4-8.深淵へ続く道
カリンはふと目を覚ました。
(なんだか、喉が渇いたな)
水差しからコップに水を注ぎ、一口飲んだ。
(ふぅ。…トイレにでも行っておこうかな)
カリンはベッドから起き上がり、窓の外を見ると、復興祭はまだ続いていた。
時計を見る。
寝てから三時間ほど経っていた。
(眠らない町だねぇ。)
城下には笑い声が響いていた。
ふと下を見る、バルコニーの先。
パパタローと静がまだ話していた。
(まだ続いてるんだ……)
少し呆れながら眺める。
昔話だろうか。
故郷の話だろうか。
二人とも時折笑っている。
「ママ静ちゃんと呼ぶ日も近いと思っていたのに…」、と思わず、口に出た時、一人笑いが出た。
二人の様子をしばらく眺め、トイレに行こうとしたとき、
静がふらりと揺れた。
「ん?」
世界に静寂が訪れた。
その無音がやがて自分の心臓の音を認識しだした。血流の音。
静がだんだんパニックになってきた。
(何、これ?)
横を見るとパパタローが笑顔のまま止まって見えた。
(自分の時間だけ止まっているのか?)
(ねぇ!助けて!)
その時だった。
――ゴォォォン。
遠く。どこまでも遠く。それでいて耳元で鳴ったような鐘の音が響いた。
その鐘の音をタイミングに静だけが動けるようになった。
(……え?)
ゴォォォン。
静の輪郭がぶれだす。
魂そのものが揺れている。
「静?」
パパタローが声をかけた。
しかし返事はない。
どうした。
肩を掴もうとして――
手がすり抜けた。
「え?」
(鐘が鳴るたび何かが近づいてくる。)
(いや。)
(自分が引っ張られているんだ。)
(暗闇へ。)
(底の見えない穴へ。)
(誰だろう?誰かが呼んでいる。)
((帰っておいで。))
(((帰っておいで。))
(その声は優しい…)
(優しすぎて怖いくらい…)
(私は行きたくないのに……)
(惹かれていく)
静の足元に、黒い亀裂が走り、亀裂から無数の手が伸びて静を包んだ。
老人の手。
子供の手。
男の手。
女の手。
そのどれもが静へ向かってやさしく伸ばされる。
まるで帰りを待っていたかのように。
静の膝が崩れると、同時に、その身体が淡く透け始める。
輪郭が少しずつ崩れ始める。
そして身体そのものが消えていく。
「静さん!」
異変に気付いたカリンが駆け寄た。
静は逃げようとしなかった。
伸ばされた無数の手を振り払おうともしない。
静の顔は恐怖でなく、どこか懐かしいものを見つけたような、
安堵したような、穏やかな表情で目を閉じていた。
「静さん…?」
ゴォォォン。
三度目の鐘が鳴った。
今度はパパタローたちにも聞こえた。
「ぐっ……!」
頭蓋の内側を鐘で叩かれたような衝撃。
パパタローは思わず頭を押さえて膝をつく。
しかし、何もできずに静が消えて行く。
「静!!」
静の瞳に巨大な穴が映る。
どこまでも続く闇。
無数の魂。
穴の底からこちらを見上げる、一つの影。
その姿は見えない。
だが、確かに笑っていた。
『ようやく見つけた』
『帰る時間だ』
世界が、深淵へと口を開いた。
そして静の姿は消えた。




