↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
YEHI OR/イェヒ・オール  作者: 海風 野花
序章:啓示現象
3/40

03 ジャック

03 ジャック


 教会の庭園には、色鮮やかな花々がそよ風に揺られている。その光景は、僕の緊張をほぐしてくれているように感じた。

 本当に伝えたいこと、この気持ちに気付かなければ良かったと後悔する自分に嫌気がさす。気持ちを伝えられないもどかしさで、頭がどうにかなりそうだった。この苦しみから解放されたい、それが身勝手なことは百も承知だった。和子《わこ》が僕を見つめている。彼女は僕が話し始めるのを待ってくれているのだ。


「今度の花火大会……和子ちゃんと一緒に行きたい」


 この自信なさげな声に和子がクスクスと微笑んだ。


「かしこまってどうしたの? 伝えたかったことはそれ?」


 僕は首筋をかきながら俯《うつむ》いた。


「もう言いたいことがあるって言うから身構えていたのに……」


 和子が何か考え込んだあと続けて言った。


「私、───浴衣を着て行こうかなあ」


「それって!」


 和子が照れくさそうに笑顔を浮かべた。


「花火大会、一緒に行こっ!」


 僕は声にもならず、心の底から湧き上がる歓喜を噛み締めてガッツポーズしていた。受け止めてくれた彼女に対する気持ちがより大きくなるのを感じてすぐ、和子の笑顔が遠のいていった。どんなに腕を伸ばしてみても届かない。その光景が小さな点になったとき、ようやく思い出した。この会話は、和子が最初に学校を休んだ前日の出来事であることを。



     ◆



「日向《ひなた》 葵《あおい》くん、起きましたか?」


 葵は天井に手を伸ばしていた。ライトの明かりがやけに眩《まぶ》しく、夢うつつの意識に軽い頭痛が差し込み、直近の記憶が思い出せずにいた。葵は上体を起こして、声のした方へ顔を向けた。ベッドの向かいにソファがある。そこには黒いスーツを着た男が座っていた。男は立ち上がり、近くにあった腰掛け椅子を手に取って、葵の前に置いて座った。


「その様子を見て、確証に変わりましたよ」


 男は続けて言った。


「───すまない、こちらの話です。はじめまして、私の名前はジャックと言います。日向くんに幾つか質問をします。いいですね?」


 葵は状況を把握し切れていなかったが頷いた。


「名前は日向 葵。歳は十五歳。中学三年生、ここまでは間違いないですね?」


「はい……」


「では、次の質問です。一週間前、日向くんは教会の中庭、出入り口で倒れていたところを我々が───」


「和子《わこ》ちゃん! 和子ちゃんは⁉︎」


 突然、葵が叫んだ。自分がしでかした愚かな行いを走馬灯のように思い出したのだった。呼吸が荒くなり、額に汗がにじみ出る。ジャックはそれを見かねて、なだめるようにして葵の手に触れた。


「落ち着きなさい」


 二人の手のあいだに緑色の光が放たれる。すると、葵は徐々に落ち着きを取り戻していった。ジャックは葵の手に触れたまま言った。


「私の記憶を見せたい」


 葵の脳裏に映像が流れ始めた。それはいつかしか見た赤い映像の感覚に近いが、吐き気や耳鳴り、頭痛はなかった。

 ───車の助手席から見える誰かの視界、葵はその視界に映る景色に心当たりがあった。毎日、和子と一緒に通っていた通学路である。車が停まり、視界が助手席から降りた。野次馬の人だかりを避けて歩き、立ち入り禁止テープの前に立っていた警察官と何か話したあと、視界がテープを潜り抜け、教会の正門の前で立ち止まる。視界は教会を見上げた。辺りの騒々しさとは裏腹に、教会の静けさだけは変わらずにあった。視界は中庭の方へ歩いて行く。庭園の手前には誰かが倒れていた痕跡があった。その痕跡に沿って、白いチョークと小さな印が残されていた。庭園の中央には、白い防護服を着た人々が何か作業をしている。そこまで歩いて行くとベンチの前で和子が倒れていた。和子の肌は青ざめ、首には誰かに締め付けられたような手形がある。和子の隣には果物ナイフが落ちていた。果物ナイフの刃《は》には、一滴の血も付着していなかった。


「そこまでが私の記憶です」


 ピリッと静電気のようなものが走り、葵はジャックに焦点を合わせた。


「和子ちゃんは……ぼ、僕がやりました」


 葵は静かに涙を流した。先ほどの激情はなく、和子を殺めてしまったという事実が、どんな言葉にもたとえようのないものを感じさせていた。ジャックは触れていた手からその気持ちを感じ取り、深いため息をついた。


