【後日談】相馬麻衣、セレニアに行く
■1
数年後。
相馬麻衣は、イスタンブールから飛行機を乗り継ぎ、セレニア王国へやってきた。
入国審査を終え、到着ロビーへ出る。
そこで麻衣は足を止めた。
妙に人が多い。
いや。
一か所に、人だかりができていた。
若い女性たちがスマートフォンを向けている。
(まあ、観光地だもの。セレブの一人や二人ぐらい来るわよね)
特に興味はない。
麻衣は人だかりを避けて、その横を通ろうとした。
「麻衣!」
自分の名前を呼ばれた。
振り返る。
人だかりの中心で、理沙が手を振っていた。
「こっちこっち」
「……王妃様自ら、お出迎えとはね」
「私が呼んだんだから、いいでしょ」
藤原理沙。
大学時代、四年間同じ部屋で暮らした親友。
現在――セレニア王国王妃。
麻衣は理沙の大きなお腹を見る。
「そんな体で来たの?」
「予定日まだ先だし」
「妊婦は妊婦でしょ」
二人が歩き出すと、周囲からスマートフォンが向けられた。
麻衣が小声で聞く。
「……私まで撮られてない?」
「撮られてるね」
「嫌なんだけど」
「明日のニュースに出るかもね」
「私は一般人なの」
理沙は笑った。
駐車場へ出る。
「それで、運転手は?」
「私」
「王妃が?」
「王妃だって車くらい運転するわよ」
理沙は助手席のドアを開けた。
「あ、ちなみにセレニア、日本の免許でそのまま運転できるよ」
「そういう問題じゃないでしょ」
「一応、教えておこうと思って」
「私が運転する予定ないから」
「はいはい」
麻衣は助手席へ乗り込んだ。
■2
セレニア王立法科大学あらため、セレニア王立大学。
理沙の職場の見学を終え、法学部棟を出ようとしたところで、若い職員が理沙に気づいた。
「あれ、学長。今日はお休みじゃなかったんですか?」
「休みよ。友達を案内してるだけ」
「授業もゼミも入ってないはずですよね?」
「入ってない入ってない。今日は仕事しないから」
職員は麻衣に軽く会釈して、そのまま廊下の奥へ歩いていった。
麻衣が理沙を見る。
「……学長?」
「言ってなかったっけ?」
「聞いてない」
「去年から」
「王妃で学長?」
「授業とゼミも結構持ってるけどね」
「働きすぎじゃない?」
「教えるの好きだし」
二人は法学部棟を出た。
目の前には、いくつもの校舎が並んでいる。
「最初は、法学部と政治学部だけだったんだけどね」
理沙が歩きながら指をさす。
「あっちが医学部。隣が看護学部」
「医学部まであるの?」
「あるよ。附属病院もできたし」
さらに奥には、ガラス張りの新しい建物が見えた。
「あれは?」
「海洋工学部。船舶とか港湾とか、海洋エネルギーとか」
「理系が強いのね」
理沙は海の方を見る。
「昔は外国から石油買って、ほとんどそれで発電してたんだけど」
「今は違うの?」
「まだ使ってるよ。でも、燃料輸入できなくなったら国中停電します、っていうのも困るじゃない?」
「まあね」
「洋上風力とか蓄電とか、海水淡水化とか。その辺はかなり研究してる」
麻衣はもう一度、キャンパスを見回した。
「……ほんとに大学になったね」
「最初から大学よ」
「学生二人だったんでしょ?」
「最初はね」
理沙は少し笑った。
「今は、ちゃんといっぱいいる」
「よくここまで大きくしたね」
「みんなでやったのよ」
理沙は腕時計を見る。
「さて」
「ん?」
「そろそろ宿泊先にご案内しますか」
「急に王妃様っぽくなった」
「荷物置いたら、ランチね」
「どこ?」
「セレニア・ロイヤルホテル」
「高そう」
「泊まるのもそこよ」
「王妃様のおごり?」
「もちろん」
「じゃあ行こう」
二人は駐車場へ向かった。
■3
セレニア・ロイヤルホテル。
麻衣は部屋に荷物を置き、理沙とランチビュッフェで合流した。
二人とも皿に料理を取り、窓際の席に座る。
「ビュッフェなんだ」
「嫌だった?」
「いや。王妃様とランチっていうから、個室でコース料理かと思ってた」
