19 暗躍
八月八日、午前三時〇〇分───。
とうに家々の明かりは消え、夜の静けさの中、大人たちが山の奥へ次々と車を走らせた。山の麓に構えた立派な教会の駐車場には、数十台の業務用トラックと軍用車両が置かれている。大型のテントが軒並みに立てられ、目立たないように光学迷彩のシートがトラックや車両、テントの上に被せられていた。テントの中には機関銃やそれに付随する銃弾、平坦地戦用転榴弾などの武器が用意されていた。
教会の地下室では迷彩服を着た作業員二十名が各々のデスクに座り、パソコンのキーボードをカタカタと叩いていた。
教会の大広間には空の玉座があった。大広間の入り口から玉座に向かって赤い絨毯が引かれている。絨毯をまたぐようにして、縦一列四〇名の列が横に一〇列あり、総勢四〇〇名の部隊員が整列していた。先頭の一列目以外の部隊員が特殊なボディアーマーとヘルメットを装着し、カモフラージュとして服装と装備品の色は市街地戦用の迷彩色に統一されている。部隊員の視線が大広間の壁にある大型スクリーンに注がれていた。
パァン───と、大型スクリーンに人影が映った。人影は言った。
「彼の姿が見えませんが、もう向かいましたか?」
先頭に立っていた一人の部隊長がそれに答えた。
「はい、向かいました」
「そうですか……」
人影は言った。
「彼に神のご加護を……さあ、みんなで祈りましょう」
部隊員たちはその場で祈り始めた。
「「Annihilate the evil world, and let there be light for my children.(悪しき世界を無に帰せ、我が子らに光あれ。)」」
◆
同日、午前四時三十七分。
田園都市ユートピア、第二地区B区画、B区画併設型教育学校の正門前───。
田中は街灯に照らし出された学校を眺めていた。リュックサックを背負い直して、ガラケーでメールを書き始めた。
宛先:☆ Unknown
Cc/Bcc、差出人:jp.rabbit@─────
件名:八三〇
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Unknown 様
②準備完了しました。
指定位置に移り、待機します。
兎
メールを送信するとすぐに返信があった。
差出人:☆ Unknown
宛先:jp.rabbit@─────
件名:Re.八三〇
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兎
了解。
荷が重いと思うが、やり遂げろ。
ご両親も見守っている。
田中はポケットにガラケーをしまい、代わりにキーケースを取り出した。ジャラジャラと正門の錠を開けて学校の敷地へ入る。田中は校内に並んだシートの被った出店を見て思い出した。
「あ、そっか……」
田中は地面に落ちていた一本の串を拾い、
「お祭りがあったんだ」
と言って、近くのゴミ捨て場に串を捨てた。
「携帯、なくて気付かなかった……」
ゴミ捨て場の中には様々な種類のゴミが捨ててあった。それだけで何があったのか想像が容易くできる。抑えていた色んな感情が涙となってぽろぽろと流れ始めた。
「んぐっ……」
田中は歯を食いしばって、それ以上は声を出して泣くまいと堪えた。街灯の明かりが田中の背中を照らしていた。田中は少しのあいだそうして涙ぐんでいたが、ふと、葵たちと輪になって話したときのことを思い出した。
「私もみんなと行きたかったなあ……また三谷くんに怒られちゃうなあ……」
田中はそうして何気ない思い出に浸りながら、気を紛らわして校舎入口まで歩いて行った。
田中は保健室の鍵を開けて、部屋の中に入り、手前から三個目のベッドの下に準備してあったライフルケースと小バックを取り出した。中身も確認にせず、保健室の外へ出て、その場にライフルケースと小バックを置いた。背負っていたリュックサックを開き、タイマー式のプラスチック爆弾を午前八時三〇分にセットした。続けて、メモ帳とライターを取り出し、それぞれズボンのポケットにしまう。
田中は保健室のゴミ箱にリュックサックを捨てて、坂口のデスク下に置いてあるガソリンの入ったポリタンクのキャップを開けて、部屋の隅々まで振りかけた。最後に保健室の外へ出て、スライドドアを閉め、ライフルケースと小バックを持ち直した。
屋上までの道のりは田中の足取りを重くさせた。あの角で誰かと話し、あの教室で先生の授業を受け、あの校庭のベンチでお昼休みを過ごしたことを思い出した。そのたびに立ち止まり、また歩き出すというのを繰り返す。階段を上がり、田中は自分の教室に訪れた。そこには葵たちとの二週間あまりの思い出があった。田中は心から笑っている表情の自分を見つめた。歯を食いしばり、また歩き出す。そうして田中は屋上へたどり着いた。
田中は屋上の防壁側へ歩いて行って、ライフルケースと小バックを置いた。小バックからチョークとライト、ポケットからメモ手帳を取り出す。田中はライトの明かりを頼りに、メモ帳に書いた位置と遠くの防壁とを照らし合わせ、屋上の地面にチョークで絵を描いていった。
