76話 懐かしきトラウマ
この世界にはモンスターがいる。
異世界なんだから居て当たり前なのかもしれないが、そう思うだけで思考停止してしまうのは、なんだかこの世界に対して失礼な気がしていた。
そもそも、おれ自身モンスターになってしまっているのだから、モンスターについて知りたいと思うのは当然だろう。
大分前になるが、俺はオオガマのおばばにモンスターとはどういうものなのか聞いたことがあった。
おばば曰く、モンスターというのはスケルトンやスライムのように体が魔力に置き換わりつつあるモノのことらしい。
スケルトンは人骨を媒体に、スライムは自然物を媒体に変化している、と予測が付けられている。
確実な情報ではない。モンスターが発生する瞬間を補足した例が少なく、また、体のどれだけが魔力に置き換わったらモンスター呼ぶべきなのか、人間の研究者の中でも意見がまとまっていないからだ。
今のところ、魔力濃度の高い所で暮らしているとモンスター化しやすいということが分かっている。
モンスター化すると攻撃衝動が強くなり、思考が単純化するとのことだ。
反論できないが、俺が脳筋化したのは師匠の修行地獄のせいの気がする。
魔力濃度の高い所では人間も動物も物質でさえモンスター化していく。
ただ、亜人だけはモンスター化の兆候は一切見られていない。
何でか分からないけど、この島で暮らしていながらモンスター化していないんだから、きっと大丈夫なんだろうね。
その中で、スケルトンというモンスターはいったいどういうものなのだろうか?
肉がなく、当然、筋肉や内臓もない。骨の形をした魔力の集まりであり、通常は元になった人間の意識も残らず、緩慢に徘徊するだけの存在。
失った肉を埋めようとでもしているのか、亜人や人間、時には動物や他のモンスターまで襲うことがあるらしい。
だが、体が脆く動きも遅いので、大体は返り討ちに会うそうだ。
一般的なスケルトンの強みはその数と不死性であり、個の強さではない。
俺は、そこら辺は当てはまらない。
俺はスケルトンとしては異質で、異常らしい。
まぁ、中身が人間だしね。普通のスケルトンにはならないわ。
強さ的にはどうなんだろうね?
ジョンには魔王と同等クラスと言われたけども、それって黄泉之戦兵が魔王と同等クラスということかもしれないし。
黄泉之戦兵の説明文なんか、裏ダンジョンのモンスターみたいな感じだしね。
とにかく、今の俺は魔王クラスの実力があるらしい。
この島での実践稽古ではもう経験値を多く得られることは無いそうだ。非常に残念である。
それでも強くならなくてはいけない。
島を覆う結界を維持するために、ヤディカちゃん達の暮らしと未来を守るために。
今よりももっと、更にもっと強くならなくては。
俺は座禅を組み、意識を深く沈めていた。
一応言っておくが、寝ている訳ではない。
ヤディカちゃん達と生活している時は一緒に寝ている俺だが、実際スケルトンに睡眠は必要ないのだ。
そんな俺が瞑想する理由。
それは勿論修行のため。正しくは、修行できるようにするためだ。
伝はある。
俺の称号にある【お客様はクレーマー】と【神意の代行者】。この二つは俺が取得したものじゃない。『異世界転生斡旋事務所』のベンダーと、この世界の管理者・笹熊 厳伍郎さんから贈られたものだ。
日本だって贈り物には相手の住所が記載してあるものだ。ベンダーの方は会社員だし、厳伍郎さんは同じ日本出身。
贈られた称号に相手の所在の手懸かりが残っている可能性は十二分にある!
二人と会った場所は、進化の度に訪れる真っ白な世界。あそこは精神世界だろう。ならば瞑想で深く深く自意識の底に潜れば辿り着けるはずなのだ!
まずは『上級鑑定』で【お客様はクレーマー】と【神意の代行者】をチェック!
相手の所在を示すものがあれば全て明かすのだ!
