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 先輩は白々しく言い直してくる。先輩の言葉が鋭い刃に変わってプルトーの胸を貫いたようだった。


 父が母を愛したことを、先輩はつまらないことだと断言した。父の苦悩を、母の献身を、プルトーの決意を……プルトーが生まれたことを、取るに足らないつまらないことだと、切って捨てた。


「今の言葉、撤回してください」


 プルトーは言った。頭へと駆け上がる血流の轟音と、空気が氷結する微かな音の二重奏を耳にしてはじめて、プルトーは自身が激昂していることを自覚する。


 プルトーは怒りっぽいけれど、滅多なことでは、怒りが臨界点を突破することは無い。

 幼体の頃はしばしば、胸のなかの苦痛をそのまま掴かみ出して、叩きつけるような癇癪を起こしていたけれど。


 この手の罵倒や影口が幼いプルトーの耳に入ることは、珍しいことではなかった。アダムス・プライドに嫁ぐ決心をした叔母が、はらはらと落涙しながら、何度も何度も謝罪の言葉を繰り返し、幼いプルトーに背を向けて、竜宮邸を去ってからというもの、耳を塞いでも毒のような悪意を耳に捩じ込まれ心に突き刺される毎日だった。


 最愛の妻を喪い、アダムス・プライドに敗れ、憤怒の龍としての尊厳を失い、弱体化した父の味方は一魔人もいない。もう誰も、父を庇ってくれないし、守ってもくれない。


 だから、プルトーは強くなった。父を貶す輩は絶対に赦さない。例外は存在しない。たとえそれが、ジューゾー君の恩人であり、大学の同窓の中でただ一魔人、友人のような付き合いをしている先輩であっても、赦す訳にはいかなかった。


 だから、先輩には暴言を撤回して欲しかった。そうしたら、水に流すとは言わないが、命まではとらないつもりだった。


 ところが、先輩は眉ひとつ動かさず、いけしゃあしゃあとして言い放つ。



「なんで? 本当のことじゃないか」


 凍りついた大気に亀裂がはしり、甲高い悲鳴を上げる。


 いくつもの氷の結晶が花咲き、連なり合い重なり合い、先輩の浅黒い肌を覆ってゆく。炯々と光る魔眼が先輩をとらえ、先輩の血の巡りを縛める。


 龍人は水に宿る水精を支配して操る。プルトーには、格下の魔人の血流に干渉することも出来た。瞳の動きひとつで、対象を責め苛むことができる。


心臓を破裂させるより、体の末端から徐々に蝕む方がプルトー好みだ。変色する皮膚、灼熱感と疼痛、痺れと激痛。黒い皮膚におぞましい水疱が生じ、終には壊疽が起こる。


取り返しのつかないことになる前に、先輩には悔い改めて欲しいけれど、先輩は苦痛も快楽に変換してしまえる高度な変態である。どうなることやら、と他魔人事のように思いながら、プルトーは悶絶することも儘ならない先輩を見据えた。死に至る迄の苦しみは、プルトーの匙加減ひとつで決まる。


 先輩が瞬きをすると、霜を纏った上瞼と下瞼の睫毛が絡まり、上下の瞼がぴたりとくっついた。無理矢理引き剥がして目を開くとき、痛みを覚えたのだろう先輩は顔をしかめる。紫色に変色した指は、霜を払うことは愚か、動かすだけで鋭い痛みを訴えるに違いない。


 プルトーの右手が掴んだ先輩の右手首は、氷のように冷たくて、ほんのすこし力を込めれば、粉々に砕けてしまいそうだった。


 先輩は血の気の失せた唇をぶるぶると震わせる。先輩の謝罪を受け入れる為に、プルトーは血の縛めを緩めてやった。先輩は小さく息を吐いてから、掠れた声で言った。


「魔王になることを、魔人生の唯一の目的とするなら……確かに……お前の親父さんは、お袋さんと結ばれることで、魔人の一生を棒にふったのかもしれない。それでも……お袋さんと出会い、恋をして、結ばれて……お前が生まれて……ほんの短い間でも、親父さんは幸せだった。だから、つまらないことなんかじゃない……だろ? ボクは、そう思った。それで、こうなったんだ。後悔なんかしない。家族は皆、ボクが魔人生を棒にふったって、嘆いたけどね。……恋をして……ボクは、幸せだった」


