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刃金の翼  作者: 山彦八里
四章:天の風
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10話:次なる一歩

 守破離という考えがある。

 はじめは師の教え通り忠実に型を守り、やがて己に合わせて改良するために型を破り、いつかは型を離れて自らカタチをつくる。

 武の名の下に連綿と繰り返されてきた習わしを表したものだ。


 それに沿って考えるならば、カイの流儀“無間”は未だ破の段階にあるといえる。

 無間は卓越した防御性能を持つジンの“無明”やゲンハの“無念無双”を打ち破るために編み出した流儀である。

 だが、元を辿れば――無の一字に表れているように―― 二つの流儀をカイの戦術に合わせて改良したものでもある。

 故に、現状では元の型こそ破っているものの、二人の流儀から離れたとはいえない。あくまで分派に過ぎず、心技のように独自のものではない。


「武とは、究極的には己の為のものだ」


 言葉と共に、ゲンハは漆黒に染まった腕で雫の滴り落ちる一刀を上段に構える。

 対するカイは荒い呼吸を整え、脇構えにガーベラを寝かせたまま、攻め込む一瞬を見極めんと全神経を集中させる。

 侍の全身には既に幾つもの裂傷が刻まれている。


「主君の為、誰かの為、成程それもまた道のひとつよの。

 しかし、剣を振るうのは己だ。己を鍛え、己の武を磨き、己が意志で敵を斬る。結局はそこに帰結する」

「……」

「お主はどうする、馬鹿弟子よ?」

「ただ斬るだけだ。この身は刃金、そう言った。そう決めた」


 言葉と共にカイは大地を抉るようにして何度目かの突撃をかける。

 大気を割って走るその身は疾風、横薙ぎに振るう一閃は雷光の如く鋭い。


 カイが攻め、ゲンハが迎え撃つ。

 示し合わせたような合致。それこそが互いが全力を発揮できるカタチである。

 だが――


「それでは足らんと言っている!!」


 雷光に剣鬼は反応した。

 斬り落としの一刀が走り、直後、悲鳴のような金属音が鳴り響く。

 カイの一撃は後から振るわれたゲンハの一閃に打ち払われた。

 鉄槌を受け止めたような痺れがカイの手に走る。


「まだ甘い、駄菓子の如く甘いのう」


 力押しに払われて懐の空いたカイに対し、ゲンハは逆の手でその胸ぐらを掴み、怪力に任せて投げ飛ばした。

 ブンと風を斬る音と共に勢いよく地面を転がったカイは跳ねるように素早く立ち上がる。

 負傷はない。しかし、すぐには攻め込めない。

 現状では打ち合うたびに負傷の増える此方が不利になっていくだけだ。



 剣術とは詰まる所、間合いを合わせて相手を斬ることに収束する。

 踏み込み、斬る、ただそれだけ。

 故に、剣同士の戦いでは究極“先”に届かせた方が勝つ。

 防御を崩し、回避を潰し、ただひたすら先に届かせる。

 その“先”をとる為に武術は何百、何千年と技と屍を積み上げてきたのだ。


 現在、カイの剣速は五階梯の『六徳』。

 対するゲンハの剣速は六階梯の『清浄』――全力を出せば七階梯の『阿頼耶』に届くと視える。絶望的な速度差だ。

 そして、ゲンハは戦術として防御も、回避もしない。

 迎撃という一点に自己を限定し、それ故に隙がない。

 魔法や矢弾があればまた話は違ってくるだろうが、あいにくカイの手札にあるのは風刃のみ。弾かれて終わるだけだ。


 かといって、無策で斬りかかれば、此方が先に斬られる。

 カイが勝つ為にはゲンハの一閃を如何にかして掻い潜るか、何かしらの方法で体勢を崩させるか、あるいは――剣速にて更なる上をいくほかない。


「ただ斬る為に斬る。それもひとつの道かもしれん。

 しかし、儂の最初の弟子が“刃金”で終わるのも忍びない」

「――ッ!!」


 崩す。ここにきてカイは別の戦術を選択した。

 受けに専念するゲンハと比して此方の速度は圧倒的に上だ。以前よりさらに広がったこの差を利用しない手はない。

 三歩で最高速度域に乗った侍はそのまま木々を足場に(ましら)の如く縦横無尽に跳ね回る。

 一切の減速のない立体的な機動は数瞬と経たずにゲンハの視界を跳び越え、背後を取り、刀剣では最も受けにくい左耳裏を抉るような軌道で首元に斬りかかった。


「――“無念無双”」


 だが、その頸が落ちるより早く、剣鬼の黒腕が肩関節からぐるりと回り、真後ろに向かって斬撃を放った。

 筋肉と関節という概念を無視したような有り得ない角度の連節、背後からの奇襲に対する超反応。

 起りを奪われたカイの未成立の斬撃が食い破られる。

 背後をとって尚、己が剣がゲンハよりも遅いことにカイは奥歯を噛み締めた。


(相変わらず反則的な腕と流儀だ)


