違和感 3
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レネーン視点です。
カツン、とヒールの音が高く響いた。
地下は防音のためのカーペットが敷かれていないので、小さな音でも、むき出しの床と壁に反響してびっくりするほど大きな音がする。
警備兵を警戒してできるだけ足音を立てないように用心していたが、どこにも兵士の姿が見えず、ちょっぴり拍子抜けだ。
普段ならば地下に続く階段の前には衛兵の姿があるのに、今日に限ってそれもいなかった。
王妃バーバラがレプシーラ侯爵領へ移動するのに大勢の兵を連れて行ったせいで、城の兵士の数が足りないと聞いたけれど、どうやらそれは本当のことだったらしい。
(使っていたメイドたちに監視がつけられた時は焦ったけど、あっちはそう簡単にわたくしの名前は出さないはずだもの)
人の裏切りを防止するには弱みを握るのが有効だ。そう教えてくれたのは父のラドルフ・エバンスだった。メイドたちの弱みはたくさん握っているし、それは彼女たちの家族にまで及ぶ。彼女たちは決してレネーンを裏切れない。
しかし、この地下に閉じ込められている男は別だった。
あの男は世の中で自分自身が一番大好きな人間だ。自己保身のためには何だって喋るだろう。このままにしておくのは危険だった。
自分の手を汚すのは嫌いだが、城の中で使える人間が他にいない。使っていた男とは少し前から連絡が途絶えているし、メイドたちは監視がつけられている。
(オリヴィア・アトワールの部屋に潜ませたクッキーに気づかれたんでしょうけど、わたくしまではたどり着けないはず。しばらくはオリヴィアの周囲の警戒が厳しくなるでしょうから、あの女を消すのは後でいいわ。こっちが先よ)
用心深く、周囲を警戒するようにゆっくりと進み、レネーンは一つの牢の前でとまった。
最近では滅多に使われることのなくなった地下牢には、現在、一人の囚人が収容されている。
元レモーネ伯爵バンジャマン。
地下牢の壁にもたれてぼんやりと虚空を見つめていた彼は、突然の来訪者に驚き、牢の鉄格子をつかんだ。
「た、助けてくれ! ここから出してくれ! 私はそそのかされたんだ! オリヴィア・アトワールを殺せば娘を、娘をカルツォル国の王に嫁がせてくれると言われた! 私も妻も、カルツォル国でやり直せると言われたんだ! 私は悪くない! 悪くないんだ! 助けてくれ! 何でもしゃべる! 本当だ!」
(本当、べらべら喋る男……)
レネーンとバンジャマンは直接のやり取りはないが、バンジャマンに接触させた男にたどり着かれたら背後にいるレネーンの存在にまで気づかれる。
(早々に消しておかないと、あとあと面倒なことになるわ)
レネーンは鉄格子越しにバンジャマンを見下ろして表情を緩めた。
「わかっていますわ。わたくしは、ある男性の遣いで来ましたのよ。あなたはよくやってくれたと言っていましたわ。もう少し我慢してくだされば、ここから出して差し上げることが可能だそうですわよ」
もちろんこれは嘘だが、単純なバンジャマンはあっさり信じて、ぱあっと顔を輝かせた。
「ほ、本当か⁉」
「ええ。今日は差し入れを持ってきましたのよ。ここの食事は美味しくないでしょう? だから、ケーキを持ってきましたの」
レネーンはそう言って、持参してきた籠からケーキの包みを取り出した。
鉄格子の隙間からバンジャマンに向かって差し出して、にこりと笑う。
「さあ、どうぞ」
すっかりレネーンを味方だと勘違いしたバンジャマンが、差し出したケーキに手を伸ばす。
レネーンの笑みが深くなった――その直後だった。
「コリン‼」
聞き覚えのある声が地下に響いて、レネーンの肩がびくりと震えた、
レネーンがケーキを取り落としたのと、誰かに掴みかかられたのはほぼ同時だった。
「きゃあああっ」
