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第二話 もう一人の主人公ハルト・バナグラス
もうひとりの主人公の話をしよう。ハルト・バナグラスは一六歳の少年である。好きなものはヒーローコミックや、EDMだ。嫌いなものは、怒ったら勝手に教室を出ていくクセに、呼び止めないとさらに怒るタイプの先生。ハルトは父親譲りの、真っ黒な髪と瞳の持ち主だ。
晩御飯のあと、バナグラス一家はしばらく団らんを楽しむ。ハルトは、リビングのテーブルの上に置いたチェス盤で、チェスをしていた。なんでも、父さんが最近購入したらしい。綺麗で、インテリアとしても十分なほど見栄えがいい。コマを置くと、心地よい音がする。
対戦相手は、妹のアンヌだ。アンヌはボードゲームに強く、ハルトとしては気に食わない。今日も、ハルトはアンヌに押されていた。その勝負を、横で父さんが見守っている。
付けっぱなしのテレビが、CMを流している。「複合金融会社、グリーンコア・カンパニー。あなたの生活に潤いを」キャッチコピーとともに、カンパニーの社長、ボス・ボルカニックという金髪の男が、画面に映り込んだ。
もっとも、この家族の誰もが、そんなCMはまともに見ていない。今は、チェスに集中しているのだ。
「チェック」
アンヌがそう言って、キングを角に追い詰めてきた。
ハルトのターンがまわってきたが、どうすればいいか、しばらく考え込んでしまう。
「うーん」
ハルトは息を吐きながら、腕を組んだ。
「サレンダーを許可する」
アンヌが切って捨てるように言った。
「うるせえよ、上からモノ言いやがって」
ハルトが舌打ちすると、隣の椅子に座っている父さんが、「ぶっ」と吹き出した。
アンヌの高飛車なセリフは今に始まったことじゃないが、やはり腹立たしい。しかも実際、うまい対抗策が思い浮かばない。ハルトは追い詰められているのだ。
ハルトは苦し紛れに、父さんに話しかけた。
「父さんならどうする?」
「こんな状況になる前に切り返すね」
「そういうことを聞いてるんじゃない」
そんな話をしていると、母さんがわざとらしくドスドスと音を立てながら、近付いてきた。そして、父さんの横で立ち止まった。父さんもハルトも、母さんの顔を覗く。細い眉がつり上がっていて、明らかに機嫌が悪そうだ。母さんが、そのままの形相で父さんに話しかけた。
「ソラト、それなに?」そう言って、あごでチェス盤を示す。
「ふっふっふ」
よくぞ聞いてくれたという風に、父さんが笑い、言葉を溜めた。「職人が作った、良質なチェスボードさ!」
自慢げな父さんと、明らかにイラついている母さんを交互に見て、ハルトは冷や汗をかいた。父さん、ヤバいって、ヤバいって! と内心で叫んだが、もう遅い。
母さんは抑揚のない口調で、また口を開いた。
「で、いくらしたの」
「これでも安く買えたんだぜ。五二〇ドル!」
「高い買い物するときは、私に相談せんかァーい!」
母さんの足が、主婦の動きとは思えない挙動で高く上がり、父さんの顔を蹴り飛ばした。
「ギョエェー!」
お手本のような悲鳴を上げる父さん。
全く唐突な話だが、ハルトは将来結婚するなら静かな女性がいいなと思った。
**
最初のひとりが、いつどこに生まれたのか。それはおそらく、誰も知らないだろう。人間の誰もが、最初の人間を知らないように。
ただ事実、この世界には変身生命体が存在する。その生命体は『ハザード』と言う。ハザードは、人間によく似た姿と、もうひとつのただならぬ身体能力を発揮する姿をもっている。人間がその姿を見たとき、『怪人』だとか、『化け物』だとか言うかもしれない。しかし、実態は様々だ。荒々しく他を脅かす者もいれば、ひっそりと静かに暮らす者もいる。ハルトは……どちらとも言い難い。
深夜、ハルトは自室にこもって、ベッドの上でコミックを読んでいた。そのコミックは、ひとりの男が悪者を正々堂々やっつけていく、王道のヒーローコミックだ。ハルトは小さい頃から、ヒーローに憧れていた。昔は、子ども用のヒーローパジャマを着て、寝もせずに暴れまわっていたものだった。
今ではさすがに、そこまで露骨なことはしないが、ときおり、学校の友だちにパンチをするフリなどして、ヒーローのセリフを口ずさんだりする。