 弾かれた勢いに乗って跳び退りつつカイはひとりごちる。

 これこそがゲンハの流儀“無念無双”。

 相手の攻撃を見てから、相手の攻撃よりも速く斬るという究極の後の先にして先の先、己が間合いに於ける最速を突き詰めた剣である。


 その本質は、間合いの確定を前提に、認識、反応、斬撃までをひとつの動きとした近接迎撃特化にある。

 カイの“踏み込み”“斬る”という二行動に対し、黒腕の可動域と常識外れの技量で以て“斬る”という一行動で先んじるのだ。


 剣とは本来、体幹で振るうもの――極論すれば骨で振るうものだ。

 体捌きと足運びで刀を動かし、体重を乗せて振り抜く。

 刀法とは文字通り骨子によって成り立っている。

 このとき、腕力その他の筋肉は威力を増大させる為の外付けに過ぎない。それも斬るという一点に限れば重要度は低い。


 だが、ゲンハにおいては怪力とそれに反比例する柔軟な関節が常世の理合をねじ伏せる。

 その場から動かず、肩から先をしならせて振るうという剣の道理を無視した独自の剣。それだけの動作で剣は全方位に届き、全速で踏み込んで斬りかかるカイよりも速い。

 他者には決して真似できない剣であろう。

 剣鬼の剣は己が異才に依拠した、彼にしか振ることの出来ない孤剣である。


 とはいえ、破れぬのならそんな文句も負け惜しみでしかない。

 およそこの世界にある全ての攻撃方法において、ゲンハの間合いの内で彼の斬撃より速いものはないのだ。

 ゲンハの剣は速い、カイの剣よりも速い。それは厳然たる事実だ。


(あと一歩、ここでもあと一歩が足りないのか)


