表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
黒瀬によれば、これは純愛らしい。  作者: 柊ナツキ
第2章『世界の音量を下げる』

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

17/17

第6話 飯でも飲みでも、監視でも

 

 追いポータルで胃もたれしかけたところに、肉盛りが届いた。

 鉄板の上で肉がじゅうじゅうと音を立てている。ソースの匂いが立ち、橘の機嫌がかなり回復した。


「来たよ、人類の勝利!」


「肉への信頼すご」


「肉は人を裏切らない。焼き加減ミスる人間はいるけどね」


「哲学っぽいのに全部食い物」


 橘は肉を口に入れた。

 この前の唐揚げとは違い、黒瀬が選んだものではない。自分で選び、自分で食べた。唐揚げも美味かったが、それとはまた違った良さがある。


 肉を食べている間にもスマホへの通知は積もっていく。けれど今の橘は、その音を少しだけ遠くに置けている。


 佐伯がいるからだけではない。肉があるからだけでもない。

 今この席が、黒瀬の言葉で満たされていないからだ。


「てか橘、これ食う?」


 佐伯がポテトの皿を寄せてから、ワンテンポ遅れて「あ」と顔を上げた。


「ごめん、さん付け忘れた」


「別にいいよ。湿度なければ」


「じゃあ湿度ゼロでいくわ。橘」


「名前呼ぶだけで除湿宣言すんのウケる」


 佐伯は普通に笑って、ポテトをつまんだ。


 黒瀬の「める」とは違う。

 同じように短く呼ばれても、佐伯の声には保存する気配がない。呼んだそばから次の話題へ流れていく。


「橘ってさ、黒瀬くんのこと何枠に置いてんの?」


「事故物件枠」


「住んでるじゃん」


「住んではない。たまに上の階から水漏れしてくるだけ」


「退去しなよ」


「たぶん敷金返ってこないし、勝手にリフォームしてくる」


「本物の事故物件じゃん」


 佐伯は笑った。

 核心に触れそうで、すぐにふざける。そういう逃げ方ができる男である。


「でもさ、嫌いなら相手しないタイプ? なんか橘って、本気で嫌だったらツッコむことすらしなそう」


「嫌いだったら視界から消してる」


 橘は言ったあとで、しまったと思った。

 この言葉を本人に聞かせたら終わる。絶対に保存される。勝手に記念日になる。


 だが佐伯は、ただ軽く流しただけだった。


「じゃあ事故物件だけど、まだ退去届は出してないんだ」


「勝手に住まわせんな」


「ごめん。外から見てるだけ。玄関の時点で圧強そうだなーって」


「それもう怪異で草」


 佐伯はそれ以上、聞かなかった。

 何事もなかったように話題を変えて、またポテトをつまむ。

 その軽さが今の橘にとっては楽だった。


 そのまま食事は普通に終わった。

 今度こそ、佐伯は本当に奢った。


 ◇◇


 店を出ると、夜の駅前には人の流れと信号の音がごった返していた。


「ごち。サンキュー、まさき」


「どういたしまして。リベンジ成功ってことで」


「この前よりは普通の飯でよかったわ」


「俺の財布は今ちょっと反省会してるけどね」


「いい経験になったじゃん。財布の育成捗るね」


「財布に体育会系の成長求めないで。でも、また飯行こ。次も猫男抜きで」


「それがいちばん難しいんだよな」


「確かに」


 佐伯は笑いながら軽く手を振って、人混みの方へ消えていった。


 橘は暗い駅前に一人残される。外の空気は店内よりも冷たかった。

 肉の匂いも、佐伯の軽い声も、店の明るさも、扉の向こうへ置いてきたみたいだった。


 さっきまで笑い声に紛れていたスマホの振動が、一人になった途端、やけに近くなる。


 画面を見ると、授業支援システムの通知が縦に並んでいた。スマホを伏せていた間にも、少しずつ増えていたらしい。


 確認。

 追加確認。

 食事。

 水分補給。

 帰宅予定。

 補足。


 件名だけなら、どれも課題連絡のように見える。だが、本文を見れば全部黒瀬だった。


『どこ』

『誰と』

『何を』

『水』

『いつ』

『返信』


 そして、最後の一通。


 件名:無題

『める』


 確認ですらなかった。

 件名も目的も投げ捨てて、名前だけが残っていた。


「大学のシステムで呼ぶな」


 橘はため息をつく。もちろん、そんな独り言に返事があるはずもない。

 そう思った瞬間、背後から声がした。


「楽しかった?」


 振り返ると、黒瀬がいた。

 彼は人混みに混ざっていなかった。かといって、隠れていたわけでもない。

 ただ、流れていく人間たちの外側に一人だけ止まっていた。


 駅前の喧騒が、彼の周りだけを避けているみたいに。


「……じぇに」


「楽しかった?」


 ただ静かな声で、同じ質問だけを置いてくる。

 橘は少し黙ってから答えた。


「まあ、普通に」


「そっか」


 黒瀬はそれだけ言った。


「ついてきたの?」


「店には入ってない。外のメニュー表を見ていた」


「セーフに寄せようとしてもアウト寄りのアウトだよ。何してんの」


「君が返信しなかったから」


「返信しない権利がある」


「あるよ。でも君が返信しない間にも、君は誰かと話して、食べて、笑っていた」


「普通のことだろ」


「普通だね」


 黒瀬は、橘の言葉を否定しなかった。

 否定しなかっただけで、納得した声ではない。


「相手が男なのが嫌じゃない、とは言わない」


 黒瀬は、橘のスマホを見なかった。


「でも、それ以上に」


 画面ではなく、画面の向こうへ行って帰ってきた橘の顔を見ている。


「短い文章って、便利なんだね。君を僕の知らない場所まで運べる」


 橘は一瞬、返す言葉を失った。

 言っていることは意味不明なのに、黒瀬の中ではおそらく筋が通っている。


「あんた、だいぶ末期だよ」


「そうかもしれない」


「認めんな」


 黒瀬は、駅前の音へ視線を流した。

 改札のチャイムや誰かの笑い声がばらばらの方向から流れてくる。


「でも、文字は遅い」


「は?」


「君が見なければ、そこで止まる」


 橘は嫌な予感がして、すぐに答えられなかった。


「音は、勝手に届くんだね」


「……また変な学習してんな。今すぐ忘れろ」


「無理だよ。君が見なくても届くものがあるなら、僕はそれを無視できない」


「だから末期だって言ってんの」


 黒瀬はそれ以上、何も言わなかった。

 沈黙がまた変な方向に重くなりそうだったので、橘はわざと軽く言う。


「肉うまかったし」


「肉」


「唐揚げじゃないから安心しろ。比較対象増やすなよ」


「僕は肉にもなれない」


「肉より先に人間になるとこから始めろよ」


 黒瀬はそれきり何も言わなかった。


 橘はため息をつき、駅の方へ歩き出す。


「帰る。今日はこれ以上あんたの湿度浴びたらカビるわ」


「……わかった」


 意外にも、黒瀬はあっさり引いた。背後から追ってくる足音はない。


 橘はなんとなく、スマホを見なかった。

 その代わりに、駅前のどこかで鳴った通知音だけがやけにはっきり耳に残る。

 黒瀬もきっとその音を聞いていた。

 次に彼が持ち帰るものは、たぶん画面の中だけでは済まない。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