ログアウト不能
視界が白く弾けた。
光が収まると、俺は石畳の広場に立っていた。
空には黒い塔が雲を貫き、街のざわめきが耳を満たす。
VRMMO。
正式サービス開始、初日。
人、人、人。期待と興奮であふれていた。
俺――レインは指先でウィンドウを開く。
> 職業:召喚士
> スキル:初期召喚/魔力感知Lv1/契約枠1
> 攻撃:C− 防御:D 俊敏:C 魔力:B
「……やっぱり、弱いな」
知っていた。
召喚士は最弱職。
召喚体が雑魚すぎて、十時間に一度しか呼べない。
パーティ募集板では“寄生職お断り”。
それでも俺は選んだ。
――現実で、同じ扱いを受けてきたから。
就活に滑り、バイトも続かず、親にも呆れられた。
どこに行っても役立たず。
せめてこの世界では、好きに生きてみたかった。
そのときだった。
空が一瞬、赤に染まる。
耳をつんざく警告音。
> 【警告】ログアウト機能が一時停止されました。
> 【追加情報】復旧予定:未定。
> 【特別ルール】現実への帰還条件――第100層の突破。
ざわめきが広場を包む。
「バグ?」「演出?」「イベント?」
笑っていた顔が次第に強張っていく。
誰かがメニューを開いた。
次の瞬間、悲鳴が上がった。
「ログアウトが……ない!」
俺も試した。
……ボタンが消えていた。
空から声が降りる。
> 『ようこそ、被験者諸君。
> これより《エターニス・オンライン》は特別運用モードへ移行します。
> この世界で死亡した場合、現実でも生命活動が停止します。
> 生き残りなさい。第100層を突破した者のみが帰還できます。』
誰かが叫び、誰かが泣き崩れた。
刃物を抜く音。
混乱の中で誰かが倒れ、最初の血が流れた。
もう、ゲームじゃない。
喉が乾く。
怖い。
でも、心は妙に静かだった。
――現実で失うものなんて、もうない。
だったら、ここで生きてみるのも悪くない。
俺は人混みを離れ、裏通りへ向かった。
怒号と泣き声を背に、城門の外へ出る。
夜風が肌を冷やし、森の匂いがした。
初心者狩場〈ルーベルの森〉。
スライムと狼がうごめく暗がり。
木剣を構え、スライムへ斬りかかる。
ぬるりとした感触。HPバーは微動だにしない。
「マジかよ……」
召喚スキルを使う。
> 《召喚:インプ》
現れた小鬼がナイフを振る。
スライムに弾かれて、煙のように消えた。
再召喚まで十時間。
笑うしかない。
空腹と疲労で、頭がぼやける。
街に戻れば安全だ。
でも、そこに俺の居場所はない。
俺は、森の奥へ歩いた。
誰もいない方へ。
生きるために。
木々の影が濃くなり、足元が沈む。
地面が崩れた。
落下。
視界がぐるりと反転し、岩に肩を打った。
HPバーが赤く点滅。
目を開けると、そこは古びた地下の祠だった。
崩れた祭壇、光る紋章、壁に突き刺さった端末の残骸。
その光の前に、灰色のスキルスロットが浮かんでいた。
> 《特異召喚スキル──幻獣契約、発動可能》
「……なんだこれ」
指が勝手に動いた。
次の瞬間、光と熱が爆ぜる。
空気が反転し、祠全体が震えた。
黒い卵のような影が浮かび上がり、殻が砕けた。
中から現れたのは、掌ほどの竜。
漆黒の鱗に、紅い瞳。
影が俺を見上げ、声が響いた。
> 『……名を、つけてくれ。主よ。』
掌ほどの竜は、ゆっくりと首を傾げた。
紅い瞳が、俺をまっすぐ見つめている。
その瞳の奥に、不思議なものを感じた。
恐怖でも敵意でもない。
まるで、俺が何者かを確かめようとするような――静かな好奇心。
口を開けば、掠れた声が胸の奥に直接響いた。
> 『……名を、つけてくれ。主よ。』
俺は息を吸い、迷わず答えた。
「――ヴァルグ。お前の名はヴァルグだ」
その瞬間、祠の空気が一変した。
黒い炎が地を這い、壁の紋章が赤く脈打つ。
熱。轟音。
だが、俺はなぜか怖くなかった。
> 【契約成立:幻獣ヴァルグ】
> 【スキル取得:黒炎】
システムメッセージが浮かび、視界が白光に包まれた。
気づけば、祠の入口が震えている。
狼が三体、牙を剥いて侵入してきた。
「……テスト、か」
木剣を構える。
震える手を、ヴァルグの瞳がじっと見ていた。
小さな竜が一歩、前に出る。
黒炎がゆらりと揺れ、空気が軋んだ。
次の瞬間――
轟、と音を立てて炎が爆ぜる。
狼たちは逃げる暇もなく、灰になった。
静寂。
黒い火が消えた後に残ったのは、焦げた石と、ひとつの呼吸。
俺は呆然と立ち尽くした。
「……今の、俺がやったのか」
ヴァルグが小さく鳴く。
その声は、まるで「当然だ」と言うようだった。
最弱職。
寄生職。
そう呼ばれた召喚士の俺が、今この瞬間、確かに力を得た。
胸の奥で、何かが目を覚ます。
怖さでも、興奮でもない。
――生き延びられるという確信。
祠の奥で、壊れた端末がひとりでに光った。
画面のノイズの中から、機械音声が途切れ途切れに漏れる。
> 『観察対象Ω……異常値検出……倫理評価……進行条件更新……』
観察対象? 倫理評価?
その言葉が意味するものは、今はわからない。
ただ、誰かが“見ている”気配だけは感じた。
俺は息を整え、ヴァルグを抱え上げた。
小さな体は驚くほど熱い。
その温もりが、現実よりも現実的だった。
「行こう、ヴァルグ」
竜は小さく頷き、肩に乗る。
黒炎の粒が宙に散り、祠の出口を照らした。
夜の森は静かだ。
風が枝を揺らし、遠くで狼の遠吠えがこだまする。
この世界は、もう“ゲーム”ではない。
死ねば終わり。
生きれば、いつか100層の先に辿り着ける。
――なら、やることはひとつだ。
生き抜く。
そして、この世界の裏にあるものを暴く。
黒い塔の頂へ、俺は必ず辿り着く。
ヴァルグが静かに鳴いた。
まるで、その決意を肯定するように。
> “生き延びろ。第100層を越えろ。召喚士レイン。”
森を抜ける風が、俺たちの背を押した。
この世界の夜が、初めて“現実”に見えた。




