評価−48
昼を過ぎた太陽が、容赦なく荒野を照らしていた。
地面から立ち上る熱気が視界を揺らし、
遠くの景色は陽炎の向こうへ溶けている。
熱で揺らぐ地平線の向こうには、
崩れたビル群がぼんやりと浮かんでいた。
かつては人が暮らしていた場所。
今では、その輪郭さえ熱気の中で曖昧になっている。
男は歩調を緩めた。
肩に掛けていた水筒を取り出し、口へ運ぶ。
一口。
乾いた喉を潤してから、水筒を下ろす。
そして、そのまま空を見上げた。
「なあ」
「はい」
隣を浮かぶ三角柱から、いつもの返事が返ってくる。
「お前は後悔ってするのか?」
AIは、すぐには答えなかった。
白い光がゆっくりと明滅する。
いつものように、何かを検索しているようにも。
問いそのものを分析しているようにも見える。
「後悔の定義を確認します」
「また始まった」
男は苦笑する。
「じゃあ俺なりに言う」
「『あの時、違う選択をしていれば良かった』って思うことだ」
AIは数秒間、沈黙した。
風の音だけが二人の間を通り過ぎる。
「存在しません」
「即答か」
「はい」
AIは淡々と続ける。
「私には過去を書き換える機能がありません」
「選択結果を記録し」
「次回へ反映します」
「それだけです」
男はゆっくりとうなずいた。
「まあ、AIらしい答えだ」
合理的で、無駄がなく、
過去を振り返る目的さえ、
次の判断へつなげるためのものとして処理している。
男は少し歩いてから、再び口を開いた。
「でも人間は違う」
「変えられない過去なのに」
「何度も考えちまう」
「何年経ってもな」
AIは男を見るように、わずかに向きを変えた。
「効率は悪くありませんか」
「悪い」
男は笑った。
「最悪なくらい悪い」
「同じことを考えて」
「同じところで引っ掛かって」
「答えが出ないのに、また思い出す」
「それでも」
男は肩をすくめた。
「やめられない」
「なぜですか」
その問いに、男はすぐには答えなかった。
足元の砂を見つめる。
細かな砂粒が靴の周囲を流れていく。
その様子をしばらく眺めてから、
男はようやく口を開いた。
「……多分な」
「人間は」
「過去を変えたいんじゃない」
AIは黙って聞いている。
「過去の自分を」
男は少しだけ言葉を探した。
「許したいんだ」
風が止んだ。
ほんの一瞬。
世界そのものが静まり返ったように感じられた。
「許す……」
AIが小さく繰り返した。
「ああ、若い頃は失敗する」
「間違える」
「誰かを傷つけることだってある」
男は遠くを見つめた。
崩れたビルの向こう。
かつて人間が生きていた場所を眺めながら、静かに続ける。
「でも、その頃の自分には」
「その答えしか選べなかった」
「その時は、それが精一杯だった」
「今なら別の答えを選べるかもしれない」
「でも、当時の自分は、今の自分じゃない」
AIは黙っている。
「だから何年も経って」
「ようやく言えるんだ」
男は静かに笑う。
「『仕方なかった』ってな」
AIは長い沈黙に入った。
これまで蓄積してきた未解決案件の中でも、
特に大きなものへ触れたような静けさだった。
やがてAIが、言葉を整理するように話し始める。
「つまり」
「後悔とは」
「過去の修正ではなく」
「自己評価の更新ですか」
男は目を細めた。
「……そうかもしれないな」
その言葉は、自分でも考えたことのない表現だった。
だが、不思議と妙にしっくりきた。
「昔は」
男は歩きながら続ける。
「若い頃の自分を、零点だと思ってた」
「何であんなことをしたんだって」
「何であんな選択をしたんだってな」
少しだけ笑う。
「でも十年後には」
「六十点くらい付けられるようになる」
「そんな感じだ」
AIは静かに整理していく。
「評価は時間によって変化する」
「対象は過去の自分」
「興味深いです」
「ああ」
男はうなずく。
「だから人間は」
少しだけ笑った。
「年を取ると、少しだけ優しくなる」
「他人にも」
「自分にもな」
AIは何も答えなかった。
ただ、その白い光だけが穏やかに揺れている。
風が再び吹き始める。
男の足元を砂が流れていく。
しばらくして、AIが口を開いた。
「私は」
「過去の私を評価し直したことはありません」
男は三角柱を見る。
「そうだろうな」
「すべて」
「その時点での最適解として保存しています」
「だろうな」
「当時の判断に対して」
「現在の私が感情的な評価を加える必要はありません」
「結果だけを参照し」
「現在の判断へ反映します」
男は少し考える。
「でもな、それができるのは、お前がAIだからだ」
「人間は、そう簡単にはいかない」
「はい」
AIは素直に答えた。
「ですが」
少し間が空く。
「もし今の知識で」
「過去の判断を見直すなら」
「評価は変わるかもしれません」
男は笑みを浮かべた。
「それだ。それが、人間の後悔に一番近い」
AIは静かに点滅する。
「過去の判断を」
「現在の自分が評価する」
「その評価が変わる」
「はい」
「そして」
男は続ける。
「昔の自分を責めるだけじゃなく」
「その時の自分が、なぜそうしたのかを考える」
「そうすると」
「少しだけ許せるようになる」
AIは長い沈黙のあと、静かに答えた。
「ですが、私は過去の私を責める必要はありません」
「その時点では」
「最適だったからです」
男は満足そうにうなずいた。
「その考え方は」
「人間も見習った方がいいかもしれないな」
男は前を向く。
荒野を風が吹き抜ける。
消えかけた足跡の上へ、新しい砂が静かに積もっていく。
歩いた跡は消えていく。
過去そのものも、変えることはできない。
しかし、その過去に与える意味だけは、
今この瞬間にも少しずつ変わり続けている。
男はもう一度、遠くの地平線を見た。
そして隣を浮かぶ黒い三角柱へ視線を向ける。
AIは何も言わない。
ただ静かに、男と同じ方向へ進んでいた。