市民のピンチに現れて、悪党の前に立ち、自分の名を叫んでみたいものだ。退屈な授業のときなどは、しょっちゅう決め台詞を考えている。「みんなのヒーロー、ハルト・バナグラス!」とかかな。いや、ちょっとひねりがないかな。といった風である。
この前、父さんにそんな話をしたら、
「敵の前で正体を名乗るとかアホだろ」
と言われて、一気に気分が冷めた。父さんは、リアリストな節がある。
ハルトはコミックを読み終わり、余韻に浸ってわけもなくニヤニヤすると、本棚を漁って、もう一冊取り出した。そして、ページを開く。ベッドと本棚が近くにあるせいで、寝そべったままどんどん読んでしまうのである。
しかし、明日もハイスクールがある。ぼちぼち、寝た方が良いだろう。そう思いながらページを捲っていると、ある脳波がハルトの意識を貫いた。それは、色もなければ音でもない特殊な電波のようなもので、変身生命体『ハザード』であれば、ほとんど誰もが持っている能力、「サーチ・パワー」だ。ハザードは、他のハザードが変身し活動を開始したとき、それを察知することができるのだ。
ハルトは察知した。大まかな位置が分かる。南西六〇〇メートルほどのところに、ハザードが二体いるはずだ。
その二体が、良いやつなのか、悪いやつなのかは分からない。良いやつなら友達になって、悪いやつならこらしめよう。ハルトはそう思いながら、ベッドから降りた。
父さんや母さんがまだ起きているかもしれない。玄関から出たら、途中で鉢合わせてしまうかも。寝ていたとしても、ドアの開く音で家族を起こしてしまったら、呼び止められるだろう。
ハルトは部屋の窓から、田舎の夜道へ飛び出した。と言っても、一階である。
閑散とした開けた道。間隔をあいて佇む家々は、ほとんど明かりが消えている。夜道は冷え、まるでそこから穏やかに冷気を発しているかのように、ひんやりとしている。
「ハルト、変身!」
ハザードは、自分の名のあとに変身と唱えることで、その正体を表すことができる。ハルトの体は、走りながら変化した。目は巨大な複眼へ、腕や足はより筋肉質に、背も大きくなり、全体的に青っぽい体色へとなった。
道なりに行くよりも、家々を飛び越えた方が近い。ハルトは、ジャンプして家の屋根を走ったり、路地の壁を駆け抜けた。ハルトはスパイダーの能力を持っている。手や足の裏を粘着させ、壁に張り付くことができるのだ。
**
やがて、その場所へたどり着いた。ハルトはもう、目視できる。二体の黒いハザードが、銀行ATMコーナーにいた。建物の中には銀行ATMが数台並び、そのうち一台が破壊されているのだが、ガラス窓が多いため、中が丸見えである。なんという堂々とした犯行。片方は胸が膨らんでいるので、一体は女のハザードだ。もう一体は男のハザードだろう。
男が破壊したATMの中から金を出し、女が持っている大きい袋に、次々と放り込んでいる。
ハザードのパワーをもってすれば、腕力でATMを破壊することができただろう。
ハルトはドアを手で開け、銀行の中へ入った。中は明るい。
ハルトはかっこいいセリフで登場しようと思ったが、
「コラ! やめなさい!」
と怒ったときの母さんのような言葉を発してしまった。驚いたハザード二体が、バッと立ち上がった。彼らは、黒い複眼と、頭の上には触角があり、口はペンチのような形をしていた。体色が黒く、つやのある甲殻にまとわれている。ハルトは、たぶんこいつらはアントタイプのハザードだろうと思った。
「なんだてめえ!」
男の方が喋った。
ハルトはここぞとばかりにぶんぶんと腕を振り回し、最後に自分が最高にかっこいいと思っているポーズをとって拳を握りしめた。
「この世にはびこる悪を全て始末する男! ハルト!」
拍手を期待したが、もちろん無反応。男ハザードは
「ふん。じゃあこのまま金を盗ると言ったら?」
と鼻で笑った。
「力ずくでも止めるさ!」
「やってみやがれ!」
男が言い切ると同時に飛び出し、ハルトの顔面にパンチを入れた。ハルトはたじろいだが、すぐに顔を正面に戻した。いきなり殴られてびっくりした。ここで、かっこよく「お前のパンチなんか効いてないぞ」みたいなことを言いたかったのだが、
「お前のパンチを受けて立っていたのは、俺が初めてだ」
などと意味不明なセリフを吐いてしまった。
