侯爵夫人の微笑み
ライアンに世話になることに決まると、アデリシアはセシリアによってその場を連れ出されることになった。
女性には色々と準備があるらしいと熱弁されれば、ライアンも手出しを出来ない。何しろアデリシアは鞄一つで旅に出るところだったのだ。最低限のものしか持っていなかった。
侯爵夫人にもご挨拶をと言われれば、アデリシアの方にも断るいわれはなかった。何と言っても、何時までかはわからないがーーこれからしばらくお世話になるのだ。
ライアンの母君だ。
出来るだけいい印象でありたかった。
アデリシアの逃亡を案じたライアンが側に付こうとしたが、それは適わなかった。
事態の収集と事後処理を放っておいていいはずがない。
騎士団はまだ、厳戒態勢のまま、アデリシアを捜索しているのだ。それを解除し、とりあえず彼女の処遇を何とかしなければならない。結婚話をどうにかするにしても、まずは騎士団の現状回復が最優先事項だった。
ライアンが騎士団に戻る前に、アデリシアは首枷をどうしても外して欲しいと何度も訴えたが、受け入れられることはなかった。過去のアデリシアの行動を見れば致し方ないことだったかもしれない。下手に行動力があるのを危ぶまれたのだ。
この屋敷を出ない代わりにアデリシアの結婚話をなんとかするという約束を天位の杖を身代わりにして取り付けた。もぎ取ったと言ってもいい。
ようやく納得したライアンは、シルヴァールとウォルターと共に一旦王都へと戻ることになったのだった。
*****
侯爵夫人に会えたのはそれから半刻後だった。
「奥様、お連れしました」
セシリアに促されるまま、サロンへと入る。
「いらっしゃい。どうぞお入りになって。待ってたのよ」
「お初にお目にかかります。侯爵夫人。アデリシア=エルバルトと申します」
ドレスの裾をもちながら貴婦人の礼をとって挨拶する。
「貴女に会えて嬉しいわ。どうぞ楽になさって。こちらにお掛けなさいな」
「はい。ありがとうございます」
示されるまま、着席する。
「あなたがアデリシアね?可愛らしい方。私はレスティアよ。侯爵夫人の肩書は堅苦しいから苦手なの。名前で呼んでくれると嬉しいわ」
優雅に微笑まれる。
「はい、レスティア様」
「なんならお義母様と呼んでくれてもいいわよ」
悪戯っぽくレスティアが笑う。
「そ、それは団長に怒られますので……」
はい、喜んで!と答えそうになって、アデリシアは曖昧に笑って誤魔化した。
本心では呼んでみたいが、後が怖い。
「そう?遠慮などしなくていいのよ。だって、貴女、ライアンのこと好いてくださってるのでしょう?」
「は……い?」
アデリシアは目に見えて固まった。
何故に侯爵夫人が、自分の恋心を知っているのだ。しかし、断り続けられて、早数年なのだが。
「こんな可愛い方なのに、うちの馬鹿息子は袖にしているっていうじゃない。ごめんなさいね」
どうぞ召し上がってと、紅茶と菓子を薦められ、アデリシアは応じる。
「いえ、あの……」
アデリシアはなんと答えていいかわからない。
「私にも聞こえてくる話が艶めいたものなら、色々と期待出来るのだけど、一向にそれらしいのがないのよねえ……」
浮ついていない分、隠し子の心配はいらないけど、とレスティアは持っていた扇をパチリと閉じる。
「告白を断ったとか付き合いを求められても袖にしたとか、女性関係の噂はそんなのばかり」
アデリシアの顔が盛大に引き攣った。
すみません、それ、たぶん全部自分です……。
事実は言えなかった。
アデリシアはカップを手にして紅茶を飲んだ。まったく味がしなかった。
元はといえばここに訪れたのだって、自分が出奔しようとしたからだ。侯爵夫人にとってはいい迷惑だろうに。
「あの……レスティア様、失礼を承知でお尋ねします。私、ご迷惑ではありませんか?でしたら、すぐにでもこのお屋敷をお暇します。申し訳ございません」
「あら、勘違いをなさらないでね。貴女にはぜひここにいて欲しいの。ううん、いなくちゃダメ。ライアンがここに連れて来た女性なんて初めてですもの。それだけで期待出来るわ」
どうしよう。
期待されても、すでに断られまくっているのに。
困り果てるアデリシアに、レスティアはにっこりと笑いかける。
「大丈夫。安心して?全く心配することないわよ。一度懐に入れた人には優しい子よ」
だからこそ、その優しさに期待したくなってしまうのだ。
何度も断られたが。挙句、国を出ようと思い詰めるくらいには、あの拒絶には絶望させられている。
