103話 病
意識が、ゆっくりと浮上する。
柔らかな雲の上にいるような浮遊感と、日向のような温かさ。
コレットが重いまぶたを開けると、視界いっぱいに純白の光景が広がっていた。
「……ん……」
「コレット!」
弾かれたような声と共に、何かが胸元に飛び込んできた。
橙色のツインテールが揺れる。リザだ。
彼女は涙目でコレットに抱きつき、その頬をすり寄せた。
「リザちゃん……」
「よかった……! 全然起きないから、どうしようかと思ったじゃん……!」
リザの温かさが、コレットの体に染み渡る。
ふと横を見ると、コレットの腕に抱きつくようにして、桜色の髪をした小さな少女――ルビィが、すやすやと寝息を立てていた。
契約の反動と、一時の平和に安心しきった寝顔。コレットは愛おしそうに、その柔らかな髪を撫でた。
顔を上げると、少し離れた場所に二つの影があった。
腕を組んでこちらを見下ろしているカインと、その隣で優しく微笑んでいるエレナ。
「カインさん……先輩……」
「コレット、調子はどう?」
エレナが歩み寄り、コレットの顔を覗き込んだ。
先ほどまでの涙の痕はなく、いつもの頼れる先輩の顔に戻っていた。
「ごめんなさい……心配おかけしました。私はもう大丈夫……だと思います」
コレットは自分の胸に手を当てた。
再会の時に感じた、あの鋭い痛み。心臓を鷲掴みにされたような疎外感。
今はもう、痛みはない。トクン、トクンと、いつもの穏やかなリズムを刻んでいる。
ただ、心の奥底に小さな澱のようなものが残っている気がしたが、コレットはそれに蓋をした。
「……もう平気だな?」
カインが低い声で問いかける。
その瞳が、じっとコレットを見定めている。無理をしていないか、魂に傷がないかを見抜くように。
「はい」
コレットが力強く頷くと、カインはようやく肩の力を抜いた。
「コレット……あんまり心配させないでね?」
リザが上目遣いで言うと、コレットは申し訳なさそうに苦笑した。
「リザちゃん……ごめんね? ……あ……。でも……どうやってここへ? ここは人間は立ち入れないはずじゃ……」
「ああ、それなんだけどね」
リザがカインの方をチラリと見た。カインは忌々しそうに鼻を鳴らした。
「……精霊王を名乗る男の声が頭に響いたんだ」
「え?」
「結界が消えて森に入った途端だ。『導き手たちが待っている。来い』とな。まるで俺たちが来るのを予期していたかのような口ぶりだった」
「しかもね! 歩こうとしたら地面が勝手に動いて、ベルトコンベアみたいにここまで運んでくれたんだよ! すっごい楽ちんだった!」
リザが得意げに付け加える。
どうやら、コレットとルビィの契約を見届けた精霊王が、仲間たちを合流させるために特別な「パス」を発行してくれたらしい。あの厳格そうな王様も、案外気が利く性格なのかもしれない。
「そうだったんですね……」
コレットは納得し、そしてふと気になったことを口にした。
カインとリザが迎えに来てくれた。なら、エレナの迎えは?
「あれ、だったら先輩の迎えの人は?」
エレナは困ったように眉を下げ、首を横に振った。
「あー。あいつは来ないわ」
「え?」
「あいつ、今……結構大変なことになってるから」
エレナの表情から、笑顔が消えた。
代わりに浮かんだのは、深刻で、重苦しい陰り。
「ジークがか? あいつが窮地に陥るところが想像できんが」
カインが意外そうに口を挟む。
あの男はゴキブリ並みの生命力と、野生動物並みの勘を持っている。物理的な危機なら、鼻歌交じりで乗り越えるはずだ。
だが、エレナは真剣な眼差しでカインを見据えた。
「……ジークは、今、病に侵されてる」
「病?」
リザが首を傾げる。
エレナは重々しく頷き、声を潜めた。
「……このままだと、命の危機すらある病よ」
場が凍りついた。
命の危機。
最強の一角と謳われた剣聖を蝕む病魔。
カインの表情が険しくなり、その場の全員が息を呑んだ。