 プルトーが血の縛めを解くと。先輩は膝から崩れ落ちる。先輩は右腕を吊し上げられる体勢を強いられた先輩が苦鳴を上げたので、プルトーは慌てて先輩の傍らに跪いた。跪いてから、手を放せばそれで済んだ、何も跪くことなかった。ということに思い至る。しかし、そんなことはどうでも良かった。


「先輩……先輩! 大丈夫ですか?」


 狼狽えるあまり震える、情けない声を己が発したということが、プルトーには信じ難い。しかし、それを言うなら、自らの意思で傷つけた先輩の身を心から案じていることこそ、傍目から見たら、信じられないのだろう。


 ただでさえ、プルトー・ラースはサディストだと、専らの噂なのだ。三度の飯より血を見るのが好きだとか、断末魔を子守唄変わりに育ったから安眠の為に毎晩のように断末魔を聞いて眠るだとか、夏休みの自由研究として、凍傷に罹ったメイドが絶命するまでの様子を観察日記につけて提出しただとか。あることないこと、言いたい放題言われている。


 よくもまあ、出鱈目な話をまことしやかに語るものだと、呆れを通り越して感心してしまう。プルトーは、流血より火傷や凍傷を負わせる方が好きだし、断末魔を聞いて眠るのではなくて、断末魔を聞いた日の夜は熟睡するのだ。自由研究の観察対象にしたのはメイドではなく、父を裏切り叔父に寝返ろうとした父の配下である。これだから、ゴミクズどもの巷説など、あてにならない。


 プルトーは其処らのゴミクズどもが言うようなクレイジーでサイコパスなサディストではない。誰彼構わず傷つけて恍惚とすることはない。傷つけるべきではない魔人を傷つけてしまったら、後悔するし反省もする。


 先輩は父を侮辱していなかった。プルトーよりも父の胸中を察していた。先輩も父と同じような恋をしたらしい。心ない輩から魔人の一生を棒にふったと、詰られるような恋を。


 真っ先に思い浮かぶのは、先輩が地上で遊行していた空白の五十年のことだ。ラストのエリートだった先輩は、地上から戻ると弱体化していて、落ちこぼれの烙印をおされた。


 先輩は地上で恋に落ちたのだろうか。だとしたら、相手は月雲ノ上に昇れなかった低級魔族ということになる。魔物と呼ばれるその者逹が、人型に変化することはない。先輩なら、そういうのもアリなのだろうか……アリなのだろう。先輩は女体に欲情出来なくなったのではなく、人型の女体に欲情出来なくなったということか。何故、男ならイケルのだろう。理解が及ばない未知の世界だ。考えていたら頭が痛くなってきた。


 先輩が地上から魔物を連れ帰ったと言う話は聞かないから、相手は地上に残ったのだろう。高貴な魔人である先輩の為を思って身をひいたというところか。しかし、腑に落ちない。先輩なら思いきって、なにもかも捨て去って、相手の魔物と駆け落ちするくらいのことはやりそうなのに。


 真実は藪のなかだ。これまで、彼の恋について先輩が語ることはなかった。他言したくないくらい、大切な想いだということなのだろう。それを、プルトーに打ち明けてくれたのは、きっと、頑なになるプルトーに彼の助言を届ける為だ。先輩は心底、プルトーの恋路を応援してくれているのだと思う。先輩は変態は変態でも、優しい変態だと、ジューゾー君も言っていた。


 それなのに、プルトーは早合点して、先輩を傷つけてしまった。プルトーはしばしの逡巡の後、素直に頭をさげた。


「すみません……やり過ぎました」

「おやおや? どうした、プルプル。珍しくしおらしいじゃないの。しょんぼりプルプル、可愛いなぁ! それじゃ、お詫びのご奉仕を所望しちゃおっと! 取り合えず、咥えてくれる?」

「良かった、大丈夫そうですね。 謝って損した。 むしろ、先輩は僕に謝罪するべきです。謝ってください、先輩」


 すぐに調子に乗る先輩が、当然のごとく調子に乗って、のし掛かってきたので、引っくり返して足蹴にする。先輩は腹を抱えてけらけらと笑った。その指先は紫色に鬱血したままだ。先輩はプルトーの暴挙を赦し、甘やかす。さっきまでのプルトーなら、バカにしやがって、と憤慨しただろう。けれど今はもう、怒りがこみあげてこない。


