第四章~新たな仲間~(13)
城の塀の外にビナーは自分の馬を引いて出る。周りに従者はいず、一番先にクレクが彼を見送りに着ていた。
「お一人で大丈夫なんですか?」
「えぇ、国を守れる民を一人でも多く残しておきたいので……私用ですから」
一人で帰ろうとする隣国の主は、寂しげにカズンと同じ黄緑色の瞳を光らせてから、顔をくしゃっと歪めて笑う。釣られてクレクの眉尻が下がった。
「間に合ったーっ、あれ、カズンは?」
ビナーが馬に乗ろうとしていた時だった、息を切らせながらラジウが到着し、辺りをきょろきょろと見回し始める。しかし、目当ての相手が見つからず、後についてきたシルキアへと不安そうな顔を向けた。
「ラジウ様、カズンさんはお疲れですし、お見送りには来れないかもしれませんよ?」
「え、じゃあカズンのお兄さん、カズン来るまで待っててあげてよ!」
クレクが苦笑しているビナーの代わりにラジウを宥めようとしたものの、ラジウは目を丸くして馬の近くにいるビナーに駆け寄って身振り手振りで訴える。しかし、ビナーはうん。とは頷いてくれなかった。困ったようにそこに立っているだけ。
「ラジウ様、ビナーさんは国に帰ってやることがあるのですよ? 困らせてはいけません」
あまつさえビナーの服を掴んでまで引きとめようとするラジウに、クレクはその手を握って諭すように声をかける。しかし、ラジウは不満そうに唇を尖らせたかと思うと、額に皺を寄せて激しく首を横に振った。
困った表情が二人に増える。その時、城の中から誰かが出てきた。
「なぁにやってんだい、あんたたち」
呆れたような物言いで、我の強そうな声が飛んでくる。聞きなれている者なら、すぐにそれがキヴィのものだと気づいただろう。案の定ラジウが声にばっと振り向いて彼女を見た。
キヴィはじと目でラジウが掴んでいる手を見ていたため、ラジウは慌てて手を離してぷいっとそっぽを向いてしまった。そんな子どもの動作にぷっと吹き出してから、キヴィは城の門の影へと視線を送る。
「ほーら、早くしな。にいさん帰っちゃうってよ?」
「うぅ、恥ずかしいんだよ……」
キヴィが掛けた声に、女性と思しき声が返ってくるが、声の主はなかなか門から出てこない。ふぅっと息を吐くと、キヴィがやれやれと首を振ってから門の方へと歩き出し、そちらへと手を伸ばした。
「わっ!」
驚いたような声と共にキヴィが引っ張った彼女の姿が現われる。黄緑色の髪が勢いで揺れ、大きな丸い瞳がさらに大きく見開かれ、整った顔はそのままで、服装はいつもの雑な服ではなく、ピンク色の淡い綺麗なドレスだった。ふわりと舞ったスカートが印象的だ。
驚いたのは、引っ張られたカズンだけではなかった。カズンを見た、その場に居た男四人もびっくりしたのか各々目を点にして彼女を見つめている。
「ほーら、ラジウ。似合うだろ?」
「え、あ、う……に、似合わないよ! いつもと違いすぎじゃん!」
によによと口元を歪めながらからかい口調で話しかけてくるキヴィに対して、ラジウはカっと顔を赤くしてどもる。頭が真っ白になって心臓がドクドクと鳴り響くのを誤魔化すように大声で否定すると、ちらっといつもと違うカズンを盗み見てからふんっと鼻を鳴らし、腕組をしてそっぽを向いてしまった。
「あーらら」
によによしているキヴィに頬をつつかれるラジウに、緊張が解けたのか、カズンがくすりと柔らかい笑みを浮かべた。目をそらしたはずなのに、ラジウはドキリとして目が釘付けになっている。
カズンはドレスの裾を持つと、いつものように走り出した。そして、目的である彼に近づくと、両手を広げて抱きついた。
「兄さんっ……」
掠れて震えた声に、ビナーは自分の腕の中にある小さな身体を抱きしめ返す。
「ごめん、俺。一緒に行けないんだ兄さん。ここに残るよ、まだまだ知らないことがあって知りたいし……ここには、仲間がいるんだ。大切な……ごめんなさい」
「……いいんだ。ここの方が安全だから、私も安心できる。カズン」
抱きしめ返してくる温もりに、ビナーの服を掴むカズンの手にぎゅっと力が入った。声は、小さく、もしかしたらビナーにしか聞こえないくらいの声量。ビナーは解けた髪を梳くように妹の頭を撫でる。抱きしめていた妹の身体が小さく震えた。
「兄さんが、嫌いなわけじゃない……見つけてくれてありがと。わたし、記憶本当は戻ってるの。でも、今の自分が好きだから、お兄様、わたしは生まれ変わりました」
「カズン……」