三〇分ほどで描き終えて、次に田中は小バックからライターを取り出し、メモ帳の端に火を付けた。田中はその場に体育座りをして、その燃えてゆく紙束を眺めた。田中の瞳にはともし火が映り込む。
「うん」
田中は嬉しそうに言った。
「私もそう思うんだけど、……藤原さんみたいにはなれないよ〜えへへ」
田中の目の前には葵たちの姿があった。田中は三谷の視線に気づいて言った。
「三谷くんて私のおっぱいよく見てるもんね」
三谷が言い訳をした。それに田中は追い打ちをかける。
「ずっと気付いてたよ〜」
三谷が作間を指差したので、
「ううん」
と、田中は首を横に振った。
「作間くんは見てない。三谷くんだけです」
秋山がヘッドホンを外し、三谷へ煽るようにして言った。田中はクスクスと笑った。
「秋山さんもそうだったんだ。三谷くんってむっつりスケベだね」
秋山は続けて言った。それに田中が驚く。
「え⁉︎ 秋山さんそうなの? 氏家先生のこともそんな目で見てたんだ。もう変態じゃん」
三谷一人を除いて、田中たちは笑った。必死になっていた三谷もとうとう諦めたようで、彼もその場に座り込んだ。気付けば、メモ帳の炎が絶え絶えに消えていった。暗がりの中で、田中は酷く重たい静寂を味わった。彼女の晴れた表情がだんだんと崩れていき、涙が流れ始める。
「ぐすっ……ぐすっ……」
田中はうつむき鼻をすすった。そこに葵の手が差し伸べられて、
「葵くんはいつも優しいね……」
田中はそう言って誰もいない場所を見上げた。もうどうしようもないところまで来てしまったことを自覚し、田中は顔を埋めて縮こまりゆらゆらと揺れた。
「ぐすっ……パパとママに会いたいなあ……ぐすっ……」
◆
同日、午前六時五〇分───。
坂口は車の中でガラケーのメールフォルダを開き、メールを書き始めた。
宛先:☆ Unknown
Cc/Bcc、差出人:megane@─────
件名:七〇〇
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Unknown 様
①②③準備完了。
帰還予定。
眼鏡
坂口はメールを送り、膝の上に携帯を置いて、バックミラーに映る自分の怯えた顔を見た。ブルルと携帯のバイブ音が鳴り、坂口は受信したメールを開いた。
差出人:☆ Unknown
宛先:megane@─────
件名:Re.七〇〇
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眼鏡 様
承知しました。
帰還してください。
Unknown
「ほんとうに……」
坂口は言った。
「ごめんなさい……」
ネックレスをギュッと掴み、助手席にガラケーを置いた。坂口は車のハンドルを握り締め、怒りをあらわにしてハンドルを叩いた。
◆
同日、午前七時〇〇分。
田園都市ユートピア、第三地区第二施設 関東支部 本部、中央監視制御室───。
職員の男はポケットからUSBメモリを取り出し、デスクトップに接続した。デスクトップの画面上に小さくOK or NOと表示され、男はOKをクリックした。するとパーセンテージがゼロから溜まり始めて、数分後、一〇〇パーセントになった。何事もなかったかのように、男はUSBメモリを引き抜いてポケットにしまい、席を外して、同僚の挨拶も返さず、一人その場をあとにした。
◆
同日、午前七時四十二分。
田園都市ユートピア、第二地区A区画タワーマンションの一室───。
男は寝室のベッド上に装備一式を並べた。
・リュックサック 一
中身)
転榴弾 一〇個
閃撃弾 二本
発煙弾 二本
・ライフルケース 一
中身)
薪割り斧 二本
・アタッシュケース 一
中身)
手斧 二本
男はもとの場所に装備を戻してリュックサックを背負い、両手にケースを持って玄関に移った。玄関でブーツを履き、ダイニングテーブルの席に着く。男はポケットからガラケーを取り出してメールを書き始めた。
宛先:Unknown
Cc/Bcc、差出人:dazai@─────
件名:九〇〇
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通行証受取済。
③準備のため、帰宅。
待機後、指定位置に移動。
太宰
太宰はダイニングテーブルでコーヒーを飲みながらくつろいでメールの返信を待った。ブルルとガラケーに受信があり、メールを開く。
差出人:Unknown
宛先:dazai@─────
件名:Re.九〇〇
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太宰 様
ご連絡ありがとうございます。
心より祈っております。
Unknown
「何が祈ってるだ。捨て駒だと思ってるくせによ」
太宰はぶつくさと愚痴りながらキッチンに歩いて行き、ガラケーからSIMカードを引き抜いて、真っ二つにガラケーを割った。次いで、それらをタイマー式のプラスチック爆弾の隣に置き、午前八時三〇分にタイマーをセットした。
「コーヒー飲んだら行くか」
太宰はそう言いながらダイニングテーブルの席へ戻った。