敵のハザードも顔を見合わせ、「は?」「え?」と困惑している。
「もういい、ぶちのめすぞ!」
男ハザードの方がそう言うと、女も戦闘態勢の構えをとった。
先に、男の方が近付いて来て、ハルトの腹辺りにキックをかまそうとした。ハルトはその足を両手で受け止めた。
「お粗末なキックだぜ!」
と言ってその足を捻り上げると、男はすっころんだ。
今度は、女が殴りかかってきた。相手の右腕をするりと通り抜けると、ハルトは女の体を持ち上げて、真上へ投げ飛ばした。女の体は天井にあたり、崩れたガレキと一緒に落ちてきた。ハルトは落ちてきた女の腹を殴り飛ばした。
「うっ!」女は唸り声をあげ、床を転がった。
そしてその変身は解け、人間に似た、服を着た女の姿になった。かと思うと、目をつむって伸びてしまった。どうやら、気絶したようである。
「てめえ……!」
男が立ち上がった。
「よくも俺の女を!」
男は、右腕をハルトの顔に繰り出してきた。
「うるせえ! お前らが悪いことしたんだろ!」
子どものケンカのようなセリフを吐きながら、ハルトは左の手のひらで拳を受け止めた。
男は驚きながら受け止められた腕を後ろに何度も引いた。しかし、ハルトの手のひらから離すことはできない。
「あれ! 手が離れねえ!」
ハルトはスパイダータイプのハザード。一度手のひらに触れれば、くっつくも離れるも、ハルトの意思次第なのだ。ハルトはパンチを受け止める瞬間に能力を使い、敵の拳を自分の手のひらに張り付けたのだ。
ハルトは、空いている右手で、敵に無言のパンチを浴びせた。腹に二発である。そのとき、敵の右手を離してやった。
「うお……」
敵は唸りながら、腹をおさえて体をくの字に折り曲げた。そのときに下がってしまった頭を、ハルトは右足で蹴り飛ばした。
男はゴロゴロと床を転がり、その変身を解かれた。服を着た男の姿へと戻った。普通の金髪のおっさんである。ハルトに蹴られた頭から、赤い血が垂れている。
ハルトも変身を解き、ジャージ姿の少年の姿へ戻った。部屋着のまま飛び出してきたのだった。
ハルトは男へ近付くと、しゃがんで男の首へ腕を回した。そうして身動きができないようにしてから、男へ話しかけた。
「二つほど質問に答えてもらうぞ」
「へっ、ガキが」男が歯を見せた。
「まずひとつ。なんで血が赤いんだ? ハザードの血は普通、緑色だ」
ハルトもそうだが、ハザードは緑色の血を流すのだ。
「へ、答えるつもりはねえ」
男が歯を見せながらそう言った。
ハルトは黙って、首へまわしてない方の腕で顔面を殴った。
「俺はもともと人間だったんだ! けど、あるとき怪人になる能力を手に入れたんだ。ハザードの能力をな」
男が慌てて答えた。
「どうやって人間をやめた?」
「へへへ……それだけは口が裂けても言えね……」言葉の途中で、ハルトが男の顔面を殴った。男の右の鼻の穴から、赤い汁が流れた。「ぐああ! に、人間をハザードに変えられる能力者がいる……! そいつが俺をハザードに変えてくれた」
「ふたつ目の質問だ」
「みっつ目だろ!」
ハルトは無言で腕をきつくし、男の首を絞めた。男が苦しそうにうめいた。
「ぐええ……死ぬ! 死ぬゥー……!」
男はギブアップをするかのように、首を絞めるハルトの腕をぽんぽんと力なく叩いた。ハルトが腕を緩めると、男は咳き込んだ。
「ゴホッ! ゴホッ! ……何でも聞いて下さい」
「その、人間をハザードに変えられる能力者の名前は? 何タイプのハザードなんだ?」
「ジェ、ジェイニーという……。モスキートタイプのハザードだ……」
「モスキートタイプ? 詳しく」
「ハ、ハイ! ジェイニーは変身すると、両腕から針が生えてくる……その針を刺され、血を流しこまれると、ハザードになります……。ただ、人間からハザードに変わる肉体の変化は急激! 変化に耐えられず、精神が分裂する者や、体が意味不明な形に変形してしまうやつも少なくないらしい……。ま、俺らはうまくジェイニーの血に適合したってことさ」
「そのジェイニーとやらの目的は何なんだ? ハザードをどんどん増やしていくことか? それとも何か、他の目的があるのか?」
「そこまでは知らない」
男は、泣きだしそうな目でハルトを見上げた。ハルトも、男の目を見る。
「ほんとです! ほんとに知りません!」
「だろうね」
