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『絶対不可侵の魔王女様』? 世間のゴミクズどもは、マキュリーをそう呼んでいるのですか?」


『絶対不可侵』と称されるからには、マキュリーは貞操観念が低い、ふしだらな女ではない、ということか。マキュリーの美貌と無防備さを思うと、杞憂とは知りつつ心配せずにはいられないのだけれど。


「へぇ、彼女のこと、呼び捨てにしてるんだ」


 プルトーに踏みつけにされながら、先輩はしたり顔に言う。足蹴にされて悦ぶ変態の分際で、憤怒の龍プルトー・ラースの尻尾を掴んだと言わんばかりである。腹立たしい。しかし、激昂してはまんまと先輩の思う壺に嵌まる……ような気がする。だから、魔法の呪文「僕は大魔人」を三回唱えて気を鎮めようと努める。取り澄まして言った。


「それがなにか」

「ううん。なんでもないよ。なんでもないない。プルプルが他魔人のことを呼び捨てにするのは珍しいと思っただけ」


 プルトーは返答に窮する。


「そんなことはありません。先輩の思い過ごしですよ」


 などと、いけしゃあしゃあと言ったところで、目が泳いでいては説得力に欠ける。


 有象無象の名前など、いちいち覚えていない。礼節を尊ぶラースの首長として、大罪の七司族の首長とそれぞれの家督をはじめとする、魔界の重鎮の顔と名前は辛うじて覚えている。しかし、それはあくまでも、個魔人を識別する記号として記憶して、発音しているに過ぎない。


 先輩の名前を記憶していたこともあったが、彼が落ちこぼれの烙印をおされた時点で忘れた。


 出会った頃のマキュリーは魔王女でありながら、落ちこぼれの鷲獅子人として周囲のゴミクズどもに虐げられていた。ところが、プルトーはマキュリーの名前を覚えていた。傲慢の鷲獅子を継承するのはマキュリーだと信じていたし、彼女の名前を忘れたことはない。


 万が一、マキュリーが落ちぶれたとしても、忘れることはないだろう。


 マキュリーは特別なのだ。腹立たしいことこの上ないが、先輩は正しい。


 他魔人の名前を口にするとき、プルトーはそれに敬称を添える。相手に敬意をはらう為にそうするというのは建前で、相手と一線を画する為にそうするというのが本音だった。


 マキュリーが魔女王に即位したなら、彼女を尊称で呼んだり、彼女の名前に敬称を添えたりすることはを余儀なくされるが、そうはならない。魔王になるのはこのプルトー・ラースなのだ。プルトーがマキュリーの名前を、声に出して、或いは心の中で呼ぶときに、敬称を添えたことは一度もかった。これまでも、きっと、これからも、ずっと。だってマキュリーは、他の誰とも違うから。


 マキュリーだけを、赤裸々に特別扱いしている自覚はある。

 マキュリーはプルトーの思っていたような女性ではなかったけれど。端的に言えば、女版アダムス・プライドだったけれど。あのおバカにころりと騙されたのかと思えば怒髪天を衝くけれど。


 それでも、百年の恋も一時にさめたかと問われると、そんなことはないのだから困りものだ。はにかんで微笑む可愛らしさはあの頃のままだったから、百年の間、胸の内に秘めてあたためてきた想いも変わらない。


 プルトーが項垂れると、長い髪が肩を流れて視界に入り込む。プルトーは舌打ちをして、いけぞんざいに髪をかきあげる。細い髪は指の間をさらさらと流れてすりぬけて、思うようにならない。プルトーの苛立ちは募る。


 いっそのこと、見る影もなく変わり果てたマキュリーが、プルトーの初恋を嘲笑ってくれたなら。憤怒の業火がプルトーの初恋を焼き払ってくれただろうに。


 なんて、責任放棄してしまいたくなるくらい、マキュリーの為に伸ばした髪は長くなり、マキュリーへの想いは大きく膨らみ、プルトーはそれらをもて余している。


 先輩がよっこらしょ、と立ち上がる。よく実ったひろい肩をひょいと竦めた。


「ふぅん、そう? でも、マキュリー・プライドは、親しいつもりでいるみたいじゃない? 彼女、プルプルをお婿さんに迎えるつもりだって言うじゃない?」


 プルトーは目で噛みつくように、先輩を睨んだ。先輩のしたり顔は、プルトーの顰め面より頭ひとつ分、高い位置にある。下から見上げると、他魔人の顔は皆一様に、横柄で居丈高だから、すぐさま斬首して、高みから転がり落ちた生首を踏みつけてやりたくなる。


 プルトーは上げ底靴を履いて外出する。つまらない見栄を張るものだと、父は呆れるけれど、こればかりは譲れない。指三本分、靴底を上げたところで何が変わるのかと問われれば、何もかも変わると答える。たかが指三本分、されど指三本分。その違いは大きい。龍の祝宴でマキュリーと再会したとき、上げ底靴を履いていて良かったと、心底思った。


 マキュリーは女性としては背が高い。その上、踵の高い靴を履いていた。仮に上げ底靴を履いていなければ、プルトーはマキュリーに見下ろされていたかもしれない。幼体の頃に見下ろされたのと、大人魔になってから見下ろされるのとでは、訳が違う。危うく、心に一生涯、消えない傷を負う羽目になるところだった。


『女の子は強く逞しく大きい男が好き!』とプルトーの愛読書にはあった。ムキムキマッチョになるという約束を果たせなかったばかりか、プルトーの視線がマキュリーのそれより低いとなれば、マキュリーはがっかりしただろう。


