第1話 全国高等学校総合体育大会
「一本!」
審判の声が、静まり返った会場に響き渡る。
夏に開催される全国高等学校総合体育大会――通称、インターハイ。
各都道府県の予選を勝ち抜いた猛者たちだけが集う、高校柔道最高峰の舞台だ。
男子団体戦は五人制。
試合はすでに二勝二敗となり、勝敗の行方は最後の大将戦に託されていた。
「始め!」
合図とともに、俺は相手に向かって踏み出す。
――前日の夜。
遠征先のホテルで、突然、激しい頭痛と吐き気に襲われた。
ただの疲労だと自分に言い聞かせ、翌日の決勝戦に備えて無理やり眠りについた。
だが、体調への強い不安を抱えたまま、俺は畳の上に立っていた。
試合は拮抗していた。
互いに一歩も譲らぬ攻防が続く中、一瞬の隙を突かれ、相手に寝技へと引き込まれる。
首を強力に締め上げられ、必死にもがく。
だが、息ができない。
徐々に力が抜け、意識が急速に遠のいていく。
そして――
……視界が、真っ白に染まった。
※ ※ ※
気がつくと、俺は見渡す限り、一面の白い雲の上に立っていた。
「……ここは、どこだ?」
困惑しながら辺りを見回すと、俺の隣には、見知らぬ男が一人立っていた。
すると、どこからともなく穏やかな声が響き渡る。
「君たちは、少々運が悪かったのう」
振り向くと、そこには一人の老人が、穏やかな笑みを浮かべて立っていた。
「一生懸命に打ち込む君たちの姿は、わしの心を大いに動かした。ゆえに、お前たちには、もう一度命を授けよう」
突然の言葉に、俺たちは言葉を失った。
そんな俺たちを気に留める様子もなく、老人は楽しげに続ける。
「まあ、大したことではない。少々、世界が違うだけじゃ。レベルもスキルもステータスも、すべて初級からのスタートじゃがな」
老人は、愉快そうに笑う。
「お前たちなら、困難すら楽しみながら生き抜いていけるじゃろう。さあ、新たな人生の始まりじゃ! ホッホッホッ!」
……そんな声を聞いた気がした。
※ ※ ※
「……ここは?」
ハッと目を覚ますと、俺は見たこともない大草原に、ぽつんと立っていた。
頭が酷く混乱している。
俺は山田誠。ええと……高校生の17歳だったはずだ。
いや、28歳の便利屋だったか?
記憶が曖昧で、うまく思い出せない。
ふと自分の格好を見ると、なぜか黒帯の柔道着を着ていた。
柔道なんてやった記憶もないのに……なぜだ?
確か俺は、仕事中に道端で「妙なコイン」を拾っただけだったはずなのだが……。
人影のない草原に、一本の道が伸びている。
不安を抱えつつも、とりあえず道に沿って歩き始めることにした。
歩きながら、目の前の空間を指で弄るように動かしてみる。
すると、半透明の画面――ステータスウィンドウが浮かび上がった。
「なんじゃこれ?」
【名前】山田誠
【レベル】1
【スキル】柔道二段
【職業】便利屋
「……柔道二段? 柔道ってなんだよ?」
思わず画面にツッコミを入れてしまう。
自分にとって柔道といえば、テレビでオリンピックの決勝戦か何かを数回眺めたことがある程度の知識しかない。
やった記憶も、黒帯を取った覚えも当然なかった。
(……まあ、スキルとして付いてるなら、得したと思っておくか)
深く考えるのをやめ、画面を横にスライドさせていく。
すると、『食料』や『道具』といった項目が並んでいた。
中を確認してみると、見慣れたレトルトカレーやコーラ、さらには鍋やカセットコンロまで入っている。
「……腹も減ったし、とりあえず食うか」
道端でコンロを組み立て、鍋で湯を沸かしてカレーを温め始める。
やがて、スパイスの香ばしい匂いが周囲に漂い始めた、その時だった。
「……いい匂いがするな」
草むらを分けて現れたのは、武装した冒険者の一団――パーティ『七星の牙』の面々だった。
どうやら、名の知れたBランクパーティらしい。
メンバー構成は、タンクが一名、剣士が二名、槍使いが一名、弓使いが一名、攻撃魔法使いが一名、ヒーラーが一名。
「お前、見かけない顔だな。職業は何だ?」
「……便利屋です」
「便利屋……? 聞いたことのない職だな」
「荷物持ち、買い出し、料理、武具の修理、掃除……だいたい何でもできます」
「…………」
突然現れた謎の料理――カレー。
そして、何でもこなすという怪しい便利屋。
冒険者たちは顔を見合わせ、半信半疑のまま、俺をパーティの雑用係として拾うことにした。
こうして、俺は彼らと共に旅を始めることになった。
きっかけは、実に他愛のないことだった。
「いい匂いがするな」
そう言って皿の中を覗き込み、さも旨そうに生唾を飲み込む彼らの視線が、あまりにも切実だった。
そこで俺は、スプーンですくったカレーを、そのうちの一人の口へ放り込んでやったのだ。
結果――その後に作り直したカレーは、瞬く間に七人全員の胃袋へと消え去った。
「う、美味すぎる……!」
「お前、明日からの飯も全部頼む!」
空になった鍋を囲み、目を輝かせる冒険者たち。
こうして俺の異世界生活は、一匙のカレーと引き換えに、雑用係としてスタートしたのだった。
――そりゃあ、日本のレトルトカレーだ。
美味いのは当然だろ。




