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先輩は肩を竦めて、おどけてみせた。
「おっ、訊いちゃう? それ、訊いちゃう? 気になっちゃった? 気になっちゃったか、そっか~。本当に知りたい? プルプル、たぶん引くよ。ドン引きするよ。いいの、それでも?」
と、念を押して聞かれる。プルトーはいかにも神妙に首肯した。先輩の言動にはいちいちドン引きしているから、今更である。
先輩は苦笑した。自身の心の奥底を覗きこむように目を瞑る。瞑目したまま言った。
「このボクが本気で口説いてやったのに、それをけんもほろろに拒絶した、あの生意気な女に似てるから。……一応、断っておくけど、魔王妃様じゃないからな。地上の女だよ。人魚の血をひく半人半魔……殆ど人間みたいなもんだな」
先輩は小首を傾げて、怒った? とプルトーに訊ねた。プルトーは返答に困る。
怒りより驚きが勝っている。しかし、誇り高き憤怒の龍として、ここは怒って然るべき場面だろう。憤怒の龍を、半人半魔の女と一緒にするなんて、無礼千万を通り越して狂喜の沙汰だ。
人魚とは人間と海竜の混血、つまり半人半魔である。大変稀少な存在で、その美貌と美声は魔人に勝るとも劣らないとされるが、美しくも脆いので、何よりも強さを尊ぶ魔人には倦厭される。
一方で、欲深い人間には愛玩動物として珍重されるようだ。人間に捕らえられ、水槽の魚として飼育されて、生涯を終える愚かな人魚も存在するらしい。先輩の言う「生意気な女」とは、そのような事情を背景として生れた混血児なのだろう。
人魚は海竜と人間の合の子だ。末輩とはいえ、龍の血統に連なる者。龍人と人魚では、金剛石と硝子細工ほどの違いがあるとは言え、類似点は皆無ではない。
人魚の下半身は七色に輝く鱗で覆われており、金色の頭髪も鱗と同じ様に輝く。その輝きは、プルトーの銀髪のそれと、似ていると言えなくもない。
小学校に上がったばかり頃、上級生がプルトーを指差して「あいつの髪は人魚の髪だ!」と囃し立てたことがあった。カチンときたプルトーは、その場でその上級生の頭髪を松明のように燃やしてやった。当然、その程度ではプルトーの腹の虫がおさまらない。ジューゾー君に止められなければ、拷問にかけて殺してしまうところだった。
人魚に似ていると、面と向かって言われたのだから、プルトーは怒り狂って先輩を殺しにかかるべきだった。ところが、目を開いた先輩の、運命と取り組むような真摯な表情を目の前にすると、途方に暮れてしまう。
ひょっとすると、先輩が恋をした相手というのは、生意気な半魔の女なのだろうか。
地上の女ではある。しかし、人魚と人間の合の子と言ったら、それはほぼ、人間のようなものだ。ショックが大きかった。先輩は破天荒な蠍人だと、わかってはいたけれど、それにしても、先輩には驚かされてばかりだ。
それは流石にまずいでしょう! と分別臭い諫言を口にすることは憚られるけれど、僕は先輩の恋路を応援します! と調子の良いことを言ってその場をしのぐような、無責任な真似もしたくもない。
どうしようか、考えあぐねるも答えがでない。へどもどするプルトーの様子を、怒りを堪えていると勘違いしたのだろうか。先輩は両手を肩の高さに挙げて、頭をふった。
「お願い、怒らないで。お前とあの女が似てるって言い出したの、ボクじゃなくてジューゾーだからね。お姫様プルプルの可愛い写真、ボクに見せてくれたのもジューゾー。写真で見たときはいまいちピンとこなかったけど、今回のことで、すとんと腑に落ちたんだ。 意地っ張りで、執念深くて、強情で……ネガティブな方向に思い込みが激しい困ったちゃんで……そういう、放っておけないって思わせるところ、あの女にそっくりだった」
そう言って、先輩は目を伏せた。伏せた瞼に深い哀愁がこもっているようだ。
プルトーは混乱した。
意地っぱりで、強情で、思い込みが激しく、難しい女……そんな女の、何処が良いのかさっぱりわからない。というか、そう言うところがプルトーにそっくりと言うことは、プルトーもかなり面倒臭い奴だと思われているということだ。ちょっと心が傷ついた。
先意気な半魔の女は、高貴な蠍人である先輩の好意を突っぱねたようだ。そうだとしても、その女を手に入れる方法など、いくらでもある。
無理矢理にでも連れ去って、閉じ込めてしまおうと思えば、そうすることも出来たはずだ。
地上の魔物が月雲ノ上に昇る方法は二つある。一つ目は人魂を積み重ねた階を月雲に架けること。二つ目は、月雲ノ上の魔人によって召喚されること。前述の方法で昇れば魔人に昇格するが、後述の方法であれば召喚主と主従の関係を結ぶことになる。
