8話:白薔薇
いくつもの戦闘痕の残る森の中、踏み固められた下草の地面の上を風が吹き抜ける。
直後、つんざくような刃音をたてて二振りの剣がぶつかった。
相似形を描くふたつの斬撃は、火花を散らして鎬を削り合い、片方が威力に負けて弾かれた。
弾かれたのは小柄な少年――かつての己の姿であった。
「やっぱ才能ないな、お主。いんや、普通の人間が其処まで登り詰めただけでも驚きだが」
地面を転って距離をとった自分に対するは“剣鬼”ゲンハ・ザカート。
十二使徒のひとりにして、剣の師。そして、大陸でも有数の剣士に数えられる天才。
その場を動かず、肩掛けした羽織を風に遊ばせ、からかうような物言いを宣う姿には余裕が窺える。
漆黒に染め抜かれた怪腕は切っ先から雫の落ちる刀を柔らかに保持している。あらゆる瞬間に、あらゆる位置へ斬りかかれるような柔軟な握りだ。
かつての自分は師の隙を見抜かんと傍から見てもわかるほどに意識を尖りに尖らせている。
――負けた時はいつもこの夢を見る。
カイは苦い悔恨と共に思い返す。
使徒たちはそれぞれの得意分野について鍛えてくれたが、わけても剣についてはゲンハから学んだ部分が大きい。
尤も、ゲンハの剣を学んだ訳ではない。剣鬼の技は独剣。人外の怪力と柔軟性を両立したその特異なる黒腕を持たぬ他者に真似できるものではない。
それでも、ゲンハとの戦いの中で得た経験が無間の習得に繋がり、現在の戦術を確立させたことに変わりはない。
カイ・イズルハの剣は理によって成る。
骨の密度から筋の一筋まで鍛えた肉体を駆使し、最高速度の歩法を取り、合理的な気息と体捌きで体を運び、力の伝導、斬り込む角度、対応状況等を勘案して正確に計算通りに斬り込む。
直感と経験によって意識せずともそう斬れるように技を体に刻みつけた。
そんな歯車を組み合わせたような理の剣だ。
鍛錬に費やした五歳からの十年間、血反吐を吐かなかった日はない。肉体は何度も死んで、その度に再生された。
結果、心技体をひとつにまとめ、理論上、人間が出せる最高速度、最高性能にまで叩きあげたのだ。
だが、その域まで鍛え抜いて尚、カイの剣は人間の範疇でしかなかった。
間合いに飛び込んだ自分を、片手水平に構えられたゲンハの一刀が迎撃する。
起こりを読まれていた。防御の空いた瞬間を衝かれた。
刀身がゆらりと霞んだと思った次の瞬間には弧を描いた一閃が胴に直撃している。
刃筋を立てていないとはいえ、完璧に後の先をとって十分な速度を具えた鋼を叩きつければ、それは凶器といえるだけの威力を持つ。
当然のように肋骨は粉砕され、吹き飛んだその身は元いた位置へと墜落した。
ゲンハは生まれついての“剣才”と大剣すら片手で振れる“漆黒の腕”を持っていた。
世の剣士が理不尽を訴えるほどの天与の才、英霊に届く才能の両輪であった。
ゲンハにのみ与えられた才能は、ゲンハにしか振るえない独剣を作り上げた。
つまりは、剣の師としては甚だ不適当という他ない存在なのだが、それでもかつての己は喰らいつくように師に挑み、目指していた。
剣鬼はそんな自分をからかうように、しかし、手抜かりなく痛めつけた。
教えを受けたことなど数えるほどしかなかった。
ただ、この日だけは少しだけ様相が異なったことが強く印象に残っている。
「こんなもんか。まあ、これならそこら辺に転がる天才くらいなら狩れるだろう」
さらに数度の剣戟を重ね、ついに膝をついた自分を見下ろして、ゲンハはそう言った。
常のからかうような調子はなく、老いて尚、鋭い眼光には初めて見る類の光があった。
「師の言う天才とは何だ?」
「お主が十年間一日たりとも休まず鍛錬して身に付けた技量をひょいと身に付けるような奴のことだ。儂みたいにな」
その言葉は自嘲するような、誇るような、どこか不思議な声音だった。
