表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
刃金の翼  作者: 山彦八里
四章:天の風
109/144

幕間:痕

 かつり、かつりと硬質な足音が重く低く響く。

 古代種の神殿内にて、金布の御座に頬杖をついたテスラは血塗れで帰還したガイウスを迎えていた。

 清浄な空気を保っていた広間を男が纏うむせぶような血臭が侵食する。


「どうだい? 今代の人間は中々に刺激的だったろう?」


 この場に座したまま何らかの方法により戦況を視ていたのだろう。

 ガイウスを指さして問いかける少女の姿には確信が見て取れる。

 少女の言う通り、目的こそ果たせなかったもののカイ達の戦果は驚くべきものがある。

 絶対的な技量差を覆し、彼らはガイウスを傷つけ、あまつさえ本人ですら久しく忘れていた死を思い出させたのだ。


「特にカイ・イズルハはキミと同じ呪術を抑え込んだ存在だ。

 いや、キミの特殊性を考慮すれば、彼こそが人類初だといえるのかな?」

「――――」


 ガイウスは答えず、無言のままに手に持っていた物体を放り投げた。

 びちゃり、と音を立ててテスラの足元に落ちたのはガイウス本人の左腕だ。

 手甲ごとカイに斬り落とされたそれは白色と赤色の混じった断面を晒し、飛び散った血がむき出しのテスラの白い足を斑に汚す。


「ふむ、繋げればいいんだね?」


 血の汚れを気にも留めず、男の心中を読み取ったテスラが指を鳴らす。

 すると、その仕草に応じるように少女の影から黒い腕がずるりと這い出てきた。

 少女自身の腕に似た細長い繊手であり、液体に近いぬめるような表面を影色で染め上げた、蛇のようにも、泥のようにも見える腕だ。

 その影腕は地面を這って転がされたガイウスの左腕に辿り着くと、おもむろに掌を拡げて左腕を呑み込んだ。

 そのまま数秒、骨を砕く音はせず、じゅぐりと液体が沁み込む様な音を最後に捕食は完了した。


 そして、影腕はガイウスの部品を呑んだまま男の足元まで這いずると今度は未だ血の滴る断面に飛び付いた。

 噛みつくように、繋がるように影腕が断面を覆う。

 己の魂を改竄される嫌悪感に、ガイウスは僅かに顔を顰める。

 テスラの権能は断じて治癒や再生の類ではない。

 断裂したガイウスの腕の部品同士をテスラの“影”で繋ぎ合わせ、脳と魂に影も肉体の一部であると刷り込ませることで機能を回復させているのだ。


 敢えて明言するならば、少女のそれは寄生か――侵食というべきであろう。


「そら、繋がった。しばらくは違和感が残ると思うけどじきに慣れるさ。魔力の通りも良くなったけど……キミには関係ない話か」

「――――」


 ガイウスは応えず、僅かに黒色を増した左手を何度か握って調子を確かめる。

 呪術を抑え込むのと引き換えに魔力を喪失する。それは神域に至ったガイウスにも適用される法則だ。

 狂った刃金は武神であるが、魔神もまた神なのだ。


(尤も、キミがその気になれば呪いを“破壊”することも可能なのだろうね)