ハルトは、男の首から腕を離してやった。
「女連れてどっか行け! もう二度とこんなことすんなよ!」
ハルトがそう言い終わる前に、男は女を抱きかかえ、駆けだしていた。
ドアを出て逃げ出す前に、男はサッと振り向き、捨て台詞を浴びせた。
「覚えとけ!」
ハルトは男を睨みつけた。
「ああ。お前の顔はしっかり覚えたぞ! 一キロ先に居ても見つけてやる!」
「ひいい! やっぱり忘れてください!」
男はそそくさと走っていった。
**
悪者を懲らしめられたハルトは、スキップをしながらルンルンと夜道を歩き、家へ帰った。
だが同時に、少しがっかりという気もする。せっかく同族に会えたのに、それが悪党だったからだ。いったいこのバリータウンに、どれくらいのハザードが暮らしているのだろうか。彼らもまた、人間に混ざって、ひっそりと暮らしているのだろう。
人間の友達だって、すごくいい。けれど、自分の正体を隠すのはもどかしいものだ。もしもハザードの友達ができたなら、跳んで喜ぶだろう。
家に着いたハルトは、自分の部屋の窓を恐る恐る開けた。そして、右足、左足と、部屋の中へ踏み込んだ。無事に入室すると、今度は恐る恐る窓を閉める。
「おかえり」
そのとき、既に部屋にいた何者かが、ハルトに声をかけた。
「ギャー!」
暗い部屋の中、いきなり声をかけられたハルトは絶叫した。そして勢いよく振り向き、その姿を確認した。
部屋のドアの近くにいたのは、童顔で前髪をアシメにした男。父さんだ。
父さんは「驚かせたね」と言って、部屋の電気を付けた。
そこで、隣の部屋から
ドン!
と壁を叩く音が聞こえた。隣の部屋は、妹アンヌの部屋だ。さっきの絶叫がうるさくて、壁を叩いたのだろう。明日の朝、怒られるかもしれない。
「なんだよ、父さんか」
ハルトは、不審者じゃなくて安心すると同時に、これからの会話に思いを馳せ、別の緊張を感じた。今外に出ていたことを、どう誤魔化せばいいのだろうか。
ハルトは、ベッドに腰かけた。父さんは部屋の中を歩くと、ハルトの勉強机(実態はほとんど物置きで、コミックが無造作に置かれている)にある椅子に腰かけようとした。
「借りるよ」と父さん。
「ああ」とハルト。
父さんが椅子に座った。
「こんな夜中にどこ行ってたんだ?」
「散歩だよ」
あまり賢い回答は思い浮かばなかった。ハルトは、舌で上唇を舐めた。
「父さんこそ、バーの仕事はどうしたの?」
父さんはムーンと言うバーで働いている。だから、だいたい帰りは遅い。
「ムーンの閉店は深夜一二時だからね」
「え?」
夜だということは分かっていたが、そんなに遅い時間だとは思いもしていなかった。今は何時なのだろうか。
ハルトは部屋の中をキョロキョロしたが、そう言えばこの部屋には時計がなかった。ハルトの疑問に気づいたのか、父さんが
「一時五〇分だよ」
と言った。
「ああ、そう」
「南西六〇〇メートルくらいのところに、ハザードが二体現れたな」
「……」ハルトは黙ってうつむいた。
「その少し後に、この家の近くでもう一体のハザードが変身して、南西に移動していった」
「……それは俺だよ」
二体のハザードが現れたことも、ハルトがそこへ向かっていったことも、父さんは気付いているのだ。
父さんもハザードで、ハルトよりも優れたサーチ・パワーをもっている。だから、脳波を捕らえることは容易だっただろう。誤魔化せないと感じたハルトは、正直に真実を告げたのであった。
父さんは二度頷いた。
「正直に認めたところは、よろしい」
父さんの言葉は続く。
「ハルト。父さんは、わざわざ他のハザードのとこへ向かって、戦闘なんてしてほしくない」
「父さん。夜中に外へ飛び出したことは謝るよ。ごめんなさい。ただ、町の平和のために何かしたかった。さっき、二体のハザードを懲らしめてきたんだけど、やつら、銀行強盗をしていたんだ」
「確かに、強盗はいけないことだ。君の正義感は素晴らしいよ。ただ、でも、君が懲らしめる必要性はないはずだ」
「どうして父さんは、そこまで俺を止めたいんだ?」
「生きていくうえで必要な考え方を教えているだけだ。いちいち泥棒やケンカに割って入っていたら、身がもたないだろ。首を突っ込まなくて済むなら、そのまま無視すればいいというだけだ。自らやっかいごとを増やすことに意味はない」