「なら、問題ない」
だから、自分はそう答えた。
「……ほう、その心は?」
「身に付く、身に付かないの段階における差ならば、実戦で挽回できる」
「そう上手くはいかんよ」
皺の目立ってきた口元に笑みを浮かべて、ゲンハは一刀を上段に構えた。
“独角の構え”、剣鬼の唯一つの構えだ。
「戦いに勝つならば武を磨け。殺し合いを制すならば頭を捻れ。馬鹿弟子よ、研鑽することをやめるな。己を研ぎ澄ませ。さすれば修羅の道は開かれよう」
言葉と共に、剣鬼はその日初めて前へと歩を刻んだ。
一瞬の遅れを自覚しつつも、自分は動かぬ体を無理矢理に跳ね起こして地を蹴った。
待ちに徹していては負ける。それを本能で察したのだ。
「先達としてひとつ教授する。よく見ておけ、馬鹿弟子」
瞬間、掲げた一刀がかき消えた。
気付いた時には既に胸を断ち割られていた。
数拍の遅れの後、思い出したように開いた傷口から鮮血が舞い、木々を赤黒く染めていく。
「足を止めるな。お主はまだ先がある」
その言葉の意味を、自分はまだ知らない。
◇
懐かしい香りが鼻孔をくすぐった気がして、カイは無意識に瞼を開いていた。
ぼやけた視界に天井が見える。ベッドに寝かされているのだろう。
ガイウスとの戦い以降の記憶が断絶していることから自分が何年かぶりに意識を失っていたことを自覚する。
不思議と痛みは感じない。しかし、常なら跳び起きる筈の体が、戦闘状態を保つ筈の意識が、ひどく鈍い反応しか寄越さない。
焦りを感じつつ、緩慢な動きで首を巡らせる。
窓の外には皇都の景色がみえる。となれば、中央区の施療院だろうとあたりをつける。
「……先程のは聖花の香りか」
目が覚めた時には消えていたその香りの元に思い至る。
聖花は白神の聖地“聖なる丘”にのみ生えている一年花である。
仄かに花びらを輝かせたその花は白神の加護により枯れることなく咲き続け、貴重な霊薬の材料となる。
元より、触れただけであらゆる病を癒し、ひとたび口づければ死者すらも甦らせると謳われた白神、その恩寵深き聖地に咲く花である。
成長自体はかなり遅い為、採れるのは一年に数輪だけだが、錬金術によって精錬された一輪一輪の花が確実にひとつの命を救っている。
それがまさか自分に使われる日が来るとはカイも思わなかった。
霊薬を必要とするのは主に不治の病のような治癒術式や再生魔法の効かない症状だからだ。
「起きた、カイ・イズルハ?」
その時、慎ましいノックに控え目な言を添えてハーフエルフの女性が病室に入ってきた。
億劫そうな話し方と三角帽子から零れる緑髪は学園の教官のひとり、ヴァネッサ・アルトレングスその人だ。
「ヴァネッサ教官、此処は皇都では?」
「貴方の呪術を抑える為に呼ばれた」
「……なに?」
訊けば、死にかけたことで枷が緩んだのか、心臓にかけられた呪いが起動しかけていたらしい。
今更ながらに冷や汗が流れる。
己ひとりの事なら諦めもつく。が、呪術が起動してこの皇都で暴走していたならば、その被害は計り知れないものになっていただろう。
「かなり危うい状況だった。出血死寸前なのに再生魔法は効かない上、呪いまで暴走しかけていた。施術に成功したのは奇跡」
「教官がいて尚、それ程か」
白神信仰の総本山である皇都のクレリックの腕は大陸随一だ。幾度となく再生魔法をかけられた経験のあるカイは彼らの腕を身を以て知っている。
そんな彼らと呪術研究の専門家であるヴァネッサがいて尚、奇跡というほどの施術難度であったということを鑑みれば、どれだけ危険な状態だったのかも察せられる。
よく見れば、ヴァネッサの目下には深い隈が刻まれている。
高位クレリックとはいえ皇都ならばある程度の代えが効くが、カイにかけられた呪いに対抗できる呪術研究者はヴァネッサ以外にはいなかったのだろう。
