後悔
短編です。
俺の名前は、後藤優作。
毎年新卒就職人気企業ランキング上位に入る総合商社に勤めている、働き盛りに32歳だ。
うちは、両親が早く他界してしまったため、5つ上の姉が自分のやりたい事を全て諦め、俺の事を育ててくれた。
そんな姉に報いるため、俺は中高と寝る間を惜しんで勉強し、一流大学に入る事ができた。
大学に入ると同時に俺は姉の元を離れて、一人暮らしを始める。学費は給付型の奨学金をもらえる事になっているし、生活費はバイトすれば自分一人何とかなる。そう言って、心配性の姉を説得した。
正直俺も姉と離れるのは寂しいが、姉を俺という縛りから解放してあげたかったのだ。
姉は毎月仕送りをする気満々だったのだが、それを断った。これからは、お金も自分のために、好きに使って欲しいと思ったのだ。姉は、渋々それを承知し、その代わり一人暮らしの部屋の初期費用だけは絶対出すと言って譲らなかったので、何でもかんでも断るのも姉に悪いので、甘える事にした。
だが、それ以外の出費については自分で何とかしたかったため、大学が決まってから、時間をフル活用してバイトを始め結構な金額を貯める事ができた。
家具や電化製品など一人暮らしに必要な物を購入しても、まだ手持ちに余裕があったので、姉の提案でオシャレをしてみる事にした。
生まれて初めて訪れた美容室で流行りの髪型にしてもらい、今まで着た事のないオシャレな服を着て街を歩く。そんな俺をすれ違う女の人達がジロジロと見てきて少し気まずくしていると、
「あぁ~私だけの秘密だったんだけどなぁ~」と姉は少し寂しそうな表情で俺に告げる。
今まで知らなかったが、俺は、めちゃめちゃ美形だったらし。それに付け加え、亡くなった両親が二人とも上背があったため、高身長だ。
「あんまり、女の子を泣かせちゃだめだぞ?」
「そ、そんな事しないよ!」
ふざけあいながら、俺は姉とのショッピングを楽しんだ。
そして、出立の日――
「ふふふ、寂しくなるな~」
「ねぇちゃん……今まで育ててくれて本当にありがとう。ねぇちゃん、自分の好きな事も我慢して……俺を……」俺の両目に涙がたまる。
「もっともっと育ててあげたんだけどね~何かあったらすぐに連絡してね……ちゃんとご飯も食べてね……優君、風邪ひきやすいんだから体調管理も、し、しっかり……す、うぅ…するん、だよ……」
ねぇちゃんの瞳からも涙が溢れ出る。そして、ねぇちゃんは涙が頬を伝うと同時に俺を力強く抱きしめ、俺もねぇちゃんを抱きしめた。あまり力を込めるといけないから優しく包み込む様に抱きしめた。
本当はねぇちゃんと離れたくない。できればずっと一緒にいたい。
だけど、それじゃダメなんだ。
ねぇちゃんには幸せになって欲しいんだ。
俺は行かなくちゃいけないんだ。
「じゃあ、いってきます」
と俺は後ろ髪を引かれる思いで、我が家を後にした。
大学生活は、何というか楽しかった。
所謂大学デビューに成功した俺は、高校時代とは思えないほど沢山の友人に囲まれ充実した生活送っていた。最初は大学デビューというのがバレない様にするのが大変だったが、慣れれば何という事もなかった。
この恵まれた容姿で異性にもモテた。
最初にできた彼女で童貞を捨ててからは純情なんてものなどどこにいってしまったのやら、女をとっかえひっかえとひどい事をしていた。
そんな中、家が裕福な彼女が出来た。
少し頼めば、何でも買ってくれる。
バイトなんかしなくても余裕で生活できる金をくれる。
彼女とは、2年間付き合っていたが、その間俺は何度も何度も浮気を繰り返し終いには彼女を捨てた。
あんなに良くしてくれた彼女を……今でも、彼女が泣きながら俺にしがみ付き別れたくないと言っていたあの場面が目に浮かぶ。本当にクソ野郎だった。
