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 プルトー・ラースには誰にも言えない秘密がある。


 疑い深い彼は他魔人(たにん)を信用しない。そもそも、敬愛する両親の他は皆、馬鹿で阿呆で間抜けで、取るに足らない輩だから、信用に値しないと考えている。


 母は亡くなった。だから、父に打ち明けられない秘密は、ひとりで抱えて一生をおくらなければならない。


 この秘密は、父には言えない。言えるはずがない。


 父は憤怒の龍であるために、愛する妻と決別した。そうまでして、ラースの尊厳を守ろうとした父に、どうして言えよう。無私の精神をもって龍人族を統率した憤怒の龍の鑑エミルグ・ラースの一人息子は、ラースの血統を嫌い、疎み、恨んでいる、などと。父にだけは、知られてはならない。


 月雲の上にて覇権を争う大罪の七司族。それぞれが傲慢、憤怒、強欲、色欲、怠惰、暴食の罪を司る。


 司る罪の重さが、七司族の血統に連なる魔人の力の根源である。魔人は罪に墜ちた魂を喰らうことで罪を重ねて強くなる。


 取り込んだ魂の罪を我が物とするには、魔人自身も罪を犯す必要がある。憤怒を司る龍人族の魔人であれば、怒れば良い。怒れば怒るほど、魔力は増幅される。


 しかし、それには適性の有り無しがある。龍人族は、大半が血気盛んな魔人として生まれるが、極稀に温厚な魔人が生まれることもある。


 プルトーの母は、温厚な龍人族の魔人だった。


 母を知らないプルトーを不憫に思ったのか、或いは、単に暇をもて余したのか。父方の叔母エヴァリンは幼いプルトーに、時々、母のことを話して聞かせた。


 プルトーの母は心優しい魔人だった。寛大で争いを好まない。温厚な母にとって、大いに怒ることは難しいことだった。


 憤怒の罪を犯さなければ、龍人族の魔人は強くなれない。母はいつまでも弱いまま。


 落ちこぼれの烙印を押された母は、肩身の狭い思いをして生きていた。家族に見放され、周囲の魔人々に虐げられた。母の悲しみは深かった。それでも、母が誰かを嫌ったり疎んだり恨んだりして、怒ることはなかった。


 だから母はとても弱かった。脆弱な人間とたいして変わらないくらいに。しばしば体調をそこねて寝込んでいた。もしも、父と出会わなければ、母は野垂れ死にをしていたかもしれないと、叔母は言う。


 魔人目(ひとめ)を忍んで暮らしていた母は、当時、憤怒の龍の家督であった父と出会った。それは運命の出会いだった。


 二人は恋に落ちて、密かに逢瀬を重ねて愛を育んだ。父か母に求婚したとき、母は「私は貴方にふさわしくないから」と父の求婚を断ったけれど、母に愛されていることを確信していた父は諦めなかった。


「それは私が決めることだ」


 と断言した父は最高に素敵だったと、その目で見てその耳で聞いたように、うっとりと語る叔母は、きっと、本当にその場に居合わせたのだろう。


 叔母は常軌を逸したブラコンである。叔母の私室の壁は父の隠し撮り写真で覆い尽くされていたし「お兄様コレクション」という、憤怒の龍もすっぽり納まりそうな巨大な宝箱を隠し持っていた。あまりにも恐ろしいので、プルトーはこの件に限らず、叔母の関わることには深入りすまいと心に決めていた。


「見たい? わたくしのお兄様コレクション、見たい? 見たい? ねぇ、見たい?」


 叔母がそう言いながら迫ってきたとき、幼いプルトーは泣きながら逃げ惑った。しかし捕まって、必死の抵抗むなしく、恐怖のブラコン空間に引摺り込まれてしまった。


 叔母が父を尾行することは日常茶飯事なので、家人も父自身も黙認していたようだ。叔母はまともじゃない。だから、まともな結婚も出来なかったのだと思う。


 そんな頭のおかしい叔母の話は置いておいて、閑話休題。両親の話である。


 父の親族は父と母の結婚を許さなかった。猛反対した親族の筆頭は、当時の憤怒の龍、つまりプルトーの祖父であった。


 父は祖父を一生懸命に説得して、最終的には力に飽かせて、結婚の許しを得た。


 そうして、二人は結婚した。結婚式に参列し、二人の結婚を心から祝福したのは、父の狂信者である叔母だけだったそうだ。それでも、二人は幸せだった。そう語る叔母はうっとりしていた。


「素敵なお式だったわ。お二人とも、とてもお幸せそうで。……プルトー、これ! これをご覧なさい! これはお二人が誓いのキスを交わした直後、感極まったお兄様が流された一滴の涙よ! 素晴らしいわよね! この貴さ、美しさ、この世のどんな輝石にも勝るわ! すごくない!? ねぇ、これすごくない!? ヤッバーイ! チョーヤバーイ! チョーベリベリヤバヤバー!」