思わず悲鳴を上げたが、抵抗する暇もなく、地下の固くて冷たい石の床に体を叩きつけられる。
痛みに息が詰まり、涙がにじんだ。
うつぶせに押さえつけられたレネーンが首を巡らせると、レネーンの背中に圧し掛かるように、一人の男がいた。短めの黒髪の、体格のいい男。この男の顔には見覚えがあった。サイラスの護衛官のコリンだ。
(どうしてサイラス様の護衛官がここに⁉)
驚愕したレネーンは、ゆっくりとこちらに近づいてくるもう一人の存在に気づいて息を呑む。
「やあ、レネーン」
わざと足音を響かせるように近づいてきたのは、レネーンが昔から大好きで大好きで仕方のない男だった。
「サイラス、殿下……?」
声がかすれる。
サイラスはレネーンのそばまで歩いてくると、鉄格子の向こうのバンジャマンに、ケーキの包みをよこすように言った。
「それ食べたら多分死ぬよ」
まるで世間話でもするかのような穏やかなサイラスの言葉に、レネーンはヒッと短い悲鳴を上げる。
バンジャマンが愕然として、震える手でサイラスにケーキの包みを差し出した。
そして、優しそうに微笑んでいるサイラスの顔を見、怯えたように牢奥まで駆けていくと、うずくまるようにして膝を抱える。
「そんなに怯えなくても、僕は彼を始末しに来たわけじゃないのにね」
「前回殿下が滅茶苦茶脅したから、すっかり怖がっているんですよ」
レネーンに圧し掛かったままのコリンがあきれ顔を浮かべる。
レネーンはいったい何がどうなっているのかわからず、混乱して取り乱した。
「は、離して! 離してください! どうしてこんな――」
「どうして? それは君が一番よくわかっているんじゃないかな?」
バンジャマンから回収したケーキの包みを手の上でポンポンと投げて遊びながら、サイラスが言う。
「僕が気づいていないとでも思った? それとも、自分の計画は誰にもわかるはずがないって、勘違いしちゃったのかな。レネーン、それはね、過信って言うんだよ」
声のトーンは優しいのに、レネーンは目の前のサイラスに今までにない恐怖を感じた。
目を見開いたまま固まるレネーンの側に膝を突いたサイラスはが、コリンに彼女の拘束を解かせる。
サイラスはコリンに向かって、無造作にケーキの包みを投げた。
「コリン。このケーキ、あとで成分分析にかけて。多分ヒ素が含まれているから」
「っ」
レネーンはびくりと震えた。
サイラスは床に這いつくばったまま動けないレネーンに手を伸ばして、その手をひねりあげるように立たせると、背後の鉄格子にその体を押し付けた。
ガチャンと背後で鈍い音がしてレネーンが悲鳴を上げるが、サイラスは笑顔のままだ。
「さてと、レネーン。バンジャマンの口封じがしたかったんだろう? 本当、君は母上が言う通り頭でっかちのお馬鹿さんだね。こうもあっさり誘いに引っかかってくれるとは思わなかったよ」
「な、なんのこと――」
「誤魔化そうとしても無駄だからね、レネーン。だって君は、一番やってはいけないことをやったから。泣こうがわめこうが、許してなんてあげないよ」
サイラスはレネーンの手首をつかんでいた右手を離すと、徐にその手をレネーンの首にかけた。
レネーンの奥歯がガチガチと鳴る。見開いた目には見る見るうちに涙が盛り上がり、声を出すこともできずに、無意識にぱくぱくと口が動く。
「どうしたのレネーン。息ができない? おかしいな、僕は力なんていれていないんだけど」
サイラスは右手をレネーンの首にかけたまま、左手で自分のポケットを探った。そして取り出したクッキーをレネーンの目の前にかざす。
それは、見覚えのあるクッキーだった。
レネーンの喉の奥で悲鳴が凍り付き、全身の震えが強くなる。
「これね、オリヴィアの部屋にあったクッキーなんだ。水色の箱に入っていてね。でもオリヴィアが買ったものでも僕がプレゼントしたものでもなくてね。レネーン、これが誰からのプレゼントか、知ってる?」
