104話 剣聖に忍び寄る絶望
「それはどんなものなんだ」
カインが低い声で問う。
感染症か、呪いか、あるいは内臓の疾患か。原因が分かれば、対処の仕様もある。
だが、エレナは力なく首を横に振った。
「わからない。詳しくは語ってくれなかったけど、ジークはその病は俺を死に追いやると言っていたわ」
「どんな風に?」
「わからない。けど、酷く怯えていた。いつも飄々としてナルシストだったジークが、あんなに怯えた姿は見たことが無かった」
エレナの脳裏に、その時のジークの姿が蘇る。
まるで世界の終わりを見たかのような絶望的な表情。あの自信満々だった剣聖の姿は、そこにはなかった。
「症状は? 吐血や喀血、嘔吐など目に見える変化はあるのか?」
カインが冷静に診察するように尋ねる。
未知の病であれば、身体的なサインが出ているはずだ。
「ないわ。ただ、ジークは心が壊れてしまった」
エレナは痛ましげに胸を押さえた。
「今じゃ、家に引きこもり。あんなに世界を転々として、いろんな旅をした人が、今では見る影もないわ」
「なんでジークは病気の詳しいこと教えてくんないの? 知らなきゃ治せないじゃん」
リザの純粋な疑問。もっともだ。
だが、エレナはさらに表情を曇らせた。
「病気が発覚したのは今から1年前。……朝、ジークの絶叫で目が覚めたの」
平穏な朝を切り裂いた、金切り声にも似た断末魔のような叫び。
エレナは慌ててベッドから飛び起き、ジークの寝室へと走った。敵襲か、あるいは発作か。
「私は慌てて、ジークの寝室に入ろうとした。そしたら……」
エレナの声が震える。
『お兄ちゃん!? どうしたの!? 入るわよ!』
『来るな!! 絶対に扉を開けるんじゃねぇ!! 死にてぇのか!! これは命に関わることだ!!』
扉越しに響いた、必死な拒絶。
「そう言って、部屋に入らせてくれなかった」
「命に関わる、か……」
カインは顎に手を当てて思案した。
ただ事ではない。ジークがそこまで取り乱し、接触を拒むということは、よほど凶悪な何かだ。
「それからジークは人が変わったようになって、部屋からほとんど出てこなくなった。出てくるのは、私が寝静まったあと、お風呂とトイレと、ご飯を調達しに。それ以外は呼んでも部屋から出てこない」
「一度も会っていないのか?」
「ううん。同じ家で暮らしているから、何度か顔は合わせた。でも、ジークの瞳は虚ろで……完全に光を失っていた。前までのキラキラしてた子供みたいな目は、もうそこには無かったわ」
エレナが語るジークの姿は、まるで幽鬼のようだ。生ける屍。
かつての覇気は消え失せ、ただ死を待つだけの老人。
(あのジークが……? それほどの病なのか……部屋に入らせず、接触も避けるということは……感染系の病か? そうなると、彼女の身にも危険が及ぶが……)
カインの思考が巡る。もし強力な呪いや伝染病なら、彼女を置くわけにはいかない。早急に対処が必要だ。
だが、カインの中で一つだけ引っかかる点があった。
「……だが、話がひとつ合わんな」
「え?」
「ジークは、今から少し前、学術都市アレクサンドラでセレーナと共にキメラを討伐したはずだ」
カインの言葉に、コレットもハッとした。
そうだ。セレーナ師匠が言っていた。『あいつ(ジーク)が手を貸してくれた』と。
もし1年前から廃人のようになっているなら、なぜ戦えたのか。
「……あの時か……。うん。行った。でも、キメラがいることは知らなかった。あなたたちもその場にいたのね」
エレナは頷いた。
「姿こそ見えなかったがその時のジークは、以前と変わらないように剣を振るっていたとセレーナは言っていた。本当に弱っているのか?」
「……その時のジークは、目に少し希望が宿っていたから」
「希望?」
「薬師の街、オダイ・ジニって知ってる?」
「ああ。そこでセレーナと出会った」
「まず、そこを調べたの。ジークの病に対する『特効薬』がないかどうか。結果、特効薬はなかった。ただ、特効薬のレシピは見つけたと言っていた」
ジークは必死だったらしい。古文書を漁り、伝説の秘薬のレシピを探し回っていたのだ。
「けど、その時オダイ・ジニは問題が解決したばかりだったようで、薬の製造なんかとてもできるような状況じゃなかった」
「バルザックの件か……俺たちがオダイ・ジニを経ってすぐジークは来たのか」
カインたちは、バルザックによる事件を解決してすぐ街を発った。その直後、入れ違いでジークたちが到着していたのだ。
運命の悪戯か、ニアミスを繰り返していたらしい。
「そして、オダイ・ジニでセレーナが学術都市アレクサンドラに戻ったという話を聞いたの。私とジークは、セレーナに会うために学術都市アレクサンドラへ向かった」
エレナは遠い目をした。
あの時のジークは、「セレーナなら何とかしてくれるかもしれない」という一縷の望みに縋っていた。プライドを捨て、かつての仲間に助けを求めるほど、彼は追い詰められていたのだ。
「あいつの希望は、セレーナだったのか」
カインは納得した。紅蓮の魔女セレーナは、破壊だけでなく、魔法薬学にも精通している。レシピが分かれば、調薬もお手の物だろう。
だが、結果としてジークはセレーナには会わず、姿を消した。
「……それで? あいつがセレーナに会いに行ったのにセレーナの前に姿を現さなかった理由は?」
カインの問いに、エレナは目を伏せる。
その裏には語られざる深い絶望があった。




