■第八話 隣町から注文が来た
「隣町から注文が来た」
商人が持ってきた注文書を見ながら、内田沙樹は黙り込んでいた。
石鹸、五百個。
シャンプー、三百本。
入浴剤、八百袋。
しかも、一週間以内。
「……本当にこれを作るんですか?」
「作る」
商人は即答した。
「売れるんですか?」
「もう注文が来ている」
「……なるほど」
沙樹は注文書をもう一度見る。
隣町。
つまり、自分の町の外だ。
今までは工房のある町でしか売っていなかった。
それが初めて、別の町の人が欲しいと言っている。
「ちょっと嬉しいですね」
「だろ?」
商人が笑う。
「それだけじゃない」
「まだあるんですか?」
「ある」
商人はもう一枚の紙を出した。
「隣町の店主が、これを聞いてきた」
「何を?」
「お前さんの商品を、うちの店でも正式に扱えないか、と」
沙樹は目を丸くした。
「販売店を作るってことですか?」
「そういうことだ」
「……」
沙樹は腕を組んだ。
販売店。
つまり、自分の工房の商品を他の店で売る。
「でも、どうやって管理するんですか?」
「そこが商売だ」
商人は笑った。
「俺が間に入る」
「なるほど」
「お前さんは作る」
「はい」
「俺たち商人が運ぶ」
「はい」
「各町の店が売る」
「……」
沙樹は少し考えた。
「それなら、私が直接売りに行かなくてもいい」
「そうだ」
「……それなら、いいかもしれません」
沙樹は頷いた。
これなら、自分の仕事は製造と品質管理に集中できる。
「じゃあ、やりましょう」
こうして。
隣町への出荷が決まった。
問題は。
どうやって八百袋もの入浴剤を作るかだった。
「今まで一袋ずつ作っていましたよね」
トーマが言う。
「そうですね」
「八百袋なら?」
「同じ作り方を八百回……」
二人は黙った。
「無理だな」
「無理ですね」
そこで沙樹は考えた。
「一度に大量に作りましょう」
「できるのか?」
「錬金術なら」
沙樹は大きな桶を用意した。
材料を入れる。
薬草。
香料。
乾燥させた植物。
入浴用の鉱物粉。
そして水。
「これを一度に混ぜます」
「今までの十倍くらいあるぞ」
「だからです」
沙樹は魔力を込める。
「錬成」
桶の中身がゆっくり混ざっていく。
香りが工房いっぱいに広がる。
「……すごい」
スタッフが集まってくる。
「今までより香りが均一ですね」
「大量に作るなら、こっちのほうが安定します」
沙樹は混合物を確認する。
「よし」
その後。
スタッフたちが袋に詰めていく。
一袋。
二袋。
十袋。
百袋。
「どんどんできる!」
最初は時間がかかった。
しかし。
作業に慣れるにつれて速度が上がっていく。
夕方には。
八百袋すべてが完成した。
「……できた」
沙樹は積み上げられた袋を見る。
「すごい量」
トーマも笑う。
「これ全部、隣町に行くんだな」
「そうですね」
翌朝。
商品を積んだ荷馬車が出発した。
「いってらっしゃい!」
工房のスタッフが手を振る。
沙樹も手を振った。
荷馬車が見えなくなる。
「……売れるかな」
少し不安だった。
今までは自分の町の人たちが買ってくれた。
でも隣町では、まだ誰も沙樹のことを知らない。
商品だけが先に行く。
「まあ、なるようになるか」
沙樹は工房に戻った。
ところが。
三日後。
荷馬車が帰ってきた。
「どうでした?」
商人に聞く。
商人は満面の笑みだった。
「全部売れた」
「……全部?」
「全部だ」
「八百袋?」
「八百袋」
沙樹は目を丸くする。
「そんなに?」
「ああ」
商人はさらに続けた。
「しかも、追加注文だ」
「え?」
「次は二千袋」
「二千!?」
工房が静かになった。
「隣町ではかなり評判になっている」
「そんなに早く?」
「風呂に入れるだけで、いい香りがするからな」
