47話【執念】届いた暴食の牙
視界の端では【真理の眼】が処理不能の警告を真っ赤に点滅させ続けている。脳を焼くようなノイズの合間に、俺の心臓を、魂を、内側から叩き壊さんばかりの熱が突き上げてきた。
【暴食の王】――俺の半身であるその権能が、『この程度の相手に手こずるなよ』とでも言うように、猛烈な飢餓感を煽り立てている。
(分かってる。まだ勝つことを諦めちゃいない……。そんなにせっついてくるな。無様に泥を啜ってでも、死中に活を見出してやる!)
俺は一度、【迅雷纏装】で爆発的な魔力を足元に集中し、大きく距離を取った。
「あら、もう休憩かしら? 私の授業はまだ終わっていないのだけれど。……折角ここまで足を運んだのだから、もう少し私を楽しませてちょうだい」
レヴィは追撃もせず、艶やかな指先で眼鏡のブリッジを押し上げた。その立ち姿は、戦場の中にあってあまりにも優雅で、あまりにも異質だ。
(奴は俺を殺す気まではない。……だが、そんな保証はどこにもない。次の瞬間には奴の気が変わり、俺の首がゴミのように飛ばされているかもしれない)
その程度で死ぬほど、俺は安く作られてはいないつもりだ。だが、この圧倒的な力量差で攻撃され続ければ、いずれ自己再生の限界を超え、リズを守る盾さえ跡形もなく砕け散る。
(俺の魂にはリズがいる。……絶望の淵から、やっと顔を上げたあいつを、また一人の暗闇に放り出すなんて、死んでもさせるかよ。……俺という怪物が抱えた、たった一つの|《《》》約束|《《》》を、こんな場所で終わらせてたまるか!)
魂の叫びが、限界を超えたアドレナリンを脳に叩き込む。
体内に取り込んできた数多のスキル。それらすべてを、一つの決意という型に流し込む。
俺は全身の神経を逆流させ、魂の最奥にある【暴食の王】の炉心に、自分自身の命さえも燃料として叩き込んだ。
「……退屈させて悪かったな。だが、ここからが本番だ。みっともなく足掻いてでも、あんたの喉元に牙を立てる。……俺には、絶対に守らなきゃけない|《《》》約束|《《》》があるんでな!」
俺の叫びに呼応し、漆黒の魔力が暴風となって吹き荒れる。
今、この瞬間のために、俺はすべての制約を解除した。
「【特異点の顕現】――起動」
アズガルドから掠奪した勇者の力が、魔王の闇と混ざり合い、全ステータスを極大まで跳ね上げる。
俺は影の中から【魔剣生成】を発動。生成された刃には、俺の根幹スキルである【魔導溶解腐食液 +10】の致死毒と、【暴食】の飢餓感を限界まで上乗せした。
「【停滞の領域】」
俺はさらに、自身の周囲の時間を強制的に静止させた。
これは回避のための盾ではない。爆発的な推進力を生むための、車のレースで言うブレーキスタートだ。
その絶対停止の檻の中で、俺は【迅雷纏装】を全開に叩き込んだ。
行き場を失った加速エネルギーが、行き止まりの回路で高まった回転数を跳ね上げていく。
魔力の咆哮が脳内を蹂躙し、圧縮されたトルクが、俺という器を内側から焼き切らんばかりに膨れ上がった。
レヴィが指摘した魔力の無駄を削ぎ落とし、ただ前進のためだけに、すべての魔力回路をレッドライン寸前まで回す。
パチパチと空間が爆ぜ、停滞した空気の境界線が、極限まで過給された魔力によって白熱していく。
「……今のカイトくんの目、とてもいいわ。だからどうか、私の期待を裏切らないでね」
迎撃姿勢をとるレヴィの表情に、初めて明確な悦びが浮かんだ。
俺は心の中で、全力で踏み込んでいたブレーキを跳ね上げる。
【停滞の領域】、解除。
ドォォォォォォンッ!!