そんな俺も、もうすぐ結婚をする。
相手は、取引先の社長令嬢だ。
社長が社内でも出世株の俺を偉く気に入ってくれて、娘さんを紹介してくれたのだ。
容姿端麗、品行方正。家柄も良く、一人娘であるため、社長は俺を後継者として育てたいと言っている。
勝ち組の人生が確定したのだ。
数日後、両家揃っての結納がある。これでねぇちゃんも安心してくれるだろう。
これから訪れる勝ち組人生を噛み締めていると、ピンポーンとチャイムが鳴る。
「うん? 誰だろう?」
ただ今の時刻は、20時。こんな時間に俺を訪ねてくる奴なんていない。そもそも、訪ねてくるなら、先に連絡がある筈だ。あぁ、もしかして、昨日注文した本が届いたかも知れない。
ピンポーン
再度チャイムがなり、俺はモニターへと近づく。
「はいはーい」
そこに映っていたのは、小学生くらいの少女だった。
「後藤優作さんですか?」
少女は俺の名前を知っている。
「そうだけど、君は誰かな?」
俺は少女を知らない。
「優香です。佐伯優香です」
佐伯……? まさか……いや、どこか彼女に似ている。
「まさか、佐伯美香は……?」
「ママです」
やっぱり! 佐伯美香は大学時代に俺が散々貢がせて捨てた元カノだ。
普段ならすぐに気づかなっただろうが、ちょうど今さっき、美香の事を思い出していたからなのかパッと名前が浮かんだ。
「なんで、君がここに? いや、とりあえずそっちにいくから待ってて」
「はい……」
俺は、慌てて1階のロビーへと向かった。
ロビーのソファーにちょこんと少女が座っている。
まっすぐ腰辺りまで伸びいる黒髪にきりっとした一重瞼の双眸は美香の面影がある。
「待たせたね、えっと、優香ちゃん?」
俺の呼びかけに、少女はソファーから立ち上がり、ぺこりと頭を下げる。
「はい、優香です」
「えっと……俺に何の用かな?」
「ママの言ってた通りかっこいいですね」
「えっ? あぁ……ありがとう」
「ママからです」
優香は、俺にスマホ渡す。
『優ちゃん、久しぶり』
美香の声だ。
「あぁ」
『急にごめんね? その子、優香は、優ちゃんと私の子供なの』
えっ……!?
「なッ、なにを……」
パニック状態に陥りそうになる。
『驚いた? あぁ、心配しないで、娘を優ちゃん押し付けるとかじゃないから。私、外せない用事があって、数日だけ優ちゃんに娘の面倒を見て欲しいの』
「ちょ、何言ってんだよ! 俺の都合は!」
『それくらいしてくれるよね? あれだけ私に貢がせた癖に他所に沢山女作って、最後にはぽいッと捨てられたんだから』
それを言われると何も反論できない。
「そ、それは、すまないと思ってる……」
『なら、いいでしょう? 優ちゃんが結婚するって聞いて、最後のチャンスだと思っただけなの優香が父親と過ごす最後のね……』
「てか、俺が結婚するとか、しかも、このマンションとかどうやって」
『私、里佳子さんとたまに連絡してるんだよ?』
「まじかよ……」
里佳子は俺のねぇちゃんの名前だ。
美香とねぇちゃんは、当時俺達が付き合っていた時やたらと仲が良かった。まだ、繋がっていたとは……。
『と、いう訳でお願いね~土曜日の朝には迎えにいくから』
「ちょ、おま、土曜には! あっ、切りやがった!」
なんて強引な、昔の美香とは大違いだ。
昔は自分の意見も言えない従順な女だったのだが、母親になると神経が図太くなるというが、それなのだろうか?
いや、今はそんなことより。俺は、チラッと優香を見る。
おいおい、どうすんだよ……。俺に、子供の面倒なんてみれるのか?
しかも、土曜日って、結納の日じゃないか……。
てか、本当に俺の子供なのか?
