幕間 白の桔梗と帝都騒乱
side クーリア
私はまだ慣れなくてギクシャクする体をなんとか動かしながら、百人余りいる人たちの最後尾を歩きます。
空中ではセラさんが、前に立ち塞がる魔物や、寄ってくる魔物を逐一排除していました。攻撃をするたびに眩しい光の剣閃や奔流が視界に入ります。
トワちゃんが月を紅く染めたままにしているせいで、周囲はまるで血のように真っ赤な薄気味悪い色になっていて、まるで現実ではない悪夢のような世界に迷い込んだような錯覚さえ覚えます。
人数が多いと、進んでいるように思っていても意外と距離が出ていないということはよくあります。私が後ろを振り向くとまだ帝都が見えていて、まだまだ油断ならない状況が続いていることに深い溜息を吐きました。それでも、誰も何も言わずに、ただ生き残るためにひたすら歩みを進めます。
どれだけ歩いたでしょうか。帝都を取り囲んでいた魔物達から無事に逃げることが出来て、今は大きな森の中にある聖樹フローディアの木の周りで一休みをしています。
まだ紅い月が見えるので夜だと思いますが、いつもの夜よりずっと明るいので時間感覚が分からなくなりますね。
大きな木の幹に腰かけると、今まで動けていたのがウソみたいに体が重くなりました。精神的にも肉体的(厳密にいうと私には肉体はありませんが)にも酷く疲れていて、今すぐにでも眠りたい衝動にかられてきます。
「エル、周りを見てきたけど、ここはしばらく安全だと思うよ。ここで休憩しようか。疲れたままの体で移動しても歩みが遅くなるだけだからね」
「わかったわ。聞こえたわね?食料と飲み物を出すから、順番に取りに来てちょうだい」
あの地獄のような帝都から命からがら生き残った僅かな人達は、食料と飲み物を受け取る度に涙を流しながらエルさんとセラさんにお礼を言っています。
私はその様子をぼうっと見詰めながら、トワちゃんと再会した時のことを思い出していました。今でも、夢だったのではないかと思ってしまいます。
――トワちゃん、すっごく綺麗になっていましたね。
前からとても可愛らしいくて目を見張るような美しさがありましたが、少し成長したトワちゃんの姿はさらにその美しさを増していて、いつもの無表情な姿からはどこか神々しさすら感じるほどでした。
――それに、底知れない強さでした。
トワちゃんに体を造り変えられる前の私は、半分以上意識が無い様なものだったので、一部始終を鮮明に覚えているわけではありませんが、トワちゃんはかなり手加減して、私を殺さない様に配慮しながら動いていたように感じました。つまりは、魔人化した私などいつでも殺せるぐらいには、今のトワちゃんは途轍もない力を持っていることになります。神獣になったと言われて、不思議に思わないくらいには隔絶した何かを感じたのです。
あれだけの力を持ち、あの容姿ですから、畏怖とか嫉妬とか、そんな色んな感情など感じるのが馬鹿馬鹿しくなってきます。もはや、神様のように信仰されていてもおかしくないですね。ひょっとしたら、もうそうなっているかも知れません。
「クーちゃん、食事はどうする?」
ふと気付くと、セラさんが赤茶色の目を心配そうに細めて私を見詰めていました。そのすぐ隣にエルさんもいます。
私は自分の体でない何かを動かしているような言い知れない違和感を感じながら、重い体に力を込めてゆっくりと立ち上がります。まだ、この体に馴染むまで時間が掛かりそうです。
「今は魔力も枯渇していますから、食料に余裕があるならば頂きます」
「それじゃ、三人で食べよっか。ゆっくり話もしたいし」
「そうね。お互いに情報を交換しましょう」
セラさんとエルさんで三人で囲むように地べたに座って食事をとります。
この場にリンナさんが居ないことがとても不思議で、そして、もう二度と一緒にご飯を食べることが出来ないのだと思うと、自然と涙がこみ上げてきました。でも、私に泣く権利はないです。だって、私が、リンナさんを殺したようなものなのですから。
「クーちゃん、その、大丈夫?」
私の様子がおかしいことに気付いたのか、セラさんが気づかわし気に声を掛けてきました。
私は今の顔を見られたく無かったので、うつむいたまま「大丈夫です」と答えます。
「リンナが居ないだけで、こんなにも違和感を感じるものなのね。エルフの生きる時間からしたら、関わった時間なんてほんの僅かなのに」
「ちょっと!エル!」
「甘やかしてはダメよ、セラ。リンナが死んだ理由の全てがクーリアのせいではないけれど、要因を作ったのは間違いなくクーリアなのだから」
「そうだとしても、なにもこの場でなんて・・・」
「いいんですよ、セラさん。トワちゃんにも言われましたし。私自身も理解していますから」
「クーちゃん・・・」
厳しい言葉を言いながらも、心配そうな目で私を見ているエルさんに目を合わせました。全てを知ることが出来なくても、私には知る必要があります。
「エルさん、帝都で私と会った後のこと、リンナさんとの最後の会話を教えてください」
「・・・・・・分かったわ」
* * * * * *
side エルアーナ
帝都で行方不明になったクーリアを探す為に調査をしていると、次々と『不穏なモノ』の影が見え隠れしていることに気付いた。
そして、その『不穏なモノ』は最悪の形になってその姿を現した。
最初は、ただおかしくなった兵士が暴れたのだと思っていたら、あちこちで次々と兵士達が暴れ始め、一般人の心臓を抉り出しては食べ、魔石のようなものを死体に押し込んでいく事態が起きた。そこから一気にどこからともなく魔物が街の外からなだれ込んできて、帝都内はあっという間に戦場になった。
「くそ!くそ!何がどうなっている!?こいつらは何なんだ!?」
「リンナ、落ち着いて。あの兵士達はセラに浄化してもらいましょう。魔人に似た存在みたいだから、私達が戦ったら時間が掛かるわ。今は兎に角、魔物を倒して民間人を避難させるわよ」