「かたじけない」
「依頼だったから。それに、その子がいなかったら、たぶん駄目だった」
目を伏せて礼を告げるカイに、ヴァネッサは仕切り代わりのカーテン開いて見せた。
隣のベッドに寝かされていたのは肩口の治療痕も生々しいイリスだ。
静かに眠る少女の顔色は青白く、カイを不安にさせた。
「何故、イリスが?」
「貴方の中の呪術を抑える為にこの子の血を使った」
「血を、使った?」
「……貴方の胸に」
ヴァネッサの視線に従って、カイは前留めの釦を外して己の胸元を開いた。
そこには、心臓の位置を中心に傷痕を上書きするかの如く刻印術式が描かれていた。
イリスの血と霊薬を混ぜたと思しき術式は、上下左右に配された四つの小円とそれらを結ぶ四本の線で構成されている。
おそらくは『封印』に類する術式だろう。
「古代種達は呪術を受けても正気を保っている。だから、その血を使えば、呪いの発動を“誤認”させることが出来る」
呪術は同一性のあるモノ同士の関連性を利用して術式の効果を伝播させることが出来るという。
カイの心臓が他に呪術を受けた者が近くにいると不快な感触を寄越すのもその性質によるものだ。
ヴァネッサは『相似共鳴』と名付けたその性質を逆手にとり、血文字の封印を介して呪術の読み取るカイの肉体情報を古代種であるかのように偽装したのだ。
「ネロでは、純血の古代種では駄目だったのか?」
「確実に貴方の体がもたない」
「成程、だからイリスか」
「……封印は呪術の状態を安定化させるもの。今回のような不意の起動は抑えられる。
けれど、油断しないで。封印は研究途中の当座のもの。端的に言って未完成」
「了解」
カイの返答を聞いて、ヴァネッサは大きく息を吐いた。
元より、人付き合いと口数の少ない女性である。ここまで長く話したのも久しぶりの事なのだろう。
「貴方の体はすごい。並の英雄級なら三回は死んでいる。長く生きたエルフでもここまで鍛えている人はいない」
ハーフエルフの言葉に籠っているのは紛れもない感嘆であった。
完璧な肉体、骨格、内臓、神経系。細胞のひとつまで手を加え、ヒトの限界まで鍛え抜いた人造の鋼。
その域まで鍛えた肉体でなければ呪術の反発で心臓が停止していた。
現状でも、カイの心臓はいつ限界を迎えても不思議ではない。それほどに呪術を抑え込むというのは難事なのだ。
「でも、それ故に歪すぎる。戦う為の機能が生体器官を圧迫している。いつかツケを払う日が来る」
「だが、それは今ではない」
「……そう。愚問だった。カイ・イズルハは死ぬまでそうなんだ」
溜め息をつき、その次いでとばかりにヴァネッサは懐から診断結果を取り出した。
「前にも言ったけど、呪術の解除は、実際に呪いが起動した状態で行わなければならない。
だけど、貴方の身体と精神が呪術の起動に耐えられるかは未知数、分は悪い」
「……」
それはカイ自身感じていた事だ。
いくら死にかけたとはいえ、呪術が勝手に起動するなど今までなかったことだ。
少しずつ呪いが強まっているのだ。いつか、抗しきれない日が来るのかもしれない。
「肝に銘じておく。クルスとソフィアは?」
「クルスは貴族院に出頭中。許可なく“ロード”の権能を使ったから。
ソフィアはローザ学長に呼ばれて先に学園に戻っている」
「そ、れは……」
驚きに声を挙げようとしてカイは咳き込んだ。
起きがけに負担をかけすぎたのか、声帯に僅かに痺れが走る。
「まだ繋ぎ直した神経系が安定していない。二刻後にまた来る」
あまり負担をかけるべきでないと判断したのか。ヴァネッサはそれ以上は何も言わず部屋を去っていった。
小さく軋む音を立てて病室の扉が閉まる。
ヴァネッサの気配が離れていくのを確認して、カイは未だ混乱の残る頭を枕に戻し、目を閉じた。
(学長は何故、今になってソフィアを呼んだ?)
