてくれる、という放棄でもない。
この気持ちをどのように言葉にしたらいいのか、カレオはまだ知らない。
ただ、これから強大な敵にぶつかるというのに、自分でも不思議なほど穏やかだった。
インユゥはこっそりと舌舐めずりをした。溢れる涎を誤魔化すために。
魔力というものはその持ち主が強ければ強いほど味に深みが増し、喉ごしが柔らかく滑らかになり、芳醇な香りを放つようになる。
インユゥにとって、カサンドラの魔力は何物にも代えがたい御馳走だ。それなのに、カサンドラの魔力を食べることを、当のカサンドラに禁止されていた。なんでも、進化先が限定され、属性まで狭まってしまう恐れがあるのだとか。
そんなのは気にしないのに。
正直、気が狂うほど上質な魔力に飢えていた。
魔力の飢えを誤魔化すために、村の食糧庫を空っぽにしてしまう程に。
今、目の前に上質な魔力を持つ魔物がいる。
腹の底から喜悦が煮立って爆発しそうだった。
ヤディカにとって大切なものはカサンドラという名前のスケルトンである。その人に何度も助けられ、何度も教えられ、何度も甘やかされた。
憧れていた。望んでいた。その人の隣に立つことを。
今の自分は弱い。強くなるのも遅い。それは、カサンドラが守ってくれていることが大きい。
あの人の手は大き過ぎて、あの人の懐は深く過ぎて、ヤディカがどれだけ頑張っても抜け出すことができない。
このままではいけないのだ。
本気のカサンドラとぶつかり合えるくらい強くなくては、隣に立つ資格など有りはしない。例えカサンドラが許してくれいうとも、自分で自分が許せない。
苦戦をしたい。死線を越えたい。
強くなるために。あの人と並び立てるよう、強く、どこまでも強く。
カサンドラの用意した箱庭の修行ではなく、本物の戦闘で。勝ち目の無いような敵を食らうような勝負をしたい。
三人の思いはバラバラだが、その意思は、視線は、一つになって目の前の敵を捉えていた。