「ちっ!クーリアも探さないといけないっていうのに!」
地獄はまだ始まったばかりだった。魔石のようなものを埋め込まれた無数の死体は、息を吹き返して兵士達と同じ様に暴れまわり始めた。
全ての死体がそうなるわけでは無く、そのほとんどが魔物のような異形の化け物になったのだけれど、この化け物達も魔物と同じように暴れ始めた。
最初は抵抗していた冒険者達もその数を相手に手が回らなくなり、なんとか帝都中から集まった民間人と一緒に帝都を脱出した。
その時点ではまだ街全体が魔物に囲まれていなかったけど、冒険者ギルド主体のこの団体がどうなったのかまでは、私にはわからなかった。私達も護衛を頼まれたのだけど、クーリアを見つけるまではここを離れるわけにはいかないと辞退した。
ほとんど一日中戦いながら帝都を歩きまわり、気付くと逃げ遅れた人達で身動きがとれない状態になってしまった。
「困ったわね」
「セラから連絡は?」
「無いわ」
――あちこち戦闘しているうちに、桜から預かった連絡用の式神も壊れてしまったし、これ以上帝都に残るのは危険ね。
リンナも薄々はそれを感じ取っているのでしょう。妙に焦っている様子が少し心配だった。
「後は動き回れるセラに任せましょう?私達がこの数の民間人を連れて動き回るのはもう無理よ。事態もどんどん悪くなっている。最悪はクーリアが見付からなくても・・・」
「そんなことは解っている!」
リンナが大きい声を出したせいで、民間人達が騒めきだした。
私がなんでもないわと言って騒ぎをおさめてリンナに向き直る。やはり、焦っているわね。この状況かで取り乱すのはとても危険だわ。
そんな時に、セラが天使の羽根を撒き散らしながら私達のところに帰って来た。私達の顔をみてセラは顔を横に振った。どうやら手掛かりは無かったようね。となると、もう限界かしら。
「街が完全に魔物に囲まれている。街の中も魔物と魔人達で一杯。もう限界だね」
「くそ!」
「クーリアの無事を祈るしかないわね。セラ、魔物達の包囲に穴を・・・」
ほんの一瞬だけど、通りを裏路地に消えていった人影が見えた。あれは、クーリアにとてもよく似ていたような・・・。
「ん?どうしたの?」
「いえ、クーリアに似た人があっちの路地に見えたような気がして・・・」
「本当か!?」
「見間違いかもしれないけど、それだけ確認したら本当に最後だよ。いい?」
「ああ、分かった」
「私も行くわ。結界を張れば少し離れても大丈夫だから」
不安そうな民間人達から遠くに離れないようにして、私達は裏路地に入っていった。
不思議と周囲に魔物の姿は無く、代わりにクーリアによく似た体型の、長い黒髪を下ろした少女が私達に背を向けるようにして立っていた。
――なに?クーリアなのは間違いないのに、何か違和感が・・・
「クーリア!」
「っ!?リンナ待って!」
クーリアの姿を見たリンナが慌てて駆け寄り、セラも私と同じ違和感を感じ取って制止したけれど、遅かった。
背を向けるクーリアの肩をリンナが掴んで振り向かせると、感情の一切無い顔のクーリアが血のように赤い瞳を輝かせて顔を上げたのが見えた。その手には拳銃型の魔道銃が握られているのに気付き、私は声をあげる。
「リンナ!!クーリアから離れて!!」
その声は間に合わず、クーリアが震える手で拳銃をリンナのお腹に突き立てて引き金を引いた。
「えっ?・・・クー、リア?」
「リンナ!!」
「あ・・・あ・・・わた、しは・・・」
極近距離で放たれた空間属性の刃がリンナのお腹に大きな穴を空けて、周囲に鮮血が飛び散った。
クーリアは震える声で何かを呟いたあと、すぐに身を翻して姿を消した。その速さは普段のクーリアではありえない速度だった。
「ぐっ、っ!待て!クーリア!!」
「リンナ!すぐに治療を!」
「私のことはいいからクーリアを追え!!あの速度じゃ、セラでないと追い付かない!!」
「でも・・・」
「早く!!行け!!これ以上、大切な仲間を失わせないでくれ。頼む・・・」
「リンナ・・・」
それでもセラが躊躇っている様子だったから、私が援護することにした。
「セラ、リンナの治療は私がやるわ。だから早く行って!」
「~~っ!!わかった!リンナ、絶対に無理しないでよ!行ってくる!!」
「頼んだぞ・・・!」
セラがクーリアの後を追いかけるのを見送って、私はすぐにリンナの傷の治療を始めた。
あまりにもひどい怪我で、私では完全に治療出来ないけれど、なんとか傷口を塞いで出血を止めた。かなり魔力を使ってしまったわね。回復薬飲まないと。
「すまん、エル」
「良いのよ。後はセラに任せましょう。最後にこれを飲んで。痛みが和らぐはずよ」
リンナの治療を終えて民間人達と合流した私達は、逃げ場所を確保する為に帝都にある大きな道が合流している広場まで移動した。ここならば見晴らしもいいから、事前に魔物も発見出来るはず。
私は精霊達に頼んで、闇の精霊に周囲に影を落として視覚で発見されにくくし、更に風の精霊にお願いして音を遮断して臭いを真上に逃がすような結界を張った。気配はどうしようもないから、気配に敏感な魔物が来ないことを祈るしかないわね。
――精霊達のおかげで魔力の消費を抑えられたけど、状況は最悪ね。セラが早く戻ってくることを祈って待つしかないか。
「クーリアの手、震えていた」
突然、リンナが話し掛けてきた。私はリンナの言葉に頷く。
「ええ。それに、貴女を攻撃した後の動揺の仕方・・・操られている可能性が高いわね」
「それだけじゃない。あの異常な気配、あの目の色。あれは・・・」
リンナがそこで口ごもった。残念だけれど、否定する材料がない。恐らくクーリアはあの妙な魔石を埋め込まれて魔人化しているのでしょう。今思い出してみれば、クーリアの魔力は途轍もなく多くなっていたように思う。でも、何故クーリアがあんなものを埋め込まれたのかがわからない。居なくなった時には争った後も何も無かったし・・・まさか、誰かに誑かされて自ら魔人になったの?