「意味はあるさ。例えば今日の強盗だって、町の人々のお金が奪われるところを、防いだんだ。町の人が、どうなってもいいって言うのか? 今日だって、父さんはあの二体の居場所を察知できたはずだ。でも、その場所へ向かわなかった」
「そうだね、意味がないと言うのは言い過ぎた。撤回しよう。けれど、町の人々を助けようとは思わない。まあ、気の毒だとは思うよ。けれど、顔も名前も知らない者のために、戦おうとは思わない」
ハルトにとって、父さんには必要な何かが、欠けているように思えた。自分の父親とは思えないほど、俺たちの価値観は違う。いや、その逆に、この父親から俺が生まれたことが不可思議なのかな。
ハルトはひょっとしたら、これが『人間性』なのかもしれないと、直感的に思った。父さんは純血のハザードだ。対して、ハルトは半分だけ人間の血が混ざっている。母親から受け継いだ血だ。
その血が、見ず知らずの人間すら守りたいと、ハルトに思わせるのかもしれない。父さんにとって、人間は完全なる異種族。しかし、ハルトにとっては同族と言えるのである。きっとそれが、父さんと俺の違いだろうと考えた。
「誰かに命令されたわけじゃない。けれど、ハザードの犯行は、人間には防ぎようがないだろ。俺たちハザードが片付ける必要がある。戦えない人間の代わりに」
ハルトは自分の決意を述べた。
「そうかもしれないね、でも、君がすべてを防げるわけじゃない。心配なんだ、ハルトが危ない目にあうのが」
父さんも、ハルトの目を見て話してくれている。
「大丈夫だよ。今日だって、二人と戦って無傷で帰ってきた」
「確かに、君は強いよ、父さんよりもね。一対一なら勝てるだろう。一対二や、一対三でも勝てるかもしれない。でもそんな簡単なことを言ってるんじゃない」
「え?」
「もしも相手が、人質をとったり、罠を使ってきたら? 君は戦えるか? おとしめられるかもしれない」
「そんなのは、卑怯だ」
「卑怯だろう。けれど、殺し合いはリングの上でやってるわけじゃない。なんでもありなんだ。不意にやられてしまうことや、周りのひとまで巻き込まれることもある」
そんなこと、ハルトは考えてもいなかった。急にそんなことを言われても、ピンと来ない。
「父さんは、心配し過ぎだよ」
「心配するのは親の役目だ。おせっかいかもしれないがね」父さんは自分でも呆れるというくらいに、眉をひそめて、優しく言った。
いつもはスカしているけど、いざとなると人一倍心配してくれるのだ。
「ありがとう。考えてみるよ」ハルトはあまり考えるつもりはなかったが、安心させようと思ってそう言った。
それに、ちょっと眠くなってきた。
「ああ。明日も学校だろう」
父さんはそう言うと椅子を立って、部屋を出ようとした。そしてドアを開けると、何か思い出したかのように立ち止まり、ハルトの方を見た。
「あ、今日の外出は、母さんには内緒にしといてやるよ」
「ありがとう」
ハルトは笑顔でそう言った。
父さんも笑顔で頷いて部屋を出ると、そっとドアを閉めてくれた。
ハルトは部屋の電気を消し、いよいよベッドに寝転がった。
寝返りを打ちながら、ハルトはジェイニーのことを思い出した。そういえば、銀行で倒したハザードのカップルは、「ジェイニー」と言っていた。ジェイニーという、モスキートタイプのハザード。腕から生えた針で、人間をハザードに変えることができる。
今もジェイニーは、このバリータウンに潜み、人間にその針を突き刺しているのだろうか。そうして、この町に住む人を、次々とハザードに変えているのだろうか。人間たちは気付かぬうちに、その数を減らしているのかもしれない。いつの間にかジェイニーに針を刺された人で町が溢れ、オセロの盤面のように、人間とハザードの数が逆転しているかもしれない。
ハルトは、やはりジェイニーは注意すべきだと考えていた。そして、このまま戦いに身を投げれば、必ずいつかは巡り合うことになるだろう。
ジェイニーのことを、父さんにも相談するべきだろうか。いや、やっぱりやめておこう。ハルトには、どうせ父さんに話しても、また止められるだけだろうという風に思えた。いずれ話すかもしれないが、とりあえず今は黙っておき、ひとりで活動しよう、そうしよう。
そんなことを考えていると、いつの間にかハルトはいびきをかいて寝ていたのであった。