9話:夢想
――白国議事堂
皇都中央区画にあるその壮麗な建物は、教皇を補佐するという名目で実質的な政治決定を行う貴族院を収めた白国の中枢部である。
大聖堂より僅かに背が低いが、面積的には広く作られているあたりに、貴族院と教皇との微妙な力関係が窺える。
ともあれ、昨今の魔物増加による世情の混乱に応じるように、高等級貴族から選出された議員たちは日夜、喧々諤々の議論を経て行政を回している。
平時は己が所領の利益の為に互いの足を引っ張り合い、教皇の頭痛の種となっている彼らであるが、戦時には教皇を中心として団結する意志が具わっている。それが出来ない者は排除してきたからだ。
そして、今は戦時である。
彼らの姿勢は歴史に学んだ結果であろう。
東を青国、西を赤国、南を緑国、北の一部を暗黒地帯に接している大陸中央部の白国は上層部が団結せねば一瞬で踏み潰されるのだ。
本来、その団結こそが彼ら貴族の本懐――平時では喪われかけている彼らの源流たる姿である。
白国建国の神話は、彼らの祖先が初代教皇に愛と忠義を捧げる場面から始まっているのだ。
「――失礼いたしました」
大理石で造られた白亜の議場でクルスは三刻に及ぶ尋問に耐え抜き、一礼と共に退出し、足早に離れていった。
課せられた義務はこれで終わりだ。ようやく一息つくことができた。
戦場とは別種の粘性の圧力に長時間さらされたその身には嫌な汗が至るところから吹き出している。
礼服の上から片腕を吊った固定具が今はひどく煩わしい。
許可なく“ロード”の契約を得たことは本来なら国法に反する重罪、反乱予備罪にあたる。
だが、今回に限ってはひとまず事後承諾という形で済ませる方向で話がまとまっている。クルスが出頭した時には既に『承認待ち』の許可申請が提出されていた事になっているからだ。
(ネロ様が裏で手を回してくれていたようだな)
たしかにクルスは半年以上前に申請を出していたが、先日確認した時はまだ審議はまだ終了していなかった。況や承認など出ている筈がない。
それを誰にも気付かれぬ内に、帰還してからの僅かな時間でネロは承認待ちの段階まで進めておいたのだ。
白とは言えぬやり方はともかくとして、その手際の良さは白国建国以来の影と云うに値する手管であろう。表向き、クルスとネロの間に繋がりはない為、議員たちが警戒することはなかった。
第八位は任務の性質上、表に出てくることはなく、しかも現在は放逐中の身である。大貴族でも通り一遍調べただけではわからないのは、アウディチ家の一件で証明されている。
ともあれ、厳格な法の適用という面では色々と疑問も残るが、こういう時ばかりは己が貴族の生まれであったことをクルスは感謝した。
“F”の六等家と中位なれど、弾劾する議員たちと同じ支配者側の生まれであるという事実は追及の手を大きく緩める要因となった。
仮に、自分が平民であれば――ベガ・ダイシーという前例はあれど――こうも簡単にロードの取得を認められることはなかっただろう。
それほどにロードの権能は支配者層にとって危険性の高い物なのだ。
不特定多数に対する能力強化、それがロードの権能であり、本質である。
場合によっては平民ひとりが騎士ひとりと互角に戦える域の強化を一軍全体に付与することができる。
現に、ベガ・ダイシーや歴代の白国教皇はそれを可能としている。
仮に、貴族側と平民側に同じ数のロードがつけば、絶対数が多い平民側に天秤は傾く。そのとき、貴族達は支配者でいられなくなる。
“君主”の名を与えられたクラスにはそれだけの可能性があるのだ。彼らの危惧は当然であろう。
特に、昨今は革命を声高に叫ぶ者も多い。
クルス達が鎮圧したアウディチ領の革命運動のように白国各地で小規模ながら反乱が起きている。
アルベド・ディミストが扇動している可能性もなくはないが、同時に、魔物の増加による世情の不安に対して有効な手を打てていない領主貴族も少なくない。
特に長らく直接的な戦火に襲われていない白国南部は大陸でみても弱兵の誹りを受けて久しい。
(ペルラさんにはまた迷惑をかけることになるか)
いくらかは南部貴族の依頼を受けなければならないかもしれない。