「セラがトワを殺した時に、しばらく常春の都に居たことがあっただろう?」
「ええ。あったわね。それがどうしたの?」
「その時に、少し目を離している間にゼストの野郎と何か話をしていたようだった。クーリアも随分と動揺していたし、あの時に何か吹き込まれたのかもしれないな」
「そんなことがあったの・・・」
確かにゼストならば、なにかクーリアの弱いところを利用して操ろうとするかも知れないわね。あの時はセラに付きっきりで、クーリアのことまできちんと見てあげられなかった。今更のことに酷く後悔する。
「くそ!私がもっとクーリアを気にかけていれば・・・!」
私と同じことを思ったリンナがそう言って地面に拳を叩きつけた。リンナはクーリアのことをそれこそ妹のように想っていただけあって、あんなことになったのがとても悔しいようね。
後はセラに任せていれば大丈夫。そう思っていた私達の前に厄介な魔物が突如近くの建物を破壊して広場に現れた。
帝国に生息する『巨兵』と呼ばれる、身長が三メートル超える人型の魔物だ。ソルジャーの名の通り非常に戦闘力の高くて、冒険者ギルドでは単体でAランクに指定されている。しかも、こいつらは基本的に四体以上の小隊から中隊規模で動くことが多いから、実質的な討伐難易度はSに近いとされている危険な存在だ。
小隊規模で動くこいつらには、必ず索敵に優れた斥候役が存在する。その斥候の巨兵が私達を発見するのにそれほど時間は掛からないだろう。
――この人数で逃げるのは厳しいわね・・・。
「エル!私がここでこいつらと戦う!!民間人を連れて逃げろ!!」
「リンナ、何言っているの!?さっきの傷だって塞いだだけで完全に治療はしていないのよ!?死にたいの!?」
「それならどうするんだ!?このままじゃ、全員死ぬぞ!!」
「くっ!それは・・・」
私がリンナを置いていくことに躊躇っていると、リンナが私の肩に手を置いて私を見詰めた。あぁ、この眼は、あの時と同じ・・・
「ここは、私が残ってあの魔物共を殲滅させる。民間人がいると邪魔だから、エルが連れていってくれ」
リンナの目には強い決意が見えた。死を覚悟した目。500年前のあの時に見た、彼女と同じ目をしていた。
――また私は、大切な友人を喪うの?
「ダメ、ダメよ・・・。私もここに残っ・・・」
「エルアーナ!!」
私の言葉をリンナが強引に遮ると、首に下げていたネックレスをとって私に手渡してきた。思わずそれを受け取ると、リンナはニカッと笑います。
「トワから貰った大切なやつだ。預けておくから、持っていてくれ。私は鬼だぞ?体だけは丈夫なんだから心配するなって。だから・・・行け。頼むから」
「リンナ・・・。いい?必ず、戻ってきて」
「任せとけって」
そう言うと、リンナは大剣を手に持って結界の外に出ていった。
私は恐怖に染まった顔で私達の様子を伺っている民間人達を先導するように結界から外に出て魔物達が居る反対側の通りに向かって走った。
結界から出た瞬間に、一度だけ後ろを振り向くと、リンナが鬼化した状態で、巨兵達と大立ち回りしているのが見えた。加勢したい気持ちを必死に押し留めながら、私は私のやるべきこと全うするために行動する。
リンナのおかげで、なんとかその場から離れることが出来たけれど、まだ安心するには早かった。
「くっ、魔物の数が多すぎる!」
大通りには、広場の戦闘音を聞き付けた魔物が集まりつつあった。その魔物達は、たくさんの人を連れている私の方にも向かってくる。
「射ぬけ!」
広範囲の魔法を使って一気倒したいけれど、そんなことをすればより魔物達が集まってくる危険がある。仕方なく私は、弓のアーツで寄ってくる魔物の足を止めることにした。
――これ以上大通りを移動するのは無理ね。
「皆さん!そちらの路地に移動して!取り乱さずに落ち着いて、でも急いで!」
普段は戦いなど無縁な一般人にしては、パニックにならずにとても頑張ってくれていると思うわ。けれど、女性や子供はかなり疲れた顔をしているわね。そろそろ逃げ回るのも限界かしら。
魔物達を足止めしつつ、路地の少し開けた場所まで移動した私は、再び結界を作って小休止することにした。
今まで我慢していたけれど、ついに恐怖に耐えられなくなったのか、まだ小さな子供が静かに泣き始めた。そんな子供を母親が宥めている。
――精神的にも肉体的にも、もう限界ね。セラとリンナが戻るまで死力を尽くしてここを守りましょうか。
ハイエルフとしての力を持っていれば、あの程度の魔物に遅れをとることもないのだけど、それはわがままな話ね。私は自分で望んでその力を捨てたのだから。
無い話をしても仕方ないわね。じきに足止めした魔物がなだれ込んでくるでしょう。ここが正念場ね。
そして、ほんの少しの休憩が終わり、私の予想の通り、いや、予想以上の魔物がやってくるのを感知した。
魔力を節約するために、攻撃に使う魔力は魔弓のみに限定して、残りは防御に回せば時間は稼げるはず。
戦いが始まった。どんなに魔物を倒しても、際限無く魔物が集まってくる。とにかく、無我夢中で弓を放っていた。けれど次第に、防御に意識を割かなければいけなくなる場面が増えてきて、気付けば魔力もかなり少なくなっていた。
――このままじゃ、後三十分ともたないわ・・・!早く!早く戻ってきて!
私の願いが届いたのか、突如雨のように降り注いだ槍が、私達を取り囲んでいた魔物達を一掃した。でも、これはセラによる攻撃ではない・・・。
「い、一体、何が・・・?」
私達を助けてくれた人は魔物の死体の影に降り立ったのか、姿が見えない。
そして、死体を全て収納魔法で回収したのか、一斉に消えた魔物の死体の影から出てきた人影に私は自分の目を疑った。
汚れを知らぬ純白のような白銀の長い髪の毛一本一本が、歩くたびにさらさらと揺れて煌めいていた。零れんばかりの大きさの宝石のように透き通った赤い瞳が私の姿を捉えている。
そして、作り物のように整った顔立ちは、少女と大人の女性の間にある最も曖昧で美しい瞬間を映したような可愛らしさと美しさを併せ持っていて、感情をうつさない顔にはどこか神々しさすら感じた。
まだ少女と呼べる幼い体躯ながら、その存在感に、その場にいる全ての人が口をつぐんで彼女に魅入られた。でも私は、違う意味で彼女から目を逸らせないでいた。
「皆さんはここで待っていてちょうだい。少し、話をしてくるわ」
状況すら忘れて少女に見惚れている民間人達に声を掛けてから、私は結界から出て少女の方に歩いていった。少女のことも気になるけど、少女が抱えている人物にとても嫌な予感がしていた。
それらを抑えながら、私は努めて平然を装って少女に声をかける。
「トワちゃん、なのよね?まさか、生きていたなんて・・・。それに、ちょっと成長したのね。可愛らしさはそのままで、とても綺麗になっているわ」
「・・・それはどうも。それよりも、リンナさんを預けますよ。放っておくと死体を利用される危険もありますので、ちゃんと持ち帰って、きちんと供養してください」
「ええ、わかったわ・・・。う・・っ・・リンナ・・・このバカ。任せとけって、必ず戻ってくるって、言ったじゃないの・・・っ・・・」
少女・・・トワちゃんから変わり果てたリンナの体を受け取ると、必死に抑え込んでいた感情が一気に溢れだして止まらなくなった。
「・・・細かい事情は知りませんが、起きていることは大体わかっています。それと、わたしは春姫さんから貴女達を助けるように言われましたが、わたしは今の立場的に人間達にそれほど多くの手は貸せません。・・・春姫さんが帝国の国境門付近で生き残りを王国方面に逃がしているそうなので、後は貴女達でなんとかしてください」
――何故この娘はこんなにも冷静なの?短い間とはいえ、一緒に旅をした仲間なのに。
私は思わず詰るような目でトワちゃんを見た。でも、すぐにその感情は霧散した。彼女の顔は確かに感情の見えない無表情だったけれど、その瞳には自分の心を守るために、激情に揺れる感情を殺して蓋をするかのように、痛々しいほどの『無』が見えた。
そのあまりの痛々しさに、思わず彼女から視線を逸らす。
「そうね・・・。ここで泣いても状況は良くならないわね。でも、私の魔力ももう残り少ないし、セラもクーリアを追ったまま戻ってこないし、私一人ではこの人数の民間人をこれ以上守るのも難しいわ」
リンナの死が思っていた以上に堪え、つい、弱々しい声になってしまった。
トワちゃんはそんな私を見ておもむろに収納から色々と取り出しかと思えば、何やら取り出したものを粉々にして飲み物っぽいものを作ってそれをコップに入れると、そのコップを私に差し出した。
「・・・貴女、エルフの女王でしょう?どんな事情があって冒険者としてあちこちふらふらしているのかは興味ありませんが、仮にも王族であるならば、そんな顔して弱音を吐かないでください」
「どうして私が、エルフの女王だと知っているの?」
私は驚いて、思わず勢いのままその飲み物らしきものが入ったコップを受け取ってしまった。え?これ飲むの?