「胸の傷は消さなくていいのかい?」


 テスラは愉しげな笑みでガイウスの胸に刻みつけられた痕を指摘する。

 それは親指の先ほどの小さな痕だ。鋭さ故にか、血は殆ど流れていない。

 しかし、ガイウスの金城鉄壁を突破し、鎧を貫き、あわや心臓を貫きかけた一撃の残滓だ。


「必要ない。この傷はオレの不覚、敵の誉れだ」

「……そう、カイ・イズルハはキミの敵なのか」


 敵、とガイウスは明言した。

 この男に敵はいない。全ては破壊する対象でしかなかった、今までは。

 敵とは苦難であり、超えるべき試練である。

 驚くべきことに、この男は神域に行き着いて尚、成長する余地があるのだ。


 テスラはガイウスの反応を楽しむかのように、男の鎧に付着した返り血を細い指で拭いとり、ちろりと伸ばした舌先に載せた。

 そのまま、戦いの残滓をも味わうかのように少女の喉が艶めかしく蠢き血の塊を嚥下する。


 数瞬の後、古代種の王は満足気に吐息を零した。

 そして、見上げるようにして武神の黒瞳を捉える。


「彼らは神域(ボクら)に届くかな?」

「……オレは神を破壊する。然れば、奴らが届いたその時に破壊するだけだ」


 陰気で、罅割れた、しかし厳然たる声が神殿内に響く。

 ガイウスは暗にアルカンシェルがそうなる可能性を肯定した。


「見逃したのはその為かい?」

「……」


 紅い唇が三日月に歪み、少女の顔に淫靡な笑みが浮かぶ。

 主の歓喜を受けて神殿内に蠢く影もまた不気味に揺らめく。

 それは紛うことなき捕食者の姿であった。


 古代種は生まれついての精霊級であり、成長しない、子を為さない――と言われている。

 しかし、現にルベド・セルヴリムは人との間に子を為し、また、かつての戦争に於いて竜種へと変じた古代種も生殖能力を獲得している。

 古代種は――決して高い確率ではないのだろうが――ヒトや他種族と同様に変われるのだ。


 そして、テスラもまた古代種の可能性を体現している。

 捕食と侵食、それこそがテスラの持つ古代種としての権能である。

 他者の情報を取り込み、魂を書き換え、自他を強化する。

 最後の古代種は、遂に己が種族の限界を超えてみせたのだ。


「ふふ、楽しみだ」


 テスラの目には最早、他者の姿は正常に映らない。

 二百年以上の時をかけて多くの魂を取り込み、元の形を忘れるほどに改竄し尽した結果、少女の裡に他者との境目は無くなった。

 数多の魂はさながら空と海が交わるが如く、世界に等しき器を少女に与え、代わりにテスラという個を奪った。

 今はまだ肉体が容となって少女の精神を再現しているが、それも果たしていつまでもつか、本人ですら予測できない。


「もうすぐ、もうすぐだよ、先生。ようやくボクは貴方の居る世界に踏み込める」


 うわ言のように呟かれる言葉は果たして誰に宛てた物なのか。

 分身を作らねばこの広間から出ることすらできない少女は何を思うのか。


「キミの“熱”を食べた時こそ、ボクはきっと魔神に届く。そうだろう?」


 不気味に踊る影の中心で夜の太陽はただ嗤う。

 たったひとつの目標の為に全てを捨てたその身を、色のない欲望が彩る。


「……」


 ガイウスはそれ以上は何も言わずにその場を辞し、常のように朽ちた神殿の入り口に立った。

 曇天の下、襲撃前と変わらない番人たる姿だ。

 だが、その心中まで不変であるかは余人には到底伺い知れない。


 背に負った無銘は何も云わない。

 前の使い手の剣筋も、手管も、技術も何もかもをあるがままに伝える長剣は、しかし、己に手傷を与えた相手が何なのかは教えない。


「……カイ・イズルハ」


 心中に浮かぶのは己の片腕を断ち、心臓に刃を突き立てんとした刃金の姿。

 自分と同じく呪術を抑え込むことに成功した同類。


 研ぎ澄まされたあの刃は果たして何を斬る為のものなのか。

 何を望み、何を捨て、何の為に頂きへと登ろうとしているのか。

 無銘は何も云わない。


「貴様も神を目指すのか?」


 問いに、答えはない。


 ――この大陸には五色の神がいる。


 古代種の伝える記憶に於いて、五柱の内、三柱は元は人であったのだという。

 赤神と弓の腕を競った古代種がいる。

 戯れに白神に魔法を分け与えた古代種がいる。

 そして、黒神と殺し合った古代種がいる。

 彼らの肉体が失せ、彼岸の世界にてひとつの法となった時、古代種の敗北は確定したのだ。


「……」


 男の顔が怒りに歪む。刻まれ固定された皺がぎちりと音を立てる。


 ガイウスという男は正真正銘の人間である。古代種の敗北も絶望も男にとっては関係のない話だ。

 そして、鍛え抜かれたその身にはかつて赤神と黒神の加護が宿っていた。


 今はもう喪われている。


 男の魂に残ったのは神を壊す為の刃金、唯一つ。

 それ以外の全てを捨てた。

 神を破壊する、それだけが男の望み。

 神へと至る者がいるのなら、ソレも破壊し、次の神を破壊する為の糧とする。

 その身はその為だけに駆動する狂った剱である。


 乾いた風が傷だらけの頬を撫でる。

 遠くで魔物の咆哮が響いている。

 男は無言で無銘を引き抜いた。


 胸の傷は血を流さず、ただ小さな斬痕だけが残っていた。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