この子の名前、優作と美香の名前で優香なのか?。
ごちゃごちゃしてる頭の中を整理していると、「あのぉ……」と優香が俺に手を差し伸べる。
「あぁ、ごめん。はい」
俺は、スマホを優香の手にのせる。
「どうも……あのぉ、迷惑でしたら、優香は、ホテルにでも泊まりますので」
「いやいやいや、それより、君いくつ?」
「10歳です」
「まじか……」
10歳って、えらく落ち着いてるから、もっと上かと思った。
俺の子供云々の前にこんな小さい子を外に放り出すなんて、それは人間としてどうだろう。
「はぁ~いいよ、君のママが来るまで家にいても」
「いいんですか?」
「あぁ、ほら行くよ。ついて来て」
「……はい」
これは俺なりの美香への贖罪だ。
散々酷い目に遇わせた、美香への贖罪なんだ。これで、少しは俺の後ろめたさかが軽減されれば……。
そう思いながら、俺は優香を連れエレベーターに乗り込んだ。
□◆□◆□◆□◆□◆
「さぁ、入って」
「おじゃま、します」
優香は、キョロキョロと辺りを伺いながら俺の部屋の玄関をくぐり、俺の誘導に従いリビングへと進む。
「好きな所に座って、麦茶しかないけどいいかな?」
「はい、それでいいです」
と、少女は3人掛けのソファーに腰かける。
冷蔵庫かあ2リットルの麦茶のペットボトルを出し透明なグラスに注ぎ優香に手渡す。
「ありがとうございます」と喉が渇いていたのか優香はグラスの半分くらいを一気に飲み干し、グラスをローテーブルに置く。
「えっと、君は、俺の娘なのか?」
こんな幼い少女相手に酷な質問なのかもしれないが、聞かずにはいられなかった。
「そう、みたいですね」
「そうみたいって……」
「父の顔なんて知りませんので、ママから勇作さんの写真を見せられ、これが優香のパパだよって言われたらそう信じるしかないですよね?」
「まぁ、確かに……美香は俺の事をなんて?」
「散々貢がせておいて、沢山浮気されて、挙句の果てに自分を捨てたクソ野郎って言ってます」
「…………」
言葉を失った。
いや、言ってる事は間違いないけど、こんな小さい子供に聞かせる話じゃないだろうに……。
「……でも」
「うん?」
「凄くカッコいい人だって、勇作さんの事を貶した後は決まった様に言ってました」
「そうか……」
そこで、話は途切れた。
優香が眠たそうにしていたので、お風呂に入る様に伝え、俺は優香の寝床の準備をした。
俺のマンションは1LDKで、寝室は一つ。
たった数日の間だ。優香には俺のベッドで寝てもらって、俺はソファーで寝ればいいだろう。
本当に自分の娘なのか分からないのに、同室で寝るのはマズイだろう……。
そんな事を考えていると、優香がお風呂から上がってくる
うん……本当に美香によく似ている。
「あのぉ、何か?」
「い、いや、何でもない」
懐かしいと思って、ボーっと眺めてしまった。
「俺のベッド使っていいから、シーツは新しいのに交換したし、布団と枕もお客さん用の新しいのにしてあるから」
これくらいの歳頃の女の子も、オジさんの使ったものなんて嫌がるだろ。
「えっ? 勇作さんは、どこで寝るんですか?」
「俺は、ソファーで寝るよ」
「優香は、誰か横で寝ていてくれないと寝れないです」
「はい?」
「いつもは、ママが隣で寝てくれるから……」
おいおい、マジかよ。
「じゃあ、優香ちゃんはベッドに寝て、俺は下に布団を敷いて寝るよ。それでどうかな?」
これが最大の譲歩だ。
「それなら、まぁ……」
「俺明日早く出ないといけないからもう寝るけど、優香ちゃんはどうする?」
「優香も眠いので、もう寝ます」
俺と優香は取り決めた通り、優香はベッドで俺はその下に布団を敷いて横になり、電気を消す。
電気を消して、30分は経っただろうか?
明日は朝一で遠方のお客さんに会いに行くために、今日は早く寝ないといけないのに、寝付けない。ベッドの上からは、スース―と優香の寝息が聞こえる。良かった、無事に眠りについた様だ……。
そう言えばこの部屋に人を入れるのは初めてだな……。
真っ暗な俺の寝室は、俺の日常の四分の一を過ごしている俺だけの空間なのだが今日はやけに慣れない感じがする。
「俺の娘、か」
本当かどうかは定かではないが、凄く複雑な気分だ。
結婚を前にして、子供がいる事が発覚……正直不安しかない。
だが、美香は俺に押し付けはしないと言っていた。
美香は決して嘘をつくような人間じゃないから、本当にそうなんだろう。
そもそも、子供が出来たのなら、何で俺に連絡してくれなかったんだ?
