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倒れたシュートが、池のほとりで絶叫する少し前。ティーンエイジャーかつ半分人間半分怪人である少年ハルトは、自室でコミックを読んでいた。ベッドの上でうつ伏せになり、コミックを読む。毎晩の楽しみである。内容はもちろん、ヒーローものだ。
そのとき、ある脳波をハルトはキャッチした。なんという偶然、嬉しいチャンスであろうか。ヒーローとして、活躍するときかもしれない。ハルトはまたもそう思いながら、コミックを閉じ、ベッドから跳び上がった。
南の方に、ハザードが三体現れたことを、ハルトは察知したのであった。ハルトは自室の窓から飛び出し、外へ出た。
家の前に伸びる、人通りの少ない田舎道に、ハルトは踏み出した。町の家々の明かりは、ついていたり、消えていたりする。
そのとき、ハルトの家の玄関から、ものすごい勢いで男が飛び出してきた。
「ハルト、待て!」
父さんだ。
父さんはハルトに歩み寄りながら、口を開いた。
「ハルト。どこへ行く?」
「南の方だ。ハザードが三体現れた。父さんも、気配を察知できただろ?」
ハルトは変に誤魔化さず、正直に答えた。すぐバレるような嘘をついても、話が伸びるだけだ。
父さんは頷いた。「確かにな。だけど、今回はさすがに許さんぞ。家に帰って、寝るんだ。戦ってはいけないよ」
ハルトはうんざりした。どうして、他の人を助けに行くのが、いけないことなのだろう。こうしている間にも、誰かが襲われているかもしれない。罪のない人間が……。
ハルトは頭を垂れながら、首をゆっくりと左右に振った。
「どうしてだよ……。ひとを助けることがどうしてダメなんだ?」
「そうじゃない。前から言ってるだろう。関わらなくてもいいことに、首を突っ込む必要はないってだけさ」
「父さんは臆病なんだ」
ハルトが悪態をつくと、父さんは数秒黙った。かと思うと息を吸って、ゆっくりとした口調で返事をした。
「ああ、そうとも。臆病だ。何を怯えているか、分かるか?」
「え?」
「俺は、俺自身が傷つくことは何とも思わない。我が子が傷つくのが怖いのさ」
「……」ハルトは黙って、息を飲んだ。
「我が子が夜中、命がけの戦いに行くと言い始めるんだぞ。ものすごい恐怖だ、他とは比べものにならないほどな……。我が子が傷つくのは、怖いものさ。
まあ、君は昔からやんちゃだがね。いつまでたっても、俺の心配性は治らんよ」
ハルトはまた、息を飲んだ。臆病者などとののしったことが、申し訳なくなってきた。けれど、ハルトの意思が変わったわけではない。
「父さん……。心配してくれて、いつもありがとう。だけどね、なぜか、ひとの危険が分かると、足がそっちへ向かってしまうんだ。たぶん、俺の中に流れる人間の血が、そうさせるんだ」
ハルトは顔を上げて、父さんの顔を見た。すると、今までこちらを見つめていた父さんが、少し下を向いた。そして、父さんは右の拳を振り上げた。
ハルトは身動きをせず、その拳を眺めた。
「殴られたって、文句は言わないよ」
「違う。ハルトも拳を上げるんだ」
「え? ああ」
ハルトは一瞬きょとんとしながらも、右腕をグーにし、父さんの拳の位置まで上げた。
すると、父さんは拳を近付け、コツンとハルトの拳に当てた。そのまま、父さんは顔を上げ、ハルトの目を見た。
「こうやって拳を合わせるのは、俺たちが協力する合図だ」
「え? じゃあ、父さんも……?」
「ああ。俺も行って、戦おう。強くはないが、多少のサポートくらいはできるだろう」
父さんは、口角を上げて静かに笑った。
ハルトも自然と笑みをこぼし、息を吸って、それから深く頷いた。
親子は、冷えた夜道を走り出した。ハルトの背中を、父さんが追っていく。
「ハルト、変身!」
「ソラト、変身……!」
走りながら、二人は変身した。ハルトの背は伸び、服は体表の青黒く頑丈な皮膚と同化した。目は黒い巨大な複眼へ、手はごつく、爪は獣のように鋭くなった。スパイダータイプの姿へと変身したのだ。