 幼い頃、叔母はプルトーに色々な場面で、両親の姿を撮った写真を見せてくれた。大泣きする赤ん坊のプルトーをあやそうとして悪戦苦闘する父と、それを微笑ましく見守る母の写真を見せて貰ったことがあった。


「お兄様の麗しのかんばせを足蹴にして、笑って赦して貰えるのは貴方くらいのものよ」


 と言って笑った叔母が指差した先で、写真にうつる父は困ったように、けれどどこか嬉しそうに、微笑んでいた。


 父の笑顔を最後に見たのは、いつのことだっただろう。先輩の笑顔を見ていると、ふと、そんな疑問が頭をもたげた。引き結んだ唇をほどいて、プルトー自身さえ知らなかった、胸の奥底に潜んでいた弱々しい本音が、ぽろりと零れる。


「先輩……僕は嘘をつきました。父上の為に、マキュリーを諦めるなんて真っ赤な嘘だ。僕はただ、父上のようになるのが怖いだけなんです。父上のように、愛する女性と魔王になる夢、どちらも諦めきれずに手を伸ばして、どちらも掴めなくて、なにもかも……幸せを……失うことが、怖いんです」


 母と出会い、母と結ばれて、父は幸せだった。幸福の日々の一瞬を切り取って残した写真を、叔母は見せてくれた。そこにある、父の笑顔を見るたびに、現実を突きつけられて、プルトーは胸を痛めた。写真の父はいつも笑っているけれど、プルトーの知っている父は笑わないから。父が不幸になったことは、疑う余地がなかった。


 プルトーの弱音を、先輩が笑い飛ばした。


「アハハ! プルプル、なに寝惚けたこと言っちゃってんの?」


 上体を起こし、呆気にとられるプルトーの右手をつかんで引き寄せる。踏ん張りが利かずに、先輩の上に馬乗りになる。目を白黒させるプルトーの細い顎を先輩の大きな手がつかむ。先輩の鋭い眼光に射抜かれて、目を逸らせない。


「本気で惚れた女を諦めるような禁欲主義者が、魔王になれるとでも? 笑わせるな。すべてを恣にしてこその魔王だろうが。魔王になる男なら、あれもこれもそれもって欲張って、そうして、欲しいものはなにもかも手に入れてみせろ」


 顎を掴んでいた先輩の手がするりと滑り、頬を撫でた。額をおし、長い前髪をかきあげて、頭を撫でる。先輩はにっこり微笑んだ。


「頑張れ、プルプル」


 プルトーは目を丸くした。目から鱗が落ちた。


 ラースの血統は呪いだ。憤怒の罪を極めるなら、幸福にはなれない。どうして、そうと決め付けるのだ。母も、父も、プルトーも。ラースは不幸の血統ではない。憤怒の罪を極めて魔王になることと、愛する女性と結ばれて幸せになること。それらを両立することは、困難ではあっても、不可能ではないかもしれない。だって、まだ、挑戦していない。やってみなければ、わからない。やってみて、とことんやってみて、やれるだけやって。諦めるのは、その後だろう。


 そもそも、司る罪は違っても、アダムス・プライドに出来ることが、プルトー・ラースに出来ない筈がない。愛する女性を妻として、子宝に恵まれて、月雲ノ上の頂点に君臨する。可愛い孫を腕に抱けば、父だって、母と共にあった頃の笑顔を取り戻してくれるかもしれない。


子供が何魔人生まれても、アダムス・プライドには抱かせてやらない。マキュリーがごねたら理屈をこねて言い包めよう。マキュリーはおバカだから、言い包めることは、たぶん、そんなに難しくない。何なら、叔母に協力を仰ごう。父のためだと言えば、嫌とは言わないはずだ。言わせない。


 孫を抱かせて貰えないアダムス・プライドが号泣する、痛快な未来を想い描くと、プルトーの心は踊る。高笑いをして、満足してから、はっと我にかえる。先輩は「おっ、プルプル、ヤル気満々だね~! イイゾ~、その調子その調子!」と嬉しそうににこにこしている。


 プルトーは先輩をじっと見つめた。


「なになに? そんな物欲しそうな顔しちゃってぇ。もしかしてプルプル、ボクが欲しいの?」


 とおどけながら固く熱くいきり立ったモノを尻に押し付けてくる先輩の鳩尾に拳を深々と突き刺す。悶絶する先輩の前髪を掴み、猫の仔をつまみ上げるようにしてあげさせた顔を覗きこむ。


「先輩……何故、僕を励ましてくれるんですか?」

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