10 主君の裁き、自由という名の呪い
エドワードが腰を抜かし、熾祈の銀色の銃口がその眉間を完璧に捉えた瞬間、部屋の空気が凍りついた。
背後の扉がゆっくりと、だが鼓膜を圧迫するような重圧を伴って開く。
「そこまでだ」
現れたのは、誰よりも深く、静かな殺気を纏ったヴィクター・ノヴァだった。
足元に転がる死体の山。無様に震え上がる右腕。そして何よりも、熱に浮かされたような瞳で熾祈を見つめ続ける玲奈。その光景を、ヴィクターは一切の感情を排した、機械のような瞳で見据えていた。
「ヴィクター様……!」
玲奈の喉が鳴る。熾祈は銃口をミリ単位も動かさず、視線だけを主君へと投げた。
「お前の飼い犬は、ヴァニシング・オーダーの首輪をつけていた。昨夜の襲撃も、今この部屋で行われようとした暗殺も、全てはこいつが仕組んだ茶番だ。掃除が必要なのは、俺ではなくこいつの方だ」
熾祈の淡々とした鑑定に対し、這いつくばっていたエドワードが、必死の形相で懐から一枚の記録チップをヴィクターへと投げ出した。
「閣下、騙されてはなりません! この男こそが裏切り者だ! 昨夜から、この男は玲奈様を保護対象ではなく、私欲のために……これを見れば分かります!」
空中に展開されたホログラム。そこに映し出されたのは、巧妙に加工された背徳の記録だった。薄暗いバーの片隅で、あるいは廊下の影で、熾祈が玲奈の細い身体を強引に抱き寄せ、その唇を奪おうとしているように見える、歪んだ真実。
ヴィクターの瞳が、一瞬で絶対零度まで冷え切った。
彼にとって、玲奈を狙う刺客など些事。だが、自らの手で磨き上げた最高傑作に、得体の知れない男の指先が触れること。それは、神殿を土足で汚されるに等しい万死に値する侮辱だった。
「灰原、と言ったか。私の庭を荒らす害獣は、一匹残らず排除するのが私の流儀でね。私の玲奈を好き勝手する輩には、消えてもらわねばならない」
ヴィクターがタキシードの袖を払った瞬間、その手には既に黒い自動拳銃が握られていた。
「っ、ヴィクター様、お待ちください!」
玲奈の悲鳴が空気を裂くより早く、ヴィクターの放った一弾が熾祈の頬を焼いた。熾祈は最小限の回避で弾道を逸らし、すぐさま指先からエネルギーワイヤーを射出する。だが、ヴィクターは一流のエージェントさえ凌駕する合理的な身のこなしでそれを潜り抜け、熾祈の懐へと踏み込んできた。
「道具が使い手に楯突くとは、教育が足りないな」
重い。熾祈はヴィクターの蹴りを腕で受け流すが、鉄柱に叩きつけられたような衝撃が骨の髄まで響く。
超一流の格闘技と、一切の迷いがない銃筋。熾祈は背後に玲奈を庇いながら、掃除という仕事の難しさを改めて噛み締めていた。
(面倒だと言っただろう。これだから、一途な男は質が悪い)
かつての女を背負う熾祈の心に、冷めた同族嫌悪が過る。だが、その瞳は瞬時に死神のそれへと研ぎ澄まされた。
一発でも撃たれれば、そこですべてが瓦解する。極限の死線の最中で、熾祈は自らの銀色の銃を、死を告げるために正しく握り直した。