「それよりシルヴァール達は上手くやってくれたみたいね。ちゃんとあの子、貴方をここで責任をもって面倒見るって言ったかしら?」
「……はい」
「言ったのなら問題ないわ。大丈夫。約束したことはきちんと守る頑固な子だから」
レスティアはぱたぱたと扇を揺らめかした。
確かに団長の性格なら一度言ったことは撤回するようなことはしない。
さすがは母親。
言質をとっておくために、あの小芝居を副団長達にさせたのか。
それにしては、副団長は少々悪ノリが過ぎた気がするが。
「そこらへんは信用しているのだけど、あの頑固さは誰に似たのかしらね。本当に困ったこと。騎士団の人は皆そうなのかしら?約束は違えないもの?」
「はい、まあそのような感じです」
「じゃ貴女もそうかしら、アデリシア」
「はい」
「じゃここに住むって約束してちょうだいな。いなくなったら私も寂しいわ。黙って出て行ったりしないで。ライアンもひどく心配していたの」
黙って出て行くとはつまり。
アデリシアの逃亡を防ぐためにライアンが自分の寝室にわざわざ連れ込んだことを知っているのだ。その釘刺しか。
「はい、お約束します。レスティア様と団長にお許し頂ける限りは」
アデリシアは慎重に答えた。
「そんなこと……私は一生でも許すわよ。だからアデリシア。ここにずっといてね。貴女もここが自宅だと思って気楽に過ごしてちょうだいね?」
「はい。お気遣いありがとうございます」
レスティアにふわりと微笑まれて、アデリシアも微笑んで返した。
反論は許されない気がした。
じっと見つめられた視線が少し怖かった。
「ゆっくり過ごして、と言いたい所だけれど、これから忙しくなるわ。貴女も協力してね?きっと貴女の為になることだから」
レスティアはぱちりと扇を閉じた。
*****
忙しくなる、とは本当のことだった。
話が終わると、すぐにレスティアと共に客間へと向かうこととなった。連れて行かれた客間には、盛大に衣服が並べられていたのだ。侯爵家御用達の服屋が手揉みをして待機していた。
「だって、必要なものでしょ」
疑問は侯爵夫人の一言で片付けられた。
下着、日常用のドレスはすでにアデリシアのサイズぴったりなものが幾つも用意されていた。
またなぜか仮縫いまで済ませた夜会用の豪奢なドレスを持ってきてもいた。
いきなり試着させられ、完成品は細かな修正をして仕上げてから納品されるとのことだった。
採寸されたことがない業者のはずなのに、色々と解せない。それとも、これが侯爵家の力によるものなのか。
レスティアはさらにこれではまだドレスが足りないと、生地を選び出したため、アデリシアは慌てた。
「レスティア様!あの、私、これ以上は……っ」
「なぁに?ライアンの好みの色がいいの?あの子の好みはねえ」
「いえ、そうではなく……っ」
ライアンの好みの色は知りたいが、この際どうでもいい。
侯爵家御用達のドレスが一体幾らするのか目眩がする。
アデリシアとて、魔術師として稼いでいる。自分の支払いは自分でする予定だった。が、申し出てみれば拒否されてしまった。ならば、実家にとも思うが、父親との確執からも自分の居場所が明らかになる行為は避けたかった。
「何を言ってるの。アデリシア」
きょとんとした顔でレスティアに見られた。若々しく三人も子供を産んだとは思えない愛らしさだ。
「全部ライアンが払うから安心していいのよ?」
支払いに関する疑問は侯爵夫人の一言でやはり片付けられた。
ライアンが自分でアデリシアの面倒みるといったのだから、当然のことだというのだ。
口出し無用、とレスティアに言われてしまった。
侯爵家の名を出されてしまえば、無理強いは失礼に当たる。
ライアンに迷惑をかけてしまうことに多少罪悪感を覚えたが、悪趣味な首枷の代償に貰っておけばいいとレスティアに言われてしまった。なんと、続きの客間には宝飾屋が待機しているらしい。
レスティアはせっかくドレスに合う宝飾品を選ぼうと用意していたのに、首枷のせいで台無しにされたのが悔しかったらしい。
「こんな無粋な首飾りなんて……ライアンたらひどいわ。これを外した時にすぐに付けられるものを選ばなくちゃね」
レスティアはアデリシアの手を引いて隣室へと向かったのだった。
アデリシアが言われるままに従ったことは言うまでもない。
あのシルヴァールをもってして『とても面白い人』、そして『ライアンは敵わない』と評する存在。
文字通り、アデリシアはそれを身を持って学んだのだった。