父さんの目は白目を失い黒一色に、巨大化した耳は肩にまで垂れ下がった。体表はグレーに変化し、両足は丸太のように太く、筋肉質になった。父さんは、ラビットタイプのハザードだ。
**
ハルトたちは、ハザードの脳波を感じた辺りにたどり着いた。そこは、バリータウンにある巨大な湖の近くだ。湖のほとりには砂の地面と、その上にはカヌーがいくらか、離れて置かれている。その手前には、ホテルや民家が感覚を広々と空けて建てられている。
湖の近くまで来たとき、ハルトたちは一旦立ち止まった。でこぼことした道路からは、もう湖が見える。
「たぶん、この先の湖のあたりだな」
父さんがそう言った。
「よし! ダッシュで突撃だ!」
「ちょ、ちょっと待て。まずは様子を確認しよう。そこのガレージに登るんだ」
ソラトが斜め前を指さした。湖のほとりに、車を二台ほど停められるガレージが建っている。
二人はジャンプして、そこの屋根に飛び乗った。ガレージは屋根の高さが四メートルほどあるが、ハザードのジャンプ力をもってすれば、このくらいはひと跳びだ。
そして、ガレージの屋根にうつ伏せに寝転がり、湖の方を恐る恐る確認した。ハルトの目には、たとえ夜であっても、その光景が昼間のようにはっきりと見える。
ほとりの砂の上で、頭からツノが生えたサイのハザードと、美しい緑の羽を生やしたチョウのハザードが戦っていた。少し離れたところで、銀髪を後ろでくくったお姉さんが、岩の陰に隠れていた。
チョウのハザードが、サイの突進をひょいひょいとかわしていた。すると、チョウのハザードの足元、砂の中からカマのついた手が出てきて、彼の両足を掴んだ。足を掴まれて動けないまま、サイのハザードの突進を受け、彼はふっ飛ばされた。
片方が相手の動きを押さえて、もう片方が攻撃するなんて、卑怯な技だ。
「ずるいぞ、悪党め……」とハルト。
「悪党に認定するのが早すぎる」と父さん。
突進攻撃を受けたチョウのハザードは、砂の上を転がった後、その変身を解いた。ダメージが大きく、ハザードの姿を保てなかったのだろう。短い金髪の男だ。
サイのハザードと、地中から出てきたカマのついたハザードは、ゆっくりと、倒れた警察の男に歩み寄っていった。
「へっへっへ。俺はオケラの能力を持っているのさ。地中を掘り進むハザードなんだよ」
腕にカマのついたオケラのハザードは、満足そうに笑って、警察の男を見下げた。
そのとき、銃声がとどろいた。岩の陰にいた女が、顔だけひょこっと出し、銃を撃ったのだ。その銃撃はサイのハザードの頭に当たったが、はじかれてしまった。
「なに!」
サイのハザードは驚きの声を漏らした。
「シュート君から離れなさい!」
銀髪の女が叫んだ。シュートとは、警察の男の名前だろう。
女は岩の陰から続けて二発撃ち、見事にサイのハザードに命中させたが、何の意味もない。
「勇敢な女だ。ジェイニーの針を刺してやれば、優秀なハザードに生まれ変わるかもしれない」
歩きながら、サイのハザードがそう言った。
「名案だな」
オケラのハザードも声を弾ませる。
ハルトは内心、胸がざわついた。彼らの口から、『ジェイニー』の名が出たのだ。一か月ほど前にハルトが懲らしめたアントタイプのハザードも、ジェイニーのことを話していた。
サイのハザードが少しずつ銀髪の女に近付いていく。
「ルーリー! 逃げるんだ!」
地面に倒れたまま、シュートと呼ばれた男が声を振り絞った。
そのとき、居ても立ってもいられず、ハルトはガレージの屋根に立ち上がった。
「待てーい!」
「む!」
サイのハザードが、歩みを止めて素早くハルトの方を向いた。オケラのハザードも、ハルトの方を見上げる。
父さんはやれやれという感じで気だるそうに立ち上がり、ハルトの隣に立ち並んだ。
「何者だ!」
オケラのハザードが、カマのついた腕を、ハルトたちの立っている方へ向けた。
「常に弱き者の味方! ハルト!」
ハルトは隣の父さんに当たりそうなほどぶんぶんと腕を振り回し、ポーズをとった。握り締めた拳を胸の前に突き出したまま、ハルトは父さんに小声で話した。