 両親の幸せな時について、知りたいし覚えておきたい。だけど、死語を発しながら、宝箱から取りだした小瓶を掲げ、しつこく自慢してきた叔母の狂態は、綺麗さっぱり忘れてしまいたい。


 あのクレイジーな叔母のことなんかどうでもいい。クレイジーだから、クレイジーなクソ野郎に引っ掛かるのだ。本当にどうでもいい。


 さて。父と母の結婚生活は幸せに満ち溢れていた。程なくして、二人の愛の結晶が母のお腹に宿り、二人は歓喜した。叔母はそのときの様子を当たり前のように写真におさめていた。


「お兄様の笑顔、最高に素敵。可愛い。これぞ純真無垢。やだ、お兄様が素晴らしいから、なんかもう、どうしよう。生きているのが辛い」


 じゃあ死ねば? と、プルトーは内心、毒づいたけれど、口には出さない。叔母の変態ぶりに恐れを為した、わけではない。プルトーの目は叔母の秘蔵写真に釘付けだった。寄り添い合う両親の姿を目に焼き付けるのに忙しくて、頭くるくるぱーの叔母の相手をしていられなかったのだ。


 写真にうつる母の姿が見切れていたので、プルトーは叔母に殺意を覚えたけれど、半分だけでも母の姿を見ることが出来た感動が、芽生えた殺意を吹きばした。


 初めて見る母はおっとりと微笑んでいる。取り立てて言う程の美人ではないけれど、素敵な女性だった。父はきっと「この女性の笑顔を守りたい」と思ったのだろう。


 母の肩を抱いて慈しむ父の微笑みは、溢れんばかりの愛情を湛えていた。


 そのとき、プルトーは理解した。父は母を深く愛しており、母も父を深く愛していたということを。二人はプルトーの命が母のお腹に宿ったことを心から喜んでくれていた。二人はとても幸福だったのだ。


 だからこそ、母は父の許を去らなければならなかったし、父は母を連れ戻せなかった。


 母と一緒になってから、父はたちまちにして弱体化してしまった。理由は単純明快。父はとても、とてもとても、幸せになったから。


 母が傍にいれば、父の心は満たされた。怒りとは満たされない心の叫び。満たされた心は怒りを生み出せなくなったのだ。母がプルトーを身籠ったことで、父は怒れる心を手放してしまった。


 母はプルトーを産んだ直後、竜宮邸を去った。父は母を連れ戻すことはおろか、母の行方を探すことも出来なかった。


 父は憤怒の龍を継承する為に生まれ、憤怒の龍を継承する為に生きてきた。憤怒の龍となった以上、これからはラースの尊厳を守り、龍人族の栄光を掴むために生きなければならない。王座戦争の幕が切って落とされようとしていた。


 魔神童(しんどう)とうたわれた父に寄せられる一族の期待は大きかった。エミルグ・ラースは龍人族の宿願を達成するだろうと、全ての龍人が信じていた。魔王になること。それは母と叔母を除く龍人族にとっては、父の存在意義に等しかった。


 しかし、魔王になるには怒りが必要だった。眠れる怒りを呼び覚ますには、母と決別しなければならなかった。


 だから、プルトーは母を知らない。父の許を去った母は、程なくして亡くなったらしい。何故、母が亡くなったのかはわからない。真実は母と共に永遠に失われた。


 ただひとつ、確かなことがある。愛する夫と息子のために孤独な死を遂げた母は、その最期の瞬間まで、残酷な運命を呪い、怒ることさえしなかった。


 愛する女性を喪って、そうまでして臨んだ王座戦争。父はアダムス・プライドに敗れた。母を失っても、父の魔力は全盛期には戻らなかった。母と共にあった幸せは、失われてもなお、父の心の大切な部分に根付いていたのである


一命はとりとめたものの、深手を負った父は一線を退くことを余儀なくされた。


 プルトーが物心ついた頃には、父は多くの龍人族の身勝手な失望と理不尽な憤懣、卑劣な誹謗中傷にさらされていた。


 父を異常なまでに慕う叔母は、父を敬わない無礼千万な輩には制裁をくだすことで、傷ついた父を庇っていた。


幼い頃のプルトーは、そんな叔母を頼もしく思っていた。叔母だけは父の味方でいてくれると思い込んでいた。


しかし、それは間違いだった。叔母は父を裏切っていたのだ。叔母は父と一族の宿敵、アダムス・プライドと想いを寄せ合っていた。あまつさえ、あの男との間に可愛い娘をもうけていた。これを裏切りと呼ばずに何と呼ぼう。