 この相手にアメノハバキリは使えない。

 自身の最高速度を条件とするこの心技は、逆に言えば速度で後れをとったときには成立しない。

 故に、無念無双に入ったゲンハに対しては相討ちすら狙えない。


「……」


 かつてのカイには“もうひとつの心技”があった。

 ネロやゲンハなどの“受け”に優れる相手を斬る為の切り札だ。

 しかし、『魔力』を必要とするその技は現在のカイでは使えない。

 総合的な実力としては魔力を喪失する前の自分を確実に超えたカイが唯一劣っている部分だ。


 では、負けを認めるのか。魔力がないからと、退化したことを認めるのか。

 かつての己を超えたと宣っておきながら、仲間と共に戦った経験は無駄だったと認めるのか。


「……それこそ有り得ない話だ」


 瞼の裏に仲間の顔を思い浮かべて、カイは小さく呟いた。

 カイはゲンハに憧れていた。おそらくは初めて師事した時から、ずっと。

 孤剣などと揶揄されても、己という剣を確立させた師に憧れていた。

 だが、見上げるだけでは追いつけない。

 この足は前に進む為にあるのだ。足踏みなど許さない。


「老衰なぞにその命をくれてやるのは惜しい」


 父は退魔の剣を学ぶのに、何故自分は対人の剣を学ばされたのか。

 思い出せ。いつか――いつか、こうする為だった筈だ。今がその時だ。


 故に、誓う。この瞬間に憧れを超えると。


「……気付いたのなら届かせろ。

 後などお主にはない。今、この瞬間に届いてみせよ」


 ゲンハが再度、片手上段に刀を振りあげる。

 腕を頭上へまっすぐに伸ばし、刃を後ろに向けた“独角の構え”。

 刃を角とし、斬撃を必殺と為す、数多の人魔を屠った構えである。

 人外の黒腕を常識外れの剣才で制し、最速の剣とした剣鬼の絶対の一である。


 カイは三度、突撃をかけた。

 崩しが効かぬなら、やはり一番の武器で攻めるより他にない。

 踏み込む速度は此処に来て最高速度を記録する。

 間合いに入ると同時に斬りかかる――よりも一瞬早く、ゲンハの剣が脳天に落ちてきた。

 心眼で予測して尚、反応が遅れる。一髪千鈞の危うさの中、正中をずらし紙一重で回避。

 反撃とばかりに水月へ刺突を放つ。

 が、振り下ろされたゲンハの剣が減速しないままにくるりと鍔目を返し、逆風に斬り上げてくる。

 ガーベラの刀身半ばを擦り上げられ、火花と共に切っ先が外される。


 直後、死の予感が心臓を鷲掴みにした。


 カイは反射的に跳び退いていた。


「――浅いか」


 ゲンハが呟く。剣鬼の一刀は既に真一文字に振り抜か(・ ・ ・ ・)れていた(・ ・ ・ ・)

 退いたカイの胸元には浅く赤い線が走る。

 認識速度を超えた三撃目を避けきれなかったのだ。


「踏み込みが鈍いぞ、馬鹿弟子」

「そちらが見誤ったのだろう、眼まで老いたか?」

(……おかしい。今の斬り返しは速すぎる)


 軽口を叩きつつも、カイは思考を巡らせる。

 侍は英霊級に近付いたことで剣鬼の異常性に気付いた。

 身体能力、黒腕、剣才、技量、流儀、それらを勘案しても尚、捉えきれない。

 つまりは、何か気付いていない要素があるのだ。


(そもそも、ゲンハは何故、今になって独角に構えた?)


 ふと根本的な疑問が脳裡をよぎる。

 構えとは剣術において基礎の基礎であり、崩すことはあっても無くなることはない。

 しかし、どのような状態からでも全周囲を迎撃できるのが無念無双の長所なのだ。

 言うなれば、あらゆる状態が構えとなっているのだ。殊更な構えなど必要ない。

 事ここに至って剣鬼が伊達や酔狂に走ったとも思えない。あの構えには意味があるのだ。



「……そうか。それがお前の『英霊』としての姿か、ゲンハ」



 そうして、弟子の辿り着いた結論に、師はにやりと口元を歪めた。


「左様。――“独角剣鬼”、それが儂の英霊たる確信にして核心、“魂の名”だ」


 英霊とは己が魂の名に気付いた存在である。

 名は体を表す。しかし、虚名久しく立たず。実体がなければ名は存在しえない。

 幼き頃は鬼子と呼ばれ、剣を握ってからは不敗の剣鬼と恐れられた男の人生の結晶が、魂がこの構えなのだ。


 独角の構えをとる限り、ゲンハは英霊として数段上の能力を発揮する。

 カイの目でも捉えきれない一刀を放つことすら可能なのだ。


「武神のようにただ在るだけで超人足るなら楽なのだが。ままならぬものよ。

 とはいえ、気付きは合格。では、階梯をひとつ上げよう」


 剣鬼の顔に張り付いていた笑みが消える。

 弟子に初めて本気を見せられるのだ。笑みを浮かべる余裕すら惜しい。


「――八玉四魂よ砕け散れ、“村雨”」


 刀気解放。上段に構えた村雨が、鍔から切っ先へと薄い水の膜を張っていく。

 薄水を纏うその剣はあらゆる抵抗を無視し、あらゆる減速要素を削ぎ落とす。

 ……それだけならば、恐れるほどではない。

 ゲンハの剣の速さと鋭さは、元より最大限の警戒を向けるべきものなのだ。多少強化された所で対応は変わらない。


 問題は次の一手。ゲンハは条件を揃えた。

 村雨を解放し、大上段から落下と捻りを加えて加速させる一刀こそ、剣鬼が半生を賭けて磨き上げた必殺の剣。

 間合いに入った者を必ず斬り殺すという誓い――すなわち心技が、来る。


「受けろ馬鹿弟子――“天霞・阿頼耶(ティエン・シア)”」


 そして、黒腕が魔力を喰って限界までしなる(・ ・ ・)