「し、知らな……」
「本当に? ちなみにね、オリヴィアが登城していなかった数日の間に、オリヴィアの部屋に出入りしたのはね三人だけなんだ。一人は僕。残り二人は掃除メイド。この二人のメイドを調べてみたらいろいろ面白いことがわかったんだけど、聞きたい? それとも、そのメイド二人を父上の前に突き出して吐かせようか。一人は指の一本でも折れば簡単に吐きそうだね。もう一人も家族を目の前で痛めつけると言えば、たぶん喋るかな」
「!」
「人の弱みを握って優位に立ったつもりなのかもしれないけどね、人に口を割らせるにはそれほど難しいことじゃないんだよ。要は交渉材料の問題でね。個々に見合った手段を用いれば、大抵の人間は喋る。どうしても喋らないなら、世の中には自白剤って便利なものもあるし。本気になればいくらでも方法があるわけだ」
「じ、自白剤は……重罪人にしか、使ってはダメだと……」
「決められている? そうだね。でも、彼女たちはオリヴィアを害そうとしたんだよ? 誰が何と言おうと、それは僕の中では世の中で一番重い罪なんだよね。たとえ自白剤で彼女たちが壊れちゃっても、僕はどうだっていいよ」
笑顔のままでそんなことを言うサイラスが、レネーンの目にはとてつもなく恐ろしい人に映った。
(知らない……こんなサイラス殿下、知らない……)
サイラスはいつも穏やかで優しくて、まるで物語の中の王子様のような人のはずだ。
ずっとずっと好きで――、振り向いてほしくて、彼の隣にいる権利がどうしてもほしかった。
ずっと見てきた。
ずっとその背中を追いかけてきた。
それなのに、目の前にいるサイラスが、レネーンは本気で誰なのかがわからなくなった。
顔はサイラスなのに、まるで別人を見ているようだ。
「まだ白を切るならいいよ? さっきも言ったけど、僕はオリヴィアを害する重罪人がどうなろうと知ったことじゃないし」
そう言いながら、サイラスはクッキーの包み紙をはがす。
そしてそれを無造作にレネーンの口に近づけた。
「さあ、レネーン。クッキーだよ」
「い、いや……」
「どうして? 君、お菓子好きじゃないか。ほら、食べさせてあげるから口を開けて」
「いや……いやっ」
「じゃあ、さっきのケーキにする? コリン、それかして」
サイラスが笑顔のままコリンに手を差し出すのを見て、レネーンは真っ青になって首を横に振った。
「ほら、口を開けて。自分で用意したケーキだよ? 何を恐れるのかな?」
レネーンはガクガクと震えて、何度も首を横に振る。
涙がボロボロと溢れて、呼吸すらまともにできなかった。
サイラスはふと笑顔を消すと、鉄格子をつかんでレネーンにぐっと顔を近づけた。
「――ねえ、レネーン。教えてあげようか」
笑顔を消したサイラスは、まるで氷のようだった。
「僕はね、この世で一番オリヴィアが大切なんだ。僕自身よりもね。そのオリヴィアに、こんなふざけた真似をされて、僕が正気でいられると思う? だからねレネーン、行こうか。父上の前でクッキーかケーキかのどちらかを食べさせてあげるよ。自分で用意したものなんだから、責任をもって自分で食べないとね。それとも、水に溶かして頭からかけてあげようか。水に溶かしたヒ素ってさ、肌からすごく吸収されるんだって。楽しみだね、レネーン」
「殿下、もうそのくらいで……」
「いやああああああああ――――――‼」
たまらず、レネーンは悲鳴を上げた。
動転して、もうわけがわからなくなる。
叫んで、力いっぱい叫んで、全身をからめとる恐怖をどうにかしてしまいたかった。
サイラスはそんなレネーンをつまらなそうに見下ろして、はあ、と吐き捨てるように息を吐いた。
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