 怨敵アダムス・プライドは魔王となり、裏切り者エヴァリンは魔王妃となった。子宝にも恵まれて、なんでもほしいままにして、幸せに暮らしているのだろう。


 想像したただけで、腸が煮えくりかえる。


 アダムス・プライドなんか大嫌いだ。父に苦杯を嘗めさせた、成り上がりの鷲獅子人というだけで気に入らないのだけれど、それだけではない。奴の全てが癪に障る。


 ムキムキマッチョの称号にふさわしい屈強な肉体も、傲慢不遜を絵に描いたような性格も、自意識過剰で無神経なところも、何もかも。


 度を越した自信家であり、楽天家でもあるアダムス・プライドは、苦悩や挫折を知らないのだろう。プライドは、ただひたすら「俺様最高!」と傲り昂っていれば罪を犯せるのだから、お手軽だし気楽なものである。


 不公平だと、プルトーは思う。


 父は優れた魔人だ。アダムス・プライドのような成り上がりには絶対に負けていない。


 しかし、事実、父はアダムスに負けた。


 父は最愛の妻を喪い、一族の信頼を失い、力を失い、存在意義さえ失った。


 エミルグ・ラースとアダムス・プライド。両者の運命の明暗を分けたのは、それぞれの血統であったと思えてならない。


 憤怒の血統はまるで呪いだ。憤怒の罪を司る魔人でなければ、父は母を喪うことはなかった。父は今も母と仲睦まじく暮らしていた筈だ。アダムスとエヴァリンの迷惑千万バカップルなんかより、もっとずっと、幸せになっていたに違いない。


 憤怒の龍は、幸せになると弱くなる。強くありたければ、愛する女性と一緒になるという幸福は諦めるしかない。


 プルトーはラースの血統を嫌い、疎み、恨んだ。プルトーが大切に想うのは両親だけ。その他大勢は皆、嫌いだ。魔王に即位することを目指すのは、ラースの為でも、龍人族の為でもない。父と己の名誉と矜持のためだ。母の献身に報いる為でもある。


魔王になることは、譲れない願いだ。魔王になって、父を散々こけにしたゴミクズども、そして、アダムス・プライドをぎゃふんと言わせてやるのだ。必ずや、父の汚名をそそいでみせる。


 愛する女性と一緒になることは諦める。プルトーの心には、父に寄り添い微笑む幸せな母が住み着いていた。それだけで、もう十分だと思った。父の心の喪失に思いを馳せると、プルトーの心は激しく軋む。自分はそれと無縁であろうと、プルトーは幼心に誓った。


 それなのに、魔王アダムスによって、叔母ともども鷲獅子宮殿に召喚されたあの日。魔王女に引き合わされ、プルトーの心は揺れ動いた。


プルトーは、アダムス・プライドをはじめとする鷲獅子人が大嫌いだ。父を裏切った叔母も赦せない。だから、そんな夫婦の娘、大嫌いになる筈だった。実際、握手を拒まれたときは「くたばっちまえ、このみっともない金ピカ芋虫女!」と怒髪天を突いた。


ところが、プライドの癖にうじうじして、めそめそして、魔王女の癖にゴミクズに苛められる彼女を、放っておけなかった。みっともない金ピカ芋虫の癖に、笑顔がとっても可愛いマキュリー・プライドは、プルトーの心にちゃっかりと住み着いてしまった。


閉め出そうにも閉め出せない。繋ぎあわせた手をぎゅっと握って、プルトーの後についてくる彼女は、ふわふわの金髪も相俟って、まるで雛鳥のようだった。


 柔らかくてあたたかくて小さな手。握ると、放したくないと思った。振りかえると、待ちに待ったと言わんばかりに迎えてくれる笑顔を、大切にしたい、守ってあげたいと思ってしまった。


 こんな気持ちは初めてだ。それはきっと、叔母が見せてくれたあの写真に写っていた、あの瞬間。母の隣で微笑んだ父が、母に対して抱いた感情によく似ていたのだろう。


気が付いたら、プルトーはマキュリーを叱咤激励していた。父が母にしたように、いつも傍にいて守ることは出来ないから、誰にも苛められないように、強くなって欲しかった。強くなってくれたら、母のようにはならない。きっと、また会える。


プルトー・ラースには誰にも言えない秘密が、もうひとつある。

この秘密も父には言えない。言えるはずがない。


父の喪失、その苦悩と苦痛を知るプルトーが、叔母と同じように、ラースの道を踏み外しそうになっていたなんて。


仇の愛娘マキュリー・プライドと再会の約束を交わして、その約束が果たされることを心待にしていた、なんて。


そんなこと、口が裂けても言えない。


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