 全ての関節を解放したその腕は常の二倍近くまで伸長している。

 竜尾の如き斬撃がカイに襲いかかる。


 舌打ちをひとつ残し、カイは間合いの外へ跳んだ。

 だが、背後へと回ろうとする侍を追いかけて、水纏う斬撃の軌道がくるりとくるりと鍔目を返す。

 それは切り返し、霞、あるいは――燕返しと呼ばれる技巧。振りかぶるという動作をなくした途切れのない斬撃を生む運剣の極致である。

 心眼ですら捉えきれない速度で斬撃はひたすらにカイを追いかける。


 つまりは、中るまで追いかけ続けるが故の“必中”。

 最速の継続速度と変幻自在の剣線を持つ剣鬼の秘剣。

 相手を捉えるまで止まらず、間合いに入れば必ず先手を取るあまりにも単純な、しかし、悪魔のような業である。


 カイは足を止めず、薄皮一枚を断たせ、縦横無尽に走る斬撃から逃れていた。

 飽きるほど繰り返したゲンハとの戦闘経験が辛うじて回避を導く。

 だが、それも長くは持たない。

 粛々と歩を進めるゲンハの振るう剣の檻に徐々に追い込まれている。


「……」


 奥歯を噛み締める。こうなることはわかっていた。

 剣速では勝てない。積み重ねた時間を超えられない。であれば、結果は変わらない。

 だが、それでも――


「無間――」

「儂が与えた無の一字。使いこなしておるようだな。

 だが、借り物では勝てぬぞ? その程度で抜けるほど我が剣は柔ではない」


 無間の流儀の下、カイは荒れ狂う斬撃に向かって最後の突撃をかける。

 小手先の技では覆しきれない。全ての速度を一点に集中させる。

 無間の“追い付く”という流儀が踏み込んで斬るという二行動を限界まで圧縮する。


 しかし、それでも尚、直感は死を予測する。

 ゲンハが僅かに速い。一行動による迎撃が先んじる。

 無間が無念無双の分派である以上、同じ領域においては錬度の高い方が勝るのは自明の理だ。


「……負けない」


 それでもカイは諦めない。

 誓ったのだ。クルスが前に立つまで決して倒れないと。あの太陽と約束したのだ。

 ロードとなったクルスはこれから先、更に輝きを増していくだろう。多くの人々を率いることになるだろう。

 だが、光が濃いほどに、影もまた濃さを増す。それは不可避だ。

 そして、この大陸には夜の太陽がいる。もうひとつの刃金がいる。

 彼らに負ける訳にはいかない。決着をつけねばならない。

 夜を終わらせなければならない。

 ならば――


「――俺はこの剣で影を絶つ。届かなかった一歩を踏み越えてみせる!!」


 咆哮をあげた刹那、己の中で何かがかちりと嵌まった音がした。


 武芸に奇跡はない。全ては気付くことによって築かれる。


 その一歩は既に武神との戦いで踏みこまれていた。


 故に――


「――“無間絶影”」


 その瞬間、ゲンハにはカイの剣が加速したように見えた。

 直後に心眼がその認識を訂正する。

 剣速は依然、此方の方が速い。

 だが、カイは剣を振り抜く最中に(・ ・ ・)その身を更に加速させたのだ。



 無間は加速力に作用する流儀である。

 これは相対する流儀であった無明が初速に優れ、無念無想が最高速度に優れるために、加速力で勝負しなければ結果を覆せなかったが故である。


 カイ・イズルハとはいつか使徒(カゾク)を斬る為の剣。その五体はその瞬間の為にあった。

 なればこそ、たかが(・ ・ ・)魔力を失った程度で敗北を許せるほど鈍らではない。

 抜いたのならば斬る。斬れぬことなどありえない。

 たとえ、己が砕けようとも必ず相手の命も奪う。

 それがカイ・イズルハという武の本質だ。


 故に、今こそその躯は閃光となって駆け抜ける。


 師の流儀を離れた(・ ・ ・)無間絶影は最高速度にてさらに加速するという矛盾を体現する。

 原理は至極明快。剣を振り下ろす刹那に更なる一歩を踏み込み、加速する。ただそれだけである。

 戦闘中、猶予は百分の一秒に満たないだろう。下手をすれば限界以上の加速に足が砕ける可能性すらある。

 だが、それらの危険の先に生まれるのは存在しない筈の一歩。

 すなわち、武によって成る、影すらも追い付けぬ二段階加速。


 そして、斬撃中の加速はカイにもう一つの効果をもたらす。


「――ア、アアアアアアッ!!」


 吼える。咆える。喉が張り裂けんばかりに咆哮する。

 剣速で追いつけぬならば、斬撃に自身の速度を上乗せ(・ ・ ・)すればいい。

 ガイウスとの戦いでは命を捨てて全開にした超過駆動を一歩に集約させる。

