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43話 ネビ族の侵攻


 カメリーオ族はネビ族の枝族の一つである。

 カメレオンのような環境や感情によって色合いの変化する皮膚と、丸まった尻尾、互い違いに動く目などを持っている、長閑な種族だ。

 その住む所は巨木に囲まれ、幾本にも枝分かれした小川の流れる豊かな土地であったのだが、先日“濡れ銀”というモンスターに襲われ、大きな被害を被っていた。


 “濡れ銀”は底無しの胃袋を持つ大喰らいの巨大魚だ。村の蓄えを倉ごと頬張り、象徴でもあった巨木にかじり痕を残し、まるで自然災害のような爪痕を残していった。


 一人の黒いスケルトンが討伐してくれていなければ、被害は更にもっと広がっていただろう。

 討伐が早く済んだこともあり、カメリーオ族の人的被害は奇跡的と言っていいほど少ない。

 おかげで、復興作業早く開始することが出来ている。


 今、辛うじて原型をとどめていたカメリーオ族の長の家で、復興の為の話し合いが行われていた。

 族長とその横にカレオ。二人を前にして、男衆から選ばれた代表者三名、同じく女衆の代表者三名が座っている。


「取り敢えず壊れた家屋の撤去から始めよう。男衆の半分は撤去作業に、もう半分は狩りに行ってくれ、倉をやられて備蓄がほとんど無いからな」

「はいさ、任しておきな」

「女衆は残った食料で炊き出しの準備だ。あのスケルトンが“濡れ銀”の肉の大部分を置いていってくれたから、それを使った保存食の準備も頼む」

「えぇ、分かったわ」

「あぁ、ついでに子供たちには使えるものがないか、倒壊した家などから探してもらうよう伝えてくれ、くれぐれも怪我に気を付けるいうに、とも」

「それはワタスがやっとくだ」


 族長の指示に従ってカメリーオ族の人々が動いていく。

 これから長く辛い復興の道を歩くというのに、カメリーオ族の人々に悲壮の色はない。

 それがただの強がりなのか、そうではないのか、感情が体色となって表れるカメリーオ族はすぐに分かる。

 彼らの多くが穏やかな緑色や落ち着いた茶色の体色を表していた。

 安心や信頼、平穏などを表す色だ。

 各々の仕事を理解しているカメリーオ族達は実に熱心に働いていた。

 恐ろしいモンスターが討伐されたことによる心の安らぎ。

 見ず知らずのスケルトンが戦えない自分達に代わってそれをもたらしてくれたのだ、次は自分達が頑張る番だ、との思いを胸にしながら。


 だが……。


「なんだこれは、何が起こったのだ……!?」


 招かれざる客人が現れたことにより、その安らぎは破られることになる。

 鱗に覆われた皮膚。縦に割れた瞳の光彩。ちろちろと覗く二又の舌。

 間違えようがない。カメリーオ族の宗種であるネビ族の者だった。

 彼らの来訪は、決して歓迎されるものではない。


「これはこれは、カメリーオ族の集落にようこそいらっしゃいましたネビ族のお方。見ての通り、今この集落はモンスターに教われた傷痕深く、大したおもてなしも出来ないのですが……、本日はどのようなご用件でしょうか?」


