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 寝ても覚めてもプルトーのことを想うのは、今に始まったことではない。どんな時もプルトーを想えば、うっとりしたり、わくわくしたりして、幸せに浸れた。今では、プルトーのことを想うと、悲しみの涙が滾々と湧き出す。


 マキュリーは自室に引籠り、傷心の日々を送っていた。なぜなら、プルトーと一世一代の大喧嘩をしたからだ。


 念願が叶って百年ぶりの再会を果たし、マキュリーはすっかり舞い上がっていたけれど、プルトーはそうではなかった。

 プルトーは龍の宴に舞い降りた、魔女神と見紛うばかりの美女がマキュリーだと気付いてくれなかったし、気付いた後も酷く困惑した様子だった。挙句、怒り狂って憤怒の龍の本性を現し、襲いかかってきた。マキュリーは打ちのめされた。


 マキュリーはプルトーを怒らせてしまった。何故なのか、マキュリーには皆目見当がつかない。


 あれから「あたくしの何がいけなかったのかしら」と、のべつ幕なしに考えている。考えて、考えあぐねて、悩んで、悩み抜いても、答えは出ない。


 だって、マキュリー・プライドは完璧なのだ。プルトーがそうと信じてくれたから、マキュリーは大嫌いだった自分のことが大好きになった。プルトーと交わした約束を守りたかったから、傲慢の鷲獅子になる為に、魔法の修行も格闘の訓練も、一生懸命頑張った。プルトーと出会うまでは辛くて堪らなかったことが、プルトーと出会ってからは、ちっとも辛くなくなった。


 マキュリーは強く、美しくなった。傲慢の鷲獅子にもなった。嫌われものだった金ぴか芋虫は、皆の憧れの金色の蝶になった。それもこれも、すべて、プルトーの為だ。プルトーに喜んで欲しくて、積み重ねた研鑽と鍛練の成果だった。


 ところが、プルトーは喜ぶどころか怒ってしまった。真っ暗な底無しの穴の中へ落ち込んだように、マキュリーは自分を見失った。マキュリーは文字通り、ぼろぼろになった。自室に引籠り、寝台の上で丸くなって、めそめそ泣いてばかりいる。


 プルトーと大喧嘩をしてから、魔法の修行も格闘の訓練も、一度もしていない。父譲りの誇らかに輝く金髪と、母譲りの白磁の肌の手入れも怠っている。美容には魔人一倍、気を使っていたのが嘘のように、複雑に絡んだ髪はぼさぼさで、真っ赤に腫れあがった目の周りは、薄黒く隈どられてしまった。


(どうだって良いのよ。いくら強く美しくあっても、プルトーが喜んでくれないなら、意味がないもの)


 プルトーが喜んでくれないなら、マキュリーの百年間に意味は無い。不毛な日々だった。

  マキュリーは上掛けの中に潜り込む。右の拳を胸に当てて握りしめる。ズキンと掌が鈍く痛んだ。


  右手は金の髪留めを握っていた。管状のバレッタで、表面には勇ましい龍の姿が彫刻されている。


  この髪留めは、プルトーの憤怒の継承と、二魔人の再会を祝して、プルトーに贈るつもりで誂えたものだ。わざわざ地下に潜って、酒臭いドワーフの棲みかに足を運んだ。どいつもこいつも同じような、ずんぐりむっくりでもじゃもじゃで、粗暴なドワーフを集めた。器用なドワーフの中でも、随一の彫金の腕前を誇るという細工師がどいつなのか突き止めて、そいつを捕らえ、造らせた逸品である。


  あの頃のマキュリーは、プルトーがマキュリーのことを好きでいてくれると信じていた。プルトーはマキュリーの為に、あの綺麗な白銀の髪を長く伸ばしているから、このバレッタを贈れば、喜んでくれる。そう信じて疑わなかった。まさか、贈ることも出来ないとは、夢にも思わなかった。


