PACE4-1→雪花 2
†追悼†
「……!」
ばさりと毛布が床に落ちる。ざぁっと血の気が引く感覚で、自分が今まで悪夢を見ていたことに気付いた。夜明けにはまだ時間があるが、目は完璧に覚めている。珍しいこともあったものだと苦笑しようとして失敗。まいった、笑い事にも出来ないなんて。
「っ…。」
耳について離れない言葉。勝手に持ち上がった手が、頭を抱える。気分が悪い。
かたん、という音に、顔を上げる。弥だったらどうリアクションしたら良いんだろうと悩んでいたが、その心配はいらないようだった。
「やぁ、青い顔をしているが大丈夫かな?」
「あぁシュトラフ、久しぶりだな。」
「質問に答えたらどうかね?君はどうも人の話をはぐらかしすぎる傾向が有るからね。私としては心配だよ。あぁ心配だとも。」
「わざとらしさが丸見えだぞ?」
「それが私のチャームポイントだからねぇ。こればかりはかえられないね。で本当のところ具合はどうだい、シュリアシェリア。随分顔色が悪いが。」
シュトラフ、元大天使で現高位天使。一度地位を下げられた、長生きな天使だ。たしか今年で568だったか。
一応良き友。もちろん敵ではあるが、仕事上だけだ。俺は公私を分けられるタイプだ。
「……別に平気だ。少し悪い夢を見ただけで。」
「おやおや、君には良くあることだね。疲れてるんじゃじゃないかい?」
「ここのトコ忙しくてな…。…疲れがとれないんだ。」
ソファーに仰向けに寝、ため息をつくと整った顔が覗き込んでくる。
「おやおや、本当に疲れてるみたいだねぇ……。」
「髭剃れよ。」
「そうくるか。あぁ、童顔のひがみかい?」
「黙れ年寄り。」
軽口をたたきあってため息。本題に入ることにする。
「で?何しにきた。」
「いや。今日は気が向いたのでね。」
「そうなのか?」
「ここ数年会ってなかったからね。」
何年ぶりだったか、考えだして疲れてしまった。思い出すなんてどうかしてる、忘れたつもりだったのに。
「なるほど疲れてるみたいだねぇ。しっかり休んだほうがいい。」
「一応仕事中なんだが。」
「君の可愛い弟子に任せればいいんじゃないかい?」
「あの、なぁ…10歳だぞ。」
「世界の荒波にもまれていいんじゃないかい?」
何事も経験というし、と戯言を吐くを冷たい目で見返してやる。苦笑したシュトラフは、その天使らしからぬ黒髪をかきあげて背筋をのばした。
「ま、無理はしないほうがいい。時間がある限りは休んでいたほうがいいんじゃないか?私としても、遊び相手である君に寝込まれるとつまらないんだ。」
「どっちにしろ、お前は自分のコトしか考えてナイ訳か?」
「いや、君のコトも大切に思ってるんじゃないかい?私にはわからんけどね。」
「……自分のコトが解らない、と?お前らしいな。」
「それは光栄。さてと、じゃぁ私は行くよ。まぁ無理をせずに頑張ってくれたまえ。」
「了解。」
ふ、とシュトラフが消える。ため息をついて、目を瞑った。薬がまだ残っていたのか、襲ってくる、目眩に似た眠気。逆らうのには気力が足りなくて再び夢の中へ。
次に目が覚めるのは、うるさい弟子の「師匠、起きて下さいよ。」でありますように。
「師匠!師匠!ったら!朝ですよ!聞いてます?!」
「んー……うるさい……。」
「うるさいじゃないですよ!おきてくださいってば!ソファーで寝られたら何も出来ないでしょう?!」
毛布を抱いた師匠は、うぅんと呟いて寝返りをうつ。昨日の頬が痛々しく腫れていて、なんだか起こすのが不憫になってきた。そうでなくても最近寝ていなくて疲れているんだし……、こんな時くらい休ませてあげても……。そこまで考えて今も仕事中だったことに気付く。こんな時は心を鬼にしても、師匠を起こさないと!うん、僕ってなんて良い子なんだろう。
「師匠起きてっっ!」
軽く、ぱしっと湿布が貼ってある首を叩いてみる。
瞬時に飛び起きる師匠。痛そうに首を押えて、低い声で呟く。