 二人とも裸足になれば、プルトーの方が背が高いだろうけれど、男女が裸足になって並び立つ機会なんてあるだろうか? 思い付かない。アハンウフンな場面しか思い付かない。経験はないが知識はたんまり蓄えているので、妄想は捗る。妄想のなかのプルトーは、ラストもビックリのテクニシャンだ。巨人もびっくりの、ムキムキマッチョの大男でもある。


 おっと、いけない。プルトーにはよくわからないけれど、たぶん、淫気が駄々もれになっていた。先輩が騒ぎだしては面倒だから、プルトーは先手を打つことにした。騒ぐな、殺すぞ。という意図を十分に汲み取って貰えるように、とっておきの笑顔を拵えて、先輩を見上げる。


「まさか。マキュリーとは、鷲獅子宮殿に召喚されたに百年前に会ったきりです。ご存じの通り、我が父エミルグと魔王陛下は犬猿之仲。僕と彼女の結婚が許される筈がないでしょう。魔王女殿下のお戯れですよ。僕をからかって、遊んでいらっしゃる。性質の悪い嫌がらせだ」


 敢えて、マキュリーを尊称で呼んでみる。恋の障害を挙げてみる。卑屈な心の内を吐露してみる。

 五月蠅い先輩を黙らせる為に必要なのだと、割り切って言葉にした筈なのに、部屋の隅で膝を抱えたくなった。


 先輩は目をぱちくりさせている。小首を傾げる幼い仕草が、バカデカイ図体に不似合いで、滑稽を通り越して不気味だった。


「どうして、そう悲観するかな? 彼女の言葉を信じるなら、プルプルはこの百年間、ずっと彼女に恋い焦がれてきたんだろ。あのマキュリー・プライドが、プルプルの求婚を受け容れる、とまで言ったんだから、相思相愛じゃないか。そこは大喜びで握手して、抱きしめてキスしてそのまま押し倒して、孕ませちゃって出来ちゃった結婚、ゴール・イン! って流れになるよね、ふつう。それがどうして、龍の祝宴の惨劇になっちゃった? ボク、わかんない」

「出来ちゃった結婚なんて言語道断です。物事には順序というものがあります。そんな、お下品でお下劣なふつうが罷り通るのは、蠍人の変態に限ったことですよ、先輩。ふつうの魔人は、下半身ではなく、頭でものを考えるんです」

「そうなの? それって、つまんないね。 鬱陶しい理屈を捏ね回して、素直な気持ちに蓋をして? つまんない、つまんないね、そんなの。欲望の壗に生きてこその魔人生だぜ。気持ち良く生きるのに、理性なんて邪魔なだけだろ。ふーん。そっか、そうなんだ。ボク、蠍人に生まれてよかったー!」


 先輩はあっけらかんとして笑う。その目つきは深く、鋭い。狩猟をする魔獣のように、極限まで精神を研ぎ澄ましていた。プルトーは戸惑う。何故このプルトー・ラースが、魂を値踏みする悪魔の目で見つめられるのか。それを言うなら、そもそも、常日頃から視姦されることが腑に落ちないのだが。


 しかし、先輩の言うことも一理ある。出来ちゃった結婚云々のくだりは、ふざけるな苦しんで死ね、という感じだが。慾望の壗に生きてこその魔人生。けだし警句である。


 先輩は慾望の壗に生きているのだろう。七司族の魔人のしがらみのすべてに訣別して、好きなように生きている。先輩は自由だ。初恋の女の子が目の前に現れたなら、先輩は迷わず、握手して抱き締めてキスして押し倒す。あわよくば、出来ちゃった結婚に持ち込む。プルトーにはとても真似のできない芸当だ。真似したいとも思わないけれど。先輩の真似をしたら色情狂になってしまう。所謂、良い子は真似しないでね! というやつだ。


 先輩のように、心のおもむくまま気の向くままに生きることは、プルトーには出来ない。プルトーは憤怒の龍を継承した。父の苦難を知っていたから、この身が滅びるまで、ラースのしがらみに身を絡めることは覚悟の上だった。


 アダムス・プライドを凌駕する最強の魔王になる。憤怒の罪を極める。何を犠牲にしても宿願を果たす。


 幼いプルトーは、マキュリーに恋をした。この初恋は叶わないと知りながら、再会の約束を交わした。


 二人揃って一族の首長になれば、また会える。次に会うときは、敵同士だ。命懸けで、魔王の座を奪い合うことになる。それでもいいから、また会いたかった。


 マキュリーは、プルトーの心に棲みついた、弱くて惨めで、プルトーが守ってあげなければならない女の子ではなかった。プルトーは怒り狂いながらも、心の何処かで安堵していた。


 これで、よかったのだ。マキュリー・プライドは猫を被って、卑屈な弱虫のふりをして、プルトーを欺いていた。もう二度と会えなくなるくらいなら、敵同士でも良いから、また会いたいと。プルトーをそんな風に血迷わせた女の子は、最初からこの月雲ノ上には存在しなかった。


マキュリー・プライドは、プルトーの晴れの日に、破廉恥な格好で乱入してきて、お歴々の前でプルトーの淡い恋心を暴露して、あまつさえ、大勢の前で跪けと言い放つような、最悪の傲慢女だった。女版アダムス・プライドと言っても過言ではない、プライドの中のプライドだった。マキュリー・プライドはプルトー・ラースの敵なのだ。


 そう思えたら、心惑わすことはなくなるのに。


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