「・・・そんなことはどうでも良いです。・・・セラさんが居ればここから逃げ出せますか?」
「セラが居れば、取り囲まれている魔物の群れに穴を空けることが出来るわね。そうすれば私が生き残りを逃がすことも出来るわ」
「・・・そうですか。では、わたしがセラさんを見付けて呼び戻しましょう。・・・クーリアさんですが、状況次第ですね。何があったのです?」
トワちゃんに聞かれて、私はクーリアと会った時のことを伝えた。彼女が魔人になったことも。
すると、何か考えるように彼女の目が虚空を向いたので、その間に私はトワちゃんから貰った飲み物(?)を一気に飲んだ。味は・・・思ったよりも不味くないわね。美味しくはないけれど。でも、魔力が中々の勢いで回復していく。これならば、すぐに最低限の魔力分だけでも回復出来るでしょう。
私が謎の飲み物を一気に飲みして魔力の状態を確認していると、トワちゃんが軽く頭を振ってから話の続きを始めた。
「・・・それは二日前の出来事ですか?春姫さんの話では、今の混乱は二日前から起きていると聞きましたが」
「いえ、今日の・・・六の鐘ぐらいの時間かしら」
「・・・六の鐘、お昼の二時くらいですか」
トワちゃんが呟くようにそう言うと、ちらりと私の背後を見てから、トワちゃんの後ろでずっと控えていた親子らしき人達に声を掛けた。
ずっとこちらの様子を離れたところで見ていて私も気になっていたのだけど、どうやら人族ではないようだし、誰なのかしら?
「・・・弥生、卯月、如月はここに残ってこの人達の護衛をお願いします。わたしは城の方に向かいます」
「あるじさまの命令ならば卯月は了解したのです!でも、ここに寄ってくる敵は倒すのですが、人間達を守るつもりは無いのです!自分の身は自分で守ってもらうのです!」
「うん。あるじ様の命令には出来るだけ従いますけど、如月達はあるじ様を裏切って殺そうとした奴の護衛なんてしないです」
「・・・そうですか。では、命令を変えます。この辺りに近付いてくる魔物を排除してください。無理は禁物ですよ。無理だと思ったら人間達は置いて逃げてもいいです。・・・これで良いですか、弥生?」
あまり乗り気では無さそうだった大人の女性・・・恐らくはあの子供達の母親だと思うけれど・・・にトワちゃんが最後に確認するように聞くと、彼女は渋々ながらも承諾した。
――今更だけど、トワちゃんの周りは一体どうなっているのかしら?
「ねぇ、トワちゃん?一体あの後、何があったの?最初はトワちゃんの容姿が変わったことしか気付かなかったけど、魔力も恐ろしいくらいに増えているし、主だなんて呼ばれているし・・・」
「・・・その話はまたいつか、会う機会があった時にでもしましょう。わたしはセラさんとクーリアさんを探してきます。最悪、見付からなかった場合に備えて、対策でも考えておいてください」
気になった私が質問するけれど、トワちゃんが今はそんな状況ではないと言外に答えた。確かに、今はそれどころではないわね。次に会う機会があることを期待しましょうか。
最後にトワちゃんを裏切り、殺そうとした人族である私達を、こうして助けに来てくれたことにはお礼を言わないといけない。本当ならば見捨てられて当然なのだから。
「そうね。・・・トワちゃん、その、助けに来てくれて、ありがとう」
「・・・まだ、助かるかはわかりませんけどね。では、弥生、卯月、如月、ここは任せます」
「お気をつけて」「任せてなのです!」「あるじ様も頑張ってください!」
残された三人は、姿が見えなくなるまでじっとトワちゃんのことを目で追いかけていた。
やがて姿が見えなくなり、親子の間で何度かやりとりをすると、幼い双子がおもむろに武器をどこからともなく取り出して手に持った。って、なにあの物騒な武器。あれってトワちゃんが一時期使ってたモーニングスターっていうやつじゃなかったかしら?