知っていたら、俺も責任を取って美香と一緒になっていた筈だ。
いや、それは、美香の家族が許さなかっただろう……。ずっと、親もいない、家柄も良くない俺の事を毛嫌いしていたからなぁ、会ってもくれなかったし。
これから俺の義父となる社長とは正反対だ。「親が居ない? 家柄が良くない? ハン! ワシがお前の親になってやる。そんでもって、お前がこの会社を継ぐんだ!」
目から鱗だった。
ガサガサ
うん? ベッドから立ち上がる音が、優香のやつトイレか?
トイレの場所分かるよな? さっき教えたし。
と心配していると俺の背中に温かい体温が感じられる。
「えっ? ちょ、優香ちゃん?」
なんと優香が俺の背中にペタッとくっついて、寝息を立てているではないか。
「まじか……どうすんだこれ」
にっちもさっちもいかず、慌てていると……。
「……ぱ、ぱ……」
「えっ……?」
俺のリアクションに対する反応がないのを見ると、どうやら寝言だったようだ。
「はぁ~なんだかなぁ」
気持ち良さそうに寝息を立てている優香を起こして、ベッドに戻す気にもなれず、俺はそのまま瞼を閉じた。
◇
ブーッブーッブーッ――
スマホのアラームで目が覚める。
いつもなら、アラームは音に設定しているのだが、優香が起きるといけないと思って、バイブに設定を変更していたため、起きれるかどうか心配だったのだが、時間通り起きれてよかったと、胸を撫で下ろす。
時刻は、朝の4時30分。外はまだ暗い。
今日は地方のお客さんの所に朝イチで訪問する事になっているため、6時には家を出ないといけない。
本来なら、後もう一時間アラーム設定を遅らせるのだが。
俺はチラッと首だけ後ろを向く。
優香が、俺の背中にぴったりくっついてスヤスヤと気持ちよく寝ていた。
「ふぁ~さぁて準備するか」
俺は優香を起こさないように、最善の注意を払い布団からでる。
慣れていない地べたで寝ていたせいか、背中が痛い。
まるで自分の家ではない様に極力物音を立てずにそぉっと寝室を出る。
そして、洗面台で髭を剃り顔を洗ったのち、歯を磨く。
最後に髪をセットしてから、真っ白なYシャツを羽織スーツのパンツを履き、俺はジャケットではなく、エプロンを身に纏う。
夜は早く帰ってくるとして、優香の朝ごはんと昼ごはんを作るためだ。
俺が普段より早く起きたのは、この為である。
食べてくれるかは分からないけど、まぁ、作っておいて損はないだろう。
どんなものが好き何だろうと、少し悩み、朝はフレンチトースト、昼はチャーハンを作る事にした。
このメニューが嫌いな人はそんなにいないだろう。何よりも作るのにそんなに時間が掛からない。
俺は、ワイシャツの腕をまくり、調理に取り掛かった。
フレンチトーストを作り終え、チャーハンを炒めていると、目を擦りながら優香が寝室から出てきた。
「あれ? 起こしちゃったかな?」
時計を見ると時刻は5時。まだまだ、寝てていい時間だ。
「いえ、お気になさらず。あっ、おはようございます」
優香は何かを思い出したかの様に俺に朝の挨拶をする。
「うん、おはよう! どうする? 朝ごはん食べるか? フレンチトーストなんだけど」
「はい、いただきます」
「じゃあ、準備するから顔洗って、歯磨きしておいで」
「はい」
優香は俺に言われた通り、洗面台へと向かった。
挨拶もちゃんとできるし、素直でいい子だな。