商人は笑う。
「それに、ここの町で使っている人たちから話を聞いた客もいるらしい」
口コミ。
沙樹はそれを聞いて少し嬉しくなった。
広告を出したわけではない。
大きな店を作ったわけでもない。
ただ。
「使ってみて、気に入った」
それだけで広がっている。
「……嬉しいですね」
「だろ?」
商人が頷く。
しかし。
次の言葉で。
沙樹の顔が固まった。
「それでな」
「はい」
「王都の商人から問い合わせが来た」
「…………」
「王都でも売りたいそうだ」
「…………王都?」
沙樹はゆっくり聞き返した。
「王都って……あの王都ですか?」
「他に王都があるのか?」
「ないですね」
商人は笑った。
「王都の店に置けるなら、かなり売れる」
「そんなに大きな話なんですか?」
「人口が違う」
商人は説明する。
「この町は数千人」
「はい」
「隣町も似たようなものだ」
「はい」
「王都には、その何倍もの人がいる」
「……」
「しかも貴族や裕福な商人も多い」
沙樹は黙った。
王都。
前世の感覚で言えば、大都市だ。
そこに自分の商品が並ぶ。
「……なんか怖くなってきました」
「なぜ?」
「知らない人が、いっぱい買うんですよね?」
「商売だからな」
「何か問題が起きたら?」
「そのために品質管理をしているんだろ?」
「それはそうですけど……」
沙樹は少し考えた。
そして。
「王都用の商品を作りましょう」
「お?」
「今までの商品と同じではなくて」
沙樹は紙を取り出した。
「少し高級なものを作ります」
「高級品?」
「はい」
香りを変える。
容器を変える。
包装をきれいにする。
そして。
「贈り物にもできるようにします」
沙樹は新しい商品を考え始めた。
香りは三種類。
花の香り。
柑橘の香り。
森の香り。
容器は陶器。
蓋には小さな飾りをつける。
そして箱に入れる。
「これは高くてもいい」
「いくらくらい?」
「銀貨三枚……いや」
沙樹は考える。
材料費。
容器代。
包装代。
運送費。
商人の利益。
店の利益。
「銀貨五枚」
トーマが驚いた。
「普通の入浴剤の五倍だぞ」
「だから高級品なんです」
「売れるのか?」
「分かりません」
沙樹は正直に答えた。
「でも、王都ならこういうものを欲しがる人がいるかもしれません」
そして。
試作品が完成した。
白い陶器の小瓶。
蓋を開ける。
ふわり。
上品な香りが広がる。
「……これは」
トーマが黙る。
ガルドも黙る。
商人だけが。
「売れる」
と呟いた。
「まだ売れるとは決まってませんよ」
「いや」
商人は真剣な顔をしていた。
「これは売れる」
「そんなに?」
「王都の貴族なら、こういうものを贈り物にする」
沙樹は商品を見つめた。
「……贈り物」
その言葉に。
少しだけ胸が躍った。
自分が作ったものが。
誰かの大切な人への贈り物になる。
それはなんだか嬉しい。
「じゃあ、試しに送ってみましょう」
「決まりだ」
こうして。
内田生活工房の商品は。
初めて王都へ向かうことになった。
しかし。
その出荷を見送った翌日のこと。
一人の男が工房を訪ねてきた。
上質な服。
磨かれた靴。
腰には商人の証。
「こちらが、内田生活工房ですか?」
沙樹が出迎える。
「はい。私が内田沙樹です」
男は一礼した。
「王都から参りました」
「王都から?」
「はい」
男は一枚の書状を差し出した。
「あなたの商品について、少しお話をしたいのです」
沙樹は書状を受け取った。
そして。
その内容を読んだ瞬間。
目を見開いた。
「……王都で、お風呂そのものを売りたい?」
男は頷いた。
「はい」
沙樹は固まった。
どうやら。
石鹸だけでは終わらないらしい。
王都では今。
沙樹が作った「家庭用風呂」そのものに。
注目が集まり始めていた。