「ほら、父さんも何か言え……!」
「え? あ、ああ」
父さんは困惑しながらも、腕を振り回して、格闘するポーズをとった。「アルコールで義務教育を済ませた男! ソラト!」
「え?」「は?」サイのハザードとオケラのハザードは、顔を見合わせて戸惑っている。
ハルトと父さんはガレージから飛び降り、湖のほとり、その砂利の上へ着地した。
「ハルトはサイのハザードの相手をするんだ!」
父さんはそう言うと、高くジャンプして、オケラのハザードの前へ移動した。
よし、あっちは父さんに任せよう。ハルトはサイのハザードに向かって走り、掴みかかった。そしてひっぱり、銀髪の女からなるべく遠ざけた。
サイのハザードは唸りながら頭を振り回し、ハルトの両腕から逃れた。そして二〇歩ほど距離をとり、頭を低くした。今にも突進してきそうだ。
それを見たハルトは、頭から黒い髪の毛を一本抜いた。その毛は、ハルトの右手の中で鋭いナイフへと変形した。上級ハザードは、頭の中に武器をイメージすることで、手のひらから流れるトランジウム粒子によって、体の一部を武器に変形させることができるのだ。ハルトが使うのは、ナイフ状武器『スラッシュナイフ』である。
「うおお!」
声をあげながら、サイのハザードが突進してきた! ハルトは横に避け、そのスキに相手のふとももにナイフを突き刺した!
厚い皮膚を突き破って、敵の右の太ももにナイフが根元まで刺さる。サイのハザードは右側に転がり、砂煙を上げた。
サイのハザードが起き上がる前に、ハルトは素早く接近した。走りながら、髪を抜いてナイフを生成。敵が右足を庇いながら立ち上がった時には、ハルトはもう目の前にいた。わき腹にナイフを突き刺し、そのまま押し上げてつき飛ばした!
「ぐわああ!」
サイのハザードは地面に転がり、その変身を解いた。がっちりとした、タンクトップの男だ。ハルトは仰向けになった敵に飛びかかり、右腕を膝で踏み、左腕を右腕で抑え、頭を左腕で掴み、完全に男の動きを封じ込めた。
そして、顔だけ上げて、父さんの姿を確認した。父さんとオケラのハザードは、湖に浅く足が浸かるくらいのところで戦っていた。二人は向かい合い、オケラのハザードが右腕のカマを振り上げた! 父さんは左足を高く上げて、そのカマを横から蹴り飛ばした! 父さんが足を上げると、水しぶきがその後を追いかけ、キックの軌道が三日月状に見える。
オケラのハザードは、腕を蹴られた衝撃でぐらぐらと揺れた。父さんはくるりと一回転しながら、回し蹴りを放った。顔面に直撃させ、オケラのハザードを後方に大きくふっ飛ばした。
オケラのハザードが湖の浅瀬に背を打ち付け、水がぱしゃんとはねた。オケラのハザードはフラフラと立ち上がると、高くジャンプして、背中に生えた羽を羽ばたかせた。どんどん空中へ上昇していく。
「ハハハハ! 俺はオケラのハザード! 空を飛ぶこともできるのさ!」
父さんは上昇していくオケラのハザードから目を離さず、膝を曲げた。
姿勢を低くしたかと思うと、一気に足を延ばし、ものすごい勢いでジャンプした! ぐんぐんと地面と垂直に跳び上がり、オケラのハザードに追いついた!
「降りろ」
父さんは空中で大きく足を蹴り上げ、オケラのハザードの顔を横に蹴り飛ばした。
「うわー!」
オケラのハザードはキックの衝撃で、地面に落ちてしまった。またも、湖の浅い水が、バシャンと音を立てた。
父さんも、すとんと浅瀬に着地した。湖の水が、小さくはねる。オケラのハザードは、父さんに蹴られた頭の右側から、緑色の血を流している。ハザードが流す、緑色の血だ。倒れたまま体をぴくぴくと震わせている。起き上がることも、難しいかもしれない。
父さんは無言でオケラのハザードのそばに立った。そしてやつの頭にそっと右足をのせると、そのまま力を込め、頭を踏みつぶした! 頭蓋骨が砕ける嫌な音がし、緑色の血があたりに飛び散った。棒を叩きつけられたスイカのように、砕け散ってしまったのだ!
