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終わりなき世界の観測者たち  作者: 颯音ユウ
第2部【帝国戦争篇(前編:火種)】

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第74話 戻れない署名

 

 王国/フェリオス王都・外縁 巡察線(夕刻前)


 王都の外は、王都よりも先に息が乱れる。


 門前の往来、関所の列、露店の口上。

 ――それらが崩れる前に、崩れの芽だけが増える。


 王都防衛軍団長アルノーは、

 馬上からそれを数えた。

 数えるのは不安ではない。仕事だ。

 壁の仕事は、敵ではなく穴を見ることにある。


 危険区域の件で王城が呼び戻すより先に、

 ギルド側が“現地へ出た”と報が入った。

 それは正しい動きだった。遅ければ遅いほど、

 森は「遅れたこと」にされる。


 だが、その正しさは――王都の外縁を薄くする。


 だから彼は、城外へ出た。

 外縁を締め直すために。


「南の関所は、列を二つに分けろ。

 片方は通す。片方は通したことにするな」


 副官が頷く。

 兵が動く。馬が動く。

 短い命令ほど、都市の息が揃う。


「北の迂回導線。案内板は増やすな。

 増やせば――“増やした痕”が残る」


 アルノーは言い方を選ばない。

 選べば、迷いになる。

 迷いは噂になり、噂は紙になる。

 紙になった瞬間、帝国の仕事だ。


(……遅いな)


 胸の奥で、薄い苛立ちが鳴る。

 苛立ちの矛先は帝国じゃない。王都の内側だ。

 ――自分が戻れない間に、机の上で何が起きるか。


 アルノーは“署名”を束ねる者だ。

 非常時の運用は、一つの署名で束ねられる。

 束ねれば強い。だが、束ねたものは折られる。


 だから今は、外を締める。

 内が散らした入口を、外で支える。


「団長、王城からは?」


 書記係が馬を寄せてくる。手に紙束。

 紙が少ない。少ないほど、扱いが怖い。


「まだ来ていない。

 来ていないなら、今は外の仕事が先だ」


 アルノーは紙を受け取らない。

 受け取れば、“受理した者”になる。

 受理は、机に置くものだ。

 騎馬の上で受理すべきじゃない。


 代わりに、紙束の封だけを見た。


(監督府……)


 外向きには、そう名乗る封だ。


 アルノーは視線を外縁へ戻す。

 兵の列が整う。導線が二つに割れる。

 割れた導線は、一見弱い。

 だが割れた方が折れにくい。


「よし。――ここは、今日のうちに

 “締まった”ことにする」


 その一言で、兵の背が揃う。

 揃った背が、そのまま外縁の線になる。


 そして――その外縁の線に、

 今日ひとつだけ、揃わない点があった。


 音が、少ない。


 馬の鼻息も、鎧の擦れもある。

 あるのに、その“間”が変だ。

 静かなのではない。静けさが、置かれている。


(……隠れるための静けさじゃない)


 狩りの静けさでも、待ち伏せの静けさでもない。

 “見張りの目”をすり抜けるために、

 音の縁だけを丸くした種類。


 アルノーは馬を止めない。

 止めれば、止めた理由が立つ。

 理由が立てば、

 相手に合わせてこちらの手順が出来上がる。


 彼は片手を軽く上げた。

 合図だけ。言葉は要らない。


 副官が動く。

 兵が、左右へ距離を取る。

 弓兵は射線を作る。

 槍兵は先端を落とし、足だけを揃える。

 ――囲むのではない。逃がさないための線を引く。


「右。……“見えない所”に合わせるな。

 見えている導線だけ守れ」


 命令は、現実のものだけにする。

 見えないものに合わせた瞬間、

 見えないものの都合で動かされる。


 林縁。

 木々の影に、影がひとつ――ではない。


 影の中に、“裂け目みたいな輪郭”がある。

 その輪郭だけが、自然の揺れより半拍だけ遅い。


 誰かがいる、と断じるには早い。

 だが、そこだけ世界の癖が違う。


「……団長。人影ですか」


「まだ“影”のままにしておけ」


 一拍だけ、あの森の癖が胸をよぎる。

 だがここは回廊じゃない。王都の外縁だ。

 アルノーは先の戦闘での癖を飲み込み、

 現実の距離だけを見る。


 影が、動いた。


 動いた、というより――動いた“ことにされる”。

 枝が鳴らない。草が擦れない。

 歩幅だけがこちらへ寄る。


 弓兵が息を詰める。

 撃てる距離だ。だが撃っても、

 当たった“履歴”が残るとは限らない。


 アルノーは盾を腕に収める。

 その動作だけで、場の温度が変わる。

 壁の仕事が始まる前の温度だ。


「前に出るな。線を保て。

 射線は残せ。槍は踏み込みを待て」


 命令は短い。誰か一人へ向けない。

 全員を“仕事の形”に戻す命令だ。


 影が、最後の一歩を踏み込む。


 その瞬間――空気が、ほんの僅かに沈んだ。

 沈む音はない。だが鎧だけが軋む。

 地面ではない。動き出しだけが、重くなる。


 兵の指が震える。

 矢を放つ“最初の動作”が、一拍遅れた。


(……触られた)


 アルノーは剣を抜く。

 抜いた剣は軽い。

 軽いから、盾の重さが嘘にならない。


「ハロルド。合図で射て。

 ――俺が“動ける瞬間”を作る」


「了解!」


 副官――ハロルドが即答し、弓兵へ合図を回す。

 声が走らない。走らない声ほど、線が崩れない。


 影が、重さを振り切るように前へ出る。

 軽さで押す。押す軽さは、怖い。


 アルノーは合わせない。

 合わせた瞬間、相手の都合で戦うことになる。


 盾の縁を――地面すれすれへ落とす。

 まだ噛ませない。噛ませた瞬間、足場が削れる。

 削れた分だけ、次が減る。


 そして、一拍。


 盾の縁が土を噛んだ。


 音は小さい。

 だが空気が、急に“石の重さ”を持つ。

 

 重さが立った瞬間、

 影の動きが――止まるのではなく、

 止まった“形”になる。


「団長、単独で――」


「単独じゃない。線がある。線を切らすな」


 アルノーは、その一拍で前へ出る。


 まだ斬らない。斬るより先に、

 “ここから先へは通さない”という事実を置く。


(……王都へ戻る)


 戻るために、ここで勝つのではない。

 ここで、王都へ“戻れる形”を守る。


 影が、圧の縁で揺れる。

 揺れは逃げの揺れか、次の一手か。

 判断はまだ早い。


 その時、遠くで馬の蹄がひとつ鳴った。

 伝令の馬だ。

 封が先に王都へ入り、人が後から追う。


 アルノーは息をひとつだけ整える。

 整えた息のまま、盾の縁へ力を集めた。


 空気が、もう一段だけ“石”へ寄る。

 盾の紋が浮く。光ではない。

 重さだけが、そこに増えた。


 そして、壁が立つ直前の圧だけが、

 外縁の草を伏せた。


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