 ぼすん、と枕に顔を埋める。ぽろぽろと零れる涙は、天使の羽毛枕に吸い込まれた。


 こんこんと、誰かが扉をノックする。ノックの音を聞けば、訪問者が誰なのかわかる。控え目にノックをするのは母だ。


 訪問者が幼い弟と妹だったら、二人は交互に扉をノックする。啄木鳥が木を突くようなノック音と、雲雀が囀るような呼び声がする。


 双子が初めてマキュリーを見舞ってくれたとき、マキュリーは起き上がれずに、ぐずぐずしていた。すると、泣き虫な弟のバルカンは泣き出してしまい、お転婆な妹のマリナは扉を蹴って「お止めなさい、お行儀が悪いわ!」と母に叱られてしまった。


 マキュリーはその時の反省を踏まえ、先日、双子が二度目の見舞いにマキュリーを訪れてくれたときは、すぐさま応答した。姉の安否を見舞ってくれる、可愛い弟と妹を扉越しに


「ごめんなさい。体の加減が思わしくないの。あなた達に伝染してしまったらいけないから、遊んであげられないわ」


 と言って追い返した。姉思いの幼い弟と妹の真心を粗末にするのは心が痛むけれど、扉を開けて招き入れることは出来ない。どんなに取り繕っても、この醜態を晒してしまえば、マキュリーが憔悴していることは、幼子の目から見ても明らかだろう。これ以上、双子に心配をかけたくない。


 マキュリーはなんとかして穏便に済ませようと心を砕くけれど、うまくいかない。バルカンは


「どうしよう、マリナ! お姉さまが死んじゃう! お姉さま、死んじゃイヤだ!」


 と泣き出してしまい、マリナは舌打ちをして


「めそめそしないで、バカルン。うっとうしいわ。仮病をつかわないでください、お姉さま。バカはカゼをひきませんのよ」


 と言い放ち扉を蹴破ろうとした。


 軋む扉の悲鳴と「僕はバカルンじゃなくてバルカンだよ!」というバルカンの叫びが鷲獅子宮殿に響き渡り、双子は駆けつけた母に捕まった。双子には母によるお説教とお仕置きが待っている。


「二人とも、あたくしを心配してくれたの。叱らないであげて。お願い、お母様」


 とマキュリーは母に……扉越しにではあるけれど……訴えた。母は聞こえないふりをしたので、恐らく、双子はこってり絞られてしまったのだろう。あれ以来、双子はマキュリーの部屋に寄り付かなくなった。早く元気になって、埋め合わせをしてあげなければと思うものの、一念発起して立ち上がるには至らない。


 因みに、父はマキュリーを見舞わない。母に固く禁じられているらしい。母曰く「アダムス君のお見舞いはお見舞いではありませんわ」とのこと。それでも一度は、母の目を盗んで、マキュリーの寝室の扉をノック無しに蹴破り、押し掛けて来た。しかし、すぐさま駆けつけた母に


「そろそろやらかす頃だと思ってたんだよ!」


 と怒鳴られ、真っ二つにされ、摘まみ出されてしまった。けれど、真っ二つにされる寸前の父の表情は目に焼き付いた。いつも自信満々で上機嫌な父の、あんな顔は初めて見た。ひとりになると、マキュリーはさめざめと泣いた。


 父も母も、弟も妹も、家族の皆がマキュリーを心配してくれていて、マキュリーが元気になることを願ってくれている。愛する大切な家族に心配をかけて、悲しませることは、マキュリーの本意ではない。


 一日も早く、立ち直らなければいけない。傲慢の鷲獅子マキュリー・プライドは、無敵で素敵で、完璧でなければいけない。


 だけど、どうしたら良いか、わからない。マキュリーを完璧なマキュリー・プライドに変えてくれたのはプルトーだ。プルトーが信じてくれなければ、マキュリーは弱虫で泣き虫で、愚図で鈍間で、何の役にも立たない、出来損ないでしかないのだから。


(あたくしは、ダメなの。プルトーがいてくれなきゃ、あたくしはダメになってしまうの)


 なんて、本当のことは口が裂けても言えない。心からマキュリーを愛してくれる大切な家族の前でそんな弱音を吐いたら、家族の皆はきっと、心に深い傷を負ってしまうだろうから。