 すぐさま族長が飛び出し対応に当たる。

 カメリーオ族はネビ族の枝族の中でも弱小に位置する。

 立地が近いこともあり、良くも悪くもその影響を受けやすいカメリーオ族は、ネビ族に頭が上がらないのだった。

 ネビ族はそれを笠にきて、畑から収穫物勝手に奪う、人間から仕入れた商品の値を勝手に吊り上げる、

金を払わずに飲み会する、とやりたい放題なのだが、それでも、それらの悪行はネビ族が人間に受けた仕打ちに満たないのだから、とカメリーオ族は堪え忍んできた。


 だが、今は時期が不味い。

 モンスターに襲われた状況そのまま、壊された家や

荒らされた畑が手付かずで残っているのだ。

 自分の欲求を満たすことができないと知ったネビ族がどんな行動に出るのか、カメリーオの族長はそれが気がかりだった。


「貴様は……、カメリーオの族長か。説明しろ、これは一体何の騒ぎだ?」

「はい、ですので、モンスター襲われたのです。幸いにして村人に殆ど犠牲はありませんでしたが、建物や畑などはご覧の有り様でございます」

「……この村は“濡れ銀”に襲われた筈だが?」


 ネビ族の男の目が、村の真ん中にデンと置いてある巨大な魔物の死骸に釘付けになっている。

 はい、と族長も頷いた。

 その巨体、濡れたように光る銀色の体、ナマズのような顔。“濡れ銀”に間違いはない。


「見ず知らずの黒いスケルトンが我々を助けてくれたのです。彼がいなければ、我々は滅んでいたでしょう」

「何を馬鹿な……、スケルトンだと? たかがスケルトンが、ネビ族でもどうにもならなかった“濡れ銀”を倒せる筈がない」

「我々もスケルトン如きと思っていたのですが……、アレはもうスケルトンの形をした別の何かでしょうな。尋常ではない魔力でした」


 そう言いながら、カメリーオの族長は抜け目なくネビ族を観察していた。

 この男が結局何の目的でカメリーオの集落までやって来たのか理解できないのだ。


 今は収穫期でもなく、人間が交易に来る時期でもない。何より男は一人だ。

 ただ威張り散らすにせよ、無線飲食をしに来るにせよ、ネビ族が一人で来ることはまず無い。


 例えネビ族が如何に魔法に優れようと、この森にはそれだけではどうにもなら無い恐ろしいモンスターが多様に生息しているからだ。

 一人で森を出歩くなど、自殺と同義なのである。


 周囲に誰か潜んでいる様子はない。

 だとすると、この男は森の中を一人で突っ切ってきたというのか?


「ふむ。参ったな、“濡れ銀”が殺されたとは……。予定が狂った」


 その言葉に込められた微妙なニュアンスに、嫌な思いを感じた。

 警戒を強め、族長はネビ族男少しずつ距離を開けていく。


「予定とは、どのようなご予定だったのでしょうか? 手伝えれば良いのですが、何分、我々も今は自分のことで精一杯でして……」

「いや何、もう一度“濡れ銀”を操って魔物狩りでもやらせようと思っていたのだがな、討伐されたとあっては仕方がない。奴隷狩りに予定を変更する」

「操った……? 奴隷狩り……? 貴方は、何をするおつもりで……、まさか、“濡れ銀”が本来のルート外れ我らの村を襲ったのは……!?」


 次の瞬間、雷撃が族長を襲った。

 辺りに雷鳴が響き、地面が穿たれ土が舞う。

 ネビ族の男が魔法を放ったのだ。


「口にせんでも良いことを言うからそうなるのだ。低級な亜人は我らに黙って利用されていればいいものを」


 パチパチと弾ける電撃を軽く弄び、空に散らす。

 周囲に恐怖の気配が広がった。

 ネビ族にとっては容易に使える魔法だが、多種族にとってはそうではない。

 剣よりも槍よりも恐るべき武器。それが魔法なのだ。 


「多少の損傷は構わないが、出来れば女、子供は無傷で捕らえたいものだ」


 黒焦げになったであろうカメリーオの族長には目もくれず、怯えてこちらを伺うだけの亜人を確認する。

 此処だけで、五十人以上は居るだろう。あとは狩猟なり採取なりに出掛けているのだろうが、問題ない。この程度の集落ならば一人で制圧できる。


 それよりも、無力化した後が面倒だ。

 一人で集落の全員を捕縛してネビ族の領域まで連行するとなると、多大な労力が必要となる。


「素直に応援を呼ぶか……、いや、雷撃で脅しつければ自分で歩くか」 

「どうして、そんなこと、するの?」


 自問自答するネビ族の男に、土煙の向こうから問う声があった。

 小さな影だ。

 カメリーオ族の子供が勇気を奮い起こして突貫してきたのか?

 それとも、自殺志願者?