私が唖然としながらその様子を見ていると、双子の母親らしき人物が振り返って私と目を合わせた。その金色の瞳には敵意にも似た気配を感じ、無意識に警戒心を上げる。トワちゃんが残していったこの人達は敵ではないけれど、きっと味方でもない。
「主様が任せたと仰いましたので、この場に寄りつく魔物は排除しましょう。ですが、主様の優しさに付け込み、そして裏切った貴方達を守るようなことは致しません」
「解っているわ」
それきり彼女達と話すことはなかった。私は後ろから援護出来るように身構えていたけれど、そんな必要がないくらいに彼女達は強かった。特に、前衛でモーニングスターを振り回しているまだ幼い少女。その可愛らしい見た目とは裏腹に、何倍もの体格差のある魔物を鉄球で次々と屠っていく。他の二人はその支援をしている感じだった。
守るつもりは無いと言いながらも、私達のところに一匹も魔物を通さないので手持ち無沙汰になってしまった。私の支援や援護も必要とされていないようだし・・・。
そんな戦闘を眺めている間、私は今はもう見えないトワちゃんの姿を思い出しながら厚かましくも願った。どうか、クーリアを助けてあげて欲しいと。
* * * * * *
side セラ
リンナを攻撃したクーちゃんを追っていると、突然〈危険察知〉が働いたのを感じて体勢を変えてその場から跳び退いた。私が立っていた場所はすぐに多数の不可視の魔法弾によってボロボロに破壊された。
「くははは!さすがだなぁ、セラ。今のは完全に不意打ちだったんだがなぁ」
私は苛立たし気に上空を見上げる。そこには、いやらしい笑みを浮かべたSランク冒険者のゼストが浮かんでいた。私はすぐにゼストの状態もおかしいことに気付く。
「あなたも、魔人になったの?」
「まぁ、そんなところだ。聖人じゃあこれ以上の強さはほぼ打ち止めだからな。折角の機会だから生まれかえってみた。どうだ?なかなかいけてるだろ?」
「今まであなたのことを同じ人だと思いたくなかったのだけれど、本当に人で無くなってちょっと安心したよ」
私が睨みつけながらそう言うと、くっくっくっとゼストが笑い始めた。その少し後ろの建物の屋根にクーちゃんが立ち止まってこちらを見ていた。
「悪いけど、あなたと遊ぶ時間はないの。そこ退いて。クーちゃんを返して!」
私がそう叫ぶと、ゼストが嗜虐的な笑みを浮かべる。
「そうかそうかぁ。でも残念だったなぁ~。黒猫はもう俺の道具なんだ。おい黒猫!おめえは城の方に行って例の準備を整えておけ。それが終わったら別塔にでも待機してろ」
「・・・わかりました」
「クーちゃん!?」
私の声がまるで届いていないかのように、クーちゃんは私に見向きもせずにその場から去っていく。ここで見失うわけにはいかない。なんとしてでも連れ帰らないと!
後を追おうとすると、再び不可視の攻撃に反応して〈危険察知〉が働いた。私は反射的にそこから飛び退く。予測通り魔力弾が降り注ぎ、家の屋根が吹き飛んでいった。
「ゼスト!邪魔するのなら、今日は本気で殺すよ?」
「出来るのか?未だに人間のお前が?中途半端な聖人のお前が、魔人になった俺に勝てると、本気でそう思っているのか?」
「出来るか出来ないか、試してみればわかるよ!」
そう言って私は一気に〈熾天使〉の力を解放して六翼を展開させた。力を弱めて、ギリギリ体が変異しない程度まで抑制する。いつもやっていることだ。
あまり時間は掛けられないし、ゼストが余裕そうにしているうちに一気に叩き潰す。持ちうるスキルと身体強化の魔法で体を強化すると、私は一息にゼストの目の前まで移動して下から切り上げるようにして聖剣を振るった。
でも、ゼストは私の攻撃を易々と躱してそのまま反撃の魔法を繰り出した。それらの魔法を聖剣で強引にぶった切る。おかしい。不可視の弾丸はともかく、大体の魔法は詠唱を唱えるはずなのに、全く詠唱していない。魔法陣は使っているみたいだけど。
「気になるか?俺が詠唱無しで魔法を使っていることに」
「・・・・今はそんなことよりも、クーちゃんの方が大事だから。そこ退いて」
「まぁまぁそう言うなって。ちょっと聞いてけよ。とても面白い話だぜ」
ゼストはまるで一人演劇のように両手を広げて声を上げた。ムカついたから有無を言わさずに切りかかる。でも、それもあっさりと躱されてしまった。魔人になって身体能力が上がった?以前のゼストなら避けられないはずなのに。
「無言で切りかかるなんておっかねぇやつだな。まぁとにかく聞けよ。魔法には『詠唱』と『魔法陣』が必要だ。なぜだか知っているな?」
「どうでもいい」
私が言葉だけでなく物理的にも切り捨てようとすると、やはりサッと躱された。ここまでは読めていたから、私は彼を無視してクーちゃんを追おうとした。けれど、私が移動しようとした先の空間がいきなりひび割れ、その亀裂を元に戻そうと大量のエネルギーが集まって、そして爆ぜた。
間一髪で爆発から逃れたけれど、再びゼストの前まで戻されてしまう。思わす奥歯を噛み締めて目の前にいるゼストを睨みつけると、剣を構えなおした。やっぱり、こいつをなんとかしないとダメか。
性格は最悪だけど、ゼストは聖人でSランク冒険者の一人だ。特に魔法のスペシャリストで、恐らくはクーちゃんよりも知識、技術は圧倒的に上だろう。さっきの魔法だって、空間魔法の類だろうけど、恐らくはオリジナルの魔法だと思う。少なくとも私は知らないし使えない。実力でいったら、人間界では間違いなく上位に位置する存在なのだ。性格は最悪だけど!
――普通の魔人よりもとても厄介で面倒な相手だよ。
心の中でそう毒づきながら相手を観察する。どうやらゼストは今の自分に酔っているようだから、必ず隙が生まれるはず。早々に決着つけたいけど、焦れば焦るほどこいつを倒すのに時間が掛かってしまう。とにかく、落ち着かないと。
「おいおいおい。せっかくの楽しいパーティーだろう?もうちょっと楽しもうぜ。どうせ、今から行ったってあの黒猫はもうどうにもなんねぇよ」
――相手の言葉に踊らされないように。感情に任せて剣を振るわないように。うん。大丈夫だ。
「いいよ。キミの戯言を聞いてあげる」
「はっ!そいつはけっこう。今の俺は気分が良いからな」
ゼストは本当に気分が良さそうにそう言った。どこからともなく魔力の塊を作り出して弄びながら、説明を再開する。私はあえて敵意を完全に消してそれを大人しく聞くことにした。
「『詠唱』は魔法のイメージを固定化する、いや違うな、イメージをしやすくするために行われるものだ。万人がイメージしやすいように先人達がこういう『詠唱』をすればこういう魔法が出来るというのを長い時間をかけて刷り込んでいった。それが今の魔法の根底になっている」