(いつまでも、いじけていられないわ。立ち直らなくちゃ。しっかりしなさい、マキュリー・プライド。貴女は、魔王アダムスの長女で、傲慢の鷲獅子なのだから)


 マキュリーは寝台の上で寝返りをうち、苦労して上体を起こす。縺れる髪を手櫛で整えて、軽く咳払いをして声の調子を整えてから「お入りください」と言う。


 扉が開いた。入室した母の顔を見て、マキュリーは目を見張る。愛娘を心配するあまり、窶れてしまった母の顔には憂いが暗い影を落としていたのだけれど、今の母の表情は明るい。浮き足だっているようにさえ見えた。


 母は扉を閉めると、軽やかな足取りで寝台の傍までやった来た。きょとんとしているマキュリーを抱き寄せて、髪を撫でながら、母は朗らかに言った。


「マキュリー、素晴らしいお知らせがあるの! 素敵なお客様がいらしたのよ。さぁ、きちんとして。お客様をお待たせしてはいけないわ。お髪を梳って……何か羽織るものが必要ね。誰か! マキュリーの髪を梳かしなさい。それから、羽織りものを持ってきて。この娘が揃えたものでは駄目よ。マキュリーの為に、わたくしが誂えたものがあったでしょう。その中から選んで頂戴。早急にお客様をお迎えする支度を整えるの」


 母は魔女中を呼びつけ、きびきびと指示を出す。魔女中たちはてきぱきと動いた。


  魔女中は二人がかりで、マキュリーが着ていたネグリジェを脱がせる。別の魔女中が面器にお湯をはり、濡らしたタオルでマキュリーの顔から首にかけてを清拭する。さらに二魔人、面器にお湯を張った魔女中達がやって来て、マキュリーの手足をそれぞれ清拭した。さらに別の魔女中がブラシと梳を手にとり、マキュリーの頑固な癖毛の縺れを巧みに解きつつ梳る。


 マキュリーの涙に濡れたネグリジェを持ち去った魔女中を先頭にして、魔女中達がずらずらと、行列をつくって部屋に戻って来た。魔女中達は運んできたネグリジェを、母の前にずらりと並べる。百花繚乱の花園のように、色も意匠も布地も多種多様なネグリジェを、母はじっくりと吟味する。


 その中から母が選んだのは、雲蜘蛛の糸を織り上げた生地で仕立てた、ふんわりとした純白のネグリジェだった。御伽噺のお姫様が着るような意匠は、マキュリーの好みにはそぐわないのだけれど、誰もマキュリーの意見を聞いてくれない。

 マキュリーは魔女中達の為すがまま、母好みの上品で可愛らしいネグリジェに袖を通し、その上にユニコーンの鬣を編み込んだカーディガンを羽織った。


 母はマキュリーの周りをくるくると回り、ああでもない、こうでもない、と女中に注文をつけた。あれやこれやと手を加え、あちらこちらを点検して、ようやく母の納得のゆく出来映えになったらしい。寝台に戻ることを許された頃には、マキュリーはぐったりしていた。来客など、どうでも良いから、ぐっすりと眠ってしまいたい。


 マキュリーは弱っていた。何も考えられなかった。母が憔悴した愛娘を叩き起こし、飾り立てて、もてなそうとする客魔人とは、何者なのか。気にかけて当然のことを、気にかける余裕もなかった。


 支度が整うと、母はいそいそと扉へと向かった。扉を開き、その向こうに佇む魔人に微笑みかける。


「お待たせしてごめんなさい。でも貴方、マキュリーを訪ねるおつもりなら、予め約束を取り付けてくださればよろしかったのに。女性の支度は時間がかかるものなのよ。……あら、ごめんなさい。わたくしったら……五月蠅く小言を言うつもりはなくて。いらしてくれて、ありがとう。マキュリーは、ずっと貴方に会いたがっていたの。さぁ、どうぞ。ゆっくりしていらしてね、プルトー」



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