「ああ」
理沙はフォークを取った。
「こっちの料理、何が合うか分からないじゃない? だったら、自分で好きなの選んだ方がいいかなって」
「ああ、そういうことね」
麻衣は皿の上を見る。
魚介、野菜、肉料理。色鮮やかな地中海料理が並んでいる。
「でも、どれもおいしそうね」
「おいしいよ」
「結構高いんじゃないの? こういうところって。ホテルも豪華だし、お部屋もすごく素敵だった」
「いいのいいの。私はフリー素材だから」
「フリー素材?」
「ここ王室系列のホテルだし。私が写真に写ってれば宣伝になるでしょ」
「なるほどね」
「ということで、SNSで宣伝よろしく」
「私、フォロワー、20人ぐらいよ」
「それぐらいのほうが、リアルな声っぽくて、逆にいいのよ」
「そっか」
麻衣は笑いながら、薄く切られたマグロを口に運んだ。
「これ、おいしい」
「セレニア産よ」
「マグロまで獲れるの?」
「完全養殖」
「へえ」
「タイセイヨウクロマグロだから、日本のクロマグロとはちょっと違うけどね。海洋系の研究は結構進んでるのよ」
麻衣はもう一切れ食べる。
「でも、生で食べるのにオリーブオイルとレモンなんだ」
「そうなのよ」
理沙は少し残念そうな顔をした。
「魚はおいしいんだけど、こっちだと大体こうなるのよね。子どもには、お刺身も食べさせたいんだけど」
「じゃあ今度、お醤油送るよ」
理沙が顔を上げた。
「ほんと?」
「うん」
「じゃあ、お味噌も」
「はいはい」
「ありがとう」
理沙が嬉しそうに笑う。
■4
食事を終えると、二人はデザートを取りに行った。
麻衣は、黄色みがかった小さなケーキを皿に取る。
席に戻り、一口食べた。
「これ、おいしいね」
「ポルトカロピタ」
「何それ」
「ギリシアのお菓子。向こうではオレンジを使うことが多いんだけど、セレニアではベルガモットで作ることが多いの」
「ベルガモットって、紅茶の?」
「そうそう」
麻衣はもう一口食べる。
柑橘の香りが口に広がった。
「私も家で焼くんだけど、この味はなかなか出せないのよね」
「王妃様がケーキ焼くんだ」
「子どもが好きなのよ」
「ちゃんとお母さんやってるのね」
「失礼ね」
理沙もポルトカロピタを一口食べる。
そのとき。
「あっ」
理沙がフォークを止めた。
麻衣が振り返る。
少し離れたところを、見覚えのある金髪の男が歩いていた。
理沙が手を上げる。
「レオン!」
軽く手招きする。
男はこちらに気づくと、方向を変えて歩いてきた。
■5
「こんにちは、姉上」
そこで少し考える。
「……いや、妹か」
「まあ、どっちでもいいわ」
麻衣は目の前の男を見る。
第一王子、レオン・ボーモント。
ニュースでは何度も見た顔だった。
レオンも麻衣を見る。
「こちらは?」
理沙が眉を上げた。
「人の名前を聞く前に、自分から自己紹介しなさい」
「ああ。そうですね」
レオンは苦笑する。
「私としたことが」
麻衣へ向き直った。
「レオン・ボーモントです。ルカの兄です」
「相馬麻衣です。理沙とは大学時代からの友人です」
「日本からいらしたんですか?」
「はい。夫が休みを取って、子どもたちを見てくれてるので。久しぶりに一人で遊びに来ました」
「それはいいですね。ぜひ、ゆっくりしていってください」
「だってさ」
理沙がレオンを見る。
「……何がです?」
「あなたは、いつ身を固めるのよ?」
「またその話ですか」
レオンは肩をすくめた。
「私を特定の誰かに独り占めさせたら、国家の損失ですよ」
「はいはい」
そのとき、少し離れたところからホテルのスタッフがレオンを呼んだ。
「おっと」
レオンがそちらを見る。
「呼ばれたようだ」
軽く頭を下げる。
「それでは王妃殿下。私はこれにて」
「仕事してきなさい」
「もちろん」
レオンは笑って、その場を離れていった。
麻衣はしばらく、その背中を見る。
「……本当に、ネットで見るのと同じキャラなんだね」