 肉体と剣技の崩壊ギリギリを綱渡りのように駆け抜ける。


 そうして、刃金は剣鬼に追い付いた。



 ◇



「――――」

「――――」


 剣を振り抜いたまま停止した二人の間を森の風が吹き抜ける。

 落ち葉が舞い、かさりと微かな音を立てた次の瞬間、二人の体が血を噴いた。

 そのままカイは膝をつき、ゲンハは血だまりの中に倒れこんだ。


「……見事だ、カイ」


 結果は相討ち。相殺しあった一刀が互いの肩口を割っている。

 だが、剣鬼の剣は先の剣。相手より早く斬れぬなら、その効果は著しく減退する。

 対する侍の剣は相討ちの剣。互いに斬られる瞬間にこそ最大の効果を発揮する。

 つまりは、相討ちであったからこその逆転であった。


 体内に溜まった熱気を追い出すようにカイは荒い息を吐いた。

 足元を見れば、焼け焦げた轍が地面刻まれ、靴底が融解している。


 瞬間的に限界を超える無間絶影は肉体への負担は少ないが、その分制御は困難だ。その上、二段階目の加速を長く取り過ぎると、途端に剣と体の均衡が崩れてしまう。連発は難しいだろう。

 だが、これでもう一度ガイウスと戦う時でもやりようがある。

 大きな収穫であった。


 気息を整えて立ち上がり、倒れたままのゲンハに視線を向ける。

 加減なく肩口から袈裟に斬り抜いたが、悪運が強いのか、まだ息はあるようだ。


「介錯は必要か?」

「勝手に殺すでない。この程度の傷で死んでたまるかッ痛……」


 悪態と溜め息を吐こうとしてゲンハは痛みに顔を顰めた。

 しばらくは動けないだろう。


「……ハア、それで、刃金の先は、魂の名はみえたか?」

「いいや、まだだ」

「ほんっとにお主は不器用だのう!!」

「だが、無間絶影(キッカケ)は掴んだ。次は届かせる」


 無間絶影――自身の限界を一瞬だけ超えて二段階加速する流儀。

 英霊、ヒトの限界を超えて超人となることへの手がかりとしてはこれ以上はない。


 カイらしい言葉にゲンハは思わず苦笑した。

 巣立っていく子を見送るような優しさと寂しさの同居した皺くちゃの笑みだ。


「そうかえ。なら、さっさと行け」

「治療は?」

「そんなもん自分でするわい」


 老いた剣鬼は年甲斐もなく子供のようにふてくされている。

 相も変わらず負けず嫌いな爺で、カイは少しだけ安心した。


「お世話になりました」

「お主の殊勝な態度なぞ気持ち悪いだけよ。さっさと去ね」

「それもそうだな。……失礼する」


 本気で師を置き捨てて帰還するカイを見送り、ゲンハは寝転がったままゆっくりと溜め息を吐いた。


「……負けた、か」


 カイ・イズルハは相討ちを旨とする剣である。

 使徒同士で全力でぶつかりあえば、その相手が誰であろうと相討ちになるように鍛えた。

 逆に言えば、カイ・イズルハに負ける者は使徒にふさわしい実力がないということを証明している。


『老衰なぞにその命をくれてやるのは惜しい』


 カイも、この体を蝕む老いに気付いていたのだろうとゲンハは思う。

 おそらく自分と第十位(イアル・ワン)はもうカイには勝てない。

 老いた精神と肉体では限界上の綱渡りで、勝敗の分水嶺で差が出る。

 極限状態で相手を打ち倒す為の勝負強さが衰えているのだ。


「やれやれ、もう馬鹿弟子とは呼べんかのう」


 いや、まだいいか。まだまだケツが青いしな。ゲンハは自己完結した。

 去り際の思い詰めた様子だと、またぞろいらんことを考えて遠回りしそうだからだ。


(それもよかろう。真っ直ぐすぎるあ奴は迷うという経験がない)


 英霊とは自己への確信によって構成される到達者の姿だ。

 武神という何をどうすれば成れるかも分からぬ存在を別にすれば、英霊こそが人の行き着く姿である。


 英霊とは“これ以外にない”という確信が限界を超えた力を与えた姿だ。

 最早(・ ・ )水以外を( ・ ・ ・ ・)受け付け( ・ ・ ・ ・)ない(・ ・)衰弱した老躯でもカイと斬りあえるほどに、英霊は人外の力を与える。


 だが、迷ったことのない者に確信はない。

 舗装された道を登るだけの者は頂点に届かない。

 師の教えから離れるとはそういうことだ。


「……そろそろ、儂も潮時か」


 呟く言葉は紅葉していく木々に吸い込まれるように消えていく。


 老いた剣士は己が役目の終わりが近付いていることを悟った。


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