彼らの溜飲を下げる意味もあるが、民草の安寧を保つ必要もやはりあるのだ。
それは力ある者の義務であるとクルスは規定している。何者も取りこぼさないと決意しているのだ。
(今はカイの傍にいてやりたいというのに)
「――クルスッ!!」
そのとき、ひどく慌てた声音が議事堂の廊下に響いた。
驚いて顔を上げれば、顔面を蒼白にしたイリスが駆け寄って来ていた。
息も絶え絶えな少女の様子からただならぬ事態であることが察せられる。
「どうした、イリス? お前もまだ安静にしていないと――」
「カイがいなくなったの!!」
「なんだと!? ヴァネッサ教官も付いていたのではないのか?」
「起きた所までは確認したらしいんだけど……教官も捜索に出てるけどみつからないの」
クルスの胸元に縋りつくイリスはひどく錯乱している。おかげでクルスは逆に落ち着いた。
イリスの動揺は無理もないことだ。
ガイウスとの戦いでは自分の力不足で――少なくとも本人はそう考えている――カイに命を捨てる戦い方をさせたことにイリスは強い責任を感じていた。
サードアイを起動する間すらなかった自分だが、せめてもっと上手くやれていたらと、そう言って涙を流す様子は見ていて痛々しいほどだった。
他者に尽くすことを愛とする少女にとって、今度の敗北は死よりも辛いことだったのだろう。
ソフィアやクルスの慰めも聞かず、暴走した呪術を抑える封印――未完成で危険性もある施術への協力を迷うことなく承諾するほどに自分を追い詰めていた。
「どうしよう。カイ、ひとりでガイウスに再戦しに行ったりしないわよね?」
「流石にそれはない……と思うが」
断言できないのがカイ・イズルハという男である。
あの侍が剣に懸ける想いは並大抵のものではない。それをクルス達はよく知っている。
落ち込んでいるとか、責任を感じているとかの前にまず再戦の文字が躍る男なのだ。
特に、今回の相手は父親の剣と技を盗んでいるのだ。何があってもおかしくはない。
騎士は思い出す。ガイウスと戦っている時のカイは危うかった――恐怖すら感じるほどに。
背後にいる自分たちですら心臓の止まりかけた程の嚇怒。血と命を燃やして放った二連続心技。
それは人間に出来る限界だ。全てを捨てて、命すら捨てた先にある領域だ。
(……ああ、そうか。これがカイの言っていた“怖さ”か)
クルスは唐突にかつて侍の言っていた怖さを理解した。
自分はカイの姿に恐怖を感じたのではない。
人間は全てを捨てればあの域に届くという事実にこそ恐怖したのだ。
きっと全てを捨てた人間は神からも解き放たれる。それは絶対の孤独に他ならず、何者にもなれない奈落だ。
もしも、そこまでやって使命が果たせなかったら、あとはもう死ぬしかないだろう。たったひとつ、唯一無二とはそういうものだ。
ならば、カイが己が刃金であるという自負すら捨てて、奈落に落ちる覚悟すら抱いて武神に挑んだのは何故か。
『後を任せる』
決まっている。クルス達を生かす為だ。
その為に、真実、何もかもを捨てたのだ。
霊薬でも回復しきれない喪失や変質があってもおかしくはない。
クルスは奥歯を噛み締めた。己の愚鈍さに憤死しかけるほどだ。
「とにかく、すぐに捜索依頼を――」
「その必要はありません」
慌てる二人に冷や水を浴びせるような声がかけられた。
見れば、ブルネットの髪と同色のマントを纏い、腰に銀剣を差した少女―― 十二使徒のひとり、ソーニャ・ワンが佇んでいた。
怪訝な表情を浮かべて近付いてきた二人に対し、ソーニャは丁寧に頭を下げた。
「連絡が遅れて申し訳ありません。兄さん……カイ・イズルハは此方で連行しました」
「はあ!? カイはまだ絶対安静なのに、いったいどこへ――」
「そんな寝言を言ってられる状況ではありません」
頭を上げたソーニャはイリスの言を遮るようにぴしゃりと言い放った。
矢庭にイリスが気色ばむが、クルスはそれを制してソーニャに尋ねた。
「ソーニャさん、カイをどこに連れていったんですか?」
「使徒の訓練用の森です。其処が一番被害が出ないので」
「……戦乱の導が報復に来る可能性があるからですか?」
「肯定です。つい先ほど、第一位が皇都に接近する古代種の気配を捉えました。十二使徒は迎撃態勢に入っています」