「裏表がないのよ、あの人」
麻衣は残っていたポルトカロピタを食べ終えた。
「ごちそうさま。で、午後はどうするの?」
「特に決めてないよ。どこか行きたい?」
「そうねえ」
少し考える。
「なんかないの? ルカ君との馴れ初めの場所とか」
「初デートした場所とか。告白された場所とか」
理沙はしばらく考えた。
「ああ……」
「ある?」
「そういう場所じゃないんだけど」
理沙が少し笑う。
「会わせたい人ならいるかな」
「誰?」
「ルカのお母さん」
麻衣は首を傾げた。
■6
北部から王都へ戻る山道。
車は、海を遠くに望む斜面を下っていた。
助手席の麻衣が窓の外を見る。
「馴れ初めの場所っていうから、もっと甘いところ想像してた」
「だから、そういう場所じゃないって言ったでしょ」
「まさかお墓とは思わないじゃない」
理沙は笑った。
「でも、私には大事な場所なのよ」
「へえ」
「何よ」
「いや。ちゃんと恋愛したんだなと思って」
「失礼ね」
そのとき。
「…………」
理沙の表情が変わった。
「どうしたの?」
「ちょっと、お腹が」
「大丈夫?」
「うん。たぶん」
しばらくすると、痛みは引いた。
けれど、数分もしないうちに。
「……っ」
「理沙?」
理沙はゆっくり車を路肩へ寄せた。
パーキングブレーキをかける。
しばらくハンドルに両手を置いたまま、息を整える。
「……ちょっと、無理っぽい」
「え?」
「救急車、呼んで」
「わかった」
麻衣はすぐにスマートフォンを取り出した。
――数分後。
「到着まで、一時間くらいかかるって」
「一時間……」
理沙は腹部を押さえた。
「……さっき、近くに集落があったと思う」
「集落?」
「標識に出てた。そこまで連れてって」
「でも、私、こっちで運転できないでしょ?」
「空港で言ったじゃない。日本の免許でそのまま運転できるって」
麻衣は一瞬黙った。
「……わかった」
二人は車を降り、席を入れ替えた。
■7
麻衣がハンドルを握る。
「で、どっち?」
「たしか、このまま」
「たしかって」
「標識を探して」
山道をしばらく走る。
カーブを一つ抜けたところで。
「あった!」
麻衣が道路脇を指差した。
青い標識。
VELIKA 4 km
KAMENOLOM 3 km
「ヴェリカ?」
「たぶん地名」
「下は?」
「……カメノロム?」
「何それ」
「知らない」
「どっち?」
理沙がまた腹部を押さえた。
「……近い方」
「カメノロムね」
麻衣は右へハンドルを切った。
細い道を進むこと数分。
やがて、山の中に建物が見えてきた。
「あった!」
平屋の建物がいくつも並んでいる。
食堂らしき建物。
大きな倉庫。
住宅のような建物もある。
思っていたより、ずっと大きな集落だった。
「よかった……」
麻衣は速度を落とす。
ただ。
「……なんだか、変な村ね」
道端にいるのは、作業着姿の男ばかりだった。
大型トラックが何台も停まっている。
建物の向こうには、巨大な重機も見える。
「まあ、いいや。人がいるなら――」
「あっ!」
麻衣が前方を指差した。
白い建物。
入口の上に、赤い十字。
「病院!」
麻衣はアクセルを踏んだ。
「行くよ!」
■8
麻衣は白い建物の前に車を停めた。
「理沙、ちょっと待ってて」
「うん……」
麻衣は車を降りると、そのまま入口へ駆け込んだ。
「すみません!」
受付にいた男が顔を上げる。
「急患です! 妊婦で、陣痛が始まってて」
「妊婦?」
「救急車は呼んでます。でも、到着まで一時間くらいかかるって」
男の表情が変わった。
「予定日は?」
「三週間後です」
「三週間……」
男は一瞬、言葉に詰まった。
それから、窓の外の車を見る。
「と、とにかく中へ!」
奥へ向かって声を上げた。
「ストレッチャー! 持ってきて!」
作業着姿の男たちが慌ただしく動き始める。
麻衣も踵を返し、理沙の待つ車へ走った。
■9