消え入りそうな声で告げられる言葉にビナーは彼女を抱きしめる手に力を込めた。カズンも応えるように彼の肩口に顔を埋めて擦り寄る。
そして、顔を突き合わせると、二人は笑いあった。笑った顔は、よく似ていると、その場にいる誰もが思っただろう。
「兄さん、急ぐんだろ? 早く帰らないと、日が暮れちまうぜ?」
彼から手を離して、にっと小生意気に笑いながらカズンはビナーを促した。あぁ、っと頷いてビナーは笑いながら今度こそ馬に乗る。
そして、彼は遠くで見ていたラジウへと顔を向ける。自分に視線が向いたことにはっとして、背を伸ばすラジウ。
「それでは、ラジウ君。約束、お願いします」
「も、もちろん! 皆で守るよ、だから、安心して!」
ラジウの声は上擦った緊張したものだったが、返答を聞いてビナーは頬を緩めて優しく笑った。そして全員に視線を送り、深々と頭を下げる。
「それでは、お世話になりました。カズンのこと、よろしくお願いします。」
挨拶をすると、ビナーは手綱を引いて彼らに背中を向けた。そして、躊躇することなく馬を走らせる。馬は速かった。背中がどんどんと小さくなる。
カズンとラジウが同時にその背中を追ってかけた。しかし、遠くなる背中は縮まらず、吸う穂先で二人は立ち止まる。
「また遊びに来てねーっ!」
「兄さん、俺が強くなれたら、そっちに行くから! 行くからな!」
そして二人は大声でその背中に向かって吠えた。しっかりと届いたのだろう、ビナーは振り向かなかったものの、片手を上げて二人に合図を送った。二人の頬が同時に緩む。
結局、ビナーの背中が見えなくなるまで二人は彼を見送った。二人の後ろに大人がゆっくりと歩いて近づいてくる。
そのうちの一人がカズンの肩に手を掛けた。
「カズン、貴様……一緒に行かなくても良かったのか?」
シルキアだった。表情は読み取れないが、カズンのことを心配しているであろうことが言葉でよくわかる。カズンは振り向いてシルキアににっと口を大きく開いて笑って見せた。
「うん、いいんだ。だってさ、俺はここの仲間だろ? 仲間は離れちゃいけないんだ! な、ラジウ!」
カズンはあっけらかんと笑ったまま、ラジウに話を振った。一瞬きょとんっとしたラジウだが、ふにゃりと口元を歪めてぱっと表情を明るくさせる。
「あったりまえだよ! だって、仲間と離れたら寂しいもんね!」
「なー!」
意気投合して笑い合う二人にシルキアは一度肩を竦め、表情の少ない彼にしては珍しく表情を少し綻ばせた。
「なぁなぁ。ところで約束って何?」
思い出したようにカズンの表情が変わり、ラジウに先程のことを問いかける。ラジウはにーっと笑って、口元に人差し指を宛がう。
「カズンには秘密! 絶対守るけどね!」
「はぁ!? なに、それ! 教えろよ、気になるだろ!?」
「秘密だよ~。あ、シルキアには教えてあげるね」
カズンがいくら食って掛かっても、ラジウは首を横に振ってその反発の声をかわす。そして、シルキアへ近づくと、カズンから遠いほうの耳にこそこそと耳打ちをした。
『何があってもカズンを守ってあげてください。だって。』
シルキアが瞬きをして、手を額に宛がいため息を吐いた。
「俺も参加……ということか」
「そういうこと~!」
にはっとあどけなく笑みを零し、ラジウは頷いた。ため息をついたシルキアだが、本当のところ決して嫌がっているわけではない。そのことをラジウはちゃんと知っていた。だから、にこにこと笑って、クレクとキヴィの方へ駆け出す。
「なんだよ、二人して内緒話なんかして! こら、教えろラジウ!」
ラジウを追いかけてカズンが走り出す。大人三人が視線を合わせた。ラジウがクレクやキヴィの後ろに隠れながらカズンをかわしているのを見て、クレクとキヴィがシルキアを見たのだ。
はぁっと深く息を吐いて、シルキアが歩き出す。
「カズン、ラジウ。釣りに行くぞ」
ただ一言、そう言い放つと、子ども二人はぴたっと動きを止めた。そして同時にシルキアの方を向いて、彼に駆け寄ってくる。
「行く行くー!」
「俺が行くんだよ、ラジウは留守番してろよなー!」
「やだよー、僕が行くんだ!」
さっさと湖に向かって歩き出すシルキアの後に、ぎゃいぎゃいと言い合いをしながら、ラジウがカズンが引っ付いていく。
ふっとシルキアは笑った。クレクもキヴィも微笑ましげに彼らを見送った。
またいつもと同じ時間が流れるのだと全員がはそれぞれ噛み締めたのだった。もちろん、笑いあいながら言い合っている子ども二人も。
第四章~新たな仲間~ 完