【お客様はクレーマー】
効果、取得条件、共に不明の称号。一説にはこの世界の者ではない存在から贈られるとも。
取得していると他の世界の存在からアクセスがあるかもしれない……。
お客様はクレーマーです。宣伝よろしくお願いします。
563035-456 Jfksjfllu@画『異世界転生斡旋事務所 営業課 ベンダー・トロン』
ふははは! ベンダー見つけたり!
『上級鑑定』恐るべし! これなら厳伍郎さんの所在も明らかに出来そうだな!
【神意の代行者】
神の意思を代行する者に贈られる称号。
スキルが修得しやすくなり、聖属性を獲得する。
条件を満たすと神域に到達できることがある。
※ ご質問、ご相談がありましたらこちらにご連絡下さい。
■■■■■■■■■ 10:00~20:00
うわ……。めっちゃ普通にあったわ……。厳伍郎さん、アフターケア万全過ぎる。
連絡先の文字が潰れているけど、意味は頭の中に入ってくるし……。
なるほど、『上級鑑定』でそれを調べようと思えば表示されるという形だったのね。
『上級鑑定』は調べようと思わなければ情報が開示されないシステムなのね。今知ったわ。
これはまず厳伍郎さんの所だな。
えーっと、受付時間はまだ大丈夫なはず。早速アクセス!
念じるだけでオッケーだったのか、周囲はあっという間に白い光に包まれ、あの進化中の世界へと変わっていた。
「お、おぉ……」
思わず感嘆の声が漏れる。
こんなに簡単で良かったのかしら? もっと、こう、凄まじい行程を踏んで、死ぬか生きるかの瀬戸際を乗り越えてここまで来るもんだと思ってたわ。
目の前には厳伍郎さんのでかい背中。座り込んで何かをしている……?
これは、食器の音?
あ、食事中だわ。これ茶碗と箸がぶつかり合う音だわ。
マジか、白米か。食いてーッ!
異世界転生で何が辛いかって、好きなものを食えないことよね!
いや、きっと衛生事情とか未知の病原菌とかあるんだろうけどさ! 俺スケルトンだし、そういうの無関係でいられるのよね
こっそり後ろから食卓を覗き込むと、おかずは牛肉と豆腐のすき焼き風煮込み、カキフライ、ほうれん草の白和え、紅生姜入りの玉子焼きに、豚汁か……。
なんて羨ましい! なんて贅沢な!
ちょっと殺意が湧いたよ。
厳伍郎さんが振り返った。口一杯に白飯を頬張ってやがる……。
気まずい沈黙が流れる。厳伍郎さんがごくり、と口の中のものを飲み下した。
「あー……、ご飯まだなら一緒にどうだい?」
「御相伴に預かろう」
『天下無双』の速度で食卓に付き、両手を合わせる。『魔力義肢』の応用で食器を作り、自分でさっさとご飯と豚汁をよそう。七味はありますか? ありますね! 借りましょう!
ふむ、柚子七味ですか、悪くない、悪くないぞ!
「スケルトンは腹も空かない筈なんだけど、随分食うねぇ」
「白飯は心が満たされる。飯というのは腹を満たすだけじゃない。なんというか。救われてなきゃあ駄目なんだ」
「何処かで聞いたことのあるフレーズだね……。まだ食べられるみたいだし、おかわりいるかい?」
「頂こう」
勧められたもの断ったら失礼だもんね! 俺は食うよ!
その後、厳伍郎さんは追加のカキフライまで揚げてくれました。キャベツたっぷり! タルタルソースたっぷり! 管理者さん最高!
ひとしきり食ったところで、食後のコーヒーまで淹れてくれる尽くしっぷり。
「ミルクと砂糖はお好みで頼むよ」
「あぁ。ありがとう」
ゴツい岩みたいなオッサンなのに、この気配り、結婚したいわぁ、夫にほしいわぁ。
コトン、とテーブルにもう一つのカップが置かれる。
あれ? 三つ目のカップ?
俺と、厳伍郎さんと……?