自分達は古代種との戦いの中にいる。その事実を思い起こせば、彼らがカイを連れ去った理由も自ずと予想がつく。
クルスは軋むほどに奥歯を噛み締めた。
「……カイを、囮にしたんですね」
「報復ならば兄さんに向かうと考えられます。勿論、兄さんも承諾済みです」
先のガイウス戦の報復ならばそうだろうとクルスも心中で肯定した。
あるいは、分け身が消滅し、大きく弱体化しているネロを狙った可能性も否定はできない。
彼は戦争末期という最高最悪の状況で古代種を裏切った、これ以上ない背信者なのだ。
ただ、カイとネロのどちらを狙うにしても不可解、片手落ちだ。クルスはそう考えた。
本気で報復を狙うならば、自分達が帰還したその日に仕掛けるべきだろう。
数日経ってからのこのこやって来るなど迎撃してくれと言わんばかりだ。
「接近する気配自体が罠の可能性はないんですか?」
「……正直な所、嫌がらせか、此方の反応を窺う為の偵察ではないかと」
「ああ。だから、アンタ達も派手に動けないのね」
ようやく落ち着きを取り戻したイリスがぼそりと呟いた。
少女は気分を切り替えるように起きぬけのまま乱れていた白髪を掻きあげ、お揃いの白紐でひとつに括る。
「あとは、古代種の気配を囮にガイウスを差し向けるとか?」
「有り得ないとは言い切れません」
ソーニャは明言を避けた。
武神級は紛うことなき鬼札だ。この段まで伏せきった敵手の手管には称賛すべきものがある。
元より、あの男を首都に差し向けられれば、四大国の一角といえども消滅、最低でも衰退は避けられない。
試算通りならば、ガイウスを撤退させるまでに国内の英雄、英霊の九割が殺される。
回りくどい手を使わずとも、彼らは人類に勝利できるのだ。
戦乱の導が今までそうしてこなかったことに何も理由がないのなら、明日にでもこの国は滅びかねない。
「そうならないことを願うばかりね」
「……ひとまず御二方の護衛には私がつきます。兄さんとソフィアさんにも他の使徒が」
「ご面倒をおかけします」
「お気になさらず。色々と申しましたが、どうか油断なされぬように。
先日の反動で第一位の感知能力が低下しているのも確かですので」
「大丈夫なんですか?」
カイが、あるいはネロが、それは複数の意味を持つ問いだ。
対するソーニャは、小さく、しかし誇らしげな笑みを浮かべた。
「この程度でどうにかなるような人達ではありません。それはご存知でしょう?」
◇
同じ頃、カイは十二使徒の森で黙々と自己の調律と調息に励んでいた。
鬱蒼とした森の中、耳には秋に向かって緑色を落としていく葉擦れの音が木霊する。
胡坐を組んだ膝の上に載せたガーベラは消耗こそあれ歪みはない。
武神とあれほど斬り合って刃毀れひとつしていないのだ。名刀と呼ぶにふさわしく、この域に仕上げてくれたドワーフの鍛冶士には感謝してもしきれない。
とはいえ、刀の寿命は確実に減っている。いつかは別れの日も来るだろう。
だが、少なくともそれは今ではない。
「――――」
体の調子も悪くない。意識反応はまだ鈍く、若干のズレを感じるが、神経系の再接続はほぼ完了している。
反動を考慮しなければ、一戦闘は常と同じ動きが出来るだろう。
「風声がきたぞ。古代種の気配は適当にうろついて消えたらしい」
とはいえ、警戒は杞憂に終わった。
先に見た夢の時と同じく、十歩の間合いを隔てて立つゲンハは手持無沙汰に肩掛けした羽織を風に遊ばせている。
剣鬼の声は明らかに落胆の色が滲んでいる。
「……やはり偵察だったか」
おそらくは呪術士――ニグレド・ダルグロスの仕業だろうとカイは予想した。
アルベド・ディミストならば他者を洗脳して寄越すだろうし、“戦乱の導”テスラならばそもそも暗黒地帯に居ながらに偵察くらいはこなしてみせるからだ。
かの呪術士が何かしら行動を起こそうとしている前兆には警戒心が湧きたつが、ひとまず当面の危機は去ったとみていいだろう。
「ううむ、お主等が暗殺に失敗した以上、報復に来ると思ったのだがな」
「師の狙いは、武神級か」
「当然よ。武神と相まみえるなぞ千年に一度あるかないかの好機よ」
「……」