 どちらでもいい。彼にとって大切なのは、一人分の面倒が省けるということだ。


「決まっている、私の評価が上がるからだ。ペントーサ様配下の中でももっとも有能なのは、この私だ」

「下らない、競争……。ボードゲームの方が、ずっといい」

「ぼー……? 何を訳の分からないことを、さっさと貴様も捕まるがいい “麻痺電針スタンニードル”」


 空気が爆ぜ、紫電が走る。

 威力を弱め、体を麻痺させることに特化させた雷撃だ。威力が弱い分、連射が効き広範囲にもばらまけるという彼オリジナルの魔法である。


「“猛毒障壁ベノムシールド”」


 ガキュゥン、と鉄と鉄がぶつかり合うような音が響く。

 魔法と魔法、魔力と魔力がぶつかり合った時に聞こえる衝突音だ。

 これが聞こえたということは、目の前の小さな影は魔法を使った、ということ。

 彼の“麻痺電針スタンニードル”を防げる魔術師がカメリーオ族に居るわけが無い。こいつはカメリーオ族では無い。


「何者だ!」


 ようやく土煙が晴れ、そこにいた者の姿が露となる。

 ネビ族の男は警戒に目を細めた。

 鮮烈に青い両手足、鮮明に赤い胴体と顔。そして黒曜石のような双眸。


「エルカ族、ヤディカ・エルカ。この人たちを、助けに来た」

「エルカの毒もちか……、何故こんな所にいる? 貴様らごとき弱小種族が、ネビ族に抗うつもりか?」

「そのつもり」


 ネビ族の男はわずかに思案した。

 エルカ族といえば亜人同盟だかなんだかの話し合いがしたい、と再三ネビ族の集落を訪れていた。

 その際、本当にエルカ族なのかと信じられないほど強くなっていたのを覚えている。

 それに、この娘の足元。

 まったく無傷のカメリーオの族長が倒れているではないか。

 ということは、忌々しくもこの娘が助けたのだ。


「少し力を付けたくらいで調子に乗るな。貴様らなんぞ我々の慈悲で生きている家畜に過ぎん」


 なるほど、認めよう。

 半信半疑だったが、エルカ族は強くなった。それは事実らしい。

 だが、それがどうしたというのか?

 もともとが余りに弱すぎた者達が、今さらネビ族に追い付けるというのか?

 長い年月を魔力と魔法の研鑽に費やした生粋の魔術師一族、それがネビ族だ。例え体の頑丈さで多少優劣がひっくり返っていようと、指先ひとつ意思ひとつで

魔法を引き起こすネビ族の方が圧倒的に優れている。


「私の魔法を防いだので気が大きくなっているのか? ならばまずその思い違いを正してやろう」


 カメリーオの族長を焼き殺した雷撃よりも、遥かに強力な雷を生み出し、槍のように鋭い切っ先をエルカの小娘に向ける。

 それも一つではない。次から次へと雷の槍を生み出し、滞空させ、小娘に照準を合わせていく。

 この圧倒的な魔法にお前が狙われているのだと、恐怖と共に教え込むために。


 彼が使えるものの中でも最強クラスの魔法。

雷槍嵐域ボルテックストーム”エルカ族には勿体ない魔法だが、無謀な小娘に実力差を分からせる為のサービスである。

 この雷槍達は供給した魔力が持つ限りは存在できる。小娘を貫いた後でそのままカメリーオの集落を蹂躙するのにも使えるのだ。


「どうだ? これで分かっただろう、お前が如何に無謀な戦いをしようとしていたか。分かったらひざまずけ、命乞いをし――――」


 強力な魔法を展開し、優越感に酔っていた彼だが、理解できない光景を見て思わず言葉を切っていた。

 エルカ族の小娘が、弱小種族が、一撃で体をぼろぼろに炭化させる威力を秘めた魔法が何十本と自分を狙っているという絶望的状況で、余所見をしていたからだ。

 何を見ているかと思えば、“濡れ銀”の死体だ。


「……すごい、カサンドラ、どうやって倒したのか、検討も、つかない……。やっぱり、あたしなんかじゃ、全然……」


 しかも、こちらをまったく警戒していない。

 彼の言葉のたったの一つも、この小娘は聞いていなかったのだ。

 彼がその事に気づいた今でさえ。


「ふ、ざ、けるな、クソガキがァあああ!!」


 怒りに任せて彼は腕を降り下ろす。

 轟音と共に雷撃の槍が一斉に射出された。

 地面を穿ち、掘り返し、過剰な電熱で空気まで焦げ付いていく。


「死ねッ! 死ねッ! このクソ生意気な弱小種族がァッ! 消えて失せろォ!」


 だがそれではこの屈辱を晴らすのに足りない。

 肉の一片、髪の毛一筋までも黒焦げにし、蒸発させなければ、この怒りは治まらない。

 無惨に溶けた大地を見て弱小種族どもはネビ族に逆らう愚かしさを学ぶだろう。

 小娘だけではない。全亜人の骨の髄まで恐怖と忠誠を刷り込んで跪かせてや――――


「その魔法、隙が多い、よ……?」

「ゴァッ!!?」


 衝撃。

 下腹部を凄まじい速度で鋭い何かが――――体がくの字に折れ曲がる――――小娘が足を突きだして――――内臓が痛みに悶え狂っている――――俺は蹴られたのか――――どの液とも分からない体液が口から吹き出した。


「が、ごぇ……」


 グンッ、と体が下に引っ張られる。

 足の指で腹を掴まれている!?

 強制的に下げられる頭、それを迎えるように小娘の膝が迫る。

 よ、避ける暇さえない……ッ!