「何のつもりだ貴様。」
「だって……師匠何時までも寝てるから。」
「疲れてるんだよ。少しくらい寝かせろ……第一時間なんかいくらでもあるだろうが。」
「ないですよ。やり方とか何も考えていないんでしょう?……僕はお手伝い出来ませんが、師匠は疲れてるんですから早く仕事を終わらせて休みましょうよ。」
「よ・け・い・な・お・世・話。だ。……あぁ怠い。」
ぱふっとクッションに顔を付けた師匠は、ごしごしと目をこすって体を起こした。怠そうにのびをしたあと煙草をくわえる。どうしたんだろう。やけに本数が多い。
「…何だ。」
「いえ、いつもは吸わないのに、と思っただけです。」
「ストレスがたまってるだけだ。」
僕には、だけ。に見えないんだけど。
キィと少しだけ窓をあけた師匠が、煙を外に逃がす。所々跳ねた銀髪が、外の銀世界と混じって揺れた。
「雪は嫌いだ。」
それは小さいけれどはっきりした呟きで。驚いて師匠の方をみれば、彼はぼーっと外をみていた。
「"雪舞い降りる夜にあなたは産まれた。"……か。」
ため息。少し考えた師匠は突然、呟いた。
「お前の製造者はどんな奴だ。」
「急にどうしました?」
思わず問い返す。師匠は本当に必要なコトしか聞こうとしない、そう言う人だと思っていたのだ。
「何となく、な。」
気になったから。と。
師匠は苦笑する。
「僕の製造者は、師匠にバケツで水を掛ける人ですよ。」
「それは知ってるさ。夏でよかったと思ったのはアレが初めてだ。」
「あとは……そうですね…女の人らしい女の人でしたよ?ピンクとか白とか水色とかが大好きで、いつもぽわーんてしてました。」
「麺つゆ薄めないんだったか?」
「えぇなんか濃いなぁとは、思ってたんですよね。天然で可愛い人でしたよ?」
階段があればこける、段差がれば躓く。そんな人だった。ふと気になって問いかけてみる。
「師匠の、製造者さんはどんな人だったんですか?」
師匠はきょとんとしたあと、少し笑った。
「綺麗な人だったよ。」
意外な言葉。煙を吐いた師匠は、ぼーっと外を眺める。
「聡明で美しい人だった。女には珍しい高位の悪魔で、小さかった俺は淋しかったんだがな。……俺が寝た頃帰ってきて、俺が寝てる間に仕事行く。今より高位悪魔が少なかったから、仕事量が半端じゃなかったらしい。それでも八つになるまで育ててくれたんだから、たいした人だったんだろうな。」
「へぇ、師匠と違いますね……。」
「失礼な奴だな。俺だって真面目に仕事をしていた時期もあるさ。どうも加減が出来ないんだ。」
「そうですか。あんま信じられませんけど、信じてあげましょう。」
師匠は不満げな顔をして、別に嘘は言ってないと呟いた。
「師匠の製造者さんか………会ってみたいな。」
「あぁ、それは無理だ。」
即答。
僕がきょとんとしていると、師匠は小さくため息をついた。
「あの人は、俺が八つになる前に死んでる。」
それは、埋められた記憶。
「あら、熱があるのね。」
「このくらい、平気。」
「平気じゃないでしょう?風邪かしら。最近、咳してたものね。」
銀の髪を持ち上げて、その人は自分の額にそっと手を置いた。宙をにらんだ後、大丈夫?と顔をのぞき込んでくる。
心配を掛けたくなくて大丈夫、と呟いた。どうして大丈夫などと言ってしまったのだろう。体は決して大丈夫、な状態ではなかったし、彼女も必ず仕事に行かなくてはならない訳では無かったのに。
「立ってると体に悪いわ。ほら、横になってなさい。」
軽々と抱き上げられて、ベッドに寝かされる。頭を撫でる手が気持ちよくて、うとうとしだすと彼女は微笑んだ。
「今日はお仕事休もうかしら。ね?」
「駄目だよ、母様。」
「あら、なぜ?」
「仕事は大切なんでしょ?」
「あなたも大切よ?」
「僕より世界が大事。」
結局あの人は自分に勝てない。彼女は、じゃぁいい子にお留守番しててね、と言ってでていった。
ひらひら舞う、粉雪の日。
何が間違ったんだろうあの日。