ストレッチャーの車輪が、廊下を鳴らす。
救護室へ運び込まれた理沙を見て、中にいた女性が目を見開いた。
「……王妃殿下!?」
周囲にいた男たちも、一斉に理沙を見る。
「本物だ……」
「王妃殿下だ」
「それより!」
麻衣が声を上げた。
「ここ、病院じゃないんですか?」
女性が首を振る。
「違います。ここは採石場の救護室です」
「採石場?」
「はい。セレニア石の」
「セレニア石……」
そういえば、来る前にネットで見た。
セレニア北部で採れる、淡い乳白色の石材。
古くから宮殿や教会、彫刻に使われ、今では高級建築材として国外にも輸出されている、セレニアを代表する特産品。
さっき見えた巨大な岩壁も、大型トラックも、そのためのものだったらしい。
「……麻衣」
「何?」
理沙が苦しそうに顔をしかめる。
「たぶん……破水した」
「えっ?」
女性がすぐに理沙のもとへ駆け寄った。
「皆さん、外へ! カーテン閉めて!」
男たちが慌てて救護室を出ていく。
女性は手早く理沙の状態を確認した。
「救急隊は?」
「さっき連絡したら、一時間くらいって」
女性が時計を見る。
そして、理沙を見る。
表情が険しくなった。
「……間に合わないかもしれません」
「え?」
「ここで出産になる可能性があります」
麻衣は女性を見る。
「あなた、看護師さんですよね?」
「はい」
「なら――」
「でも、分娩介助は初めてです」
「…………」
「学校では習いました。でも、ここは採石場ですから」
女性は一度息を吐いた。
それから麻衣を見る。
「出産経験は?」
「二人」
女性の顔が少しだけ明るくなる。
「手伝ってください」
「待って」
「はい?」
「私、二人産んだけどね」
「はい」
「産んだ側だからね? 取り上げたことはないからね?」
「……私もありません」
二人は顔を見合わせた。
その向こうで、理沙がまた腹部を押さえる。
「っ……!」
麻衣は袖をまくった。
「……やるしかないか」
■10
三日後。
セレニア国際空港。
出発ロビーには、イスタンブール行きの便を待つ旅行客が行き交っていた。
その一角だけ、妙に人目を集めている。
理沙の腕には、生まれたばかりの赤ん坊。
その隣では、ルカが上の子と手をつないでいた。
「もう退院したの?」
麻衣は赤ん坊を覗き込む。
「早いね」
「母子ともに問題ないしね」
「でも、わざわざ空港まで来なくてもよかったのに」
「元気な姿を見せるのも仕事だからね」
理沙が笑う。
少し離れたところでは、何人かの記者がカメラを向けていた。
「王妃様も大変ね」
「まあね」
搭乗案内の表示を見る。
「結局、ほとんど観光案内できなかったね」
「いいよ。二日目と三日目は一人で回ったし」
「楽しかった?」
「楽しかったわよ」
麻衣は笑った。
「子ども二人もいると、自分だけの時間ってなかなかないからね。好きなところ行って、好きなもの食べて。久しぶりに満喫したわ」
「そっか」
「次はちゃんと案内してよ」
「うん」
理沙は赤ん坊を抱き直す。
「あ、でも今度は私たちが日本に行くから」
「日本に?」
「日・セレニア国交回復の記念行事で。ルカと一緒に」
「国交回復?」
「ええ。明治時代から国交はあったんだけど、第二次大戦で一度切れてるの。戦後、吉田茂内閣の時に結び直したから」
「ああ、そういうことね」
『セレニアエアー217便、イスタンブール行きをご利用のお客様は、12番搭乗口までお越しください。まもなく搭乗を開始いたします』
麻衣はキャリーケースの取っ手を握る。
「じゃあ、茗荷谷のお店、予約しておくわ」
理沙が笑った。
「お願い」
「今度は私が案内する番ね」
「楽しみにしてる」
「じゃあ、また」
「うん。またね」
麻衣は搭乗口へ向かう。
途中で一度振り返った。
赤ん坊を抱いた理沙。
上の子と手をつないだルカ。
二人とも、こちらに手を振っていた。
麻衣も手を振り返し、搭乗口へ歩いていった。