たしかに、剣士たるならば一度は武の神に挑んでみたいと望むのは当然だ。
特に、既に老齢に差しかかっている剣鬼にとっては唯一と言ってもいい機会だっただろう。
「で、俺はこれだけの為に連れ出されたのか?」
「そうさな、武神が来んのなら代わりに負け犬を慰めてやろうかの?」
「……」
痛烈な皮肉に、思わずカイは押し黙った。
カイ・イズルハはガイウスに敗北した。
誰にいわれずともわかっている。自分はあの男を、ガイウスを斬れなかった。
力で、技で、経験で劣っていた、それらの差を覆せなかった。
全てを捨てても、相手の命に届かなかった。
先の一戦を思い返す。武神の域に至った男の姿を脳裡に思い起こす。
実戦の中で鍛え抜き、苛め抜いたと思しき巨躯と反応速度。
一撃が致死に届く暴威、魔術や賦活能力による回復を阻む破壊性。
ジン・イズルハ以上に無銘と無明を使いこなす鉄壁の守り。
なにより、絶対的な破壊を齎す神技“破戒無式”。
あの斬撃はまずいと本能が告げている。
直撃すれば、おそらくは一撃で城が落ちる。
もしも、先の一戦で斬り下ろしではなく薙ぎ払いを選択されていたら、全滅は免れなかっただろう。
一応、機動力では此方が勝っているが、それもどこまで通じるかはわからない。
ガイウスは古代種ではない。故に、自分と同じように心臓にかけられた呪術を抑える為に魔力を喪失している筈なのだ。
呪術を起動し、抑えていた力を解放すれば、天秤がどう傾くかわからない。
――勝ち筋が視えない。それがカイの結論だった。
己が出した結論に、狂いださんばかりの悔しさが滲みだし、脳を侵す。
父の剣を使う者に、息子たる己が勝てずしてどうするのか。
もっと強くならねば、もっと、もっと――。
「……随分と堪えておるではないか。本当に慰めて欲しいのか?」
嘆息ともとれる息を吐いて、ゲンハはカイの懊悩を堰き止めた。
皮肉気な様相は消え、後には弟子とよく似た身を斬るような鋭い雰囲気だけが残っている。
「お主に教えるべきことは全て教えた。流儀についても“無”の一字を受け継いでおる」
だがな、と剣鬼はガリガリと白髪の目立ってきた頭を搔きながら告げた。
「真っ直ぐすぎるよ、お主」
「……」
「斬るとは行為だ。だから、そこに終始するお主の剣にはその先の“結果”がない」
「それの何が問題だ? 俺はそう学んで、自己をそう規定した」
「いい加減、先に進めということだ、馬鹿弟子。
――わからぬのなら此処で死んどけ」
ゲンハが肩掛けしていた羽織を脱ぎ捨て、両の黒腕が露わになる。
その羽織は老剣士なりの鍛錬であった。羽衣の如く軽いそれを如何なる瞬間も肩から外さず、常に余裕を失わぬようにと。
その枷は今、この瞬間に捨て去られた。
空気が凍てつく。殺気が圧を増していく。
――“剣鬼”ゲンハ・ザカート
老いて尚、その看板に偽りのない英霊が本気をみせる。
師の羽織を落とした姿を――本気の姿をみたのは初めてだ。
多少の感慨を感じつつ、カイもまた戦意を滾らせていく。
結局のところ、十二使徒は戦いの中でしか語り合えない生き物だ。
慰めの言葉すら剣戟の中にしか存在しない。
「あとはいつも通り、気付くか、気付かないか、か」
「そうだ。おそらく、これが最後の機会、儂が伝えられる最後の教えだ」
最後の教え。その言葉は前に自分も弟子に言ったのを覚えている。
すなわち、“英霊”の成り方、つまりは“魂の名”をみつけるということ。
「気張れよ、カイ・イズルハ。鈍らは死ね」
「……承知した」
数日の寝たきりで鈍った体に喝を入れる。
英霊とは魂の名において自己の存在を確定させ、人間の限界を突破した超人を指す。
老いて衰えたなどという人間の理屈は通じない。
あくまで人極――人間の限界点に立つカイの一歩先にゲンハはいるのだ。
「――ッ!!」
踏み出す一歩目から全力を振り絞る。
師が本気ならばそれに応えるのが弟子の義務だ。
同時に、心のどこかでこの瞬間が訪れることを望んでいたことも理解していた。
だから、笑みを浮かべる代わりに殺気を叩きつける、目前に迫る師と同じように。
徐々に熱を帯びていく躯を駆動させ、カイは一直線にゲンハへ挑みかかっていった。