俺は、二人用のダイニングテーブルの上に8つ切りの食パンで作ったフレンチトーストが二枚載っている皿を置く。そして、フォークとナイフ、はちみつを置いたタイミングで優香がすっきりした顔で戻ってきた。
「さぁ、こっちに座って」
「はい」
「飲み物なにがいい? 牛乳と飲むヨーグルト、あと……昨日と同じ麦茶があるけど」
「えっと、牛乳で」
俺は優香の返事に頷き、牛乳をグラスに注ぎフレンチトーストが載っている皿の隣に置いた。
「ありがとうございます」
「さぁ、温かい内に食べて。口に合うかどうかは分からないけど、変な物は入ってないと思うから」
「はい、いただきます」
優香は、トーストにはちみつをかけ、フォークとナイフを使って、トーストを一口サイズに切って、口に運ぶ。美香に似て、ナイフとフォークの使い方が非常に上手い。物音ひとつ立てないところをみると、良く教育されているなぁと感心する。
それよりもまずいとか言われたらどうしよと、内心ドキドキしている。
「口に、合うかな?」
優香は、フォークとナイフをテーブルの上に置き、牛乳を一口飲んだのち、「美味しいです」と返してくれた。
何だこれ、すっげぇ嬉しい……。
ただ、美味しいって言われただけなのに、何だこの感情は……。
「あの……」
「うん?」
「優作さんは、食べないんですか?」
「あぁ、俺はもう出ないといけないから。今日は少し遠くに行かないとでさ。あっ、お昼もチャーハン作っておいたから、レンジでチンして食べてね」
「そうですか……」
優香は凄く寂しそうな表情で、フレンチトーストを口に運ぶ。
うッ、胸にとげが刺さったかの様に、チクチクする。
「夜は早く帰ってくるから、そしてら一緒に美味しいものでも食べに行こう!」
この言葉に、優香は花が咲いたかの様な笑みを浮かべる。
破壊力が凄まじい……。
「おうちがいいです、優作さんが作ってくれるご飯が食べたいです」
心が躍るように、嬉しい。なんだよ、さっきから色んな感情に支配されているかのような、そんな感じだ。
「わかった。何か食べたい物、ある?」
まっかせろい、何でも作っちゃる!
「ハンバーグ、目玉焼きが載ったやつがいいです」
「分かった! 任せてくれ」
「やったぁ」
と、ここにきて、優香が初めて子供らしいリアクションをとる。少しは、俺に心を許してくれたかもしれないと嬉しく思う。
「そうだ、優香ちゃんの電話番号おしえてもらってもいいかな? 何かあった時に連絡がつく様に番号交換しておこうかと」
「それが……スマホが壊れたらしくて……」
優香は、画面がきえて反応しないスマホを俺に向ける。
「そしたら、俺の番号メモしておくから、万が一何かあったら一階のロビーにいるコンサルジュ、じゃあ分からないか、受付みたいなところにいるおねぇさんに電話を借りて、俺に掛けてくれれば、もし、出れなくてもここの番号は知っているから、俺が折り返すまでおねぇさんと一緒に待ってる事。いいかな?」
「はい、わかりました」
俺は、エプロンを脱ぎ、ダイニングチェアの背もたれに掛けて、スーツのジャケットを羽織る。
「じゃあ、俺、行ってくるから。家のものは好きに使っていいからね」
スペアーキーと俺の電話番号のメモを優香に渡し、俺は玄関へと向かう。
「あの!」
「うん?」
「い、いってらっしゃい……気を付けて、早く帰ってきてね?」
あぁ~もう。子供ってこんなに可愛いものなのか! くそ、だが、俺はいかねば……大事な商談がまっているんだ!
