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あまりのひどい言われように耳を疑う。
(バカ? このバカは 今、バカと言ったのか? 家督に成り損ねた下郎が、このプルトー・ラースを侮辱した?)
プルトーの目が光る。煌めくようなものではなく、自尊心を傷つけられた憤りが燃え上がり、瞳に浮かんでいた。
プルトーは唇を引き結び、先輩に背を向ける。ひとまず部屋を出て、先輩と距離をとるべきだと考えた。そうしなければ怒りに駆られて、うっかり先輩を殺してしまいかねない。
腹いせに、水牢に幽閉している聖霊に八つ当たりをしよう。捕虜はごまんといるから、十体や二十体、バラバラにしたところで仕事には差し支えない。
怒りを発散して頭を冷やしたら、死なない程度に手加減して、先輩を制裁しよう。このプルトー・ラースを罵ったことを後悔させてやる。プルトーが部屋に戻るまで先輩を引き留めておくよう、使用人に命じておかなければ。
先輩を懲らしめる算段を立てつつ、廊下へと続く扉へ足を向ける。弾かれた様に立ち上がった先輩が、プルトーの背後から手を伸ばし、プルトーの肩を掴んだ。
黒曜石の爪に飾られた指先が、肩の肉に食い込む。ふだん長い睫毛をかむって煙っているプルトーの眼は、切れ目いっぱいに裂けひろがる。振り返るまでもなく、先輩の指先から、ピリピリとした激情を感じた。無礼な豪腕を振り解くこうと思えば、振り解くことは容易い。膂力で劣っていても、魔力では圧倒的に勝っている。振り解くついでに先輩の魂をその雄偉な肉体諸とも八つ裂きにすることさえ容易い。
ところが、プルトーは先輩の腕を振り解くどころか、指一本化動かさなかった。プルトー本魔人は頑として認めないけれど、坊っちゃん育ちのプルトーは、丁重に扱われることが当然だと思い込んでいるから、不意に乱暴にされると、鳩が豆鉄砲を食らったようになってしまう。
先輩になされるがままに、プルトーは先輩と向かい合う。両肩はそれぞれ先輩の大きな手にがっしりと掴まれている。プルトーはしばし言葉を失い、口を軽く開いたまま、ただぼんやりと、先輩の微笑みを眺めていた。これで、先輩が決まり悪そうにしていたり、むっとしていたりしたなら、プルトーは気を取り直して、先輩を罵倒して殴って蹴って踏みつけただろう。ところが、先輩はにっこり微笑んでいるから、プルトーは戸惑う。先輩は気が狂ったのではないかと、プルトーは上目遣いに先輩の気色をうかがう。先輩はうっと呻いた。
「うわ~プルプル、なにそれ、あざといわ~! かわいすぎるわ~! でもでも、今はそれ、やめようね? ボクは今、プルプルと大切なお話がしたいの。お願いだから、誘惑しないで~! あーもー、前がキツイ~! やめてやめて、頼むよ、プルプル~!」
とかなんとかほざき、プルトーには理解不能の煩悶に身悶える。先輩を先輩たらしめる股ぐらの先輩が、ご立派になっている。もうちょっとでプルトーの臍あたりに当たりそうだ。プルトーは出来る限り腰を引いて、先輩を見上げる。プルトーがぶんぶんと頭を振って「いやいややめて気持ち悪い! お願いだから今すぐ呼吸をするのをやめて!」 という意思をこめて見つめると、先輩は頭髪を掻き乱してを奇声を発した。