「───素直なことはいいことだが、それは間違いというのが我々の見解です」


 ジャックは続けた。


「現段階で詳しいことは言えませんが、少なくとも、私は日向くんが“何者かに操られていた”のではないかと考えています。我々としてもこのことは、一度、保留することに決めました」


 葵は理解できず、涙交じりに聞いた。


「僕が操られていた?」


「園田《そのだ》 和子、彼女の両目を見ましたか?」


「見ました……」


「この世界では、あの目を再現することはできませんでした。あれは他の世界からもたらされた技術なのです」


 ジャックは話題を変えるようにして言った。


「これを先に見せるべきでした。日向くんが眠っているあいだ、人類史としては重要な分岐点を迎えました」


 葵の脳裏に国連総会緊急特別会合の映像が流れ始める。少年にとって、その映像は情報量が過多であった。思考が焼き切れそうになり、葵の頭が熱を帯びた。


「こ、これって、……ジャックさんですか?」


「そうです」


「もしかして、ジャックさんはエイリアンなんですか?」


「少し違うが、人類からすれば、そうなりますね」


 葵はふらふらとしてベッドに倒れ、その拍子に、二人の手が離れた。少しすると、葵の腹から虫の鳴き声が聞こえてきた。


「お腹が空いたでしょう」


 ジャックは椅子から立ち上がりながら、


「少し待ちなさい」


 と言ってキッチンへ向かった。カチャカチャと音を立て、冷蔵庫から食材を取り出し、小さな鍋の中に何かを振りかけている。十五分ほど経つと、


「消化に良いものを作りました。口に合うと良いが───」


 葵の前に木製のおぼんがそっと置かれた。おぼんの上には小さな鍋、スプーン、水の入ったコップがあった。鍋の蓋にある小さな穴から湯気が漏れている。ジャックが鍋の蓋を開けると、こもった湯気に加えて鰹節《かつおぶし》の香りがほんのりと立ち昇った。半透明の汁に浸った白米と白身魚のフレーク、ふんわりと浮かぶ半熟の黄身、それらの上に小ネギとゴマがまぶしてある。見るからに、それはお粥《かゆ》であった。

 葵はスプーンに手を伸ばした。それを見て、ジャックが椅子に座る。葵は小さな鍋の中にあった黄身、白米と白身魚を丁寧にすくい、汁に絡めてフーフーと息を吹きかけた。熱を冷ましたあと、口に運ぶ。途端に口の中へ広がるほどよい熱、味覚に染み渡る鰹節の旨味、薄味のはずが、一週間何も口にしていない少年の体には、あまりにも刺激的であった。


「う、美味い……です」


 葵はジャックの顔色を伺った。ジャックは満足げに頷く。


「私がこの日本《にっぽん》へ久しぶりに訪れたとき、この国は江戸時代でした。そこで出会った女性が私に作ってくれたのです。それが卵の入ったお粥でした」


「……ありがとうございます」


 葵は軽くお辞儀をした。

 ジャックは部屋の窓に指さして言った。


「日向くん、窓の外を見てみなさい」


 葵は窓の向こうを見た。それまで気付かなかったが、そこには見たこともない大都市が広がっていた。


「こ、ここは?」


「第二施設関東支部です。皆さんは田園都市ユートピアと呼ぶそうですが、───そのお粥を食べたら、この部屋に日向くんのご家族をお呼びしましょう」


「家族、……近くにいるんですか⁉︎」


「います。今、君が見ている都市で暮らし始めたと言うべきか」


「暮らし始めた?」


「説明はあとにしましょう。私は用がありますから少し席を外します」


 ジャックはそう言い残して部屋を出て行った。葵は彼の背中を見送ったあと、お粥を食べながら窓に顔を向けた。静寂の中で時計の音だけが刻んでいる。


「花火大会、一緒に行こっ!」


 ふと、葵は和子の笑顔を思い出した。

 せき止めていたものが崩れてゆき、少年の頬に涙がぽろぽろと流れて、ベッドの毛布に小さなシミを作った。


 あおちゃん、ごめんね───。


 和子の首を絞めている光景がおぞましく思い起こされた。葵の両手が震え始め、胸の辺りが萎縮するようにして圧迫され、呼吸が浅くなった。部屋に一人、少年のすすり泣く声が響いた。

ここまで読んでいただき、誠にありがとうございます。

良ければ感想やいいねをいただければ励みになります。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。