「わかった、いってきます」
俺は、後ろ髪を引かれる思いで、玄関の扉を開けた。
俺と優香は、時間を重ねる毎に距離を縮めていき、まるで親子の様な関係を築いていった。
今となっては、優香は俺の事をパパと呼ぶし、俺にすこぶる甘えてくる。
ずっと、こんな時間が続けばいいと思う様になってしまった。
だけど、残酷にもタイムリミットは近づいき、美香が優香を迎えくると約束していた、土曜日の朝になった。
今日は、俺の結納の日でもあるため、朝から慌ただしく準備を進めていた。
「パパ~そろそろママ来ると思うよ。9時半ごろに迎えに来るって言ってたから」
「分かった、優香も支度しといてな」
「うん、わかった!」
優香とはまた逢いたい。
父と娘でいたい。
俺は、今日の結納の席で、優香の存在を相手側に包み隠さず話すつもりだ。
もし、この話が破綻になってもいい覚悟で。
そう決心した矢先、スマホの着信音がなる。
ねぇちゃんからだった。
『もしもし、優くん?』
「うん、どうした?」
『今日の会場、〇〇ホテルであってるよね?』
「そうだよ、11時に〇〇ホテル」
『わかった、じゃあ、後でね』
そうだ、俺に内緒で美香と連絡とってたの咎めないと。
「それより、ねぇちゃん。なんで美香と連絡とってるの黙ってたの?」
『……うん? 美香ちゃんって、昔優くんと付き合ってた美香ちゃん?』
「そうだよ、白々しい、連絡とってたんでしょう? それで、俺が結婚するとか俺のマンションとかねぇちゃんから聞いたって」
『……何いってるの? 美香ちゃんとは優くん達が別れてから一度も連絡なんて取ってないよ?』
「えっ……? だって、美香が……」
どういう事だ?? 美香は、ねぇちゃんから聞いたって……。
ピンポーン、ピンポーン
チャイムが鳴る。時刻は9時半。美香かもしれない。
『ねぇ、優くん。どうしたの?』
「ごめん、お客さん来たから一旦切るね、続きは後で!」
俺は、無理矢理会話を終わらせ、モニターを覗くと美香の姿がそこにあった。
別れた時と比べて、全然変わっていない。俺の記憶の中の美香だ。
「ごめん、今開けるから」
『うん、お願い』
まぁ、ねぇちゃんとのやり取りは少し気持ち悪い感じはするが、本人に直接問いただそう。
俺は、玄関のカギを開ける。
「優香、ママきたから準備って……何してるんだ?」
優香の方をみると、なぜか優香は着ていた服を乱暴に脱ぎ捨て、一糸纏わぬ姿で、しかも、両手に手錠の様なものを掛けていた。
そして、ペタンと座り込み、ポロポロと泣き始める。
「おい……ゆう、か?」
ガチャッ!
「優香!!」
「ママあああ! 怖かったよおおおお、うわああああん」
なんだ!?
「この、変態!! 娘に何てことをしてくれたのよおお!! 刑事さん、娘いました!」
待ってくれ、なんなんだこれは!? 頭が全然回らない。
そんな俺を数名の男達が囲む。
「後藤優作! 児童誘拐、監禁の現行犯で逮捕する!」
「はぁ? 逮捕? 児童誘拐? おいおい、ふざけるなッ! 何だよそれはああッ! そもそも、美香、お前が優香を俺に預けたんだろうが!」
「何を言ってるのよ! 何で貴方みたいな変態に可愛い娘を預けないといけの!」
「優香は俺とお前の子供だろうが! お前が言ってたじゃねぇか!」
「何を訳の分からない事を言ってるの? なんで、優香が貴方の子供なのよ!? 妄想もいい加減にしてッ!」
「な、な、何を……そうだ、優香、ほら、俺の事パパって」
優香はの方へと視線を向けると、優香はまるで化け物でも見ている様な表情でブルブル震えていた。
「お、おじさんが、急に、優香の手をひっぱって、この部屋に連れ込んで、服を脱がせて、変な事を……うわああああん」
何なんだ……、この数日はなんだったんだ?
優香とのこの数日は、俺の妄想だったのか? 俺は、本当に優香を誘拐してきたのか?
分からない、何が正解なのか分からない。
俺の両腕に、嵌められた手錠は、ずっしりとして冷たかった。
どれだけ無罪を主張しても通らなかった。
そして、下された判決は懲役10年。
俺の事は大々的にニュースに取り上げられた。
もちろん、結婚の話もなくなり、会社も懲戒解雇に……。
勝ち組人生の階段を着実に歩んでいた俺は、転がる様に一気に落ちていった。
ねぇちゃんだけは、最後まで俺を信じてくれたが、犯罪者の家族というレッテルを貼られ、元の住処を追われ、遠くへと引っ越す羽目になった。
刑務所に入って、二年が経ったある日。
「987484号、面会だ」
俺は看守に連れられ面会室へ向かった。
俺に面会に来るなんて、ねぇちゃんしかいないが、先週きたばっかりだ。ねぇちゃんは遠くに引っ越したため、そんなにしょっちゅう来れない。誰だろう……。
「あ、ああ……ッ」
「思ったより、元気そうね。優ちゃん」
美香だ。俺をハメた美香が、妖艶な笑みを浮かべ対面に座っている。
ダン! ダン!