「ダメー! ダメだってば、ダメダメダメー! どーしてこの子はこーなのかな!? 先輩はお前と大切なお話がしたいんだってば! うるうるの上目遣いでぷるぷるするの、やめて! 後にして! 後でなら、たっぷり可愛がってあげるから! あー! またそんな顔してー! 普段はつんとお澄まししてるのに、ちょっと追い詰められたらそうやって、びっくりしておどおどしちゃうんだもんな、お前! 可愛い!! そんな顔されたら、苛められない~! よしよししてあげたくなっちゃう、カラダの隅から隅まで、奥の奥まで、余すことなく! 甘やかして、グズグズに蕩けさせてあげたくなっちゃう! さては、ボクがお前達のそういうところに弱いって、知っててやってるな!? 違うよね無意識だよね! 天性の才能だよね! お前達のそういうところ、本当に嫌だ! もう、勘弁しろよ~! お願いだから、本題に入らせて~!」
「支離滅裂に責任転嫁をするのはやめろ」
勘弁して欲しいのは此方だと、プルトーは心の底から訴えた。お前達って、誰と誰のことだ。聞くまでもなく、プルトーと誰かのことなのだろうけれど。気になるけれど、気にしてはいけない気がする。
先輩は、ドン引きするプルトーの頬を両手で挟む。プルトーの頬を捏ね回しながら、先輩は言った。
「プルプルお前、マキュリー・プライドに惚れてるんだろ?」
プルトーはきょとんとした。かちんこちんの氷の緊張が一瞬にして融け、熱湯の羞恥が沸き立った。
「ほほほ惚れてねぇし! ななな何言っちゃってんの!? ババババカじゃねぇーの!? 意味分かんない! 本気で意味わかんないんですけど! バカも休み休み言え、バーカバーカ!」
吃りながら、プルトーは叫んだ。声を張り上げなければ、ごうごうと耳の内側から聞こえる、プルトーの血が恥ずかしさで沸騰する轟音に掻き消されてしまう。
マキュリーへの想いは、胸のうちに秘めている。ジューゾー君にだって、あんなことがなければ、打ち明けることはなかった。それを、知られてしまったのか。ジューゾー君はプルトーの秘密を言い触らすような薄情者ではないから、悟られてしまった、ということだ。
プルトーは狼狽えた。何時、如何して、何故、バレた? よりによって、破廉恥なことで頭がいっぱいの蠍人の先輩にバレたなんて、一生の不覚だ。やっぱりアレか、淫気が駄々漏れになっていたのか? プルトーの敗因は若い性欲をもて余したことなのか? そんな情けない話があるか? こうなったら、口封じに先輩を殺すより他にないのではないか?
いや、待てよ。とプルトーは凶行を思い止まり、考え直す。先輩が確信を持っているとは限らない。かまをかけているだけなのかもしれない。それならば、しらを切れば良いのだ。落ち着いて。大丈夫、大丈夫。いつも通り、大きい顔をしておけばきっと大丈夫。何も問題はない。
先輩がプルトーの頬を両手でむにゅっと押し潰す。強制的に唇を尖らされたプルトーの顰め面を見て、先輩は笑う。
「見てりゃわかるよ、お前、滅茶苦茶わかりやすいからね」
全然、大丈夫じゃなかった。思考が真っ白になりかけたけれど、慌てて気持ちを引き締めて、平静を取り戻す。
まだ間に合う。殺そう。それが一番手っ取り早い。今この場で、と言うのはまずいから、帰路につく先輩を尾行して闇討ちしよう、そうしよう。
真顔で先輩の殺害計画を立てるプルトーの頬を、先輩は両手で挟み、ぺちりと叩く。プルトーは目玉をぎょろりと回す。初恋の次は、殺意を悟られたのだろうか? 淫気の次は殺気が駄々漏れになっていたのか?
