過去から現在へ
「はぁ……」
自室に戻ったアンナは、深いため息と共に、完璧にメイクされたベットに身を投げ出す。
貴族の娘が、生まれながらに許婚がいるのは、珍しいことじゃないって言うのはわかるけど……
どうして、将来、二人のうちどちらか一人、なんて事になるのよ。
アンナの脳裏に、先ほどの父の台詞が蘇る。
『本来ならば、長兄のジェリーの許婚に、という話しだったんだが……ルークが先に、生まれたばかりのお前にキスをした。それに最近、ルークとは親しくしているようだったからね。私の方から、カークベリー伯爵にお願いしたんだよ』
有り得ないっ! たったそれだけの事で、ルークも婚約者になる資格が出来たから、私に選ばせる事にしたなんて!
しかも、選ぶどころの話しじゃなく、勝手に決められるなんて……
アンナが父から聞いた話しは、理解は出来ても、到底納得出来るものではなかった。
って、言っても……カークベリー伯爵は、私の事なんてなんとも思ってないんだから、結局意味無いけどね……ルークと婚約させようとしてる位だもの、むしろ迷惑だったんだわ。
聞かなきゃ良かった、あんな話し……二人のうちどちらか、じゃ無くて、最初からルークが婚約者と決まっていたなら、諦めもついたかもしれないのに。
見る見るうちに、アンナの瞳には涙が溢れてくる。
自分の感情に耐えられず、思わず枕に顔をうつ伏せて、声を押し殺し肩を震わせるアンナ。
こんな状況になって、自分がどれだけカークベリー伯爵に心惹かれていたか、気が付くなんて。
アンナは、ジェリーに対する、激しい恋慕の情が湧き上がって来るのを押さえ切れなかった。
ただ、次々と溢れ出す涙が、枕を濡らしていく……
「アンナお嬢様。失礼します」
どれ位そうしていたか、部屋の外からノックと共にリリスの声が聞こえて、アンナは慌てて身体を起こし涙を拭う。
「どうぞ」
ベットから起き上がり、乱れた髪形を整えながらアンナがそう言うと、リリスがスコーンやケーキが乗ったスタンドをワゴンに乗せて入ってきた。
「アンナお嬢様、お茶会の続きをしませんか?」
リリスは、目を真っ赤に充血させているアンナの様子には触れずに、笑顔を向けている。
それが彼女なりの気遣いだと知っているアンナは、素直に頷いてテーブルに向かい、椅子に座る。
「今日は、キャットニップのハーブティをご用意致しました。リラックス効果があるそうですよ」
カップに注がれた紅茶から漂う爽やかな香りが、アンナの高ぶった感情を、少しずつ解きほぐしていくようだった。
リリスにも、心配かけちゃってるね。でも今は、この彼女の温かい気遣いが心地いい。
ゆっくりと紅茶を飲み、少しずつ気分が落ち着いてきた様子のアンナは、リリスに自分の初恋の話しを語り始めた。
「私ね…………」
――幼い頃の、恋とも言えぬような淡い想い。それは、成長した今でも、心に残る大切な思い出で、初恋の少年が、ジェリーかルークのどちらか、かもしれないという事。その時のハンカチは、今でもお守りのように大切にしている事――
リリスに聞かせるというより、口に出して語る事で、自分の気持ちの整理をつけているかのようだった。