無慈悲……。ハルトはそう思った。何も、相手の命を奪うことはない。だが、それはハルトの考えだ。父さんは、危険だと思われることは、なるべく潰しておく。もしも危険な相手の命を奪うチャンスがあれば、見逃さないだろう。今、オケラのハザードの頭を踏みつぶしたように。
父さんは静かに、ハルトの方へ近付いてきた。そしてハルトと、ハルトに抑え込まれているタンクトップの男を見た。サイのハザードの、人間の姿だ。
「ハルト。なんだ、まだ息があるじゃないか。早く止めを刺しな」
父さんの声は、きつく命令するような口調ではない。むしろ、「そこの皿を取ってくれ」くらいの感覚なのだ。なんの高ぶり、躊躇もない。ただただ落ち着いたうえで発せられる一言。ハルトにはそれが、なぜかとてつもない恐怖に感じた。
「ちょ、ちょっと待ってよ。こいつに聞きたいことがあるんだ」
「ん?」
「彼、血が赤色なんだ。おかしいだろ?」
ハルトは、タンクトップの男の脇腹に刺したナイフを、指さした。
さっき気付いたのだが、ナイフに垂れている血が、赤色なのだ。おそらくこの男も、ジェイニーの針で変身能力を得たのだろう。
「確かに。ハザードの血は普通緑色だからな。何か怪しいね」
とソラト。
そのとき、少し後ろで、倒れていたシュートがぼそぼそと声を発した。
「ジェ、ジェイニーだ……。ジェイニーの能力に違いない」
倒れたシュートのそばには、ルーリーと呼ばれていた銀髪の女が駆けつけていた。
シュートは、ジェイニーのことについて何か知っているのだろうか。ハルトの頭の中は、だんだんこんがらがってきた。
「ウワァ!」突然、タンクトップの男がもがき始めた。
そして、最後の力を振り絞ったのか、ハルトの拘束から逃れ、砂の上に立った。男はもう、息も切れ切れだ。
「口を割るくらいなら、死ぬ! このまま逃げても、どうせボスに合わせる顔はない」
男は、脇腹に刺さっていたナイフを唸りながら引き抜くと、勢いよく自分の胸に刺した! その体は地面に倒れドロドロに溶けて消滅してしまった。
ハルトはその溶けた体を見ながら、妙な喪失感に駆られ、しばらく立っていた。
「忠義はあったということか……」
父さんも、ハルトの隣に立って、その奇妙な亡骸を見ていた。
ハルトはゆっくりと、シュートとルーリーのそばへ立った。シュートは倒れており、ルーリーは心配そうにシュートのそばにひざまずいている。
「大丈夫ですか?」
ハルトは声をかけたが、戸惑っているのか、二人とも目を見開いてハルトを見つめているだけだ。
後ろから、父さんがハルトの肩を叩いた。
「おいハルト、帰るよ」
「待てよ。この人はハザードに立ち向かってた。仲間になれるかもしれない」
ハルトは変身を解き、人間の姿へ戻った。
「お、おい! 簡単に素顔を晒すな!」
父さんが慌ててそう言ったが、もう遅い。
「俺、ハルトって言うんです。よろしくお願いします」
ハルトは膝をつき、シュートの顔を見た。
シュートも倒れたまま、ハルトを見上げた。そして、おそるおそる口を開いた。
「俺はシュート・ビート。助けてくれてありがとう。まさか、君のような少年に助けてもらうとは……」
「私はルーリー・サイラス。助けてくれてありがとうね、ハルト君」
ルーリーも、にっこりと返事をしてくれた。
「ほら、父さんも」
ハルトは父さんの方を向いた。
父さんはため息をついた。「絶対びっくりするぞ」
誰に向かってそう言ったのか、父さんは変身を解いて、黒髪の人間の姿になった。
父さんの顔を見て、ルーリーはハッと息を飲んだ。シュートも、驚いているようだ。
「え! ミスター・バナグラス……!」
シュートがそう言って、口を開けた。
これにはハルトも驚いた。そして、シュートと父さんの顔を順番に何度も見た。
「え? 知り合い? 知り合いなの?」
父さんはまたもため息をついて、眉をつり上げた。
「俺のバーの常連だよ」