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AIを使うと馬鹿になる?――その答えをAIと一緒に考えてみた  作者: 山田りく


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【第5章】インターネット時代との決定的な違い

「情報社会を生き抜くために、提示されたものを鵜呑みにせず、疑う力が必要だ」

 このような言説自体は、今に始まったことではありません。先述した通り、二〇〇〇年代初頭のインターネット黎明期にも、「嘘を嘘と見抜けない人は(掲示板を)使うべきではない」という有名な言葉が流行しました。


 しかし、かつてのインターネット時代に求められていた「疑う力」と、これからのAI時代に求められる「疑う力」の間には、構造的な、そして決定的な違いがあります。


 インターネット時代の情報収集は、例えるなら「泥沼の中から自力で宝を探す作業」でした。


 検索エンジンにキーワードを打ち込むと、画面には無数のウェブサイトのリンクが並びます。そこには、個人のブログ、企業の公式サイト、怪しげなまとめサイト、あるいは悪意に満ちたデマなど、有象無象のデータが文字通り「泥々(どろどろ)の状態で」露出していました。


 ユーザーである私たちは、その泥の山を自分の手でかき分けながら、


「このサイトに書いてあることは本当か?」

「ドメイン(URL)の信頼性は高いか?」

「他のサイトと情報が矛盾していないか?」


 と、「情報そのものの真偽」を自力で検証しなければなりませんでした。つまり、ネット時代のフェイクは「泥」の姿をして現れたため、人間側も「これは怪しいぞ」と警戒センサーを働かせやすかったのです。


 ところが、AI時代は全く違います。


 AI時代の情報提示は、「一流ホテルの洗練されたコンシェルジュが、澄んだ顔で差し出してくれる一杯のお茶」の姿をしています。


 AIは、ネット上の泥泥とした大量の情報を、私たちの見えない裏側で勝手に整理し、有害な表現を排除し、論理的な骨組みを与え、極めて美しい、非の打ち所がない文章にパッケージングして提示します。そこには、ネット掲示板のような罵詈雑言もなければ、怪しげなポップアップ広告もありません。ただただ、「親切で客観的な正論」がそこに置かれます。


 これが、AI時代の恐ろしさです。フェイクやズレが「美しい服」を着て現れるため、人間の警戒センサーが完全に作動を停止してしまうのです。


 ネット時代は、「泥の中から正しい情報を探す能力(情報リテラシー)」が求められました。


 しかしAI時代は、「美しく整えられた答えそのものを、わざわざ疑いに行く能力(メタ認知能力)」が必要になります。

「目の前にあるこの完璧な回答は、本当に私の問いに対して正しく接続されているだろうか?」


「この綺麗な文章の行間に、私が大切にしていたはずの『小さな違和感』が握りつぶされて消えていないだろうか?」


 泥を疑うのは簡単ですが、自分に対してあまりにも親切で、知的な存在を疑うのは至難の業です。AI時代に必要なのは、外側の情報の正しさをジャッジする力ではなく、その情報を「受け取っている自分自身の脳の習慣」を客観的に見つめ直す力、すなわち、自分とAIとの間の「チャンネルの接続」を常に監視し続ける力なのです。

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