「みかああああッ」
一瞬で怒りに支配された俺は、透明な仕切りを拳で殴りつける。
見かねた守衛が、俺を叱咤し、俺の両腕を背後に回し手錠を掛ける。
「まぁ、怖いわ。そんなに怒らなくてもいいじゃない」
「お前のせいで! お前のせいでッ!!」
「そうね、確かに私のせいで、優ちゃんは今まで培ってきた物を全て失ったわ」
「ぐあああッ」
「一流商社での出世コースも、奇麗で従順な社長令嬢との結婚も、そして、手に入る筈だった会社もね」
あぁ……この女は全てわかった上で俺をハメたんだ……信じたくなかった。
出来れば俺の妄想であって欲しかった。
「なんで……なんでこんな事を……」
「だって~私、優ちゃんの事、ずーーっと恨んでたんだよ? あれだけ尽くした私をゴミの様に捨ててさぁ。それなのに、結婚するとかさぁ。ないでしょ?」
「俺の事をハメたって認めるのか?」
「うん、あれはぜーんぶ私が仕組んだ事」
やった! 言質がとれた!
「看守さん、聞きました!? 俺は無罪なんです! 全部、この女が仕組んだ事なんです!!」
俺の必死な物言いに対して、看守は何の反応も示さない。
「ちょっと、きいてるんですか! あんたに聞いてるんだッ! なぁ、おい!」
「ぷッぷふふはははははあはははははははは!」
「何が可笑しいんだよおおおお!」
「優ちゃんってバカだなぁと思って」
「バカだと!?」
「だって、そうじゃん。私がわざわざ自分に不利になる事をしゃべる思う?」
「どういう事……だ?」
「ねぇ、優ちゃん。私の家って、お金持ちなの」
「それは……知ってる」
学生とは思えない程貢がせていたから。
「いいえ、優ちゃんは、知らない。うちは超が十個くらい付くほどのお金持ちなの」
「だから、何がいいたいんだ! 金持ち自慢なら別の所でや……ま、まさか……」
「気づいた? 虫けらの人生なんて指先一つで潰せるくらい容易い事なんだよ?」
「ぜ、全部、お前の家の力が働いているというのか?」
「ふふふ、正解です」
美香はぱちぱちとワザとらしい拍手をする。
「……どこまでだ……」
「優ちゃんみたいな人が、あんな一流商社で出世コースに乗れると思う? あんな、容姿端麗、品行方正な社長令嬢と結ばれと思う? それに次期社長の座なんて……上手く行き過ぎていると思わなかった?」
「ま、まさか……全部?」
「そう、全部私が仕組んだ事なんだ。優ちゃんに復讐したくてね。幸せの絶頂に落とす、最高に楽しかったわ!」
全身が震える……。
目の前にいる化け物が怖いんだ。
「もし、優ちゃんが、私の事を捨てないで最後まで愛してくれたら……ううん、その話はなしだね」
「優香……は?」
「あぁ~あの子は、お金で雇った劇団の子だよ。演技上手だったでしょ? 私に似てる子を探すのに苦労したんだから」
止めどなく涙が溢れてくる。
全て偽りだった。
俺は、この女の掌でいい気になっていたんだ。
「もう、そんなに泣かないの、うふふふふふ。かわいいんだから」
俺が、美香を捨てなければ……美香だけを愛していれば……。
いや、元々美香に出会わなければ。
そんな後悔の波が押し寄せてくる。
「美香……頼む……俺は、もういい。お前の気が済むまで好きにしてくれればいい。ねぇちゃんだけは……ねぇちゃんだけには手を出さないでくれ……頼む!」
「ふーん、考えとくわ」
「頼む! 頼むッ!」
「もう、いくわ」
「頼む! 頼むッ! ねぇちゃんだけはッ!」
美香は、そんな俺に背を向けて面会室を後にした。
「優ちゃんは、バカだわ。私が里佳子さんに手を出す訳ないのに……バカ、優ちゃん……だけど、これで優ちゃんは死ぬまで私の物。うふふふふ」
最後まで読んで頂きありがとうございます。