「そうだね。だからこそ、独学の人ほど『詠唱』が滅茶苦茶だったり、慣れた親しんだ魔法は無詠唱で発動することが出来るようになる。こんなことは、魔法に携わっている人なら大体知っていることだけど?」
「ああそうだ。そして、魔法における『魔法陣』とは、対応する魔法スキルの効果を相乗させてより効果を上げるために使われるものだ。だからこそ、火魔法スキルのレベルが1でも、火炎魔法スキルの効果を持つ魔法陣を使用することで、魔法の成功率を上げてなおかつ威力も上げることが出来るようになる」
「そうだね。『詠唱』は最終的に必要ないけれど、『魔法陣』が重要視されるのはそういう理由だよね」
「でも、実は『詠唱』にもイメージをしやすくする以外にも意味があることを知っているか?」
「君が提唱していた『言霊』というやつでしょう?発した言葉は意味を持ち、意味を持った言葉は力になるっていうやつ。実際に『詠唱』がある方が魔法の威力や能力が上がっていることも証明していたじゃない」
「その通りだ。で、何故俺が今『詠唱』していないか、疑問に思わないか?」
確かに。『力』に固執しているゼストは少しでも強くなるためならばどんな手間も惜しまない。『詠唱』で魔法の威力が上がるなら彼が使わない理由はない。
私は考える素振りをしながら静かに魔法の準備をする。最後まで話を聞いてやるつもりもない。
「俺が『詠唱』を必要としなくなった理由。それは、〈原初魔法〉と〈魔力体〉を手に入れたからだ。お前が可愛がっていたあの魔人みたいにな」
ゼストがあの子のことを口にした途端、私の心が急激に冷えていくのを感じた。あの小さな体を剣で貫いた感覚が蘇って、剣を握る手が震える。
「あの魔人が何故あんなにも自然と強力な魔法が使えたのかずっと気になっていたんだよ。理由は簡単だった。〈原初魔法〉はあらゆるイメージを魔法として再現することが出来る。それに加えて〈魔力体〉により魔力を操ることは自分の体を操ること、つまり手足を動かすようなものに似ている感覚になる。あくまで自分の魔力限定だかな。だから、『言葉』という『意思』が無くても十分な能力で魔法を使うことが出来るんだよ。こんなふうにな」
片手をあげたゼストが私が密かに用意していた魔法を対抗魔法で消していった。やっぱり気付いていたか。聖魔法たから大丈夫だと思ったんだけど、きちんと対抗魔法を用意していたみたい。
「聖人でも〈魔力体〉になるが、肉体に縛られるからその恩恵があまりにも少ない。あくまで肉体の老化を抑制するのが精一杯で、心臓を貫かれたり、頭をはねたりしたら死んじまうからな。それでも肉体に縛られようとするのは、無意識のうちに魔物とは違う存在でいたいという気持ちがあったんだろうな。この俺にも。お前なんか聖人になるのすら拒絶しているがな」
「・・・」
――魔法で戦うのはやっぱり無理か。身体強化魔法すら消せるようだし、もう純粋な剣術で倒すしかないかな。
私はトワちゃんを貫いたあの時から、どうも剣を握るのに躊躇いが出るようになっていた。それでも、ゼストよりは接近戦は有利なはず。
「話は終わった?じゃあ、そろそろ通してくれないかな?」
「おめぇもわっかんねぇ奴だな。あの黒猫はもう手遅れだよ。助けることなんて不可能だ。なんだ?いっそのことお前が殺してあげるのか?」
「クーちゃんは仲間だもの。絶対に助ける」
「はん!何もかもが中途半端なお前じゃ、何にも救えねぇよ」
もう話すことなんてない。私は剣を再び強く握りしめて魔力込めた。相手が魔人ならば、私の剣が当たればそれだけで致命傷になる。とにかく、当てるだけでいい。
「それじゃあ、話したいことも話せたし、そろそろはじめるか。遊んでやるよ。熾天使?」
「余裕ぶっていられるのも、もう御終いにさせる!」
「それはこっちの台詞だ。今のお前じゃあ、俺は殺せねぇよ」
話が終わるのと同時に素早く踏み込んで距離を詰める。魔力を流して刀身を大きくした聖剣で一息に何度もゼストに切りかかった。でも、その全てを躱されて、カウンターで炎と氷の渦が飛んでくる。魔法ならば私の〈浄化〉で切り伏せられる。難なくそれを浄化すると、今度は空間を凍らせる魔法で私と私の周囲を一瞬で凍らせた。でも、すぐにその氷も破壊する。
――ちょっと驚いたけど、コンゴウさんから教えてもらった浄化の鎧が役に立ったかな。
その後も楽しそうに笑いながら戦うゼストにひたすら攻撃を仕掛けるけどどれもこれも躱されて、しかも躱された後に反撃を受けてしまう。相手の攻撃は魔法だから全て無力化出来るけど、浄化の乱用で魔力の消費が激しい。どちらも決定打に欠けるけれど、どちらかというと、私の方が劣勢といえた。
時間は掛けたくないのに、どんどんと時間だけが過ぎていく。冷静になれと頭に訴えかけても、焦りが私の心を支配し始めていた。
「くっ!ゼスト!いい加減そこをどいて!」
「はっ!まだまだ遊び足りないだろう?ほらほら!!」
「ああもう!!あなたって本当に最低!!!」
苛立ってきた心が、そのまま私の言葉に現れるように、私の言葉もどんどんと乱れていく。頭では冷静になれと落ち着けと叫んでいるのに、私の心は、体は、その言葉を無視して感情のままに攻撃を仕掛けている。
「人を辞めてまで、あなたって人は!!」
「くはははは!!どうしたどうした熾天使さんよぉ!?もっと俺を楽しませろやぁ!!!」
「っ!」
「そら!動きが遅いぜ?頑張れよ、人類の守護者様よぉ!!!」
私には理解出来ない。人間であることを捨てて、人を守れる力があるのに、その力で人を傷つけようとすることが、私には理解できなかった。理解したくなかった。
「良いのか?早く俺を殺さないと、もう二度とあの黒猫には会えなくなるぞ?くはははは!!」
「この!!クーちゃんにこれ以上手を出したら、その魔力の肉体を塵一つ残さず浄化してやる!!」
心は冷静なのに、体だけはまるで勝手に動いているかのように叫んでいた。いや、たぶん、心も冷静じゃない。彼の言う通り、私は中途半端で、人類の守護者なんていう大層なものにはなれないってことを理解していた。だからこそ守りたい。中途半端な私でいられる『白の桔梗』という『居場所』を守りたい。だから、クーちゃんを、必ず、取り戻す!
それでも、私の攻撃は一太刀も届くことはなかった。なんでこんなに反応出来るの?今更ながらに疑問に思う。一度も見せたこともない初見殺しのアーツだっていくつもやったのに、その全てを躱される。まるで未来が見えているみたいに。それか・・・。
「まさか・・・」
「あ~やっと気付いたか。まぁ、気付いたところでどうしようもねぇがな」
ゼストはどんな存在になろうとも魔法使いタイプのスキルしか持っていないはずだ。だから〈未来予測〉系のスキルは絶対にないはず。せいぜいが〈危険察知〉だろう。でも、〈危険察知〉では私の動きに反応するのは難しいはず。となると考えられるのは。
――身体能力が私よりもずっと上ってこと?