ローザ・B・ルベリアという人物について、カイも多少は知っている。
教皇エルザマリアの近衛と後見という役職と地位を介した職務上の繋がりがあったからだ。
厭世的ではあったが、冷静かつ合理的な人物であったと記憶している。学園の経営や九歳という異例の若さで教皇になったエルザマリアへの政治的支援においても優れた手腕を発揮していた。
学園に入る際の、身元の保証を頼める程度の信用もあった。
だからこそ、不可解だった。
カイの知る限りにおいて、ローザ・B・ルベリアとソフィア・F・ヴェルジオンには関係性が見受けられないのだ。
瞼の裏で意識を集中し、気力を全身に巡らせる。
読心を持つソフィアに搦め手は通じない。仮に戦闘になってもウィザード同士の戦闘ならばそうそう後れは取らない。
今はとにかく、相手が誰であれ、足手まといになるおそれを除かなければならない。
手足の先に温度が灯る。活性化した神経系が痛みと痺れを寄越す。
動ける、とカイは認識した。
現状で常の六割は発揮できる。それだけ動ければ十分だ。いつでも行動に移れるのだが――。
「此方の用事が先、か」
鋭さを取り戻した意識は近付いて来る見知った気配を感知していた。
「……カイ?」
暫くしてイリスが目覚めた時、カーテンの向こうには空のベッドだけが残されていた。
カイの姿はどこにもなかった。
◇
きしり、と百年を数える床板が微かに鳴いた。
外観よりも明らかに長い廊下をソフィアは進んでいく。
学園の中心にありながらローザ・B・ルベリアの屋敷は異様なまでに静かだった。
学園は今、空前の魔物討伐依頼の大量発注にどこもかしこも大騒ぎになっている。
だが、一歩でも屋敷に入った途端に外界の騒音は届かなくなる。
屋敷を覆う結界の効果だ。ソフィアの眼でも正確な構成は読み取れない一流を超えた腕である。
常のソフィアならば、結界の高い完成度に目を輝かせて構成を読み解かんと躍起になっているだろう。
だが、とてもではないが、今はそんな気分にはなれなかった。
(……何もこんな時に)
表情にこそださないものの、ソフィアの心中には厚い靄がかかっていた。
カイの施術は完了し、峠は越したと伝えられてはいるが、三日に及ぶ大手術だったのだ。
無事とはわかっていても、危険だからと遠ざけられても不安にもなろう。
少女は心中の懊悩を隠して四半刻は廊下を進み続ける。
そうして、ようやく辿り着いた最奥の扉を意を決して叩いた。
「ソフィア・F・ヴェルジオン、参りました」
扉を開けた先は書斎になっていた。
左右に本棚が配され、控え目に調度品が飾られた品の良い部屋だ。
その奥で、この部屋の主は窓を背にして安楽椅子に腰かけている。
ゆったりとした銀糸のドレスと床まで垂らされた銀の長髪、胸には白薔薇を象ったブローチ。
目を閉じ、憂いを秘めた儚げな美貌は三十代半ばにしか見えない。
“聖賢の杖”ローザ・B・ルベリア
ルベリア学園の創設者であり、二百年前に初代本部長の直属としてギルド連盟の基礎を作り上げ、現教皇エルザマリアの後見をも務める白国に名を轟かせる女傑。
本来ならば、ソフィアが差し向かいで拝謁することなど有り得ないほどの大貴族である。
同時に、曲がりなりにも貴族であるソフィアは、招かれれば無視することはできない。
「こんな時に呼んで迷惑だと思っているでしょうね」
ソフィアが扉を閉めると同時、ローザはひどく穏やかな声音でそう告げた。
予想とかけ離れた女傑の姿に心を乱されたソフィアはにわかに慌てだした。
「いえ……あの、ローザ様、わたしの読心については?」
「存じています。この屋敷に対策も施してあります」
「そ、そうですか……」
思えば、こういった場は兄に任せてばかりだったとソフィアは自身の怠慢に後悔していた。
そんな少女の内面を見抜いたのか、ローザは早速本題に入った。
「“未来”の話をしましょう」
「……」
ソフィアの動きがぴたりと止まる。
未来、という言葉はローザとそれ以外の者が言うのでは意味合いがまったく異なる。
この大陸でたった二人だけの『予知』の権能の保有者であるローザにとって未来とは確定した事実に等しい。