横に目をやると誰かがいるのに気付いた。
「あ、私はミルクと砂糖、ありありで」
ピンク色の髪をポニーテールにし、大きな銀色の瞳が特徴的な女性……、『異世界転生斡旋事務所』のベンダーさんじゃないの。
なぜここに……。
「ちょうど貴方のことで相談を受けていたのを思い出しまして、笹熊様の所へ来ていたのです」
相変わらずさらりと思考を読むな。
に、しても、俺のことで相談? 厳伍郎さんが?
「はい。相談内容はお客様の個人情報になりますので明かせませんが」
「その相談をしたいって話は随分前にしたと思ったんだけどねぇ。まさか、今ごろ来られるとは思ってなかったなぁ」
「テルヒコ様もいらっしゃったようでしたので、今なら都合がいいかと思いまして」
おいおい、俺に秘密で俺の話とか気になるじゃないの。
もしかして、世界のレベル上げという目的を進めるのが遅い?
いやいや、俺、結構頑張ってると思うよ。
亜人限定だけど。
俺のいる島に人間いないしね。うん、しょうがないんだ。
あ、このまま行くと、俺は結界の要とやらになるから島から出られなくなるのか?
うむむ、ヤバイかもしれない。契約違反で解雇、地球に戻りなさいとか言われたら凹む。凹むという言葉じゃ済まないくらい凹む、というか、凹ます、物理的に。
「この話は、悪いんだけど、今のテルヒコ君には聞かせられないからねぇ、また後でになるなぁ。テルヒコ君も何か用事があって来たんじゃないかい? まずはそっちを優先させよう」
「そうだな。気になるところではあるが……。こちらの都合を優先させてくれると言うのだから断る理由はない」
テルヒコって呼ばれると最早違和感を感じるな……。
俺のもとの名前の筈なんだが……。
「気になるならば、カサンドラ様とお呼びしますが?」
「どちらでも構わない。どちらも今の私だ」
ベンダーさんがわざわざそう言ってくれたが、本当にどっちでも構わないのよ。
この問題については俺の中で結論は出ている。ヤディカちゃんのお陰でね。
さて、腹拵えも食後のコーヒーも堪能したし、本題に入らせてもらうとするかな。
「私の都合なのだが……。厳伍郎さん。私に稽古を付けてくれないか?」
俺の修行の当て、それはこの世界の管理者本人様だったりする。
もしも無理ならクレーマーの特性を発揮してベンダーさんに誰か紹介してもらうつもりだったけど。
厳伍郎さんはかつて世界の一つを救ったという実績から神様になった。云わば勇者のようなもの。そして生前は北海道でヒグマと取っ組み合ったというプロレスラー。
相手にとって不足がないどころか、俺よりも遥かに高次元の相手であることは間違いない。
「テルヒコ君、きみ、忘れてるみたいだけど、あたしは管理者だからあたしの世界の人たちには直接関われないんだがね?」
「私は厳密にはそちらの世界の人間ではない。ならば関われるのではないか?」
厳伍郎さんは困ったように顎に手をやり、無精髭をぞりぞりと撫でた。
「うーん、今の君はあたしの世界のモンスターだからねぇ。一応、魂は地球から持ってきているけども……、ルールがあるからなぁ」
「厳伍郎さん。そこを何とか曲げて頂くことは出来ないだろうか? 今すぐにでも強くならなければならないんだ」
「すまんけども、あたしに出来るのなんて、せいぜいここで悩みを聞いてご飯を振る舞うくらいなんだよ……」
ご飯はとても美味しかったです! また食いに来ます! 週一くらいで!
けれども、ここで強くなることが出来なかったらマジで詰む。
本当の最終手段としては、ヤディカちゃん達を置いてきぼりにして人間の大陸へ渡り武者修行をする、とうのがあるけども……。
ヤディカちゃん達に重い仕事を押し付けて俺は悠々と武者修行の旅なんて出来るわけがないッ!
