蜃気楼の男
――とある館に収められた無数の報告書。そこに記されていたのは信じがたい奇怪な物語。真実は一体何なのだろうか――
短編ホラーをオムニバス式に書いていきたいと思います。
今後は怪奇に出会い次第、不定期で交信する予定です。
フィテルベルク現象とは、発見者である20世紀前半の気象学者の名を冠するれっきとした科学現象である。しかし、1938年にフィテルベルク氏がその現象を解き明かすまでは怪奇現象として取り扱われてきた。
フィテルベルクはネオンとアルゴンを混和させた気体をガラス容器に充填し、一度高温に加熱したのち一気に温度と気圧を下げることによって、異常なまでに屈折率の高いガス層を生成することに成功した。さらに氏の論文では、理論上ある特定の気象条件が重なれば自然界でも同様の現象が発生しうることを示唆している。これはごく短距離でも大きく風景のゆがんだ蜃気楼が出来る可能性を示している。
事実、フィテルベルク氏が示した気象条件が整いやすいと言われる南米アンデス地方では、古くから現地の言葉で「ヤチャスカ・ヒナ」(知人を装う者)と呼ばれる怪奇現象が報告されている。これは、目の前に現れた人物の顔のみが大きくゆがんで見え、はっきりと視認できなくなる現象である。顔のわからない人物が知人の声で親し気に話しかけてくるため、かつての地元民たちはそれを人に化けた悪魔の類であると考えたわけである。
だがもちろん、それは前述のフィデルベルク現象で説明を付けることが出来る。これは、すぐ目の前にいる人物の顔が局所的な蜃気楼によって歪んでしまったというだけに過ぎない。フィデルベルク現象は地上130㎝~170㎝の高さで最も起こりやすく、その範囲は最大でも直径50㎝ほどに留まるというのだから、まさにこの現象にぴたりと一致している。
以上から「ヤチャスカ・ヒナ」の正体がフィデルベルク現象であることはほぼ間違いないが、どんな理論にも例外というものが存在している。通常、フィデルベルク現象の自然界での発生頻度は数年に一度、持続時間も10分程度が上限と考えられているが、それらの法則はかつてアメリカに存在した人物、ジョージ・O・カーター氏には関係なかったようである。
カーター氏は1906年にミネソタ州の田舎町に生まれた。生まれたばかりの頃はごく普通の赤ん坊だったというが、生後三か月ごろから彼の両親は彼の顔が見づらいと感じることが多くなったという。三歳の時には彼の顔は蜃気楼に覆われて大きく歪み、視認することは完全に不可能になったと記録されている。
蜃気楼は彼の頭を中心に360度を覆うように常時発生しており、両親がそれを吹き飛ばそうと扇子で扇いでみたり、頭から水をかぶせてみても消えることはなかったとされている。当然両親は医者の診察を受けさせたが、当時の医学では手に負えず、カルテには「頭部に原因不明の屈折」と記されたのみであった。このカルテは現在でも彼の地元の大学図書館にマイクロフィルム化されて保管されているのが確認できる。
カーター氏の姿を収めた写真は資料として複数枚現存しているが、どれも彼の頭部のみが大きく歪み人の頭部とは思えない形状をしている。写真の加工を疑う者は多いが、最新技術によるコンピューター解析でもその痕跡は発見されていない。
また、当時は治療の類は行われなかったが、触診によって彼の見えない頭部の形状自体には問題がないことが確認されている。また、原理は不明であるが、カーター氏自身は蜃気楼の中にいるにもかかわらず、正確に外界を視認できているということも視力検査の結果から確認できている。
結局のところ、数年の経過観察ののちに、「身体機能や健康には特に問題なし」と診断されたカーター氏のその後の人生は数奇なものとなった。彼の学生時代の悪友たちは彼の顔を暴こうと、様々な試み、いたずらを繰り返した。扇風機の風を浴びせる、いきなり冷水をかけるなどは優しい部類で、彼が二十歳のころには火のついたたいまつを押し付けられ顔にやけどを負ったこともあったという。
しかし当然と言うべきか、やけどの治療をしようにも蜃気楼によって患部の視認が出来ず、医者は満足な処置を行うことはできなかった。何しろ彼自身が鏡を見ても顔が見えないため、自分で包帯を当てることに苦労したとのことである。カーター氏自身の主張によれば、この際に大きな傷跡が残ってしまったそうで、彼は犯人に対して賠償を求める裁判を起こしている。
しかし残念ながら、被害の証拠となるのが本人の証言のみで、判事が件の傷痕を視認できなかったことが原因で裁判はいたずらに長引き、3年後には裁判費用を賄えなくなったカーター氏が訴えを取り下げるという形で決着している。
彼が27才の時に彼の父が、翌年には母が死亡し、彼の顔を見た事がある者はいなくなった。その後彼は周囲の奇異の目を嫌ってか地元を去り、フリークフリークショー、いわゆる見世物小屋に出演して生活をするようになったようである。1938年の日付と共に目玉芸人として蜃気楼男の名と戯画化された彼のイラストが記された一枚のチラシがミネソタ州の図書館に現存している。なお、当時の彼のキャッチコピーは「死ぬまで消えない神秘の蜃気楼」である。当時の彼はかなりの人気を博していたようで、全米で頻繁に公演が記録されている。見世物小屋でも花形芸人となればだいぶ良い収入が得られたようで、彼の生活水準が高かったことがいくつかの史料から推測されている。
更に、記録によれば彼は同じショーに出演していた女性、通称『カエル女のメリンダ』と結婚し、三児を設けている。当時は子供たちにも蜃気楼が遺伝するのではないかと期待されていたが、幸か不幸か三人共に彼の奇妙な体質は遺伝することなく、成長しても顔がはっきりと見て取ることが出来たそうである。
さて、奇妙な体質による苦労も多かったであろうが、ここまで読む限りでは彼の人生はおおむね幸福であったと言えるかもしれない。しかしその人生も唐突に終わりを迎えることになった。
1952年12月5日の夕方、飲酒した帰りの彼は線路内に迷い込み、鉄道事故によって絶命している。彼の亡骸は損傷が激しかったが蜃気楼は発生していなかった。奇しくも「死ぬまで消えない蜃気楼」は現実だったわけである。しかし、彼の頭部は特に強く傷ついており人相の判別が不可能であった。彼の妻子でさえ最後まで彼の顔を見ることは不可能だったのである。
カーター氏は一体いかなる顔立ちをしていたのだろうか?
なお、彼を轢いてしまった電車の運転手は「急に目の前に陽炎のようなものが発生し、人がいたと視認するのが不可能だった」と供述している。蜃気楼が彼の命を奪った遠因なのならば、何とも皮肉な結末である。
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