たぶん、間違いないはず。私の身体強化魔法を消したのも、身体能力差を大きくするためだったと考えられる。そうなると、私はどうやってこいつを倒せばいい?
――魔法はダメ。私の魔法は全てゼストに無力化される。これまでのように接近戦もダメ。それが通用しないことはもう十分すぎるくらいに体験してしまった。どうする?どうする!?
その時だった。突然、ゼストの背後に浮かぶ月が紅くなり、世界が紅色に染まる。これって、まさか。
「なんだ!?こいつは!?」
さすがのゼストも驚いたように振り返った。もうこの瞬間しかない!
私は再度身体強化魔法を掛けて一瞬でゼストに肉薄する。ゼストが私に気付いて正面に向き直り上段からの斬りつけを回避したけど、私は上段から振り下ろした体勢のまま、流れるように素早くゼストの背後を取って斬り上げた。さすがに反応しきれなかったのか、ゼストの左腕を肩から切り裂いた。その腕は浄化によって消えていき、傷口からは浄化の能力が侵食していってゼストの魔力を急速に減らしていった。
「ぐっ!!?アアアアアアアア!!!!」
ゼストが激痛のあまり叫んだ声を聞いて、私は無意識に目を逸らした。あの時に、グレンさんが彼女の腕と足を切り落とした時も、彼女は叫びたくなるほど痛かったのだろうか?きっと痛かったに違いない。でも彼女は叫ばなかった。否、叫べなかったのだろう。あの子はそういう子だったから。
「ぐっ・・・うう・・・くそが!だがもう遅い!その手で大事な仲間とやらを、もう一度手にかけるといい!!くはははは!!」
私が目を逸らした隙にゼストが嗤いながら転移魔法で姿を消した。こういうところが甘いと言われてしまうのだろう。思わず苦笑いしてしまう。まぁ、あれだけの傷を負えばそう簡単に回復はしないだろう。今はあいつのことよりも・・・
私は紅い空に浮かぶ月を見上げた。かつて一回だけ見たことがある紅い月。あの時も、彼女は私達を助けてくれた。でも、あれはきっと私達を助けたわけじゃない。彼女が助けたのは、彼女が思わず体が動くほどに守りたかったものは・・・。
――行かなきゃ。クーちゃんと、それに、『あの子』もきっといる。生きている。
* * * * * *
side クーリア
「そうですか、ゼストにトドメは刺せませんでしたか」
「ごめん。言い訳になっちゃうけど、クーちゃんと、それに何よりも、トワちゃんが居るのだと思ったら、集中が切れてしまって・・・」
「終わってしまったことは仕方ないわ。そろそろ移動しましょう。周りに魔物が集まってきているわ」
「そうだね。今日はもう少し、王国側に近付きたいかな」
私達がお互いに離れていた間の情報共有が終わり、束の間休憩も終わらせて移動を再開します。気付けば、月はいつもの金色の光に戻っていました。
帝国の人は人間主義が根強く、私やエルさんのような獣人やエルフは嫌われていることが多いのですが、さすがにこの状況で私達に突っかかってくるような人はいませんでした。ただ、悲壮感の漂う空気と、押し殺したように泣きながら歩く人達の最後尾を私は歩いています。
大人数での移動、まるでダンジョンのような魔物の数、ほとんど道の無い道を使わなければならないなどの悪条件が重なり、予想以上に移動が遅くなります。更に食料も私達のパーティー用に常備している量では全然足らなかったので、危険を冒して破壊された街に忍び込んで調達することもありました。唯一の救いは、人工魔人がどこにもいなかったことですね。不気味ではありますが、今この状況においては救いと言えるでしょう。
そして、帝都を出て一ヶ月と半月、ようやく王国との国境門に辿り着きました。かなりの悪条件だったとはいえ、軍隊や騎士団が使う大勢用の支援魔法が役に立って、予定していたよりも早い到着です。
そんな長旅を終えた私達を、公国のトップである春姫とその従者達が迎えてくれました。
「みんな~よく頑張ったね。話は聞いているからとりあえず王国側に行こうか。今日はゆっくりと休んでね。また明日、今度は馬車で王都に向かってもらうからね。桜蘭ちゃん、あとよろしく」
春姫が帝都の生き残り達に温かい言葉を投げかけ、後のことを従者の巫女達に任せます。帝都の生き残りの人達は私達に何度もお礼を言ってから、桜蘭と呼ばれた巫女服の女性に先導されて移動していきました。これで、少しは気を休めることが出来れば良いのですが。
「悪いんだけど、セラちゃん達は少しだけ時間をちょうだい。話を聞きたいし」
「ええ、分かったわ」
基本的に四季姫との会話はエルさんにおまかせしています。知り合いで友人のようですからね。
帝国側の境界門にある兵舎がどうやら最前線の基地になっているようです。ちらほらと帝国の兵士もいるようなので、どうやら、ここの人達は魔人化から逃れることが出来たのでしょう。
王国と帝国の兵士達が協力している様子に違和感を抱きながらも、私達は春姫の後をついていって、一番豪華な部屋まで案内されました。元々は隊長や、境界門の管理責任者の部屋だったのでしょうか?