 骨が砕ける音と感触が頭蓋に響く。

 鼻の骨を砕かれた。一拍遅れて鈍く、しかし爆発的な痛みが顔面を貫いた。


「ぎぃあああああああああ!!」


 思わず痛みで体を退く。

 そして、彼は失敗したことを悟った。

 小娘の足の指は、まだ腹にしがみついたままだ。

 彼が体を退いた力を利用して、小娘が跳び付いてくる。

 一度に二人分の体重をかけられた彼の体は崩れ、後ろに倒れ込んでいく。

 ゾッと寒気がした。

 既に砕かれた顔面、そこに向かって小娘が肘を構え、振り上げている。

 顔を守ろうと腕がのたのたと動くが、間に合わない。


 ぐちゃり、と柔らかいものを潰す音がした。

 

「ばぁあああ!?」

「カサンドラが、一人で、練習してた技……、えげつない」


 この酸鼻極めるコンボは、カサンドラが教えたものでは決して無い。

 ただ、早朝や深夜に一人で師匠から習ったことを忘れないよう型を繰り返すカサンドラを見て、ヤディカが盗んだのだ。

 幾つもの隠密スキルを併せ持つヤディカであるからこそカサンドラに気付かれずに、カサンドラ本来の『名無しの武術』の稽古を見ることができたのだろう。

 そして、それを実戦で使えるほど特訓を重ねたのだ。


 そんなことをネビ族の男が知る由もない。

 顔面が砕けた痛みに悶え、内臓が焼けつくほどの怒りに震えていた。


 こんなこと、有り得んッ!

 くそッ、ま、魔法を、駄目だ、痛みで集中できん、“雷槍嵐域ボルテックストーム”も消えてしまった。

 おのれ、おのれぇ!

 弱小種族が生意気にも体術だと?

 クソが、油断した。


「でも、効果抜群……。ちょっと、癖になりそう……」

「な゛め゛るなぁ゛ァ! ガキがぁ゛!」


 腰の剣を抜き放ち、小娘の胴をぐ。

 小癪にもエルカ族の毒もちはひらりと避けてみせた。

 だが、それでいい。立ち上がる時間は稼げた。

 ネビ族の戦士として最低限下げていた儀礼用の剣だが、切れ味は優れている。

 しかし、この剣の真価は切ることではない。

 彼は魔術師だ。この剣は魔術の触媒なのである。


「ごむ゛すめ゛……この゛わ゛だしに、切り札を゛使わぜだこと、誉め゛てや゛る……」


 小娘の表情が変わる。

 だがもう遅い。

 彼が何かする前に止めなくては、と走り出す小娘に見せ付けるようにして、地面に剣を突き立てた。


 儀礼用の剣は紫電を纏うと、そのまま障壁を展開する。

 いわゆるバリアというやつだ。

 小娘が拍子抜けしたように足を止めていた。


「切り札……って、障壁の中に、隠れること?」

「言ってろ゛ガキめ゛」


 取り出したのは、綺麗な小瓶だ。

 中には人間から法外な対価を要求され、購入した“霊薬”が入っている。

 ネビ族の長、ペントーサの寵愛特に厚い幹部クラスにのみ贈られたこの“霊薬”。効果は恐ろしく、そしておぞましい。だが何より素晴らしい。

 男は躊躇わずその虹色の液体を飲み干した。


「ごごォ、っが、ぁ、ぎぃいひぃ、ひぎゃあああああ!!」


 体が沸騰し、強引に内部から裏返されるような激痛が襲う。

 この痛みに比べれば、先程の小娘の攻撃など撫でられたようなものだ。

 だが、これが、これこそが生まれ変わる痛みなのだ。

 絶え間ない痛みの中で、体が食い潰され、別の何かに作り替えられているのを感じていた。

 鱗が剥がれ、牙が抜け、尾が縮んでいく。

 悲しい退化だ。進化のため退化せねばならないのだ。

 それが嬉しい。

 モンスターの部分が削げ落ち、ようやく、当たり前の、普通の人間になれるのだから。


 体が出来上がったのだろう。

 痛みが消え、意識がはっきりとしてきた。

 この身に溢れる力。圧倒的だと思っていた自分の魔力が、子供だましだったと痛感させられるほどの全能感。

 ぺたり、と顔に触れる。

 小娘に砕かれた顔の傷もすっかり癒えていた。


 進化の繭にも似た肉の塊を切り裂き、外へ這い出る。

 これ人間の目で見る世界か。

 なんと輝いて見えることだ。


 エルカ族の小娘は唖然としてこちらを見ていた。

 カメリーオの者共も同様だ。

 亜人とはこんなにも醜くおぞましい生き物だったのか。

 生理的な嫌悪を掻き立てられ、踏みにじるか、目につかない遠い何処かへ追いやってしまいたくなる。

 いや、それでは足りない。

 こんな奴等は駆逐してしまわねばならない。


 それが俺に課せられた使命なのだ。


「そういえば名乗っていなかったな小娘……、ネビ族四将が一人“雷鳴”のジューガイト・サリックだ。貴様を殺す」

「改めて……、エルカ族、ヤディカ・エルカ。守る」


 名乗り合い、人間と亜人は互いに示したように同時に踏み込んだ。

 それが第2ラウンドの合図となった。



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