文化祭 Ⅱ
自分の席に帰ってくると、すぐにC組の合唱が始まった。
相変わらずすごい迫力。
でもまあ、うちのクラスが劣っているとも思わないわ。
「頑張ったから、きっと大丈夫」
隣で、呟くようになっちゃんが言う。
そうよね、私も、そう思うわ。
C組が終わって、B組が列を作り始めた。
相変わらずダラダラで、緊張している私が阿呆らしくなってくるわ。
特に後方の男子の群れ。あれ、どうにかならないのかしら?
そのまま壇上へ。
アピールも、実行委員は頑張っているみたいだけど、周りの雰囲気が最悪ね。
指揮者と伴奏者がお辞儀をして、歌が始まる。
この間の練習と変わりなく、締まりがない。
よっしゃ勝った。
柄にもなく、私が優越感に浸ったときだった。
歌の途中で、伴奏が、止まった。
え?嘘でしょ?
困惑する私。
歌っているB組の人たちも困惑していて、だけど、指揮者を見ながら必死に歌い続けた。
"本番は何が起こるか分からない"
そうよ、バイオリンの先生も言っていたわ。
舞台に立つこと、そこで魅せること。
練習を頑張ってきたこととか、苦しかったこととか、観客の人たちは何も知らない。
審査員だって、全部を知っているわけじゃない。
普段の練習を見ていない人たちが、B組のこの判断をどう見るか。
そんなの、決まってる。
アクシデントに対応できる人は、点数をつける世界では◎だ。
皆の心に残る合唱。
見くびってたわ。勝つためには、人の心に、爪痕を残してなんぼなのよ。
「柚子、大丈夫か?」
1年生と2年生の合唱が終わり、3年生が始まる前に、15分の休憩があった。
ぼーっとする私の目の前で啓ちゃんの手が振られる。
「ええ、大丈夫よ」
啓ちゃんには分かってる。
私が責任を感じやすいタイプの人間で、なかなか折れると立ち上がれないこと。
それから、今は本当はあんまり大丈夫じゃないことも。
「そうは見えないけど…」
「本当に大丈夫」
でも心配しないで。
「次、審査員でしょ?」
私の席、彼女の隣だもの。
「柚子ちゃん」
啓ちゃんと2人審査員席に行くと、彼女に手招きをされた。
A組は先生方の隣に座ることになっているので、私はちゃっかり彼女の隣に腰を下ろす。
「審査基準は、委員会で説明した通りだからね」
「はい」
彼女から審査用の紙を渡される。
左隣の啓ちゃんから残りの人にまわる。
「先生方も同じように審査するんですか?」
別に私、ただただ彼女の隣に座りたくて座ったわけじゃないのよ。
他に目的があるの。
「んー」
私の目的。
先生方の見るところを知ること。
審査基準を知ることは来年にも繋がることだしね。
お昼休みも終わり、残るは結果発表のみとなった。
忘れていた緊張がまた戻ってくる。
「あれ?赤坂は?」
「緊張で吐きそうって、お手洗いへ行ったわ」
「そか」
啓ちゃんが心配そうな顔で話しかけてきた。
「柚子は大丈夫か?」
「私?私は特に問題ないわ」
「ん。俺は、ちょっと緊張してるかな」
「珍しいのね」
言葉が少なくなっていく。
話すことに集中できてないのね、きっと。
「じゃあ、席戻るわ」
「うん」
啓ちゃんが席へ戻ったタイミングとほぼ同時に、なっちゃんが帰ってくる。
閉会式5分前のアナウンスが流れた。
「それでは、結果を発表したいと思います」
閉会式では一番初めに、音楽科の先生による講評があった。
そのあとの、結果発表。
歌う時より緊張して、顔面蒼白になっているなっちゃんの手を握った。
彼女を安心させるだけじゃない、自分も安心したかった。
「優秀賞」
賞について。
"クラス合唱の部"については、最優秀賞が1クラス、優秀賞が1クラス。
"ブロック合唱の部"については、どちらかの色が最優秀賞を獲得する。
うちの学年は他より残酷で、理由は、3クラスしかないから、賞をとれないのが唯一1クラスになるということ。
悲しみとか悔しさも、その分重くのし掛かる。
「B組」
発表している音楽科の先生の声が、いやに響いて聞こえた。
優秀賞が、B組。
最後の結果を聞くこともなく、私は、肩を震わせる隣の女の子の手を、もう1度強く握り直した。
「「本当にすみませんでした」」
教室で、深々と頭を下げる私と啓ちゃんを、クラスの皆―坂本先生も含めて―がぽかんと見つめている。
「いや、お前らが悪いわけじゃないから」
唯一動揺しなかった明宏が、いつもより優しい口調でそう言った。
「でも」
「そうだぞ~吉原も羽山もよくやってくれたよ」
坂本先生がうんうんと頷いた。
よくやった?本当に?
啓ちゃんはどうか分からない。
でも、私は本当に、よくやれた?