いつも上機嫌でいやらしい笑みを絶やさない先輩の、眉根を寄せた真剣な表情をプルトーはしげしげと見つめた。まるで別魔人のようだ。
「ん? どーした? なに、その熱視線。ボクに見蕩れちゃったの? 見物料を払ってもらおっかな。もちろん、カラダで」
などと、いつもの痴れ言を抜かしても、おざなりに言っているように思われる。そう言えば、真面目な話がしたいのだと先輩は言っていた。悪ふざけの化身のような先輩が、真面目腐って何を語ろうと言うのだろうか。息をするように猥談に興じ、セクハラ発言を連発する先輩は、それ以外の言葉を口にすることが出来るのか。
今さっきも、真面目な話がしたいと言いながら、先輩の話はソッチ方面に逸れていた。それを言うに事を欠いて、プルトーのせいだと言ってのけるのだから、先輩はやっぱり、卑猥な妄想ばかりしているせいで、思考回路が焼き切れているのだろう。その調子で命も燃え尽きてくれないだろうか。
プルトーがものおもいに耽っているのをいいことに、プルトーの頬を引き延ばしながら、先輩は言った。
「あちらさんもお前にぞっこんだ。お前ら相思相愛だよ、おめでとう! 握手して、抱きしめてキスして、押し倒して子作りして、嫁に貰うなり婿入りするなり、好きなようにすりゃあ、イイじゃない。なんで本性丸出しにした死闘を演じなきゃいけないわけ? なに、つまらない意地を張っちゃってるのさ。ボクちゃん、意味わかんなーい。ねぇ、なんで? なんで、なんで、なんで?」
プルトーは目を見張る。次の瞬間、先輩の手を振り払った。
肩を竦める先輩を、きっと睨み付ける。
先輩に干渉されて頭にきているのに、赤の他魔人に過ぎない先輩に指摘されても返す言葉もないことが、悔しくて堪らない。何と言うべきかも、何が言いたいかもわからないまま、溢れ出す感情を吐き出すしかなかった。
「……わかんねぇよ! どうしたら良いのか、わかんねぇンだよ! 好きだから……どうこうするって……そんなの、無理に決まってんだろうが! 僕が、マキュリーと結婚したら……父上はどうなる!? 母上には先立たれて、魔王にも成り損ねて! 叔母様には裏切られて! 僕にまで裏切られたら……父上はどうなると思う!? 父上は、身も心もボロボロなんだ! 僕は、もうこれ以上、父上を苦しめたくない! 父上をお助けしたい……魔王になって、父上と母上の雪辱を晴らしたい。 だから、テメェの惚れた腫れたは、諦めなきゃいけねェんだよ! 諦めるしかねェんだよ! それなのに、どうしても、諦めきれなくて……だからこんな、無様に迷走してるんだ! わかってる 、そんなことは! わかったところで、どうしようもねェから困ってンじゃねぇか! 無責任にお節介やいてンじゃねェ!」
プルトーはマキュリーが好きだ。マキュリーもプルトーのことを好きでいてくれる。それは嬉しい以上に切ないことだ。
好きな魔人と両想いでいられることは、本来ならとても幸せなことだ。しかし、結ばれることのない二魔人の場合、想いが通じ合ったところで、辛く苦しいばかりではないか。
先輩に触れられた頬は火傷のような疼痛を訴えている。先輩の正論は容赦のない平手を打ちのようだった。プルトーは俯いて唇を噛んだ。
先輩の目から見たら、つまらない意地を張っている、ように見えるのだろうか。ありとあらゆるしがらみから解放されて自由になった先輩には、父の雪辱に燃えて、名誉と栄光に拘泥して、雁字搦めになって身動きがとれなくなっているプルトーの有り様は、滑稽を通り越して憐れみを覚える程なのだろうか。あの、性的なアレコレで頭がいっぱいの先輩が、見るに見かねて助言をするなんて、余程のことである。
プルトーの頭の上に、先輩の大きな手が置かれる。その手をぽんぽんと、宥める調子で弾ませながら、先輩は言った。
「ジューゾーが、プルプルのことファザコンだって言ってたけど、その通りだったな。 プルプルは、本当に親父さん想いの良い息子だね。ボク、プルプルの爪の垢でも煎じて飲むべきだったかな。どうせ飲みこむなら、爪の垢を煎じてのむんじゃなくて、恥垢を直に舐めとりたいんだけど……まぁ、ボクの好みはひとまず横に置いておいて。お前の親父さんは、お前みたいな孝行息子をもって幸せだよ。ボクの両親は、プルプルの親父さんが羨ましくて堪らないだろうなぁ。お前が親父さんを、それだけ大切に想ってるんだ。親父さんだって、お前のことを大切に想っているよ。お前の幸せを、願ってくれるよ」
プルトーは顔をあげた。プルトーを見る先輩の目は優しい。プルトーはかっとなって、先輩の手首を掴んだ。
憐れまれて、情けをかけられるなんて、まっぴらごめんだ。プルトーはつかみかかるように怒鳴った。
「知ったような口を利くな! テメェのような極楽とんぼに、父上のお気持ちがわかってたまるか!」
「じゃあ、プルプルにはわかるの? 親父さんの……つまらないことで魔人の一生を棒にふる、バカ野郎の気持ちが?」