爆発的な初速が、第30層の空気を物理的に叩き割った。
音速という壁さえも置き去りにし、現実の風景がただの線となって網膜から消え去る。
摩擦さえも喰らい尽くす、今の俺に出せる最高出力の加速。
俺は一閃の稲妻と化し、死を振り撒くレヴィの懐へと肉薄した。
「くらえ!【星彩の断罪】……ッ!!」
天を焦がすほどの光を纏わせたその刃。この攻撃が直撃すれば、レヴィとて無傷では済まないだろう。同時に、その反動で俺自身の肉体も大ダメージを受けかねない、まさに肉を切らせて骨を断つ特攻。
「うーん。残念……、攻撃が真っ直ぐすぎると言ったはずよ。減点ね」
レヴィがわずかに落胆した表情で、魔剣を受け止めようと手を伸ばした。
だが、俺はそこで既に次の手を打っていた。
「【奈落の魔糸】……!」
加速の極致にありながら、俺は周囲の柱に張り巡らせた魔糸を使い、物理法則を無視した急旋回を敢行。直線の軌道を直角に曲げ、レヴィの視界から一瞬で消え去る。
それでもなお、彼女は首をわずかに傾けるだけで、俺の再加速に反応してきた。
だが、そこが――狙いだ。
(今だ……ッ!!)
俺は魔剣を叩き込む直前、レヴィの周囲数メートルに対してのみ【停滞の領域】を展開。一瞬、コンマ数秒だけの時間停止を叩き落とす。
さらに【重圧の深淵】による超重力フィールドで彼女の自由を縛る。
動きを止め、反撃を許さず、すべての殺意を込めた魔剣を――彼女の心臓へと叩き込んだ!
「ふふ、少しは工夫したわね。でも、そんな大振り――」
レヴィはそれでも、余裕の笑みを消さなかった。
彼女は停止した時間の中でもなお普通に動き、魔剣を受け止めようと手を伸ばした、その一瞬。
(剣は……囮だ……!)
魔剣から手を放すと同時に、俺は影の中へと沈み、彼女の死角へと移動した。
掴まれた魔剣がレヴィによって砕かれるのと同時。
俺は彼女の背後から、あらゆる権能を右拳の一点に集中させて、飛び出した。
全スキル、全ステータス、そしてリズを守るという執念を込めた、一点突破の奥の手。
「【暴食の審判】……ッ!!」
ドッ、と空気が爆ぜる。
「あら……?」
レヴィの瞳が、初めて微かな驚愕に揺れた。
彼女は反射的に俺の手首を掴み取ったが、その瞬間、俺の拳から放たれた【暴食】の顎が空を喰らう勢いで彼女の髪を掠める。
パラパラと、白銀の輝きが宙を舞う。
それは、切断された彼女のプラチナブロンドの髪、数本だった。
「……面白い。最高に面白いわ、カイトくん」
レヴィが、サディスティックな歓喜に満ちた笑みを深く浮かべる。
彼女の手首から伝わってくる圧力が、これまでの遊びとは一線を画す、神話級の質量へと膨れ上がっていった。
「今のカイトくんでは、絶対に勝てないくらいの出力で相手をしていたのに……。まさか戦いの中でこれほどギアを上げてくるとは。私の指導を血肉に変え、この私から一本取ろうとするなんて。やはり【暴食】を覚醒させた器は、いつも、いつだって興味深いわ」
彼女の碧の瞳が、虹色に、そして残酷なほど美しく輝き始める。
周囲の空間が、彼女の発する魔力だけでミシミシと軋み、転移ゲートの台座に巨大な亀裂が入った。
もはや、ただの味見で済みそうな雰囲気ではない。
「いいわ。カイトくんのその、絶対的な信念に敬意を表して。……特別に、私の全力を少しだけ見せてあげるわね」
レヴィの背後に、先ほどよりも巨大な、天をも覆い尽くさんばかりの海龍の幻影が顕現する。
第30層全体が、彼女の吐息一つで、文字通り塵へと還りかねないほどの絶望に包まれた。
ボロボロになった俺の唇が、それでも折れない意志を込めて、狂ったように吊り上がる。
反撃は、始まったばかりだ。
だが、レヴィの力が完全に解放された瞬間――俺の視界は、逃げ場のない純白へと塗り潰されていった。




