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61 なんやかんやあっても来る、穏やかな日常の景色


 崩壊したモノクロームの玉座の間に、重厚な軍靴の音と、場にそぐわない涼やかな声が響いた。


「まったく。あんな大口を叩いて単身飛び出しておいて、この有様かしら。呆れたものね」


 銀白のロングヘアをなびかせ、眼鏡の奥に宿る青と赤のオッドアイを細めた水無月鏡香みなづき きょうかが、溜息をつきながら瓦礫の山を見下ろしていた。彼女の隣には、どこか緊張感に欠ける笑みを浮かべた速水蓮はやみ れんが立っている。


「いやぁ、とんでもないですね。あのアドミニストレーターをここまでボコボコにするなんて。やっぱり先輩は格が違うや。僕ならコンマで消去されてますよ」


 二人の眼前に広がるのは、ノワールの無が消え去り、窓から差し込む朝日を浴びて宝石のように輝く瓦礫の山だ。その中心、全ての因果が収束した場所で、熾祈と玲奈は寄り添うようにして静かに意識を失っていた。

 それは凄惨な戦いの跡でありながら、どこか祝福された名画のような静謐さを湛えていた。




 数日後。MCA本部、第三課専属の医務室。

 窓から差し込む柔らかな春の陽光の中で、熾祈は目を覚ました。全身を締め付ける包帯の重みと、それ以上に重い、”生きている”という生々しい感覚。


「起きたかしら、死神さん」


 パイプ椅子に腰かけ、タブレットに目を通していた鏡香が顔を上げた。その傍らには、腕を組み、鋭い眼差しで熾祈の容体を確認する第三課のボス、ローズが控えている。


「玲奈は……」

「隣のベッドで眠っているわ。安心なさい。彼女はもう、『特異点』なんていう大層な名前で呼ばれる必要はなくなったわよ」


 ローズが静かに、しかし断定するように告げた。

 玲奈が熾祈を救うためにその全エネルギーを放出したことで、次元を書き換え、世界を崩壊させるほどの超越的な力は消失した。今の彼女に残されているのは、ごく僅かな魔力の残滓だけ――すなわち、どこにでもいる”普通の女の子”に戻ったのだ。


「ヴァニシングオーダーの残党には警戒が必要だけど、力を失った彼女を狙い続けるメリットは彼らにはないわ。私の判断で、彼女のステータスは『最重要護衛対象』から、ただの『観察対象』に引き下げた。おめでとう。あなたは、彼女から不自由な女神様という役割を奪い取ったのよ」


 説明が終わる頃、隣のベッドで玲奈がゆっくりと目を開けた。

 それを見逃さなかった速水蓮が、待ってましたと言わんばかりに彼女の枕元へ歩み寄る。


「やあ、麗しのヴィーナス。普通の女の子になったお祝いに、今度僕と素敵なディナーにでも行かないか? 熾祈さんみたいな不愛想な『死神』より、僕の方が何倍も人生を楽しませてあげられる自信が」


 言いかけた蓮の襟首を、ローズが鉄のような力で容赦なく掴み上げた。


「仕事に戻るわよ、小物英雄。少しは空気を読みなさい。あんたには提出すべき報告書が山積みのはずよ」

「ちょ、ローズさん! 首、首が絞まってまふ!死神さんより先に僕が冥府に行っちゃうから!」


 無惨に引きずられていく蓮を見送り、鏡香は熾祈と玲奈を交互に見て、もう一度深いため息をついた。


「全く、迷惑なカップルだわ。私たちの仕事がどれだけ増えたと思っているのかしら。体調が戻ったら、たっぷり報告書を書いてもらうから。あ、それと。サイドテイルのマスターが、新しいコーヒー豆が入ったから早く来いって言っていたわよ」


 皮肉を吐き捨てて部屋を出る鏡香。だが、その足取りはどこか軽やかで、ドアを閉める瞬間に見せた彼女の横顔には、安堵の微笑みが浮かんでいた。


 騒がしい来客たちが去り、静寂が戻った室内。

 熾祈と玲奈は、どちらも白い天井をぼんやりと見つめていた。窓の外からは、ノーウェアの街を行き交う人々の喧騒が聞こえてくる。


「熾祈さん。わたくし、これからどうすればいいのか、まだ全然わかりませんの。世界を救う力も、誰かに望まれる価値も……あの方に奪われるべき『資産』としての価値も、もう何も無くなってしまったから」


 玲奈は窓の外、広大なマルチバースの空を眺めながら、穏やかに続けた。


「でも、不思議ですわね。今まで歩いてきたどの道よりも、今、目の前にある何もない道が、とても明るく見えるんです。次は、何色の服を着ようか。そんな些細なことで迷えるのが、こんなに幸せだなんて」


 熾祈は、かつて「あなたと付き合わなければよかった」と言い放った過去の恋人の言葉を思い出した。それ以来、誰とも関わらず、一人で死ぬ場所を探していたはずだった。

 だが、隣で微笑むこの少女に、何かしてやれないかと考え始める自分が居た。


「それでいい。これからは、お前が自分の色で、その道を選んでいけばいい」


 しばらくして、玲奈が安らかな寝息を立て始めたのを見届け、熾祈はふらつく足取りでベッドから降りた。

 全身を走る鈍痛を無視して、彼は医務室の重いドアを開ける。


 無機質な白い廊下の突き当たりにある部屋。そこには、かつて愛し、そして自分の存在を否定して去っていった女性――冥の救護室がある。


 熾祈は、自分がずっと悔いてきた過去と向き合う覚悟を決めた。

 今の自分なら、何か伝えられる。


 理屈なんてものはない。

 なんとなく、そう思ったのだ。



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