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目が覚めたら自己嫌悪にでも陥るかと考えていたが朝に目覚めたキーランの頭は妙に爽快で長年かかっていた靄が晴れたような気分だった。
昨日は揶揄い倒したもののノラの吸血鬼化の確認やしっかりと腹を割って必要があると思い支度をしながらノラの位置を探った。
いつも通りに植物の世話をやっている事に安心したが同時にあまり睡眠を取っていない事を察する。先に体調の確認をした方がいいのかもしれない。
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ノラとの話し合いは明日以降になった。
互いの関係が変わる事を恐れていたが実際に変わってみると存外ノラの反応が面白くキーランは機嫌良く自室で紅茶を飲んでいた。
しかし悪夢の話は少々いただけない。ラルフがやってきた日から見ているという事はやはり既に完成された身体が吸血鬼化を急かしているのだろう。
……十年待ってもラルフは思い出さない。それならばノラに吸血鬼化の事を話してノラの許可を取ってからキーラン自身が吸血鬼化の魔法をおこなうべきだろう。
そう考えればやるべき事は大量にある。
ノラも吸血鬼になればある程度の魔力は得られるのだから身を守れる最低限の魔法は会得してもらいたい。
吸血鬼化の魔法もある程度調べてはいたが更に深堀りする必要があるだろう。過去に吸血鬼化した元人間達に会いに行くべきだ。
これでやっとノラを外に連れ出せる事も考えればやはりシュバルツ家は少々面倒だ。吸血鬼化したとはいえ一人で外に送り出す事は難しい。
早めに動いて損は無いだろうとキーランが立ち上がったところで山に誰かが入ってきた気配を感じた。
当然客人の予定は無し。結界をすり抜けて山に入ってこれる存在は一人だけだ。
さて、何の用か。戦争後適当に処理して報告を使い魔に任せた事を不満に思った連盟がラルフを使って抗議でも入れに来たのか。
と考えたがどうにもラルフの屋敷にやってくるまでの速度が速い気がする。
キーランが悠長に位置を探っている間にラルフは屋敷の前までやってきていた。
玄関の扉を開ける音が部屋にまで聞こえてきてもしやと思い立ち上がる。
どうもラルフとノラが二人で会話している様子に部屋から出て階段の方から様子を伺うとラルフが落ち着きなくノラと話しているところだった。
これは確認するまでもなく思い出したな、しかも吸血衝動まで起こしている。しかしキーランはそのまま二人を上から静かに見守った。
なぜならこれでノラの記憶が戻るならそれでいいと考えたからだ。それならば当初の予定通りに進めればいい。
しかしキーランは今までとは違いどこか凪いだ気持ちで二人の様子を見守っていた。
キーランも既にノラの白い世界の夢を聞いて察していたのかもしれない。ノラの記憶がどうなったのかを。
証拠にノラはただただ混乱するのみで記憶を思い出す素振りは見せない。
ラルフは吸血衝動を必死に我慢しているようだがそちらに脳のリソースを持っていかれて冷静になれていない。
ノラがキーランに血をあげた事をラルフが気づいてしまえばもう両者共に混乱に陥って見ていられない。
限界が来たノラがキーランを呼んだのでもう限界だなとキーランが動こうとすると耐えられなくなったラルフがノラに噛みついた。
……あーあ。
何故吸血鬼はここで噛みついてしまうんだか。
キーランの落胆は声に出ていたようだ。吸血鬼化の魔法を再度掛けられたノラは崩れる様にして倒れラルフはノラを大事そうに抱えてキーランを睨みつける様子はそれはまあ可哀想だったがそれよりノラの方が大事だったのでラルフには早々に帰ってもらった。
意識はあるものの自力では立ち上がれないノラの傍までいって問題がないか確認をする。
身体は完成しているとはいえ不明な点も多い。
ノラを寝かせてやりたかったためノラを抱えて部屋に戻ろうとした。居間の扉を閉めようとすると机の上に置いてある本がキーランの目に入った。
「またあのお伽話を読んでたんですか、本当に好きですねえ」
キーランにはすでにあのお伽話などどうでもよくなっていた。何故ならラルフもノラもお伽話の王子と姫などではないのだから。
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キーランももう理解していた。ラルフは金の髪に青い瞳をもっているだけで王子ではなく吸血鬼であり、ノラは誰からも愛されるお姫様などではなく役立たずの落ちこぼれだと蔑まれ捨てられた元人間の吸血鬼である。
そう、ただ一致していたのは悪い吸血鬼だったキーランだけだった。
──吸血鬼とは難儀な生き物ですねえ……もしあそこで噛みついて襲うのではなく、優しいキスを送ってやればお伽話のように自身の愛した人が誰だったのかを思い出したお姫様が悪い吸血鬼の束縛から抜け出して、王子様のところまで来てくれたのかもしれないのに。
キーランは自分の首元に牙を突き立てて血を貪っていたノラの頭を撫でると驚いたノラの身体が跳ねる。
正気に戻ってしまったのかおずおずと首元から顔を離して取り返しのつかない事をしてしまったという顔をノラがしたので上体を起こして額にキスをしてあげるとノラは安心したように笑った。
……ノラにはできる限り今まで隠していた事を話してやろうと思っていたがキーランが生き血を啜らない理由だけは隠し通さなければいけないなと思った。
ノラの血まみれの口元を拭ってやるとノラはキーランに抱き着きそのまま眠ったようだった。
キーランはラルフを気の毒に思った。もう少し早くに思い出せていれば、キーランはラルフの背中を押してやっただろう。ノラを説得してやれたのに。
キーランからすればノラの記憶がやはり壊れていて戻らない事の確認ができたため丁度良かったのだが……どこまでもタイミングの悪い男だ。
ラルフはどうするのだろうか。いやきっとラルフの事だ。愚直にまたすぐにやってくるだろう。
なんなら明日にでもやってきそうだ。
ラルフの研究の事やシュバルツ家の事も考えればけして暇などではないだろうに。
記憶を取り戻すのは遅かったが結界の解析などは得意だろう。締め出しても結界を壊して屋敷にやってくるに違いない。また結界の張り直しの手間を考えたら今まで通りに屋敷に入れてやってもいいだろう。
ノラが嫌な顔をすれば追い出してしまえばいい。
キーランは負担のないようにノラをベッドの上に降ろし顔にかかった髪を払いのけてノラの寝顔を眺めた。
屋敷にはいつでも入れるようにしておきますからいつでもいらっしゃい。
ラルフ君が本当に王子様だというのならノラさんを返してあげますよ。ただし、お伽話のような奇跡が起きればですがね。