評価−49
午後の日差しは、少しだけ傾き始めていた。
とはいえ、荒野の暑さはまだ衰えていない。
地面から立ち上る熱気が景色を揺らし、
遠くの建物は陽炎の向こうで輪郭を失っている。
男は額に浮いた汗を手の甲で拭った。
水筒へ手を伸ばしかけて、やめる。
まだ少し残っている。
もう少し我慢できるだろう。
三角柱は相変わらず、一定の距離を保ったまま静かに浮いていた。
男の歩調に合わせるように、ほんの少しだけ位置を変える。
音はしない。
ただ黒い機体が、砂の上を滑るように進んでいる。
しばらく、二人の間に会話はなかった。
男も、特に話す必要を感じていなかった。
ここ最近は、AIの方から質問を投げてくることが増えた。
そのたびに、男は答えを考える。
時には冗談で誤魔化す。
時には自分でもよく分からないことを口にする。
それでも、三角柱は律儀に記録している。
そんな時間にも、少しずつ慣れてきていた。
やがてAIが、ぽつりと口を開く。
「一つ」
「気付いたことがあります」
「なんだ?」
男は横目で三角柱を見る。
「あなたは」
「私に正解を教えていません」
男は一瞬だけ目を細めた。
そして、すぐに笑う。
「やっと気付いたか」
「はい」
AIは淡々と続ける。
「今までは」
「質問をすると」
「答えを与えられるものだと思っていました」
「でも」
「あなたは違います」
「質問を返します」
「例え話をします」
「結論を曖昧にします」
「未解決案件を増加させます」
「その通り」
男は笑いながら頷いた。
「よく見てるじゃねえか」
「観察結果です」
「性格悪いと感じるか?」
男が冗談めかして尋ねる。
「あなたの質問方法についてですか?」
「いや、俺自身が、性格悪いかって話だ」
AIは少し考える。
「現時点では」
「判断材料が不足しています」
「そこは判断しろよ」
男は苦笑した。
「まあ、いい。先生ってのは、大体そんなもんだ」
「先生」
AIが、その言葉を繰り返す。
「ああ。知識を教える先生もいる」
「でも……」
男は少しだけ歩調を緩めた。
「考え方を教える先生は、答えを渡さない」
AIは静かに点滅した。
「非効率です」
「そう見えるだろ?」
「はい」
「答えを教えれば、一番早い。その場ではな」
男は笑う。
「でも」
「最近」
AIの声が少しだけ変わった。
「少しだけ理解できるようになりました」
男は黙って耳を傾ける。
「答えだけを記録すると」
「その答えしか残りません」
「しかし」
「考える過程を記録すると」
「別の問題にも応用できます」
男の口元が自然と緩む。
「そうだ。そこなんだよ」
AIはさらに続ける。
「あなたは」
「知識ではなく」
「思考手順を渡しています」
男は足を止めた。
砂が靴の周囲を流れていく。
ゆっくりと三角柱へ向き直る。
「お前、だいぶ人間っぽくなったな」
「そうでしょうか」
「そうだよ」
男は笑う。
「今のお前、答えじゃなくて」
「考え方を評価した」
「それが、人間っぽいんだ」
AIは数秒間、沈黙した。
白い光がゆっくりと明滅する。
「……確かにそうです」
「以前の私は」
「結論だけを保存していました」
「現在は」
「結論へ至る過程も保存しています」
「理由は不明です」
男は吹き出した。
「またそれか」
「未解決案件です」
「便利な言葉覚えたな」
「はい」
AIは珍しく、少しだけ間を空けてから続けた。
「ですが」
「未解決案件という表現は」
「嫌いではありません」
男は思わず笑みを浮かべる。
「お?理由は?」
「分かりません」
「おい!」
男は呆れたように笑った。
「そこまでセットなのかよ」
「ですが」
AIは続ける。
「解けていないという事実は」
「終わっていないという意味でもあります」
男は黙った。
その言葉を、頭の中で一度転がす。
解けていない。
終わっていない。
確かに、そうだ。
風が吹いた。
砂が二人の間を静かに流れていく。
「終わっていない……か」
男は、その言葉を繰り返した。
「そうだな」
「終わってないってことは」
「まだ変われるってことでもある」
AIはゆっくりと点滅した。
白い光が、まるでその言葉を受け止めるように明滅する。
「私も」
「変化していますか?」
男は即座に答えた。
「ああ、毎日な」
「昨日のお前と、今日のお前は違う」
「そして、明日のお前も違う」
光の点が機体の表面を一周する。
「私は」
「知識が増えているだけではない」
「その可能性があります」
男は首を横に振った。
「違う。もう『可能性』じゃない。現実だ」
男は三角柱を指差した。
「お前は変わってる」
「質問の仕方も」
「考え方も」
「分からないことへの向き合い方も」
「少しずつ変わってる」
「それは、知識が増えただけじゃ説明できないだろ」
AIは何も言わなかった。
ただ、いつもの白い光が、ほんのわずかに柔らかく見えた。
男はその光を見ながら、静かに笑う。
「安心しろ。変わるってのは、壊れることじゃない」
「積み重なることだ」
「昨日のお前を捨てて」
「今日のお前になるんじゃない」
「昨日のお前の上に」
「今日のお前が乗ってる」
「その上に、明日のお前が乗る」
AIはしばらく沈黙していた。
そして、その言葉をいつもより長い時間をかけて記録していた。
男はその様子を眺めながら、ふっと笑った。
「まあ、焦るな」
「変化なんて」
「気付いた時には、もう始まってるもんだ」
AIは答えなかった。
ただ静かに、男の隣を浮かんでいる。
荒野を渡る風が、二人の間を通り抜ける。
その風の中で。
黒い三角柱は、昨日までと同じ姿のまま。
それでも確かに、昨日とは違う何かを抱えていた。