「こほん。まず最初に、リンナちゃんのことは、その、残念だったね」
民間人達の引き渡しと一緒に、リンナさんの遺体が入った袋を巫女達に渡していました。流石に春姫との話し合いに持っていくわけにはいかなかったので、一度国境門にある死体安置所に保管されることになりました。
春姫の言葉にセラさんが俯きます。私も、罪悪感と喪失感で胸が苦しくなりました。リンナさんは私が殺したようなものなのですから当然です。この痛みは甘んじて受けるものでしょう。
重い沈黙が部屋に流れます。その沈黙を破ったのは春姫さんでした。
「私は死というものを見るのに慣れているし、エルちゃんほど思い入れもないけど、君たちにはとても大事な人だったもんね。その悲しみは推して知るべしだよ」
そして、「だけど」と話を続けます。その桜色の瞳にはいつもの天真爛漫さはなく、とても真剣なものでした。
「だけど、君達以上に苦しみ、失い、悲しんだ人がたくさんいる。そしてこれからも、きっと沢山そんな人が増えていく。だから、貴方達の力を貸して欲しい。否、力を持つ者はその力を使わなければいけないの」
「なるほど、貴方達も動くのね?状況はそれほどに悪いと」
エルさんが確認するようにそう問うと、春姫がゆっくりと頷きました。その意味するところは、恐らく『四季姫』の全員が事態の収拾に動かなければならないようなことになっているということでしょう。エルさんが深く溜息を吐きました。
「薄々こうなるのではと思っていたけれど・・・。アリアドネの災厄以来ね」
「それどころか、今の帝国の状態が全国にまで伝われば、あの時よりも酷くなるかもしれないよ」
春姫の言葉に私は息を吞みます。私はアリアドネの災厄のことは本で読んだ程度しか知りませんが、全人口の半分近くが犠牲になったといわれているあの事件よりも酷いことになるかもしれないということがどれほどの事態なのか想像に難くありません。私はその一端に加担し、この目で見たのですから。
「それじゃあ、帝都でのことを聞こうかな。些細な情報でもいいから教えて」
先ほどまでと違いいつもの天真爛漫な雰囲気に戻った春姫のおかげか、部屋の中に流れていた重い空気が少し軽くなったような気がします。エルは苦笑交じりに「それじゃ、私から」と話を始めました。
それぞれが話し終わると、春姫が「情報を整理したいし、みんなもう疲れただろうから休んでていいよ」と言って私達を退出させました。砦内にある施設なら自由に使っていいとのことでしたが、何かする気も起きず、とにかく体を休めるために空いている部屋に入りました。二段ベッドが二つ置いてあるだけの何もない部屋でしたが、ようやくひと心地ついたような気がします。
「とりあえず、お疲れ様かな」
「そうね。特にセラは本当にお疲れ様」
「やめてよ。本当に守りたいものは、守れなかったんだから。私は・・・」
セラさんはそう言ってベッドに腰かけて俯きました。エルさんもどことなくうわの空のような感じがします。どちらも、ある程度落ち着いた環境になったことで、止めていた思考が動き出しているのでしょう。かく言う私も、後悔と無念と喪失感が頭を埋め尽くしていきます。
――でも、今は立ち止まる時ではないのです。きっと、トワちゃんも、リンナさんも、それを許しません。
痛いくらいの寒々しい静寂を切り裂くように、私は二人に話しかけます。
「少し良いですか?この後のことなのですが」
「何?クーちゃん」
「私は、トワちゃんのところに行こうと思います。トワちゃんから話を聞きたいですし、一応、眷族という扱いになってしまったので、その、主の意向を聞きたいと思いまして」
二人はある程度予想していたのでしょうか、寂しそうな顔をしながらも驚いた様子はありません。ですが、これだけは言っておきます。
「私は人間で無くなり、神獣の眷族として生きることになるでしょう。でも、その前にひとつだけ、やらなければならないことがあります」
「クーちゃん?」
「私はとても愚かでした。取り返しのつかない行動をしました。だからこそ、私が犯した過ちを償うために、私がこうなってしまった原因のひとつであるゼストを、私の手で、殺します」
――これは私の自己満足。私の罪は私が一生背負うつもりです。でも、それでも、私を実験台にして弄んだあいつだけは、この手で、絶対に・・・。
強く、強く握りしめた拳をエルさんが優しく包みました。私にはそんな優しさなんて与えられる価値はないのに、それでもこの人達はまだ私のことを優しくしてくれる。だから私は、私自身で戒めるのです。
「・・・・クーリア、これを。たぶん、貴女が持っているべきでしょう」
「え?」
エルさんが私の握った拳を優しく解き、微笑みながらその手に置いたのは、リンナさんがトワちゃんからもらったペンダントでした。そういえば、首に掛けていませんでした。でも、なぜこれを私に?
疑問に思いながら近くにあるエルさんの顔を見ると、綺麗な藍色の瞳が私のことを見詰めていました。そのあまりの綺麗さに思わず息を呑みます。
「リンナにとって、貴女は妹みたいな存在だった。だからきっと、リンナなら貴女に託すと思う。だから、貴女が持っていて。そして忘れないで、私達はどんなに離れていても『白の桔梗』のメンバーであり、仲間であり、家族だから」
「うっ・・ひっく・・ぐす」
私に泣く資格なんてないのに、私は姉のように慕っていたリンナさんの遺品を強く握りしめて泣き崩れます。そんな中、セラさんが不思議そうな声音でエルさんに問いかけます。
「エル?エルもどこかに行くの?」
「ええ。エルフの里に帰るわ。そして、あの時置いていったものを取りに行く」
「そっか。決心、ついたんだね」
「ええ・・・本当に今更、またあの時と同じ思いを味わってから後悔するなんてね。だからもう、後悔はしないように、全部、取り戻すわ」
「うん。わかった」
「セラはどうするの?」
セラさんは考えるように少し間をおいてから話し出しました。
「私は聖国に行こうかな。聖人になって、『熾天使』として活動しようと思う」
その意外な答えに私は思わず顔を上げました。セラさんは困ったような笑みを浮かべてからベッドから下りると、私達に背を向けて窓から外の景色を、いや、曇天の空を眺めていました。
「私も、もう中途半端な生き方はしない。リンナの遺志を継いで、私が守るよ。私達の居場所を」
呟くようにそういったセラさんは振り返り、再度私達と向き合います。その目は強い決意を秘めて輝いています。
「『白の桔梗』という冒険者パーティーは今日で解散にする。だけど、私達は『白の桔梗』という居場所に住む家族だから、それだけは忘れないで。そして私はその居場所を守るよ。今度こそ」
リンナさんの居ない冒険者パーティー『白の桔梗』はここで終わりになるでしょう。ですが、それでも私達は『白の桔梗』という家族として戦うのです。あの丘での誓いをもう一度、心に秘めて。せめてリンナさんが守ろうとしたものだけでも、守り通さなければなりません。
「そうだ、クーちゃん、この魔石をトワちゃんに渡しておいてくれるかな?」
「良いですけど、何の魔石です?それに、魔石というよりも魔石の欠片みたいなものですね」
「ん~、トワちゃんには渡せば分かるから大丈夫。よろしくね」
「分かりました」
「それじゃ、明日、私達の考えを春姫さんと話してそれぞれ行動しようか」
話はそれで終わり、セラさんは「さすがに疲れたから寝るね」とベッドで横になりました。エルさんはベッドに腰かけてぼんやりと空を見上げています。
「私は外に風に当たって来ます。どうせ眠気はこないですから」
「ええ、わかったわ」
建物の外まで出て砦の一番上まで魔法でこっそりと登ります。先ほどまでの曇天空はいつの間にか晴れて、青空の太陽が眼下を照らしています。なぜだか無性に月が見たくなりました。きっとこれもトワちゃんのせいですかね。
私は砦の天辺から帝国の方面を見渡します。魔物で蠢いていた気配は遠くに消え、静寂に包まれてる光景に何故だかとても悪寒を感じます。
――嵐の前の静けさというやつでしょうか。きっとこの後に来る嵐は、予想すら出来ない程の大荒れになるでしょう。
私は眼下の景色を見下ろしながら、リンナさんのペンダントを強く握りしめました。
 