結果も伴ってないのに、頑張ったって、言えるのかな。
「なんで2人とも頭下げてるの?」
後方の扉が開いて、なんだかとても落ち着くアルトボイスが聞こえた。
顔を上げると、そこに立っていたのはカメラを持った彼女だった。
「福原先生」
彼女を呼ぶ自分の声が、ずいぶんと掠れているような気がする。
「大丈夫?柚子ちゃんも、吉原くんも」
「2人とも、責任感が強いんですよ~」
心配そうに微笑む彼女と、今の状況を伝えてくれる坂本先生。
「そう」
理解をして一度頷くと、彼女は少し間を置いてから、言った。
「いい?行事ごとっていうのは、結果だけがすべてじゃないの。それを成功させるためにどれだけ努力したか、どれだけ協力できたか、そういう過程が大切なのよ。結果にこだわるのは大いに結構、だけど、賞以外にも得られるものがあるってことを心に留めておきなさい」
喉の奥の方につっかえていたモヤモヤが、すぅっと消えていく感じがした。
結果だけがすべてじゃない。
「そうよね」
最下位でもこれだけ悔しいと思えるなら、それは頑張ったってことだわ。
「はい、納得したところでクラス写真撮るわよ!今日の先生の仕事それなんだから」
彼女の一声で皆も動き出す。
「学級委員と実行委員、真ん中行きなよ!」
クラスの誰かが言って、私たちは前に押し出された。
「はーい、じゃあ撮るよ~」
後ろの教室ロッカーの上に乗った彼女がカメラを構える。
こうして、私たちの初の文化祭は幕を閉じた。
「起立、礼」
"お疲れ様でしたー"の声が、教室に響く。
週明けの放課後は、学級委員も含めた文化祭実行委員の最後の会議だった。
「いや~いい行事になりましたね!」
会議後、椅子を片付けていると、由東先生が話しかけてきた。
「それもこれも、実行委員長の柚子ちゃんがいたからこそ……」
「私何もしてませんけど」
さらりと流す。
「いやいや~君の力は大きいですよ」
「大袈裟です」
誉められるのって、あんまり得意じゃない。
「ま、こうして残って椅子片付けてくれるのは、柚子ちゃんだけだから」
彼女からのフォローが入る。
「そうですね」
「え!?僕のはさらっと否定したのに!?」
由東先生が突っ込んだ。
仕方ないでしょ。あなたがそう言うなら、みたいな雰囲気に彼女が言うとなるんだから。
「あ、そうだ。僕、柚子ちゃんに1つ言おうと思ってたことがあるんですけど」
「何ですか」
思い出したように改まって、由東先生が口を開いた。
「これ、4月からずーっと思ってたことなんですけど……手、挙げませんか?」
「はい??」
「授業中ですよ!ノートもプリンとも問題全部合ってるのに、全然手を挙げないじゃないですか。柚子ちゃん一番前だから、全部知ってますからね!」
「ああ~………」
小学校の頃を思い出した。
明宏と同じくらいにテストの点数は良かったけれど、国語以外で5がとれなかった私。
とれなかった理由は、別に担任の若い女の先生に嫌われていたからとかじゃない。
一番の理由は、発表をしなかったことだ。
関心・意欲・態度というカテゴリーの部分が、手を挙げないことにより低くなっていた。そこが、目立ちたがり屋の明宏と違うこと。
「確かに柚子ちゃん、発表しないわよね」
当てられたら答える。
別に分からないわけじゃないし、間違えてもそれはそれで次を直せばいいんじゃないと思う。
それに対する恥ずかしさみたいなものは、正直無いに等しい。
「中学校では強制じゃないですし、むしろテストの点数がよくないといけないですけど、点数いい子にはその上を求めますよ」
由東先生の言葉に、彼女も頷く。
「分からないんです」
唐突に私が発した言葉に、2人はとても驚いた顔をした。
「何が?」
「自分のわかっていることを、他の人と共有する意味が」
正直言うと、小学校時代の後半はグレていた。
ちょっと厨二病みたいで、表面上完璧な困ったちゃんだったんだけど、中学校に上がった今でも、「発表することで意見を仲間と交流する」の意味が分からなかった。
自分の意見をだったらまだ分かるわ。
でも、どうせ正しいであろうことを覚えるのに、その前に言う必要なんてある?
自分が分かっていたら、別にそれでいいじゃない。
教えてほしいなら「教えてくれ」って言えばいいし。
「あぁ~…」
彼女も由東先生も返答に困った顔をしている。
「すいません、変な意見ぶっこんじゃって」
理解できないことを嫌々やるくらいなら、やらない方がいいでしょ?
「だから私、発表とかは…」
「しません」と言いかけて、1度口をつぐんだ。
今"しない"ときっぱり言ったら、2人はどう思うんだろう。
私にしては珍しく相手のことを考えてみたりした。
「発表とかは、気が向いたら、します」
"それ絶対しないタイプのやつじゃん!"という2人の心の声が聞こえた気がした。
思わずクスリとする。
「じゃあ、帰りますね」
鞄を持ち、扉に手をかけた時だった。
「柚子」
不意に、名前を呼ばれて振り向いた。
呼んだのは彼女。いつもみたいに「ちゃん付け」じゃない。
微笑みが消えた彼女の顔は、本当にイケメンだなぁ、なんて思ってしまった。
いや、今そんな悠長な感想言ってる場合じゃないでしょ。
怒らせちゃってるわよ、多分。
「はい」
怒られるんなら向こうが怯むくらい堂々としてればいいわ。
グレている私が顔を覗かせる。
真正面から彼女を見つめた。
彼女は1つ深呼吸をすると、私に近付き両手を握ってこう言った。
「お願い、ダメ?」
背の低い私に合わせるように片膝をついて、上目遣い。
ぜっったいこの人、私の性質を解った上でやってる。つまり確信犯。
ていうか可愛い。
「ダメ?」とかあなた使っちゃダメです。
元々垂れ目だから上目遣いにされるとなんか泣きそうな表情に見えるし。
「わ、分かりました…」
上ずった声で了解と言ってしまった。
パァッと目を輝かせて、彼女は満足気に頷いた。
本当にチョロいわ、私。
「じゃあ、そういうことで」
「はーい!また明日!」
「うん、気をつけて帰ってね」
由東先生と彼女にもう1度会釈をして、そそくさとその場をあとにする。
あ、"ただし、国語だけな"って、由東先生に言うの忘れたわ。
まあ、気が向いたらでいいわよね。