「本来なら、衰弱した私ではもう予知を視ることは出来ないわ」
「……無茶をされたのですね」
「そうなるわね。限界も近い。おそらく全てを伝えた後は暫く眠りにつくでしょう」
「なぜ予知をわたしに告げるのですか? もっと適切な方がいらっしゃるでしょう」
「貴女にこそ伝えねばならないの。それが私の役目だから」
「……」
ローザの強い言葉にソフィアは秘かに唇を噛み、無言で先を促した。
「二百年前、私は先代の封印に師事していた。彼が封印となる姿をこの眼で視たわ」
ローザ・B・ルベリアは紛うことなき英霊級である。時代が彼女を英霊に押し上げた。
ローザが生を受けた時、パルセルト大陸は四大国の激突と魔物の大侵攻により混乱と混沌の極みに達していた。
そんな時代に貴族として、民草を守り、陣列に連なる者としてローザは時に魔物と、時に人と戦った。
万の返り血を浴びて、数多の英雄と英霊を打ち倒して彼女は英霊となり、戦乱の時代を終わらせた一人となった。
そんな彼女の師といえば、それはただ一人の事を指す。
――アルバート・リヒトシュタイン
ギルド連盟の創設者にして初代本部長、大陸通信網を作り上げた稀代の発明家にして開拓者。
そして、戦乱の終わりと同時に行方不明となった謎多き人物である。
「聖性保持者、神に愛されし者、あなた達は強大な魔力と引き換えに天命を負う。
わかっていた筈なのに、知っていた筈なのに、私達はあの人の為に何もできなかった」
「……」
「あの人の聖性は創ることに特化していた。戦う力なんてなかった。だから、誰も彼が最前線に向かったなんて思わなかった。私の予知だけが暗黒地帯に進んだ彼に追いついた」
ローザは立ち上がり、ゆっくりとした足取りでソフィアに近付いていく。
その両目は閉じられたまま、不思議な緊張感が部屋を支配している。
「封印となる彼を視て、虐殺に走ったテスラを視て、私の視界はその先に在る【神】に届いた」
「それが、魔神なのですね?」
「ええ。この学園はギルド連盟を真似て作ったもの。いつか次代が現れた時、その誰かの力となる為に。
その役目は本来、貴女ではなかった筈。魔神が封印を破るには――次代の封印が必要とされるまでには千年単位の時間を要する。
少なくとも、古の戦争から先代までの間に封印となった聖性保持者はいなかった」
「……戦乱の導が封印を解除しようとしているのですね」
魔神に連なる呪術を使える彼らならそれも可能だろうとソフィアは予測した。それだけの能力が彼らにはある。
「そして、それは遠からず成功する。先代が封印となってから二百年。
本来なら、次代が必要とされるまで八百年の猶予があった筈。
その猶予がなくなった。魔神は復活する。封印を必要とする。
貴女が選ばれる未来を私が視たことが、逆説的に彼らの成功をも確定させている」
ソフィアの目の前まで進み出たローザが閉じていた目を開けた。
「三日前、貴女が暗黒地帯の中心部に到達したその瞬間に、彼らはきっと最後の一手を確定させた。魔神の復活を確定させた。
だから、貴女が選ばれた。――それが、私の最後の予知」
「なぜ、最後と――ッ!?」
顔を上げ、ローザを直視したソフィアは気付いた。
教皇直系にごく近い血筋を示すローザの銀の瞳には光が灯っていない。
二百年以上に渡って予知の権能を行使した負荷により、ローザは光を喪っていた。
「今後、どれだけ予知を行使しようと、それを受け取る視覚がないのではどうしようもないわ」
「ローザ様……」
ローザの予知は確定した未来を視る。
暗黒地帯中心部に踏み込んだ時、ソフィアの未来もまた確定したのだ。
「私には視えるわ。貴女の未来が、視えてしまった」
「わたし、は……」
「貴女も視た筈、感じていた筈、彼岸の世界で、原初の海で」
そうだ。自分はずっと前から識っていた。
何度となく夢の中で垣間視ていた。
原初の海とそこに沈む黒い影。
あの影こそ、魂を貪る魔神に他ならない。
己の魂は、夢は、既に魔神を認識している。
「――【魔神】を封印する為の礎、それが貴女の天命です」