「笹熊様、失礼ですが、宜しいでしょうか?」
「ん、あぁ、ベンダーさん、何かあるかい?」
「笹熊様が管理なさっている世界に干渉できる領域があると思いますが、いかがですか?」
「あたしが干渉できるのは、精々死後の魂の循環くらいかねぇ。例えはアレかもしれないけど、あそこは手入れを怠ると、金魚の水槽みたいにすぐに澱むからねぇ」
「ではそこを使わせて差し上げれば宜しいのでは?」
「えぇ!? 死んだ人を起こして使うってことかい? そりゃモラルに反さないかねぇ」
「少なくともルールには反しません」
む、なんか解決しそう?
笹熊さんが死後の魂の領域を管理してたのか、いや、まぁ、管理者なんだから管理はしてるだろうけど。
…………ちょっと待って、なんかスッゴく嫌な予感するの、俺だけ?
HAHAHA、いやちょっとネガティブになっているだけよね。まさか、死後の魂を呼び出す的な?
じゃあアレかね、過去の英雄百人抜きとかするのかね?
うん、それならいい。まだそっちの方がいい。
きっと生半可な修行じゃないだろうし、死ぬような目にあうかもしれないし、地獄の特訓になるだろうけども、まだ英雄百人抜きとかの方がいい。
だからあの人だけはご勘弁下さい。
「うーん、そうだねぇ、テルヒコ君も折角ここまで来てくれたんだし、あたしも一肌脱ごうかねぇ」
カキフライ追加で揚げてくれた段階で大分脱いでもらった気はしますけどね! コーヒーの美味しさには感激だぜ! 厳伍郎さん、サイフォンで淹れてくれるんだもんな!
だから、脱いでくれるとしても、控えめでいいのよ?
俺が内心焦っているのを知っているベンダーはこちらを見てニヤッと笑った。
あの野郎……、修行の手段を提案してくれたことには感謝しているが、それがえげつない。
俺が喜ぶことと嫌がることを絶妙に混ぜて断れないようにしてやがる!
「加えて提案なのですが、テルヒコ様の元となりました方がいらっしゃいましたよね……、えーっと、誰でしたかしら?」
お前さっき名前言ってただろうが!
完ッ全に嫌がらせに来てるな! 一回のちょっとしたクレームに対する報復が酷いぞ! しかも俺はちゃんと宣伝したからね!?
「あぁ。カサンドラ・ヴォルテッラさんだね。うん、まだ喚べる段階にあるみたいだねぇ。今事情を説明してみたんだけど、喜んで来ていただけるそうだよ」
うわぁああああああ嬉しくて涙でそうぅうう!
これはアレか、エルカ族やゼクト族やネビ族、その他大勢の皆様を鬼畜な修行で追い回してきたツケなのですか!
既に封印したトラウマの蓋が外れかかってて、足が震えてがくがくするわ、吐き気と目眩でふらふらするわ、師匠に殺られた痛みがフラッシュバックするわで頭の中がパニックなわけなんですが!
救いは、救いは無いんですか!?
既に内心で白目を剥いて口から泡を吹いている俺の目の前で、白い世界に亀裂が入り、そこから黒光が漏れる。
ゆっくり開いていく亀裂に焦れたのか、内側から手が飛び出してきて、亀裂を強引に破り広げた。
あまりの力業に厳伍郎さんも若干唖然としている。
すいません、ウチの師匠ってこういう人なんです……。
刃のように鋭い両眼。背中を隠す長い髪は漆黒。動きやすいように無駄を省かれ実用性のみを突き詰めた衣服。
体は鋼を寄り合わせたような強靭な筋肉に覆われ、その上には幾つもの傷が虎の縞のように走っている。
精神世界の地獄のカサンドラ・ブートキャンプで嫌と言うほど脳に刻み付けられたその姿……。
「お、お久しぶりです。師匠……」
俺は手が見えた瞬間から土下座していましたよ?
恐ろしくて恐ろしくて顔を上げることなど出来やしない。
「久しぶりだな。我が弟子」
声を聞いた俺に去来したものは懐かしさや親しさではない。
あぁ。俺は死ぬな。
ただその確信だった