ジューゾー君のように、魔王の目に留まり奨学生として月雲ノ上に招かれる魔物もいるが、そうでなければ、召喚された魔物は召喚主よ奴隷として拘束されることになる。
月雲ノ上に半魔が昇ったという話は聞かないけれど、奴隷、或いは愛玩動物として魔人が手元に引き寄せたのならば、その限りではない。ラストの蠍人はしばしば、気に入った人間を召喚して、淫らで残酷な遊びに耽っていると聞く。
しかし、先輩の様子から察するに、その生意気な半魔の女を手中におさめたという訳では無さそうだ。まさか、その生意気な半魔の女とやらを、みすみす逃がしてしまったのだろうか。無理矢理にでも、捕らえようとは思わなかったのか。それほど、本気で恋をしていたと言うことか。
しかし、それなら何故、諦めてしまうのか。プルトーには諦めるなと言ったのに。先輩が諦めてしまうのは、想い人にふられてしまったからか。振り向かせる努力はしたのか。強情な女だと言っていたから、歯が立たなかったということか。
「先輩……」
先輩は本当にプルトーを心配してくれて、励ましてくれた。だからプルトーも先輩に親切にしたいと思う。
でも、どうしたら良いかわからなくて、困り果てて、先輩を見詰める。先輩は上体を反らして、困った顔のまま愛想笑いを浮かべた。
「お目目うるうるさせちゃって、プルプルは可愛いなぁ。心配しないで。お前をあの女の代わりにしようなんて、思っちゃいないから。そんなつもりは毛頭ない。嘘だと思うなら、ジューゾーに聞いてみな。ボクを信じられなくても、ジューゾーなら信じられるだろ? ボクとお前を引きあわせたのはジューゾーだってことを忘れないでくれ」
そう言って、プルトーから身を離そうとする先輩の胸倉をつかんで引き寄せる。つま先立ちをして、目を丸くする先輩の額に額をぶつけて、目睫の距離で先輩を睨み付ける。
「侮らないで頂きたい。このプルトー・ラースが、先輩の……大きなお世話ではありますが……ご厚意を、真摯に受け止めることも、感謝することもしないとお思いか。道理を弁えぬ小僧だと、決め付けられるのは心外です」
付け加えるなら、プルトーは先輩が恋慕う女と違って強いから、間違っても、先輩の良いようにされることはない。先輩が血迷ったら、危ういのはプルトーの貞操ではなく先輩の命だ。
真っ直ぐに先輩を見つめるプルトーの瞳を、先輩も真っ直ぐに見つめる。見つめ合う瞳に、互いの姿だけがうつる。
「プルプル……」
先輩の左腕が掬い上げるようにしてプルトーの腰に回される。おや、と首をかしげるプルトーの顎を先輩は右手でつかんだ。固定された顔に、先輩の顔が接近してくる。瞳を閉じて、唇を突き出した顔が、焦点が合わないくらい近くにある。
プルトーの右脚が跳ねて、膝頭が先輩の鳩尾に突き刺さる。先輩はぐえっ! と惨めな苦鳴をあげた。生じた隙を逃さず、プルトーは先輩の額に右の掌を当てて押し返した。先輩が喚く。
「えぇ!? プルプル、いきなり、なにすんだよ~! 今、すごーくイイトコロだったのに~!」
「テメェこそ、いきなりナニしやがる!? 返答によってはぶっ殺すから、心して答えろよ!?」
「え? なにって、ディープキスしようとしただけだけど? プルプル、ディープキスってわかる? 舌と舌を絡めるて口腔をなめ回すキスのことだよ」
「行為の説明は求めてねぇ!なにがどうして、その……そういうことをしようとしたのか、それを訊いてンだよ!」
「えっ? だってプルプル、言ったじゃない。無茶苦茶にしてって」
「言ってねェ! テメェ、恐れ多くもこの憤怒の龍、プルトー・ラース様とお話しさせて頂いている真っ最中に不埒な妄想しやがって! それともアレか、邪神の怪電波でも受信してやがンのか! 永遠にイイ夢見てぇって夢見てンならそう言えよ! その夢叶えてやろうじゃねぇか! どうする? どうすンだ!? アアン!?」
「イヤーン! プルプル、怒っちゃイヤーン!イイ雰囲気だったから、イケるかなって思ったの、ボクちゃんは。どうして怒るの? 怖いの? 大丈夫、大丈夫! ハジメテでも怖くないよ! 蠍人の体液には催淫作用があるからね。精液や愛液なんて粘膜摂取した日には、理性が根こそき吹き飛んで発情しちゃう! 気持ちよくなれるよ~。案ずるより産むがやすしだ。あっ、産卵プレイとか、試しにヤってみる?」
先輩がプルトーの尻を両手で鷲掴みにした瞬間、プルトーの怒りは頂点に達した。憤怒の龍に変化したプルトーはちょこまかと逃げ回る先輩を追い回し、再建中の竜宮邸は瓦解した。




